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第8話  『魔法の修行』

「そう、集中して…」


 セイルの静かな声が草原に消えていく。

 リオンは座禅を組み、深く瞑想していた。

 海に沈み込んでいくような感覚、とセイルは言っていたが、自分がどこまでそれを再現できているのかは分からない。


 ―その時。


 パキパキパキッ…。


 何か異質な音が鳴り響き、瞑想していたリオンは冷ややかな感触を目前に感じた。

 その感触につられ、思わず目を開ける。


「うわっ!」


 視線の先、僅か数センチのところにセイルの氷剣の切っ先が向けられていた。

 反射的に、リオンは思わず後ろにのけぞってしまう。


「集中してと言ったじゃありませんか…」


 セイルはやれやれと言った様子でこめかみをおさえた。


「いや、そんなもの向けられて集中できるわけないでしょうが!」

「そんなことはありません」


 と言って、セイルは横に並んで瞑想していたアイラに向かって氷剣を振り下ろす。

 氷剣はまたしても、アイラの頭上数センチのところで停止した。

 しかし。


「ほらね」


 よほど深く瞑想しているのか、アイラは頭上の氷剣をものともしていない。

 それどころか、こちらの会話すら聞こえていないみたいだ。


「真の瞑想とはこういうものです。達人ともなれば一日中瞑想し続けると聞きます」


 セイルは氷剣を砕き、元の水に戻す。

 そしてアイラの肩をポンと叩いた。


「ふわぁ!」


 アイラは情けない声をあげて飛び上がる。

 こいつ本当は寝てたんじゃないのか?


「素晴らしい瞑想でしたよ、今日はこのくらいにしておきましょう」


 しかしどうやら瞑想らしい。

 セイルは手をパンパンと叩いて続けた。


「この世界の住人はマナと呼ばれる小さな元素を体内に宿しています。我々はそのマナを利用して魔法を行使するのです。瞑想は体内に眠ったマナを知覚する効果的な方法のひとつです。なので…」


 と、セイルはリオンに振り返って言った。


「15分を目安に4セット、毎日やってもらいます。それと道中には魔法の修行も並行しておこないましょう」

「げえ…」

「げえ、とは何ですか。敵は待ってはくれませんよ」


 行きましょう、と言ってセイルはリュックを肩にかけて歩き出した。

 そしてその道中も、セイルの魔法講義は続いた。



「水球」


 素早い動作で、セイルは掌に拳大くらいの水の塊を作り出した。


「これが私の得意な魔法です。体内のマナを操作し、水の魔法に変換しています」

「変換していますって…。そんなに簡単に言われてもな」


 リオンはあきれ顔でセイルに文句を言う。

 見たところで実際にできるかどうかは別問題である。

 正直なところ、魔法を発動できるイメージなんてリオンには微塵も沸かなかった。


「勿論すぐには出来ませんよ。アイラでも発動までに三カ月はかかりました」

「えっ、そうなのか?」

「ええ」


 と言ってアイラはリオンに笑顔を向けた。


「彼女はとても優秀です。私でも発動までには一年かかりましたからね」

「うふふ、セイルの教え方が上手だからです」


 そう言うとアイラは、掌に小さな炎の塊を作り出した。

 小さいがよく安定している。

 綺麗な炎だ、とリオンは見とれてしまう。


「これが私の得意な魔法です。炎球…とでも言うんでしょうか?」


 アイラは小さく笑った。


「気になったんだが、得意な魔法ってどうやって見つけるんだ? セイルは水、アイラは炎だろ、俺の得意な魔法って何なんだ」

「ふむ、そうですよねえ」


 セイルは顎に手をあてて考える仕草をした。


「実のところ、よく分からないんですよねえ」

「はぁあ?」


 おいおい待ってくれよ、とリオンはツッコむ、


「そもそもユニークNPCに転生した私たちはそれぞれ固有の得意な魔法系統がすでに決まってるんですよ。だからその系統を練習すればいい訳です。しかしあなたは…」


 セイルは下から上までリオンの身体を眺めた。


「モブNPC…」


 リオンは肩を落とした。


「ふふ、気にすることはありませんよ」


 落ち込んでいるリオンにアイラは励ましの声をかける。


「その通りです。そもそもこの世界で魔法を練習するものはみな、得意な魔法なんて分からない状態からはじめるわけですからね。私たちが少し特別なだけです」

「そうなのか? 何かこう、ステータスとか、レベル上げ、とか。分かりやすい基準がありそうなものだが」


 それを聞いたセイルは声をあげて笑う。


「そんなものはありませんよ、そこは前世と一緒です。しがない靴職人が実はフットボールの天才だったかもしれません。フットボールの選手には数学者の才が眠っていたかもしれません。自分にどんな才能があるかなんて分からないのですよ、結局はね。地道に努力を積み重ねるしかないのです」


 リオン、とセイルは彼の目を真っすぐ見つめた。

 強く、静かな、優しい目だとリオンは思った。


「頑張りなさい。敵は強い、私でも太刀打ちできないほどです。生き抜くためには誰よりもまずあなたが強くならなくてはなりません。弱者は何も選択できない、ただ失うばかりです」


