魔力のはじまり
魔法の授業へ合流するまでの移動時間。
瑛慈は隣を歩く久遠に、意を決して声をかけた。
「さっきの…凄い一発。
あんなの打ち込めるなんて、もしかして、プロボクサーだったんですか?」
久遠は足を止めることなく、わずかに視線を落とした。
その沈黙に、瑛慈は胸が詰まる。
(……聞いちゃいけないことだったかな)
「あっ、もし答えたくないなら……」
「…いえ、大丈夫です」
久遠は短く息を吐き、ゆっくりと言葉を選ぶように続けた。
「仲間になる人には……知ってもらってたほうがいいかもしれませんから」
顔を上げ、左目のあたりにそっと指を添えて。
「俺は、元プロボクサーでした。
でも、デビュー戦の数日前に…網膜剥離で片目の視力を失ったんです…」
淡々とした口調とは裏腹に、握り締めた拳が微かに震えている。
「そのまま引退です。
……だから、プロだったと言えるのどうかも、正直分かりません」
瑛慈は言葉が見つからなかった。
励ましの言葉を探しても、どれも軽く感じてしまう。
それでも、絞り出すように言った。
「……プロテストに受かるだけでも、凄いことだと思います」
自分でも、拙い言葉だと思った。
社会人になってから、仕事以外の会話を避けてきたツケが、こういうところで回ってくる。
久遠は、ほんの一瞬だけ視線をこちらに向けた。
「…ありがとうございます」
それきり、会話は途切れた。
だが、瑛慈の頭からは、先ほどの光景が焼き付いて離れなかった。
――あの右ストレート。
あれは、全力じゃなかった。
(……やっぱり、きっと何かある)
そう思った瞬間、始業のチャイムが鳴り響いた。
「では、魔法の授業を始める。全員合流したところで、まずは魔法資格取得条件について説明しておく」
世界でも数人しかいない、特級魔導師。
エレーナがそれに該当するとされているが、取得条件は、IACOの承認のみ。
1級・2級魔導師、そして下位の1級・2級魔術師は試験合格によって取得可能。
実力さえあれば、飛び級も認められているようだ。
そして、この学校の卒業条件は1級魔術師以上の取得。
3級は民間資格。
基本的には聖騎士・射撃士の資格と同じとのこと。
だが、魔法資格を取得する方が圧倒的に難しいみたいだ。
それは、才能がなければ扱えないうえに、扱えたとしても多種多様の魔法を使えなければならないから。
「魔法にも相性がある」
氷室の淡々とした説明が続く。
「攻撃魔法が得意な者、防御魔法が得意な者。
火・水・風・雷…属性にも向き不向きがある」
杖を構え、手で離れるように指示した。
「1級魔術師の最低条件は、中級魔法を扱えること。
そして、回復魔法や結界魔法、召喚魔法などの専門分野と属性魔法を一種以上を身につけること」
杖を軽く振るう。
「これが、火属性の基本魔法−−"ファイア"」
氷室の杖の先にぽっと小さな火が生成され、静かに灯った。
「次に、下級魔法−−"フレイム"」
炎が一気に勢いを増し、意思を持ったかのように激しく揺らめいた。
「そして、中級魔法。君たちが当面、目指す段階--"ファイアウォール"」
炎が一線に並び、壁となって燃え広がる。
熱が、肌を刺すように伝わってきた。
「最後に、上級魔法−−"インフェルノ"」
それはもはや火ではなかった。
全てを焼き尽くすための現象。
離れていても、本能が危険だと告げてくる。
「これが私の限界だ。
だが、これより上を扱える者はいる」
氷室の視線はエレーナへ向けられていた。
これよりも凄い火属性の魔法があるとは、想像がつかない。
杖が振られ、炎は消えた。
「まぁ、今、魔法資格のことをとやかく言っても仕方ない。魔法が使えなければ始まらないからな」
氷室が近付いてくると瑛慈たちを見て言った。
「まずは、合流した者たちが魔法を使えるのかを確かめよう。
初めに言ったが、魔法は才能だ。魔法を使えないからといって落ち込むことはないからな」
横二列、等間隔に並ぶように指示される。
「まずは掌を上にして広げ、前に出せ。
…目を閉じ、想像しろ。その掌に出してみたい魔法を。
火が燃え上がるイメージ。
水が湧き出るイメージ。
何でもいい。自分の思い描く魔法を」
瑛慈は目を閉じ、頭の中でイメージした。
さっき見た火の魔法。
大きな炎が燃え上がるイメージ…。
目を開けたが、掌が見えるだけで何も起きない。
他のクラスメイトを見渡してみた。
なんとか出そうと力んでる者、呪文のように何か呟く者…。
しかし、当然、何も起きてない。
だが、同じ勇者候補たちは全員、それぞれ違う魔法が掌に現れていた。
火、水、風、雷、氷。
(……俺だけ?)
