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幕間物語 『セイル・アカデミア』

「セイル・アカデミア」


 変な名前、と言って彼女は笑った。

 NPCの名前なんだからしょうがないだろう、と彼も笑って返事をする。


 『ユリ・カエデ』


 彼女ははじまりの100人の転生者の内の一人にして、セイルの婚約者。

 セイルは彼女の笑った顔が好きだった。


「ユリって呼んで、セイル。姿は変わっても私は私なの。NPCの名前で呼ばれるなんて絶対に嫌」


 とは言うものの、セイルの事は前世の名前ではなく、ゲーム名、セイル・アカデミアと呼ぶ。ちょっと変わったところはあるものの、セイルはそんな彼女の一風変わったところも心の底から愛していた。

 

 セイルはその時三十で、ユリは二十五だった。

 ユリはその一年後にキラ・アサヒに殺された。

 ランブルクの冬の話だ。



「なぜ殺さなかった!」


 和平派の首領ゴウオンは、怒りのままにその厳めしい拳を机に叩きつけた。

 激しい音が室内に響き渡り、木製のテーブルは真っ二つに割れてしまった。


「でも…」


 とセイルは反論しようとしたが、ゴウオンがその言葉を遮った。


「お前が殺さなかったことで、他の誰かが殺されるかもしれないんだぞ」


 正論だ。

 紛うことなき正論だ。

 そんなことはセイルにも分かっている。だが、殺せなかった。


「セイルは優しいのよ、ねえ?」


 副首領ミアはその艶やかな銀髪をなびかせながら、セイルの肩にもたれかかった。


「でもゴウオンの言う通りよお。なぜ殺さなかったの?」

「彼は…」


 とセイルは苦しい表情で言った。


「彼には、子供がいたんだ…」


 セイルはそれっきり沈黙した。

 ゴウオンですらも、それにはすぐに反論できなかった。

 ()()()()()()()

