第5話 『キラ・アサヒ』
「ふむ、つまり話を整理すると…」
と、机上に組んだ手に顎をのせたセイルは、落ち着き払った様子でそう言った。
「君がアイラを…、いや。今ここにいるアイラではなく、前の転生者が乗り移っていたアイラを殺害したのがついさっきということですね?」
「ああ、その通りだ」
「で、目の前が真っ白になって、世界が再構成された、と」
「ああ」
ふむ、と言いながらセイルは目を瞑った。
まるで、難解な証明問題にでも挑む数学者のような態度だった。
「世界の再構成…つまり、君の言っていた世界がスクロールされていったような現象、まあ、ここではスクロール現象とでも呼んでおきましょう。それ自体は僕たちも知覚することができるのですよ」
「そうなのか?」
「ええ。ほんの八か月前のことです。いつものように生活していたら、君が体験したものとまったく同じ現象が私の身にも起こりました。その直後に、今ここにいるアイラと出会ったのです。スクロール現象が起こると時間軸に多少のズレが発生するのですが、今回の場合は八カ月程度だったようですね」
「そうか…。ということは、この世界にいる人たちはみんなスクロール現象を知覚できるのか?」
「いや、そうではありません」
セイルは断定的な口調で宣言した。
「スクロール現象を知覚できるのは101人の転生者たちだけです。それ以外の人たちはそれを知覚することはできない」
「うーん。よく分からんが、情報をインプットされたAIみたいなものか?」
「いや、実を言うとそこはよく分かっていないのです。ユニークNPCではない彼ら…つまり君が『アザールの村』で出会ったセミ老人のような人たちは、それぞれ個別の意思を持っている。それは確かだ。彼らには感情もあるし、それぞれの歴史も持っている。そこは僕たち転生者と何も変わらない。ただ、スクロール現象を知覚することだけができないのです」
「そう、なのか…」
話がややこしくなってきたので、リオンは悩ましい表情を見せた。
それに、こういった難しい話は苦手なのだろう。アイラに至っては先ほどから半目でうつらうつらしている。
「じゃあ、スクロール現象のことを彼らはどう思ってるんだ? 例えば…、セミ老人なんかは毎日俺と話していると言っていたぜ? 俺が転生してきたのはつい昨日のことなのに」
「そこです。スクロール現象が起こると、彼らの脳内には一種の記憶改変のようなことが起こります。復活したユニークNPCは以前から存在していた、と記憶を改変されてね」
「そうか…それは何と言うか、可哀そうだな…」
リオンは、彼の持ち前の優しさゆえに肩を落とした。
転生して間もないリオンには、彼らがただ神に操られるだけの文字通りのNPCのように思えたからだ。
しかし、セイルは少し笑って答えた。
「そうですか? 私はそうは思いません。君もこの世界に慣れてきたら分かるでしょうが、彼らは感情がある、意思もある、私たち転生者と基本的には何も変わらない。第一、この世界には何億もの人たちが住んでいます。たった数十人の転生者のために記憶が改変されたところで、そもそもほとんどの人たちには影響がないんですよ。それに、転生者の中には彼らと結婚して子供まで持っている人もいますよ」
「本当か? それは驚きだな」
「ええ。まあ、それが問題の種でもあったのですけど…」
セイルは少し声の調子を落とした。
「さっきの話に戻りましょう。101人目の転生者がスクロール現象を起こした、という話です」
「ああ、確か三十年前、とか言ってたな」
「そうです。三十年前に崩壊者によって初めてのスクロール現象が引き起こされ、新たに三十人程のユニークNPCが復活した。その中に、とんでもない問題児がいたのです」
キラ・アサヒ
「君はその人物を知ってるかい?」
リオンは、少し考える素振りを見せた。
―キラアサヒ、キラアサヒ、…吉良朝日?