瑛慈は焦った。
それを見かねた氷室が助言をする。
「初めから大きなものを想像するな。
火なら、マッチで火を起こすイメージ。
水なら、蛇口を開けて水を出すイメージ。
風でも、雷でも、氷でも、シンプルなものを想像してみろ」
瑛慈は再び目を閉じた。
ライターで火を点けるイメージをする。
脳内でライターを思い描き、親指でホイールを押し込み、回転させる。
だが、想像では火が点いているはずなのに、現実では何も起きない。
(…焦るな)
諦めず、次に水が出るイメージをした。
水が湧き出るイメージ…。
地面の隙間から、透明な滴が滲み出てきて、水たまりが広がるところを想像した。
しかし、やはり何も起こらない。
諦めそうになったその時、瑛慈の掌で、微かな冷たさを感じた。
目を開け凝視すると、掌から湧き出てくるように透明な光の帯が、静かに広がっていく。
水だ。確かに、水がそこにあった。
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
(…よかった。俺にもできた)
思わず、氷室を見た。
「勇者候補は全員、魔法が扱えるようだな」
氷室は一瞬口元を緩めた。
だが、その表情はすぐに引き締める。
「才能がなければ、なぜ魔法が使えないのか……分かっただろう?」
ゆっくりと見渡しながら、言葉を続ける。
「何事も、0から1を生み出すことが一番難しい。
魔法も同じだ。何も無いところに火や水を生み出す。普通ならありえないことをやってるんだ」
瑛慈は、先ほど掌に現れた水の感触を思い出していた。
あれだけ小さな魔法でも、確かに全身がじわりと疲れている。
「初めのうちは、それだけでかなりの魔力を消費するだろう。
だが、慣れれば少しの消費で済むようになるはずだ」
氷室は杖を軽く叩く。
「そして、君たちが今出した魔法。それが自分の得意な属性だ。
その属性を、1から10にすれば下級魔法。10から100で中級魔法。100から1000で上級魔法になる」
一瞬、間を置いて続けた。
「…これでやっと、魔法使い。そして、勇者としての始まりだ」
周りの空気が、わずかにざわめいた。
始まりという言葉が、胸に残る。
「では、魔法が使えない者は魔力を扱えないのか?」
氷室は自分で問いを投げ、すぐに答えた。
「…答えは、否だ」
静かな声だったが、不思議とよく通る。
「魔力は、身体能力を強化することにも使える。
経験したことがある者もいるはずだ。
視界が冴えたり、身体が勝手に動いたり、走っても息が切れず、痛みすら後から追いかけてきた感覚…。いわゆるゾーン体験だ」
(……あ)
瑛慈の脳裏に、久遠の動きが浮かぶ。
あの研ぎ澄まされた一瞬。
「普通の人間は集中することで、無意識にゾーンに入る。
だが、君たちはそれを"意識的に"魔力でコントロールする」
氷室は一度区切り、続けた。
