前世から、ずっと
早いもので、あの惨劇から一ヶ月が経過した。
現在、俺は所長の許可を得てダイフクと仮眠室で寝泊りをしている。幸いなことに時間経過無しの収納魔法が使用できるので、惨劇二日後には服だとか日用品だとか腐ったら困る食料品だとかを収納し、家を飛び出したのだ。それから帰宅していないが、それはそれとして万が一リナに入り込まれたら嫌なので鍵は変えておいた。
リナはというと、今は普通に勤務している。騒動が表沙汰にはなっていないため、今のところ受付業務のまま。受付業務はそれなりに事務(つまりは俺の部署)ともやりとりがあるんだが、事情を聴かされた向こうの部署長が俺に配慮してかリナがこちらの部署に来ることはない。仕事は仕事だから我慢できるけど、正直助かる。
後日謝罪しに来たご両親から聞いたんだけど、俺に叩き出されたリナは宿に一泊したあと意を決して実家に帰ったらしい。で、リナは『前触れもなくルディに追い出された』とご両親に泣きついたものの、俺が出した手紙が先についていたため事情を知っているご両親からしこたま絞られたそうな。速達で連絡した自分グッジョブ。
俺への慰謝料は相場より多めをご両親が一括で支払ってくれ、現在リナは慰謝料の返済と監視の意味も込めて家に置いているとか。
そして浮気相手――ダンだっけ、の方はというと、こちらは最近婚家(肉屋)から追い出されたらしい。今は長期契約専門の格安宿屋にいるとかなんとか。俺の方は相場よりやや少額ではあるものの慰謝料ぶんどった(こちらの都合上、最速で話を終わらせたかったので減額と分割で双方合意した)のでどうでもいいけど。
余談だがダンは元冒険者らしく、頻繁に肉屋からの調達依頼を受けた上で客としても来店して『いつも依頼受けててー』とぶっちゃけて元奥さんと知り合い、そして受付のリナとも知り合うきっかけだったとか。
ここで問題点が二つ浮上。
ギルドを通さず直接依頼を行った場合はともかく、ギルドを通して依頼の場合は依頼主への直接納品の指定でもない限り原則接触を禁止されている。仲介とか代理店って大体そんなもんだと思う。
ギルドはどこの誰からの依頼っていう情報は開示しないが、内容によっては割と『あー、あそこからかな』みたいに分かってしまう。定期的かつ一定量の特定の品の調達依頼だとか、依頼主だいぶ限られてくるだろ。だが皆気付かないフリをする。暗黙の了解というやつだ。
肉屋は基本的にギルドを通した依頼だったため、冒険者からの接触は禁止のはずだ。
だがダンは暗黙の了解を破り、ギルドの禁止事項に触れた。もちろん罰則がある。罰金及び評価点数のダウンである。評価点数の高さは受けられる依頼の内容とランク(比例して依頼料)に影響する。まあ信用ない奴に大きい仕事任せられないからね、仕方ないね。
で、もうひとつがリナだ。プライベートの浮気だけならまだよかった(よくない)が、きっかけに業務が絡んでしまった。普通だったら部署異動ものだ。けど今それやっちゃうと俺との破局と不倫が公になる可能性が高い。この職場は異動ってそんなにないので、そりゃ何があったよってなる。
なので今は受付業務のまま。
そう、“今は”だ。
俺は仕事を辞めてこの街を出る。
あの日の決意は変わらない。
所長や同じ部署の仲間、あとジオやノーマンにはもちろん止められたけど。まあ昇進の話も出ていたくらいだしな。職場内で使える部類の人間ではあったと思う。俺だって上がるはずの給料が惜しいわ。でも居づらさのほうが勝ったよね
