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第10話  『転移』

「セイルッッ!」


 リオンの慟哭どうこくが部屋に響き渡る。

 忘れない、忘れられるわけがない。

 窓際に氷で磔にされていた男ごと背後からセイルの腹を貫いた《《奴》》は、その長い舌をだらんと垂らしながら、叫んだ。


「遅いなあ、反応がア!」

 

 ズアッ!


 雄たけびと共に猛烈なスピードで二人の男から槍を引き抜き、態勢を整える。


「ゲエルッ!」


 リオンは掌を構え、瞬時に魔力を溜めた。


「水球!」


 リオンの掌から少しばかりの水があふれ出し、ゲエルに向かって放たれた。

 しかし。


「何だァ、そのチャチな攻撃はァ!」


 リオンの渾身の一撃は、無情にもゲエルの振り払った右手に軽くあしらわれてしまった。


「クハハ、死ねェ!」


 槍を構えたゲエルは、今度はリオンにその鋭い槍の先端を向けた。

 ―その時。


「死ぬのはあなたです!」


 ドシャアアァァァァッッッ!!


 セイルから目を離したゲエルの一瞬の隙を、彼は見逃さなかった。

 掌を構えたセイルが、強大な水魔法を発動したのだ。

 突如として大量の水に満たされる室内。


「くっ!」


 瞬時に魔法の発動を察知したリオンは構えるが、荒れ狂う水が彼の身体を押し流す。

 その限界容量を越えた時、部屋は爆音を立てて崩壊した。


 ゴシャアァァァァァア!



「きゃああ!」


 全員の悲鳴が入り乱れた。



「ぐはっ!」


 棍棒で殴られたような衝撃が身体中に走り、リオンは思わず吐血する。

 その後状況を把握する暇もないまま、激しい砂嵐がリオンの濡れた身体に纏わりいた。

 それによってリオンは、自分が宿の外に放り出されたことを察知した。


 (クソ、みんなはどこに…)


 全身に襲い掛かる激痛を必死でこらえながら、リオンは立ち上がった。


「何だよ、これ…」


 リオンの見上げた先に、見慣れる光景。

 自分がさっきまでそこにいたことなど、到底信じられない。

 宿が、その原型をほとんど残さぬままに崩壊していた。


「セイル…、アイラッ…!」


 顔面に纏わりつく砂を払いのけ、リオンは無我夢中で駆ける。


「みんなどこにいるッ!」


 その時、微かにリオンを呼ぶ声がした。


「リオ…ン…」


 その声は、砂嵐の向こうから聞こえた。

 急いで声がした方に走り寄り、しゃがみこんで手を取る。


「セイル!」


 声の主は、セイルだった。

 腹には血が滲んでおり、ローブに血が染みわたっている。

 顔はほとんど死を間近にした病人のように青ざめていた。

 リオンの手を取ったセイルは、フラフラとよろめく足で立ち上がる。


「セイル、立ったら傷がっ…!」

「黙りなさいリオン、敵はまだどこかにいますッ!」


 セイルは半狂乱になるリオンを牽制し、辺りを見渡す。

 しかし。


「くッ…」


 すぐに気を失いかけたのか、そのまま地面にしゃがみこんでしまった。

 震える手で必死に腹の傷を押さえている。

 その時。


「クハハ。魔力探知もできねえかァ」


 絶望の声。


 瀕死の二人に向けられたのは、あまりに絶望にすぎた悪夢の音だった。


「長旅で疲れただろ、もう休んだらどうだ」


 砂嵐の向こうから現れたのは、槍を肩に構えたゲエル。

 余裕の表情で地面に這いつくばる二人を嘲笑っている。


「ゲエル…!」


 リオンは立ち上がって掌を構える。

 だが、ゲエルには通じない。

 それは当のリオンが一番よく分かっていた。


「おいおい、そんな水鉄砲で何する気だァ?」


 ゲエルは構えようとすらしない。

 しかし、やるしかない。

 やらなければやられる。


「クハハ。そいつのお守りは疲れただろォ。おかげで魔力探知も解いちまうざまだ。まあ、おかげで助かったがなァ」


  ―クソ、クソ、クソ!


 自分のせいでセイルは危機に瀕している。

 そんなことは、自分でもよく分かっている。

 分かってはいても、その事実がリオンの心に重くのしかかる。


「水球ッ!」


 がむしゃらに放ったリオンの水球は、ゲエルの下へ届くことすらなく空中で霧散した。


「クハハ。せめて当ててくれよォ」


 ゲエルが二人に歩み寄る。


「水球!」


 もう一度放つ。


「ほらよっ」


 ゲエルの右手がそれを弾く。


「水球!」


 弾かれる。


「水球!」


 また弾かれた。


「水球、水球、水球ッッッ―

「おい、もうその辺にしとけよォ」


 気が付くと、目の前にゲエルが立っていた。

 ゲエルはリオンの右手をガッチリと掴み、ニヤリと笑った。


「水遊びは終わりだァ」


 ゲエルは左拳を後ろに引き、猛スピードでリオンの胴を殴り飛ばした。

 リオンの全身に、重い衝撃が走る。


「グハッ!」


 空中に押し飛ばされ、リオンは数メートル後ろに吹っ飛んだ。


「クハハ。いい眺めだなァ」


 そのまま地面に倒れ込んだリオンを嘲笑い、ゲエルは槍を構えた。

 さて、とゲエルはセイルに目をやる。


「目をかけてたやつがこんな死にざまたあ、キラも浮かばれねえなァ」


 ゲエルは槍を後ろに引いた。

 セイルは地面に這いつくばったまま動かない。

 狙いはセイルの脳天、一突きで殺しきるつもりだ。 


「あばよォ!」


 セイルに向かって振り下ろされる槍。


「セイルッ!」


 リオンは必死に叫んだ。

 だが、声は届かない。身体が動かない。

 (クソ…身体、動けよッ…!)