彼は、その名前に聞き覚えがあった。
「三清町事件…」
「その通り。その事件の犯人が今もこの世界にどこかに潜んでいる」
三清町事件。
それは、竹田海斗が産まれる何年も前に日本で発生した事件を意味する。
竹田海斗が産まれた後も特番なんかでたびたび放送されたことから、彼はこの事件を知っていた。
X県三清町で起きた、連続殺人事件。
一夜にして27人が刃物でズタズタに殺された猟奇殺人。
事件の数日後に犯人は逮捕されたが、それがまだ18歳の少年だったことがさらに世間を騒がせる要因となった。
「そいつがこの世界に…?」
「そう。キラ・アサヒは日本のシリアルキラーでしょう? 私は元が英国人なのでよく知りませんが、何年も前に死刑になったと聞きました。それが、何の因果かこの世界に転生してきたのです」
(こいつイギリス人だったのか…)
どうりでいちいち動作が優雅なわけだ、とリオンは思ったが、口には出さないことにした。
「でも、吉良朝日が死んだのは三十年よりももっと前だぜ?」
「そうかもしれませんが、さっきも言ったでしょう。この世界では時間軸が大幅にズレることがあるんです。例えば、君が起こしたスクロール現象の8カ月も前にアイラは転生してきたんですよ?」
「うーん、そういうもんなのか…」
リオンは納得がいかなかったが、そういうものだと言われてしまえばそれ以上は何も言えない。
「ふっ、気持ちは分からなくもありませんが…。まあ、そもそも時間の概念なんて人間が生みだしたものですからね。こんな馬鹿げた世界をイチから創る神にしてみれば関係ないことなんでしょう」
話を戻そう、とセイルは言った。
「キラ・アサヒは何度も転生者狩りを行った。殺しては復活させ、復活させてはまた殺す。自分の殺人欲求を満たすために、101人目の転生者の持つ崩壊者を利用してね。ただ、ある日事件が起こった。キラ・アサヒとその男の間に何があったのかは私も知りません。だが、結論だけの述べるとキラ・アサヒが101人目の転生者を殺してしまったんです」
「…なんでだ?」
「だからそれは私も知らないってば。ただ、そこでキラ・アサヒは気づいてしまったんです。101人目の転生者を殺した直後、自分の持つ能力が増えていることにね。Sランク能力…。君も知っているでしょう」
「ああ。勇者物語、のだろ?」
Sランク能力。
『勇者物語』では能力の概念が導入されていた。
S~Dの五段階で分かれており、位階が上がれば上がるほど強力な効果を発揮する。
「Sランク能力までは僕たちでも入手することができます。ただ、キラ・アサヒが手にしたのはもう一段階上のものだった。私たちはそれを仮にSSランク能力と呼んでいますが」
罹砕。
「現在、キラ・アサヒの持つSSランクで唯一確認できている能力です。奴が掌で触れたものを粒子レベルで分解する。キラ・アサヒは今までに三人の101人目の転生者を殺しました。つまり、奴はまだ二つのSSランク能力を隠し持っていることになる。それがどんな能力なのかは誰も知りませんがね」
ちょっと待ってくれ、とリオンは話を続けようとするセイルを制止した。
「三十年間もそんな化け物とどうやって戦ってきたんだ?」
「能力を使えるのはキラ・アサヒだけじゃありません。たとえ勝つことはできなくても、私たちだって打つ手がない訳じゃない。ただ…」
と、セイルはそこで口ごもった。
何か言いたくないことを言おうとでもしているような、そんな雰囲気が彼からは感じられた。
「私は思うんだが、おそらくキラ・アサヒは本気を出していない。奴がその気なら、とっくに私たちは殺されているはずだ。だが奴はそうしていない」
「なら何で…」
「願いを一つ叶え、元の世界に戻す」
セイルは断言した。
「私たちがこの世界に来る前に神に言われた言葉です。もしキラ・アサヒの願いが猟奇殺人なら?」
この時、リオンの胸中に嫌な可能性が沸き起こった。
想像を絶するような、吐き気のするような悪魔の可能性が、だ。
「能力を保持したまま俺を元の世界に転生させてくれ、おそらく奴はそう願う。どんな近代武器も、核爆弾ですらやつを殺すことはできない、本物の悪魔が地球に顕現することになるでしょう…」
そして、セイルはさらに続けた。
「キラ・アサヒの次の狙いは君です。スクロール現象によって君の誕生は奴にもうバレてしまった。君はこれからキラ・アサヒと戦わなければならない、死にたくないのなら」