だから今頑張って通常業務の後に業務マニュアルだとか引き継ぎ書を作成している。パソコンなんてないから手書きである。地味につらい。けど、同じ部署の人には迷惑かけられない。
今後は魔石の充填はジオとノーマン以外の人たちも持ち帰りでやってくれることになったので問題はなさそう。ギルド職員の半数近くはできる作業ではあるけど、持ち帰りだと数量管理とかが面倒くさいから皆やりたがらなかったんだよね。でも個々の事情で残業はできないから融通利く俺たち三人が勤務時間後に職場内でやっていたっていう。
うちの部署では俺の“一身上の都合による退職”はじわじわと広まっているが、今は口止めしている。現時点で部署異動にもなっておらず、話も広まっていないのでリナは温情掛けられたと思って油断しているはず。しかし辞めるときには部署内には理由を全部ぶちまけるつもりだ。それ以降に言いふらすのは俺じゃないからとやかく言われる覚えはない。
居る間は“可哀そうな奴”になるつもりはないが、出て行ったあとはどうでもいい。
俺が出て行った後にでもリナは部署異動になる。婚約していたはずの俺の退職と引っ越し、リナの部署異動は噂の肯定となるだろう。
こういった丁寧な仕事が素晴らしい結果を生むのだ。
※
いーいお仕事ないかなー。
その日の業務を終え、引継ぎ関係の書類作業もひと段落したあとにダイフクを揉みながら職探しをするのが俺の最近の日課だ。
ギルドは単発や短期の仕事斡旋が大半を占めているが、冒険者登録者以外も対象とした長期的な雇用の紹介も行っている。それを知った時は『それなんてハロワ?』と思ったけれど、実際にこの世界を生きる身としては大変ありがたい。こちとらファンタジー感だけでは仕事にありつける気がしない転生者である。
そんなこんなで情報開示の許可が下りたものをすぐに見られるのは職員特権だ。まあこんな特権あっても利用するやつ殆どいないけどな。
だってギルド職員それも内勤ってそうそう転職するやついないもん。
ギルド職員は部署問わず入社(便宜上入社とする)試験がある。俺だって受けた。その試験が読み書き・計算・魔法や魔力の理解度だとかその他諸々に面接もあって厳しく、それなりに狭き門だったのだ。その分給料もいいし、格安の食堂利用できるし、希望すれば寮にも入れるけど。そんな職場を辞めるとかよっぽどな事情があるやつぐらいだ。はい俺です。
ギルドは田舎にも出張所みたいなのがあって、わざわざ都会まで行かずとも試験とかはそこで受けられる。
15歳の終わりごろに試験を受けて、16歳で入社。言ってしまえば俺は新卒で入社したようなもので、他の仕事の経験はない。12歳で登録できる簡易冒険者登録すらしていない。
そこで現代のジャパニーズは『ファンタジー世界に生まれてなぜ冒険者にならなかったのか』『前世知識で商品開発して商会作ろうとか思わなかったのか』と疑問に思ったかもしれない。
しかし待って欲しい。まず冒険者とはなんだろうか。冒険者は冒険する人である……というとなんだか微妙だが、個々で依頼を受けて魔物狩りや栽培・育成が難しい素材の調達、配達を行う人々の事である。
そう、冒険者とは ―― フリーランスなのである。ギルド登録が開業登録に相当するなら個人事業主とも言えるだろう。
そして商会発足は言い方変えずとも起業である。事業を起こす起業である。まんまだ。
普通にハードル高くない?
