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第6話  『襲撃』

―そうか、そういうことか。


 リオンはすべてを理解した。

 わざわざ話をするだけなのに、こんな辺鄙な廃ホテルを選んだ意味。

 もうすでに、自分の命は狙われているのだということを。


「じゃあ―


 と言いかけたリオンを、セイルは制止した。


「静かに」


 気が付くと、眠っていたはずのアイラもいつの間にか剣を抜いて戦闘の構えをとっている。


「二つ下の階、一人います」


 アイラは彼女のいる場所、そこから数メートル先の床をジッと()()している。

 しかし、リオンには何も感じられない。

 彼には、誰かがいる気配など微塵も感じられなかった。


「こっちを見ている、様子をうかがっています」


 アイラはそっと呟いた。


「まさか吉良朝日か…?」


 リオンもゆっくりと立ち上がって、防御の姿勢をとった。


「いいえ、もし吉良なら見つかるようなヘマはしないでしょう。ただこの感じ…、見つかることを恐れていないような気がします。もしかすると相当な手練れ―」


 アイラは、そこで言葉を区切った。


「来ますッ!」


 ドガシャアアァァァァァァァァァアアア!!!


 瞬間。

 アイラが叫んだのと同時だった。

 轟音と共にリオンの視界が、地面が激しく揺れた。


 ―何だ、何が起こった!


 リオンは状況を確認しようとしたが、激しく舞い散る土埃が彼の視界を奪った。


「くッ…」


 リオンは必死で目を覆った。

 幸いにも身体は無事だったようだが、何が起こったのか把握ができない。


「あー。外しちまったかァ」


 男の声。

 低く、下卑た声が土埃の向こうから聞こえてきた。


「まァ、探知は苦手だからなァ…」


 土埃がようやく収まった。

 リオンは目を見開く。

 瓦礫がれきやレンガが散乱する室内。しかし、驚いたのはそこではない。

 部屋の中央には、直径数メートルほどの巨大な大穴が開けられている。まるで、下の階から()()()()()()によってブチ抜かれたような、そんな穴だ。


「リオンさん、上です」


 呆気に取られていたリオン。

 だが、アイラの声が彼の視線を上階へと導いた。


「へっ、ようやく気づいたかァ」


 見ると、上階までブチ抜かれた大穴のふちに、一人の男が立っていた。

 薄いローブのようなものを身に纏っており、手には白銀の槍が握られている。

 鋭い、蛇のような目つき。

 リオンは本能的にそいつが危険であると察知した。


「セイル、見覚えは?」


 アイラが剣を構えたままセイルに尋ねる。


「何度か。確かゲエルという名でした。先代は和平派の好男子でしたが、まあ…。この感じ、今回は敵のようですね」


 リオンはセイルのほうに視線を向けた。

 あれだけの土埃が舞っていたというのに、彼の衣服は少しも汚れていない。

 掌に水球を作っている、戦闘の構えだ。

 セイルは頭上のゲエルを睨みながら言った。


「リオン、戦闘中に敵から目を逸らしてはいけない」

「…ッ!」


 その言葉につられ、リオンは慌ててゲエルに視線を戻す。


「ハア、やっぱりお前が噂の101人目かァ」


 下舐めずりをしながら、ゲエルは蛇のような動作でヌルりと槍を構えた。


「感謝する―――


 ドシュッッッ!


 ぜッ!」


 空を切り裂く音が聞こえた。

 次の瞬間。

 態勢を崩されたリオンの視界の端に、大振りで槍を構えるゲエルの姿が映った。


「死ねェ!」


 横一閃。

 ゲエルは大声で叫びながら、猛烈なスピードで槍を振るった。


 ―やばい、死ぬ…

 

 人は死を予感したとき、大量のドーパミンが分泌されて視界がスローモーションになると言う。

 いまこの瞬間、リオンには迫りくる槍の動きがコンマ数秒単位でスローに見えていた。

 しかし、見えてはいても身体が動かない。


「クッ…」

 

 諦めたリオンが目を瞑ろうとした、その時だった。


「言ったでしょう、敵から目を背けるなと」


 視界の端から、宙に浮いた水の塊が猛烈なスピードで飛び出してきた。


 バシャア!


 ゲエルの槍はその水の塊に阻まれて途中で停止した。

 辺りに飛び散る水。


「へェ…キラが言ってたのはあんたかい」


 槍を止められたというのに、ゲエルはニヤリと笑った。

 飛び出してきたと思っていたのは水の塊ではなく、水を薄く身にまとったセイルだった。

 セイルは、左手でゲエルの槍の先端を握っている。


「キラ…。やはり奴の手下でしたか」

「手下じゃねえよッ!」


 ゲエルは強烈な力でセイルの腕を振り払い、数メートル後方へ飛び戻った。

 その瞬間。


「はあぁぁぁぁぁぁあ!」


 真紅の炎を剣に宿したアイラが間髪入れずにゲエルに襲い掛かった。


「クハッ、いいねェ!」


 ゲエルは高らかに笑い、アイラに応戦する。


 ―何だよ、何なんだよこれ!


 目の前で繰り広げられるあまりに非現実的な光景に、リオンは思わず目を瞑ってしまいたくなる。

 やられていた。

 もしセイルが助けてくれなければ、自分は死んでいたのだ。

 その事実がリオンをさらに恐怖させる。

 しかし。


「大丈夫ですよ」


 絶望していたリオンに、セイルは優しく微笑みかけた。


「大丈夫です。私がいる限りあなたは絶対に死なせません」

「でも、でもッ!」


 リオンは絶叫した。

 どうしてそう言い切れる?

