ぼくの弟のはなし
割とシリアス風味。転生者と彼の家族の話。(主人公視点ではありません)
ルドガーが生まれたのは夏の終わりだった。
ベッセル村は大半の家が農家で、基本的には小麦を栽培して合間に野菜を育てている。夏になる前に麦を刈り取り、その後植えた夏野菜を収穫し終えた頃に彼は生まれた。次の年に収穫する小麦の種を蒔くまでのほんの短い落ち着きの中だ。
父とルドガーの兄である六歳の長男と三歳の次男は母子ともに無事で新たな家族が生まれたことを何より喜んだ。特に次男は「ぼくがにいちゃん!」と兄となったことにはしゃいでいた。誰よりも弟或いは妹の存在を心待ちにしていたのは彼だっただろう。
乳児の頃は同じ月齢だったころの長男次男とさほど変わらない手のかかり方で、夜泣きも他所の家の子よりも少ないらしかったが無いわけでもなかった。彼が二歳になったあたりだろうか、母――ルシアが「あまり手のかからない子ねぇ」と思うようになったのは。
ルドガーは泣く。よく泣く。それは間違いない。虫にびっくりしては泣き、べっしゃりと転んではそれにびっくりしたように泣き、よくわからない理由で泣いていた。ちなみに泣く原因の七割は虫である。この時のルシアは知る由もなかったが、彼は魂に刻まれた筋金入りの虫嫌いだった。
しかしルドガーは不思議と危険行為を行うことはなかったし、ひどい癇癪を起こすことはあまりなかった。癇癪については夜泣き同様に無いわけではないという程度だが。それでも長男次男の頃に手を焼いたような暴走や、何でも口に含んだり、危険な道具に興味を示したり、『なんで?なんで?』の問いも少なかった。
改めて思い返すと虫で大泣きする以外は本当に手がかからない子だ。
やってはいけないことなどの約束事も理由を話せばルドガーは首を傾げつつも「わからないけど、わかった!」と元気よく返事をして約束を守る。
どうやら彼は大人のようにきちんと理解しているわけではなく、“とりあえずやっちゃいけないことだから、やらない”という考えらしいというのはルシアにもわかった。でも親としてはそれで充分だ。なにせ“やってはいけない”と言いつけられてもやってしまう子供が多いわけで。
すくすくと育っていくルドガーは母と同じ赤毛に、父――クラウスと同じ瞳の色に、彼とよく似た顔立ちをしていた。
髪と目の色も顔立ちも母によく似た次男――リヒトは「ルディは父さんに似ていてかっこいいなぁ。かわいいなぁ」と言いながらとにかく可愛がった。ルドガーとしては優しそうな母の顔に似た兄が羨ましかったのだけれど。うっかりそれを家の中で口にしたらたまたま聞いてしまった父が少し悲しそうで、ルドガーとしても少し気まずく、以降それ口にすることはなかったが。
長男――ラインハルトは弟たちの面倒をよく見ていたが、三歳ずつ離れているとなるとルドガーが四歳になる頃にはもう十歳だ。八歳から十一歳までは村の学校に通わなければならないため、日中は遊んでやる時間もない。帰宅後は家の手伝いだってしなくてはならなかった。両親は畑仕事や家のことで忙しい。
そうなってくるとルドガーの面倒を見るのはリヒトとなる。
とはいえ、ルドガーは手がかからない子だったのでリヒトとしては全然かまわなかった。やることといえば天気の悪い日に家でルドガーと遊んだり、時折ルドガーの傍に飛んでくる虫だとかを追い払ったりする程度である。
天気のいい日はというと、ルドガーはせっせと泥団子を量産したりして大人しく遊んでいたので、リヒトは自分の友人たちと遊ぶときに目につくところに居させるぐらいでよかった。
泥団子を作り始めたばかりの頃、リヒトは「なにしているの?」と泥団子を作るルドガーに訊ねたことがある。
「ぴかぴか泥団子つくってんの」と迷いなくルドガーは答えた。
リヒトが首を傾げて「ぴかぴか?」と呟けば、その言葉を拾ったルドガーは楽しそうに「ぴかぴか!」と頷いた。弟のちいさな手にあるのはどう見たってただの泥団子だ。母から分けてもらったらしいいくつかの端切れや古くなった粉ふるいもあるけれど、どうやって使うのかはリヒトには想像がつかないし、今のところ使う様子がない。
「ぴかぴか泥団子、つくってみたかったんだ」
あまりにも真剣で、楽しそうな弟がかわいくて、リヒトは「そうなんだ。ぴかぴかになるといいね」と笑って肯定した。本当にぴかぴかになるのかは分からなかったけれど、弟が楽しそうに大人しく遊んでいるならそれでいい。
ルドガーが数日かけて完成させた泥団子は本当にぴかぴかで、近くの森の河原で拾った小石よりもきれいだ。出来上がった泥団子を見たラインハルトも「スゲーじゃん!」と感心した様子だった。