ちなみに俺は前世では会社員だった。起業だとか考えたこともないし、フリーランスだってやろうと思わなかった。だって営業も事務も各種申告も全部自分でやらなきゃいけない。
商会だけど、まず売れるものが思いつかない。なんで世間一般の転生者はマヨネーズだとか味噌だの醤油だの酵母だの作り方知ってんの? ああいうのって買って使うものであって作るものではなくない? 自家製味噌はまだ分かるけど、マヨとか醤油とかは切らしても『あ、じゃあ買いに行くわ』ってなって作り方までは調べなくないか? その他技術も然り。
この世界も過去に転生者が広めたのか一通りは普及しているから俺が知っていたところでっていうのはあるけどさ。
俺に作れるものっていったら密造カルピスぐらいなものである。しかも材料は代用品使用版。この世界でクエン酸ってどこで買えますか。少なくとも一般流通はしていなかった。
というか前述のとおり、この世界は割と痒いもの手が届いている感がある仕様だ。現代とは仕組みが異なるが下水処理も水もガス……はないけど加熱器具や冷蔵庫も存在する。燃費がよろしくないけど魔道具での空調設備関係もないこともない。
そんな世界観で知識無双なんてまず無理だ。研究者の皆様、博識な転生者様さまである。そんな世界に密造カルピスのみで戦いを挑めるわけがない。
次に冒険者だ。冒険者といったら花形は討伐系や討伐兼調達である。
無理だ。解散。
繰り返すが俺は元会社員だ。しかも生まれも育ちも都市育ちである。シティボーイというと逆になんか古臭く感じるがそういうあれだ。狩りとか無縁だったのに、大型の獣を仕留めるとかまず無理。前世ではネズミを殺すことすら難しかったのに。
この世界に生まれてから何度か経験したけど、『可哀そうだから』とかじゃなくて手に伝わる感触に生理的嫌悪というか……そういうのでぞわっとするんだよな。
ぶっちゃけると遠距離攻撃なら感触とか関係ないから大丈夫だけど、大きい獣は普通に怖いので率先して戦いたくない。世間一般の転生者はなんであんなサクサク殺れるのか。多分やるしかなかったからっていうのが大きいんだろうけど、それでいうなら現状だと俺はやる必要がないのでやりません。
討伐系がダメなら採取調達系はどうだろうか。無理だ。森とか行きたくないし素材の判別とかできる気がしない。
また、商会(雇われ前提)と冒険者共通で荷運び系の仕事がある。
この世界の移動手段は陸路だと馬車や馬が主流であとは徒歩。魔物の生息の影響もあって線路が必要な鉄道系は発展していない。空路として魔道式飛行船もあるがこちらは運賃が高い。
なので中小規模の商会や冒険者は専ら陸路を利用する。なぜならそうしないとほぼ利益が出ない……どころかマイナスになることもあるから。
俺も前の就活時に「いいじゃん!!」と飛びつきかけた。俺には時間停止収納魔法がある。容量は無限ではなく大型トラック一台分ぐらい――しかし今後は三分の一ほどは自前の家具やらが詰まった状態だが、それでも馬車の荷台に比べたら圧倒的だ。身軽だから野盗や魔物に対しては逃げに特化すれば問題ない。天職だと思った。普通だったら所謂勝ち組も夢じゃない。
だが何よりも大きい問題があった。
俺は絶対に野営をしたくない!!!
需要がある長距離系荷運びには野営が必須。
野営。つまり野宿或いはキャンプである。大自然の中で夜を過ごすのである。
大自然ということは虫がいる。当たり前だ。分かっている。だからこそつらい。
そう、俺は虫が大嫌いだった。
もちろん前世から。『前世から〇〇』というとなんだか運命めいたもののように感じて格好よく思える。なんかイイ。だがしかし実際は虫嫌いなだけである。ショボい。
この世界の基準からすれば病的とも言える虫嫌いである自覚はある。前世での価値観や弱点を引き摺ることになるのは転生者あるあるだ。転生はプラス作用だけではないのだ。俺の場合はそれが殺傷と虫嫌いだっただけのこと。
田舎の村を出たのも、採取系メインの冒険者になりたくないのもこれが主な理由だ。虫と関わりたくない!!!
