第9話 『誘われる者たち』
あれから二カ月が過ぎた。
リオンたちは小さな村を転々としながら、時には野宿、時には宿を借りながら直実にランブルクへと歩みを進めていた。
ランブルクへは、残り一か月ほどで着く計算だった。
「ようやく見えましたね」
セイルは布マスクの下からそう言った。
激しい砂嵐のせいでリオンは目視では確認できなかったが、しばらく歩いていると確かにセイルの言う通り、小さな町が見えてきた。
「本当にこんなところに村があったのか…」
勇者物語の世界はいまやゲームのマップでは説明のつかないくらい広範な地域で独自の文化・文明が築かれている。
それによって、このような名前のない村が至る所に点々と存在していた。
「行きましょう、嵐が強まってきました」
アイラは急くように二人を村へと促した。
実際、ここ数日砂漠の中をさ迷っていた三人は食料や水が乏しく、ゆっくりと休憩できる場所を探していた。
『砂漠の村ヌアク』
ボロボロの板切れで囲まれたその小さな村は、入口の看板には赤いペンキでそう書かれている。
「ゾンビでも出てきそうな村だな…」
村を見渡しながら、リオンはそう呟く。
「そんなこと言っちゃだめですよ、宿を貸してもらうんですから」
アイラはめっ、と言ってリオンの頭を軽く小突いた。
しかし、リオンの言ったことは最もだった。
アメリカの西部劇にでも出てきそうなその村は、実際どこもかしこも閑散としていて人の気配はほとんど感じられなかった。
「早く宿を探しましょう。このままでは凍死してしまう」
セイルはそんな二人をしり目に、さっさと宿を探しに歩いて行った。
砂漠の夜は寒い。
場合によればマイナス何十度の低温が肉体に襲い掛かることもある。
その通りだ、と言って二人は顔を見合わせてセイルの後を追いかけていった。
*
「すみませーん」
か細いリオンの声は窓外の砂嵐にかき消されてしまう。
「リオンさん、声が小さいんじゃないですか」
「いや、でもここ何か出てきそうで…」
小声でそう呟きながら、リオンは恐る恐るフロントの客間を見渡す。
村に一軒しかなかった宿をようやく探し出したはいいものの、肝心の店主がいない。
「すみませーん!」
煮え切らないリオンに痺れを切らしたアイラが、今度は大声で店主を呼んだ。
すみませえーん、せーん、せー…
と、アイラの大声が宿の廊下にこだまする。
それが却って、宿の不気味な感じを増幅させた。
その時だった。
「はい、はい」
フロントの奥のドアがギギイッ…と不気味な音をたてて開き、その中から小柄な男の店主が顔を出した。
「何でしょうか…」
何かこの人、気味悪くないか? …とリオンはアイラに小声で耳打ちする。
しかし、人を見た目で判断しちゃ駄目ですよ、とアイラに軽くたしなめられた。
「すみませんが、一晩宿をお借りしたいのですがよろしいでしょうか」
二人を無視して、大人のセイルが対応する。
「はい、はい。承知しました。二階が開いていますので案内します…」
聞こえているのかいないのか、店主はしかしそんなことはお構いなしにとランプを手に取って三人を案内し始めた。
「ひどい嵐でしょう…」
「ええ、大変でした。いつもこんな調子なのですか?」
「いえ。この時期は特にひどいのですよ。外を出歩くときは充分に気をつけることですね」
「そうですね」
着きましたよ、と言って店主は部屋の前で立ち止まった。
「後で夕食を持ってきます。では、私はこれで…」
それだけ言ってしまうと、店主の男はそそくさと帰っていった。
「気味の悪い男だな…」
リオンは店主の後ろ姿を眺めながらボソッと呟いた。
「こらこら。あまりそういうことを言うものではありませんよ」
部屋の扉を開けたセイルは、リオンの頭を軽く小突いた。
「おお、なかなか綺麗な部屋じゃないですか」
スイートとは言えないまでも、三人が泊まるには充分な広さのある部屋だった。
ベッドはメイキングされていて、見たところ清掃もされている。
長旅で疲労困憊の三人にしてみれば、天国のような空間だった。
「おおー! これは素晴らしいですね!」
二人の背後からひょいと顔を出したアイラも、部屋の様子に興奮しているみたいだ。
「ふむふむ。おお、風呂もあるみたいですね」
部屋を物色していたセイルが感嘆の声を漏らす。
風呂、というか桶に水が溜まっているだけの小部屋がちんまりとあった。
どうやらここで身体を洗えということらしい。
とは言え、このような状況にあってはそれだけでも十分ありがたい。
「私一番乗りです!」
荷物をさっと放り出して、アイラがいの一番に風呂の中に入っていった。
「あ、とられた!」
リオンはぶつくさ文句を言うが、セイルはまあまあと言って笑った。
「レディファーストですよ、リオン」
「分かってるよ…」
取られたものはしょうがない。
リオンもリュックを床に置いてベッドに座り込んだ。
「しかし、流石に疲れましたね…」
セイルも珍しく疲労の色を見せている。
ため息をつきながらベッドに座り込んだ。
「まあ、この砂嵐だったからな」
そう言いながらリオンは窓外を眺めた。
外は暗く、月明りも見えないくらいに砂嵐が舞い上がっている。
時折、窓枠がギシギシと音をたてて揺れた。
(大丈夫かよ、この宿…)
リオンがそんなことを考えていると、リオンがふいに尋ねてきた。
「ところで指輪の調子はどうですか?」
「ああ、今も順調に動いてるよ」
人差指と中指にはめられた銀の指輪をランプの明りに重ね、リオンは答える。
この指輪は旅に出て間もない頃、リオンに渡されたものだった。
曰く、対となるリングを光で指し示すものらしい。
今も人差指は風呂の方向を指し、中指のほうは部屋の中央に座ったセイルの方向を指し示していた。
「すごいな、魔道具って」
「まあ、それほど性能の良いものではありませんがね。要は保険のようなものです」
セイルはこともなげに答える。
「一番は各自が己の身を己で守ることです」
「そう、だな…」
その言葉を聞いたリオンは少し俯いた。
あれからも魔法の修行は続けていたのだが、はじめて魔法を発動して以降、目覚ましい進歩はなかった。
多少、発動するのが安定したくらいで、武器と言えるまでには至っていない。
「はーあ。早く強くなりたいなあ…」
リオンはベッドに寝転んだ。
「ふっ、時期になりますよ」
セイルのその言葉は、部屋のなかに吸い込まれていく。
外は砂嵐、時折風呂の方からバシャバシャという水の音が聞こえてくるくらいだった。
―その時。
コンコンッ…
不意に部屋の扉をノックする音が聞こえた。
「はーい」
リオンはベッドに寝転びながら返事をしたが、返ってくる言葉はない。
(夜食でも持ってきたのか…?)