「ここからは、魔力の扱いを教えていく」
「魔力の扱い方自体は、皆同じだ。
流して、集めて、溜めて、放つ。
違うのは、どこで放つかだけよ。
私たち魔法使いは外で放つ。
聖騎士や射撃士は、身体の中で放つ」
氷室は少しだけ、困ったように肩をすくめた。
「だが……ひとつ厄介なことがある。
私は身体能力強化が苦手なの。いやっ、魔法使い全員がそうだと言ってもいい」
あちこちで、小さなざわめきが起こる。
「魔法使いは、魔力を外に出すことに長けている。
だが、魔力を身体に循環させるのは、思っているより難しいのよ」
そこで、クラスメイトが質問した。
「それは、なぜですか?」
「一度成功したやり方を、身体が覚えてしまうからよ」
氷室は即答した。
「熟練した魔法使いほど、"外で放つ"という癖が染み付いている。
逆に魔法を使えないと分かっていれば、最初から身体に魔力を留めることに集中できる」
「勇者候補は、未完成だからこそ、内と外、両方で魔力を放てる。勇者が特別な存在である理由は、ここにある」
瑛慈は、ゆっくりと息を吸った。
未完成——それは弱点であり、同時に可能性でもあるんだ。
「覚えておいて。
魔法と身体能力強化は、別技術ではない。
魔力を“外で解放するか、中で解放するか”の違いにすぎない」
「そして、最初にやることは皆同じ。
魔力コントロールを正確に行えるようになること」
氷室の声が、わずかに低くなる。
「自分の魔力を知ることは、相手の魔力を知ることに繋がる。
例えば、鍛えれば魔力を視認できるようになる者もいる。
視認できなくとも、感じ取ることはできる」
「魔王は、魔力を隠す必要すらない。
だが、魔物は違う。
一見、弱そうに見える奴が、即死級の攻撃をしてくることがある。
それが、"魔将"と呼ばれる存在だ」
「普通の魔物は、魔力を誇示したがるの。
だが、魔将は巧妙に魔力を抑え、隠す。
魔力を理解していなければ、ただの雑魚だと勘違いするだろう」
「人間も魔物も、感情や本能はすべてが魔力に出る。
恐怖、興奮、怒り……必ず揺らぐ。
その揺らぎを、感じ取れるようになることよ」
少しだけ、口調が柔らいだ。
「感じ方は人それぞれだから、経験して慣れるしかないわ。
魔法使いは視認できる者が多いし、班長たちは肌で感じるみたいだから」
そして、氷室は小さく笑った。
「言葉で説明するよりも、体験したほうが早いかな?」
その瞬間だった。
空気が、ずしりと重くなった。
重力が一段階強くなったかのように、全体が軋む。
理由もなく胸を締めつけられ、喉が詰まり、呼吸が浅くなる。
「私はそこまで魔力が強いわけじゃない。だが、解放すれば、少しは違いが分かるだろう?」
これが、魔力…。
「そもそも、なぜ魔力を抑える必要があるんですか?
強い魔力の方が相手を威圧できるのでは?」
「分かるだろう?