 その目には、確かな強さと悲しみが込められていた。

 それは実人生に裏打ちされた彼の信念を物語っているような、そんな調べがあった。


「ともかく、まずは練習です。道中も魔法の練習を行ってください」

「げえ、やっぱりそこに戻るのか」

「時は金なり、ですよ」


 一本取ってやった、とでも言うような調子でセイルはまた笑った。



 それから五日が経った。

 毎朝一時間の瞑想を挟み、あとはひたすら移動。

 王都から離れてきたこともあり、道は次第に細く、今ではほとんど道とも呼べないような森のなかを移動していた。


「水球、水球、水球…」


 その時リオンは歩きながら、何も起こらない掌に向かって必死で念仏を唱えていた。


「リオンさん、さっきから何をブツブツ言ってるんですか?」

「魔法ですよ。水球水球水球…イテッ!」


 前を見ずに歩いていたら、前方不注意による木の枝に顔面衝突してしまった。

 地面に倒れ込んだリオンを、心配そうな様子でアイラが覗き込む。


「大丈夫ですか…?」

「イテテ…だ、大丈夫」


 アイラの手を借りてなんとか起き上がる。

 まったく、恥ずかしいところを見せてしまったとリオンは赤面した。


「どんなに呟いたって魔法が出るわけじゃありませんよ」

「分かってるよ…」


 リオンはブツクサ文句を言う。

 しかし、リオンは内心焦っていた。

 魔法の使える二人と、いまだ一般人の自分。

 実のところ、王都を出てからの五日間で何度か魔物との戦闘があった。

 魔物、とは魔王が使役する獣たちの通称で、凶暴な性格と強靭な肉体を持つことから忌み嫌われている。

 そんな魔物たちとの戦闘でリオンは逃げ回るばかりだった。当たり前と言えば当たり前なのだが、そのことがリオンを焦り、苛立たせていた。


 ―出ろよ、何で出ないんだよ、魔法!


 何度心の中で念じても、無慈悲にもリオンの掌の上には何も現れない。

 その時だった。


 ヒュウッ…。


 風が凪いだ。

 一瞬の、異様な気配にリオンは気が付いた。


「何か、いる」


 リオンがそう呟いた、その時だった。


「グルオオォォォォォォォォォオオ!」


 背骨を揺らすような獰猛な叫び声が鳴り響き、叢から一匹の巨大な獣が飛び出してきた。


「クッ…!」


 リオンはその獣の一閃から間一髪で身を躱す。

 しかし、正確には尻もちをついただけだ。

 たまたま後ろにコケていなければ、その時点でリオンは死んでいた。


「クソ、セイル! アイラ!」


 リオンは後ろを振り向いた。

 助けを求めるため、彼らの手を借りるために。

 だが。


「何で、助けてくれないんだ…」


 リオンの表情に苦渋の色が刻まれる。

 二人は動かない。

 それどころか、ジリジリとリオンににじり寄る獣を見つめているばかりだった。


「クソッ!」


 リオンは慌てて獣に向き直った。

 巨大な虎のような魔獣。

 耳元まで開かれた口からは鋭い牙が覗いていた。

 あの牙に噛まれれば、《《確実に死ぬ》》。


 ―死ぬ。死ぬ。死ぬ。


 リオンは絶望した。


「俺は、死ぬのか…?」


 ―死ぬ。死ぬ。死ぬ。


 リオンは慟哭した。


 ―死ぬ。死ぬ。死ぬ。

 

 リオンはその感覚を知っていた。

 リオンは魔獣を睨みながら、それを思い出していた。

 それは、ゲエルとの戦いだった。

 あの時のリオンは奴に向けられた刃に、迫りくる死の予感に抗う術を持たなかった。

 だが今は違う。

 

 今のリオンには、絶望に抗う術がある。


「水球ッ!」


 リオンは掌を魔獣に向け、心の底から叫んだ。

 瞬間。


 バシャアアァァァッッ!


 放たれたのは小さな噴水程度の水。

 だがその程度の小さな魔法でも、魔獣をひるませるには充分だった。

 本能的に後ろに飛び跳ねた魔獣の一瞬の隙を、彼女の刃は見逃さなかった。


「はああぁぁあああッ!」


 豪炎とともに魔獣の頭上から現れたアイラは、華麗な太刀筋をもって魔獣の頭蓋骨ごとその巨体を一刀両断した。

 魔獣は断末魔さえあげることができずに、地面に倒れ込んだ。


「や、やった…のか…」


 リオンは魔獣の死体を見つめた。

 真っ二つになっている、間違いなく即死だ。

 次に彼は、ゆっくりと自分の掌を見つめた。


 ―出た、出た。


「魔法が出た!」


 バタン! とリオンはそのまま地面に倒れ込む。

 どうやら腰が抜けてしまったみたいだ。


「おめでとう、リオン。まさか本当にやってしまうとは」


 倒れ込んだリオンの視界に、笑顔のセイルが映った。

 手には氷剣を握っている。

 もし何かあれば助けていた、ということらしい。

 それにしても。


「やりすぎだぜ、セイル…」

「荒療治ですよ。まあ、成功したのだからいいじゃありませんか」


 はっはっは、とセイルは高らかに笑った。

 普段は紳士的な態度ではあるが、こと魔法においてはスパルタになるのが玉に瑕だ。


「大丈夫でした?」


 と、アイラも心配そうにのぞき込む。

 アイラの手を借りて何とかリオンは起き上がった。


「え、ええ。大丈夫、誰かさんのおかげでね…」


 リオンはセイルをジロっとにらんだ。


「私は助けようとしたんですよ! でもセイルが…」


 そう言ってアイラもセイルを見つめた。

 しかし当のセイルは、知ったことかと上機嫌で口笛を吹きながらリュックを拾い上げた。


「リオンも魔法を使えるようになったことですし、先を急ぎましょう!」


 まったく呑気なやつだな、とリオンは思ったが口には出さなかった。

 荒療治でも治療は治療。

 だってそのおかげで、リオンは魔法を覚えたのだから。

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