 誰だって人殺しなどしたくなかった。

 だがゴウオンはその冷静さからか、あるいは首領としての責任か。

 セイルに冷たく言い放った。


「お前は逃げたんだ。いつか後悔するぞ、いいかセイル。やらなければやられるんだ」

「…」


 しかしセイルはそれには何も言えずに席をたち、茫然と部屋を後にした。

 その後ろ姿を、二人はじっと見つめていた。


「大丈夫なのぉ?」


 とミア。


「知らん、ユリのやつにケアは任せておけ。こんなところで折れてもらっては困る。何だかんだ言ってもやつは魔法の天才だ。甘いところはあるがな」

「ふーん。意外と高く買ってるのね。私にはただの甘えん坊にしか見えないけど」

「うるさいぞミア。それより例の男、ちゃんと始末したんだろうな」


 例の男、とはセイルが始末し損なった男のことを意味していた。

 ミアはそれを聞き、少し声の調子を落として答えた。


「勿論よお。でもあの男、前に始末した男と同じことを口にしてたわ」


 そうか、とゴウオンは静かに頷いた。


「キラ・アサヒ…」


 ゴウオンは真っ二つに割れたテーブルをジッと睨みつけた。

 はじまりの転生者たちがこの世界に転生してから二十年。

 和平派と戦争派の戦いはしばらくの落ち着きを見せていたものの、101人目の転生者とキラ・アサヒなる人物の出現によって、その均衡は崩れつつあった。


「やつはこのテーブルと同じかもしれないな」

「あなたに叩き割られるってことお?」


 違う、と言ってゴウオンはミアの頭を小突いた。


「世界を真っ二つにする男だ。この先、かなり荒れるぞ」


 ゴウオンは窓の外に目をやった。

 遠雷が轟いたのを、彼は確かに聞いた。



「ねえ、まだ落ち込んでるの?」


 ユリはセイルの肩を叩いて励ます。


「ああ、今回ばかりはね…」


 セイルは高台の手摺に寄りかかって、遠くの方を見つめた。

 しかし彼が見つめているのは風景ではなかった。例の殺しそこなった男の残像だった。


「やめろ、やめてくれえ、子供がいるんだ!」


 氷剣の切っ先には、惨めに命乞いをする男の姿。

 和平派の仲間を三人殺した悪漢、ためらう道理はどこにもなかった。

 だが。


「やめてぇ!」


 小さな、泣き叫ぶ子供の声がセイルの手を止めた。

 実のところ、セイルが殺しをするのはこれが初めてではなかった。

 それまでに戦争派を二人殺した。

 躊躇しなかった訳ではない。だが、どちらも殺されて余りある鬼畜な奴らだった。


 ―しかし、今回は。


「クソがア!」


 セイルがためらった一瞬の隙をつき、男はそのまま逃走した。

 家族を置いたまま。

 やはり外道には違いなかった。


「でも私は、セイルの優しいところが好きよ」


 手摺に突っ伏したセイルの背中に、ユリがもたれかかる。

 

「たとえどんな外道でも、殺さなかったあなたの判断を尊重するわ」


 驚いて振り返ったセイルに、ユリは優しく笑いかけた。


「こんなこと言ったらゴウオンに怒られるけどね」

「そう…」


 セイルはユリを抱きしめた。

 それから彼女のお腹をそっと撫で、額に優しくキスをした。


「セイル、死なないでね…」


 ユリは震える声で呟いた。

 実はこの時、副首領ミアの主導で大規模な討伐計画が始動していた。

 キラ・アサヒ率いる戦争派のアジトを突き止めたのだ。

 討伐隊のリストには、セイル・アカデミアの名も記されていた。


「大丈夫、行ってくるよ」


 セイルはもう一度ユリにキスをして、高台を後にした。



 討伐体が目的地に着いたのは、ランブルクを後にして五日後のことだった。

 西大陸をさらに奥に進んだ不毛な乾燥地帯で、小さな町が点々としている。

 ただ、いくら探しても敵のアジトらしいものは一向に見つからなかった。

 一度休憩して、引き返そうとしたその時だった。


「急報! 急報!」


 伝令役の一人が大声で隊を止めた。


「本部が襲われている、急いで戻れ。俺たちは騙されたんだ!」


 討伐隊は混乱した。

 セイルは急いでミアに駆け寄った。


「ミア、どうする!」

「どうするも何も、この距離じゃ…」


 ランブルクへ戻るにはどう急いでも三日はかかる。

 討伐隊を全員ランブルクに戻すのは現実的に不可能だった。

 しかし()()、ならそうだ。

 ミアは内ポケットから真っ黒い丸薬を取り出した。


「ミア、それは…!」

「転送玉だ、お前が使え。三つしかないが、少しでもランブルクの近くまで転移した方がいいだろ!」

「だが…」


 セイルは躊躇した。

 この時まだ転送玉は高価なものだった。

 瞬間的に転移できる転送玉は戦闘の最後のライフラインであり、いわば命綱なのだ。

 それを失くすことは、限りなく死を意味する。

 だが。


「ユリが待っているのだろう、急げ!」


 ミアのその言葉が、セイルを突き動かした。

 セイルはミアが持っていた転送玉を奪い取り、大急ぎで使用した。

 セイルの身体が透けていく。


「ミア、感謝する」


 そうして、セイルはランブルクへと向かった。



「ここは…」


 セイルは辺りを見渡す。

 しかし、そこは見慣れない平原だった。

 多少はランブルクへと近づいただろうが、まだ距離はあるはずだ。


「もう一度だ…!」


 二度目の転移。

 激しいスコールがセイルの視界を遮ったが、運よくランブルクの城門が見えた。

 そして天高く伸びる真っ黒い煙と、豪炎をあげるランブルクの街が。


「ユリ!」


 セイルは力の限り走った。

 雨に濡れ、泥にまみれながら、死に物狂いでランブルクのアジトを目指した。

 城門を抜けると、パニックになった町民と爆音が聞こえた。


「アジトの方だ…!」


 セイルはまた駆け出した。

 押し寄せる人の波をかき分け、なんとかアジトまでたどり着いた。

 アジトは小さな建物の二階にある。

 セイルが急いで階段を駆け上ろうとした、その時だった。


 ドシャアアッッッ!!