 これはゲームではないのだ。

 命は一つ、失えば次はもうない。

 だが―。


「大丈夫です」


 セイルは、リオンの肩をポンと叩いた。

 なぜだろう。

 理屈ではなかった。

 たったそれだけのことなのに、リオンは救われたような気がした。


「ふっ、もう大丈夫なようですね。さて…」


 リオンが落ち着いたのを確認すると、セイルは立ち上がった。


「奴を仕留めましょうか。グズグズしてると他の敵がくるかもしれません」


 セイルはちらりと窓の外を一瞥いちべつした。

 先ほどの轟音のせいだろう。

 廃ホテルの外には、すでにいくつもの人だかりができていた。

 セイルはそれを確認すると、またリオンに視線を戻しニッコリ笑った。


「リオン、ちょうどいい機会です。これからあなたが覚えなければならない魔法の戦いをお見せしましょう」


 そう言うとセイルは、掌の上に水球を作り出した。


「変わりましょうアイラ。君ではそいつに勝てない」

「でも!」


 アイラが叫んだ。

 ―その瞬間。


「よそ見すんじゃねェッ!」


 ゲエルの強烈な槍がアイラに襲い掛かった。

 

 ヒュンッ!


 セイルの水球がゲエルに向かって放たれる。


「くッ!」

 

 ゲエルが水球に気を取られている隙に、急いで後退するアイラ。

 戻ってきたアイラを見ると、彼女の身体には無数の切り傷ができていた。

 剣に纏った炎もすでに微弱なものへと変化している。


「すみません、私…」


 アイラは肩で息をしながらセイルに謝った。


「謝ることではありません、あなたはよくやってくれた」


 セイルはアイラの肩をポンと叩いた。

 そしてゲエルを睨みつけながら、ジリジリと前に歩み出た。


「へっ、ようやくアンタのお出ましかァ」


 ゲエルもニヤリと笑って槍を構える。

 アイラと比べると、ゲエルにほとんど疲労の色は見えなかった。


「降参する気はありませんか? 無駄な殺しはしたくない」

「そりゃ俺も同じさ」


 ゲエルは笑う。


「ふっ、嘘をおっしゃい」


 二人の距離が縮まる。

 ちょうどゲエルの槍の射程圏内にセイルが歩み入った、その瞬間だった。


「おらァ!」


 強烈な横一閃。

 ゲエルの槍がセイルに襲い掛かる。

 しかし。


「チープな動きだ。もう見切りましたよ」


 ひらりと身をかわしたセイルが、その態勢のまま掌に作り出した水球をゲエルに放った。


「チープなのはお前の魔法だろ!」


 しかし、ゲエルは素早い槍さばきで飛び掛かる水球を切断した。

 切断された水球が、飛沫となって辺りに散乱する。


「威勢がいい割にはもう終わりかァ?」


 ゲエルは下卑た笑いを浮かべ、槍を深く構えた。

 しかしセイルは応じない。

 それどころか、防御の姿勢すらとる気のない様子だ。


「セイル!!」


 リオンは思わず叫んだ。

 だが。


「何だ…これェ…」


 絶好のチャンスだというのに、ゲエルが動かない。

 その時、リオンはようやくあることに気が付いた。

 《《部屋の気温が極度に低下している》》のだ。


「アイラとの戦い、私との戦闘。アツくなり過ぎて気が付かなかったようですね。あなたは初めから負けていたのですよ」


 ゲエルの身体に無数の氷の柱が纏わりついている。

 その根元には、先ほどゲエルによって切断され散らばっていた飛沫があった。


「リオン。魔法の戦いはゲームとは違います。これは現実の戦いです、気を抜けば死ぬ。よく覚えておきなさい」


 パキパキパキッ…


 セイルは掌から薄く細長い氷の剣を作り出した。

 そしてゲエルに歩み寄っていく。


「やめろ…やめろォ!」


 ゲエルが絶叫する。

 しかしセイルは歩みを止めない。


「やめません。あなたは殺します」


 セイルはゲエルに近づき、剣を振りかぶった。

 向かう先はゲエルの脳天、


 ―その瞬間。


「残念だ…」


 ゲエルは蛇のように長い舌をベロッと出した。

 その舌には、真っ黒い丸薬が握られていた。


「まさかッ!」


 セイルが叫ぶ。


「あばよォ!」


 セイルの剣は空を切った。

 ゲエルがその真っ黒い丸薬を嚙み潰した瞬間、彼の身体は一瞬にして消え去ってしまった。


「転送玉か、やられましたね…」


 セイルは氷の剣を分解し、また元の水に戻した。

 これが魔法の戦闘。

 文字通り、命を懸けた戦い。

 リオンはただその光景を呆然と眺めていることしかできなかった。


「大丈夫ですか!」


 アイラがセイルの下に駆け寄った。

 セイルはアイラを受け止め、優しく笑いかけた。


「ええ、大丈夫です」


 その時、部屋の外から何人かが階段を駆け上ってくる音が聞こえた。


「しかし早く移動しましょう、人が集まってきたようです」

 

 そうして、三人は廃ホテルを後にした。

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