魔法使いは自身の魔力で、周りの人間の意識を飛ばしかねないからだよ。
ただ、魔将は違う理由で抑えるみたいだ」
「それは何故ですか?」
「それは、また魔物についての授業のときに教えよう。
まずは、魔力のコントロールが優先だ」
氷室が短く詠唱した。
すると、全員の前に透明な水晶球が現れた。
「この水晶は、魔力に反応する。
魔法を使う必要はない。
ただ、“魔力を出さずに”持ってみて」
瑛慈はそっと持ち上げた。
だが、水晶に触れた瞬間、表面に細かな波紋が走る。
魔法資格を選択した者、勇者候補の蘆屋、そして久遠。
それ以外のクラスメイトは水晶が割れてしまうか、ヒビが入っていた。
「水晶が割れなかった者は、多少なり魔力コントロールができている証拠だ」
氷室は久遠に目を向け、言葉を濁す。
「…あるいは、ほとんど魔力がないか、だ」
久遠は驚く素振りも見せない。
まるですでに分かっているかのようだ。
「これが、魔力コントロールの基礎訓練だ」
氷室は淡々と告げる。
「この水晶は、普通に持っただけでは割れることはない。しかし魔力を意識し持つと、魔力に反応し割れるかヒビが入る」
「水晶が割れた者は、魔力が暴れている。
ヒビが入った者は、魔力が漏れ出している。
これが割れなくなったら、次の段階だな」
氷室は割れてしまった水晶を拾い上げて、言葉を続ける。
「この水晶もタダじゃないからな、そう何個も割られるのも困る」
そう言うと、再び短く詠唱した。
すると、瑛慈たちの目の前に、先ほどの水晶球とよく似た、だがどこか異質な輝きを放つ球体が浮かび上がる。
「これは研究所で開発された、魔力コントロール専用の魔道具、"雷晶球"」
そう言って、氷室は口元にわずかな笑みを浮かべる。
「訓練にはもってこいの代物だ」
嫌な予感しかしない。
「試しに魔力を出さずに持ってみろ」
瑛慈たちは互いの顔を見合わせながら、恐る恐る雷晶球へと手を伸ばした。
深呼吸をし、魔力を意識から遠ざける。
(何も起きるなよ…)
そう願いながら、触れた瞬間だった。
「……っっっ!!!」
掌から、鋭い衝撃が走った。
一瞬で全身に電流が駆け巡り、思考が白く弾ける。
その痛さから、反射的に雷晶球を放り投げ、瑛慈はよろめいた。
周囲からも、同じような悲鳴やうめき声が上がる。
どうやら、無事だった者はいないらしい。
「ははっ!痛いだろう?」
氷室は楽しそうでもなく、ただ事実を告げるように言った。
「その魔道具は、割れないかわりに電流が流れる仕組みになっている。
魔力を無意識に漏らせば、その分だけ、しっかり身体で教えてくれる」
瑛慈は歯を食いしばり、痺れる掌を見つめた。
まだ、じんじんと感覚が残っている。
「コントロールできなければ、その痛みをずっと味わうことになる。だが………」
氷室は雷晶球を指差す。
「その痛みが教えてくれるわ。
痛みの感じ方は人それぞれだが、魔力を制御し始めれば、電流の強さも変わるはずよ。
そして、コントロールできたとき、この雷晶球は光る。黄・紫・赤……色は個人差があるが」
もう一度、瑛慈は雷晶球を拾い上げた。
正直、怖い…。
だが、ここで手を止める選択肢はなかった。
(――魔力を出すな)
そう意識した瞬間、また電流が走る。
先ほどよりは弱いが、確実に痛い。
「っっ……!」
瑛慈は痛みに耐え、歯を食いしばる。
次は、ほんの少しだけ魔力を“留める”ことを意識した。
すると、電流がわずかに弱まった気がした。
(……今のは?)
確信はない。
だが、何度も繰り返すうちに、少しずつ分かってくる。
魔力が外へ漏れた瞬間、電流が走る。
意識を内側に向け、抑え込めたときだけ、痛みが軽くなる。
何度も、何度も電流を浴び、そのたびに立て直す。
水晶球のときは、亀裂が入っただけだった。
なら、ほんのわずかだが、確かに制御できているはずなんだ。
勇者になるまでの道のりは、果てしなく遠い。
そう痛感させられる訓練だった。
それでも――。
(……進んでる)
確実に、昨日までの自分とは違う。
諦める理由は、どこにもなかった。
瑛慈は雷晶球を持ち、再び電流を受け止める。
痛みの中で、自分に言い聞かせるように、何度も、何度も。
――大丈夫だ。
自分に言い聞かすように、何度も電流をくらい続けていた。