 激しい音が頭上で鳴り響き、巨大な物体がセイルのすぐ真横に落下した。

 巨大な物体は血を吐き、呻いている。


「ゴウオン!」


 セイルは駆け寄った。

 だが、ゴウオンは喉を潰されているのか喋ることができない。


「ゴウオン、おい、大丈夫か!」

「ぇ…」


 ゴウオンは何かを伝えようとしている。


「おい、何だ。聞こえないぞ!」

「う…ぇ…」

「上? 上がどうした?」


 ゴウオンは、震える人差指でアジトのある二階を指さした。


「うえ…ユリ…」



 爆音。豪炎。雷雨。

 ランブルクのすべてが悲鳴を上げている。

 だが、セイルの耳には届かなかった。

 セイルは、自分が走っているのか歩いているのか、それすらも理解できていなかった。

 ただ夢中でアジトを目指して階段を駆け上った。

 階段を上る。

 アジトの扉は開いていた。

 中は静かだ。

 物音一つない。


「ユリ…?」


 セイルは中を覗いた。

 もう一度、セイルは尋ねた。


「ユリ?」


 ユリの返事はなかった。

 代わりに返ってきたのは、地獄の悪魔のような邪悪な声だった。


「ユリ…この女の事か?」


 ああ、やめてくれ。

 セイルは願った。

 だが、もうどうすることもできない。

 すでに手遅れだった。


「もう殺した」


 室内には、黒い毛織物を羽織った大柄の男。返り血に塗れていて顔はよく見えない。

 その男の足音には、腹を抱えたままのユリの死体が転がっていた。


 ―その瞬間。

 

 セイルの中で、何かが切れた。


「死ねええええぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」


 無意識に、反射的にセイルは駆けだす。

 彼を突き動かしているのは、怨嗟ただそれのみだった。

 その時セイルの形相は、悪鬼のごとく変貌していた。

 セイルは氷剣を作り出す。

 鋭く、薄く。ただ人を殺すためだけの形状に。


 ―だが。


「遅い」


 男の拳の一振りで、セイルは部屋の端まで吹き飛ばされてしまった。


「グハッ!」


 血を吐いて倒れるセイル。

 男はゆっくりとセイルに近づき、セイルの顔を掴んだ。


「ユ…リ…」


 セイルは叫ぶ。

 だが、声が出ない。


「ほお、まだ意識があるのか。ならこれで殺してやろう」


 男は掌を構え、小さく呟いた。


罹砕クエイク…」


 男の掌に小さなブラックホールのような物体が現れた。


「使うのはお前が初めてだ。いい死に方を見せてくれ」


 ブラックホールが近づいてくる。

 しかし、セイルは必死に叫んだ。

 死すらもはや意味はない。彼は死よりも深い絶望を味わったのだから。


「死ね、死ねェッ!」

「ぐはは、いい声で鳴くな!」

 

 ―その時。


「生きて」


 声が聞こえた。

 セイルは地獄を見た。

 ユリは起き上がり、最後の力を振り絞ってセイルと男の間に飛び込んだのだ。

 ブラックホールに触れ、崩壊していくユリの姿。


「セイル、生きて」


 ユリはセイルの持っていた転送玉を手に取り、セイルに向かって発動した。

 セイルの身体が薄く消えていく。


「ユリ…そんな…!!」


 セイルは彼女に触れようとした。

 抱きしめたかった。

 今すぐキスをしたかった。

 だが、はじまった転移がそれを許さなかった。

 やがて全身が光に包まれ、セイルはどこか知らない場所に転移した。



 雨が降っていた。

 雨が彼の身体を濡らした。

 だがそれは、どこか遠くのことのように思えた。

 魂がすっぽり抜け落ちてしまっている。


「ユリ…」


 彼は涙を流した。

 この降りしきる雨よりも大粒の、深い悲しみの涙を。


「ユリ…」


 彼はもう一度つぶやいた。

 だが、返事はなかった。

お詫び。

今回の物語に関しまして。

全三部で構想していましたが、仕事が忙しくなり続きを執筆する目途が立っておりません。つきましては第一部の終わり、第10話『転移』をもちまして完結とさせていただきます。大変申し訳ございません。

拙い物語ではありましたが、ここまで読んでくださった方には厚く御礼申し上げます。

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