 その時だった。


「はああぁぁぁぁ!」


 暗い砂嵐の向こう側から、一刃の燃え盛る炎が立ち現れた。

 《《彼女》》はゲエルの槍を瞬時に弾き、剣を翻してそのまま胴に向かって横に薙ぎ払った。


「うおっ!」


 思わず身を引くゲエル。

 槍を手に持ったまま、後ろに飛び下がった。


「危ねえなァ、魔力探知がなきゃ死んでたぜェ」

「今からそうなるのです」


 アイラは剣を握ったままゲエルと対峙する。

 距離は数メートル、互いにいつでも詰められる間合いだ。


「リオン、大丈夫ですか?」


 アイラはゲエルに視線を向けたままリオンに問いかける。


「ああ、でもセイルが…」


 リオンはセイルに視線を向けた。

 だがセイルは動かない。

 いや、動けないのだ。

 肉眼でも分かるくらいに、セイルのローブの上には血が滲んでいた。


「クハハ。前に負けたこと忘れたのかァ」

「黙りなさい! リオン、セイルの治療を!」

「あ、ああ…!」


 アイラがゲエルと対峙している間に、リオンは激痛の走り回る身体をなんとか叩き起こし、セイルに駆け寄った。


「セイル!」


 だが、返事はない。

 慌てて身体を揺さぶる。

 しかし反応がない。

 もうほとんど、呼吸すらしていないみたいだった。


「リオン…セイルは!?」


 いつの間にかゲエルと激しい戦闘を開始していたアイラは、背中越しにリオンに叫ぶ。


「駄目だ、意識がっ…!」

「そんな…」


 溜まらずに後ろを振り返ろうとしたアイラ。

 その一瞬の隙を、ゲエルは見逃さなかった。


「クハハ、よそ見すんじゃねえよォ!」


 動揺したアイラの剣を強烈な槍さばきで弾き飛ばす。


「しまっ…!」

「死ねェ!」


 アイラに襲い掛かる槍。


 (どうにか、どうにか出来ないのか!)


 リオンは考える。

 だが、どうにもできない。

 無力なリオンには、打てる手はなかった。


「もう、やめてくれ…」


 リオンは涙を流した。

 情けなく、敵を前にして無様な涙を流した。

 彼はもう、諦めたのだった。


 ―その時。


「言ったでしょう、諦めるなと」


 立ち上がったセイルの放った水球が、猛スピードでゲエルに襲い掛かる。


「くッ!」


 ゲエルが気を取られた隙を見て、セイルは駆けだす。

 死にぞこないの身体で、震える足を無理やり動かして。


「うおおォォォォ!」

 

 セイルは雄たけびをあげた。


「この死にぞこないがアァァァア!」


 ゲエルは槍を構え、セイルに突き刺した。


「くっ!」


 ゲエルの槍が、セイルの胴を貫く。

 激しく飛び取る鮮血。


「これで死んだだろうがァ!」

「ええ、でもあなたも動けませんよ」

「なッ!」


 ゲエルの槍と貫かれた肉体の間は、セイルの作り出した氷の膜で瞬時に覆われた。

 その隙にセイルはアイラの手を取り、思いっきり背後に投げ飛ばした。

 そして、叫んだ。


「逃げなさい、早く!」


 アイラの手には、真っ黒い丸薬が握り込まれている。

 それはセイルの最後の置き土産、転送玉だった。

 薄く消え始める二人の身体。


「セイル、セイルッ…!」


 リオンは、アイラは叫ぶ。

 だが、彼らの叫びはセイルには届かない。

 もう転移がはじまっていた。


「生きなさい、死んではいけない」

 

 セイルは二人に向けて呟く。

 しかし彼の最後の言葉はあまりにか細く、二人に届くことはなかった。


「ク…ソオオォォォォォ!」


 最後の置き土産。

 だがそれは、ゲエルも同じだった。

 ゲエルはセイルに突き刺さっていた槍を無理やり引っこ抜き、強烈な肉体の旋回で二人に向かって投擲した。


 ドヒュンッッ!


 空を切り裂いて一直線に突き進む槍。


 だがその槍が二人を貫くことはなかった。

 槍が貫いたのは、()()()()()()


 槍に貫かれた転送玉は激しく発光し、二人の身体を包み込んだ。

 二人を通過した槍はそのまま地面に突き刺さる。

 ゲエルは、二人を仕留め損なったことを確信した。


「クソオオォォ!」


 ゲエルの憤怒の絶叫が、夜の砂漠に響き渡った。

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