そう思ったリオンが立ち上がって扉のほうへ向かおうとした時だった。
「リオン」
と、制止するセイル。
「戦いの準備はできていますか?」
「え…?」
不意なセイルの詰問。
リオンがその言葉の意味を問おうとした、その時だった。
ガシャアアッッッ!
けたたましい音が部屋中に鳴り響き、ガラスの雨が頭上から降りそそいだ。
「くっ!」
反射的に窓の方を向いたが、すぐにガラスの雨に気が付いてリオンは目をふさぐ。
素早く立ち上がって、戦闘の構えを取る。
―来るなら来やがれ!
意を決したリオンが目を開けた時、全ては終わった後だった。
「うっ…降参だ…」
氷剣を喉元に突き付けられ、両手をあげて壁に押し付けられている謎の男の姿がリオンの視界に映った。
セイルはさらに瞬時に氷の魔法を発動し、男の全身を氷漬けにした。
「うゥ…!」
男は苦しそうな呻き声をあげた。
腕には鋼鉄の鉤爪らしい得物がはめられていたが、あそこまで氷で固められては少しも動かせる余地はないだろう。
全てはリオンが目を瞑り、立ち上がって開眼するまでの約1秒の間の出来事だった。
「誰の刺客ですか、答えなさい」
セイルは氷剣を突き付けたまま男を尋問した。
「答え…ねえよ…」
男はセイルに向かってペッと唾を吐いた。
しかしセイルはその唾をひらりと躱し、つかつかと男の傍に歩み寄った。
そして男の顔面を右手で握り込み、耳元で囁いた。
「躊躇はしません、答えなければ殺します」
そして…と、セイルは少し間を溜めて言い放った。
「あなたもですよ?」
―瞬間。
背後で物音がし、驚いたリオンが振り返ると、いつの間にか風呂から出てきていたアイラに剣を突き付けられ、ガタガタと震えている店主の男が映った。
店主の手には剣が握られている。
「動けば、あなたも斬ります」
アイラが店主の男をキッと睨みつけた。
「よくやりましたアイラ。さて、これで全部ですね」
氷剣を元の水に戻し、セイルは男の顔を離してどっかりとベッドに座り込んだ。
「あなたたちを雇った男の情報を吐いてもらいましょうか」
「知らねえよ…」
「ふっ、まあいいでしょう。時間はたっぷりあります」
セイルは余裕の笑みを浮かべた。
「お、おい。大丈夫なのか。他にも敵がいるかも…」
いまだ緊張のとけないリオンは、恐る恐るセイルに尋ねた。
しかしセイルはこともなげに答える。
「ええ、大丈夫ですよ」
そして何か気を抜いたような表情をし、すうーっと息を吐いた。
「何してんだ…?」
「魔力探知を解除しました、この二人の他に気配はありません」
アイラの方を見ると、彼女も同じようにふるふると顔を横に振った。
―嘘だろ…。
まさか二人はこれまでの旅でずっと魔力探知をしていたのか、とリオンは驚きの顔が隠せなかった。
改めて自分の無力さに、嫌気がさす。
そんなリオンの様子に気づいたのか、セイルは立ち上がって彼の肩をポンと叩いた。
「気にすることはありません、あなたはまだ途上なのだから」
「そう、か…」
セイルはニッコリと笑い、さて、とアイラの方に振り返った。
「その男も縛っておきましょう、逃げられては困ります」
―その時だった。
アイラの表情に絶望の色が映ったのを、セイルは気が付いた。
「アイラ。どうしまし…た…」
しかし、彼は動けなかった。
それ以上言葉を続けることができなかった。
それはこの旅がはじまってから、彼が唯一犯したミスだったと言える。
「セイルウゥゥゥッッッ!」
リオンの絶叫が、声にならない悲鳴が室内に響く。
彼は見た。
セイルの腹が、白銀の槍に貫かれていることに。
「気を抜けば死ぬ。お前の言葉だったな?」
蛇のように気味の悪い声を、リオンは聞いた。