家でのお披露目後、弟に泥団子の作り方を実践で教わりながら、リヒトはふと『どうしてルディはこれの作り方を知っていたのかな?』と気になった。だってこれは泥を丸めるだけで出来上がるものではない。泥団子を作って、乾かして、細かな砂で……父は“研磨”といっていただろうか? それをしなくちゃならない。
誰かに聞いたのだろうか? でもルドガーが家の外に出るときに付き添っているのはリヒト自身で、その間に誰かに何かを教わっている様子はなかった。
「どうやって作り方を覚えたの?」
リヒトは直球でルドガーに訊ねた。
「わかんない。わかんないけど、知ってたよ」
なぜそんなことを聞くのだろうと言いたげな、不思議そうな表情でルドガーは答える。どうして知っているのかはわからないけど、知っている。そういったことはルドガーにとっては“当たり前”で“よくあること”だったから。もっとも、幼い彼にはそれ以上の言語化はできなかったが。
「……よく、わかんないけど」
言葉にできない不安を胸に抱えながら、ルドガーは小さな声を絞り出す。もしかしたら自分の“当たり前”はおかしいのだろうか。
いつも明るい弟の不安そうな声にリヒトも少し不安になった。うん、と彼は先を促す。
「ずっとずっと前から、作ってみたかったんだ」
―― それはきっと、生まれてくる前から。
ふたりは泥を捏ねていた手を止める。
そこには今にも泣きだしそうな弟と、少し困った表情の兄だけだった。どうしようとリヒトは幼いなりに一生懸命考える。楽しいことを考えればいいのだ!
「じゃあいっぱい作ろうよ。ルディが飽きるまで、たくさん! ルディがやりたいようにやろう!」
ずっとずっと前の事がどうでもよくなる……のは無理かもしれないけれど、あまり考えなくていいくらい、今を楽しめばいい。そう思ってリヒトは再び泥を捏ね始める。
「ぼくの手のほうが大きいから、ルディのよりも大きいの作っちゃうもんね」
「……おれ、いっぱい作る!!」
ちっちゃくてもいっぱい作るし!と弟は楽しそうに笑った。
リヒトやラインハルトから村の子供たちに広まり、その後しばらく子供たちの間でぴかぴか泥団子作りが流行したのはまた別の話。
リヒトはルドガーが“わかんないけど知っている”と告げるときや、家族も知らない“ずっと前の話”をする度にちょっと泣きそうな顔をするのに気が付いた。でも指摘する勇気もなくて、「そうなんだ」と笑って流すのがお決まりのやりとりだ。
弟が五歳になってしばらくしてから彼が異界渡りの転生者であると判明したが、リヒトからすれば弟であることには変わりない。大好きな母の髪色で、大好きな父によく似た初めての弟なのだから。
弟が泣きそうな顔をしていたのはきっと前世とやらが絡んでいた内容だったのだろう。リヒトにも、その兄であるラインハルトにもどうしようもないことだった。二年前に生まれたルドガーの下の弟はよくわかっていない様子だったが。
ある日の夜、父と弟は二人で出かけた。出かけたといっても村のはずれの方まで散歩に出かけた程度だ。
ルドガーの誕生日の前日だったので記憶に残っている。弟が六歳になる前日のことだった。夏の終わりの、少しずつ秋の虫が鳴き始める夜。
その日を境にルドガーが記憶や知識に触れて泣きそうな顔をすることはなくなった。
それどころか明確に思い出したらしい前世の知識や話を披露するようになった。何か吹っ切れたのだろうか。リヒトもラインハルトも弟のスッキリした様子がなんだか嬉しかった。
前世からの虫嫌いを克服する気持ちまで吹っ飛ばしたのにはルドガー本人以外の家族全員で頭を抱えたが。
父と息子の話は次回に
今回生えた設定
クラウス:父。濃い栗毛に翠眼。やや吊り目がちでキツめの印象。
ルシア:母。暗めの赤髪に琥珀色の眼。優しそう。最終的には五児の母なので中身は強い。
ルドガー:三男。八月下旬ごろの生まれ。最初は転生者の自覚無し。時間をかけて徐々に思い出していく系転生者。ぴかぴか泥団子を知ったのは前世の成人後なので、『一度作ってみたかった』という思いが無意識に影響した。
ラインハルト:働き者の長男。顔も色も父親似。三男とは年が離れているので遊ぶ機会はあまりなかったが仲は良い。
リヒト:大人しめの次男。色も顔も母親似。賢いうえに空気が読める子。弟ズ大好き。兄とも仲良し。学校に通うようになってからは家でルドガーに文字を教えていた。
四男と五男:そのうちに。
兄弟全員三歳差。