実家は農家だったが、農家で虫と関わらないのはまず無理だ。九州で黒いクマのマスコットキャラと一度も遭遇しないのと同じぐらい無理だ。あと農家は普通にハードな職業なのでそういう意味でも俺には合わない。スローライフと言っていいのは収入源を別に持つ者の家庭菜園生活ぐらいだ。間違っても一次産業従事者はスローライフじゃねぇ。
そして田舎。窓が開いていようが開いていまいがそこかしこから虫が侵入してくる。カメムシもクソバカデカい謎の虫もゴキブリももう嫌だ!!お家帰る!!!残念そこがお家である。
家族も故郷の村も、懐かしいし嫌いではない(ガキの頃に虫嫌いを弄ってきた一部を除く)
しかし譲れないものがあるのだ。だから俺は絶対に故郷に戻って暮らしはしないし、野営が必要な仕事は全力で回避する。虫を避けて通れるなら営業でも販売でも事務でもいいし、悪魔に知人の魂だって売ってやる。あ、俺の魂は非売品です。
「というわけでノマえもーん! 何かいい仕事ない?」
業務時間も終わり、職探しの様子を見にきたノーマンにダメもとで聞いてみた。
ノーマンの所属する部署は紹介する仕事や依頼を探してくるのが主な業務だ。所謂営業である。黙って待つだけでは仕事は入ってこないのだ。世知辛いね。
ノーマンは「ノマえもんって何だよ」と突っ込みつつ、俺に数枚の紙を差し出した。
「難航していると思ってさ、募集開始されたやつで条件よさそうなの持ってきたぞ」
感謝しろよ、と彼は続ける。めっちゃいい奴じゃん。お前今日から心の友な。
礼を言って受け取り、ざっくりと目を通す。
「えーっと、村の教師にー、新規魔道具店の営業にー……やっぱりこの街以外の就職系は絞られるな」
俺の呟きに「お前が選り好みし過ぎなんだよ」と呆れたようにノーマンがため息を吐いた。それはそう。本当にごめん。
「おっ? これの類は初めて見るな」
パッと目に付いたのは【住み込みお手伝いさん募集、男性のみ(一部例外あり・応相談)】の文字だ。『掃除と食事作り、可能であれば洗濯、その他家主の補佐』と文章が続く。
「ようするに家政夫ってやつか?」
書類を読みながら首を傾げてしまう。家政婦或いは家政夫といった言葉はこの世界にも存在する。
しかし通常の家政婦というには最後の文言が微妙ではなかろうか。なんだ補佐って。しかも給料も一般的な家政婦より明らかに高い。
「あー、それな。二か月ぐらい前も募集していたけど、期限切れて再募集始めたやつ。依頼主が主に自宅で魔道具製造整備職なもんで、それの補佐も含むらしい。材料の発注とか魔力充填とか魔道具試運転とか。今の業務プラス家事だと思ってくれればいい。性別絞っているのは依頼主が男で、住み込み前提だから。小型なら特定スペースから出さないのを条件にペット連れも可」
と、ノーマンが補足してくれた。再募集ってことは応募なかったか誰か入ったけど辞めたのかな。
よく見たら小型ペットどころか子連れも可らしい。シングル親も視野に入れているんだろうか。
一見するとやることは多そうだが、とにかく給料がいい。なんなら今と変わらない……よく読めば家賃も食費も向こう持ちだ。それを踏まえるとこのお手伝いさん業のほうが条件のほうがいいと言えるだろう。しかもペット可。スライムはセーフですかね。うちの子は一応小型ですよ!
いやでもこれ条件良すぎじゃねぇ?
「……詐欺?」
「……詐欺じゃない」
思わず漏れ出た俺の言葉に、数秒の間のあとにノーマンが応える。できれば即答してほしかったな!
募集要項の下部に躍るのは【未経験者歓迎! 笑顔が絶えないアットホームな職場です!】の文字。
「詐欺?」
繰り返された単語。対してノーマンはかたく目を瞑り、絞り出すように声を発した。
「……詐欺じゃない。……多分」
「たぶん」
俺がオウム返しになってしまったのは仕方ないだろう。
書きながら、こいつ(主人公)何回“無理”って言うんだろうって思っていた。
結局二話で雇用主出せず。
補足:肉屋が食堂に卸しているのは牧場産の牛豚鶏とかの肉類。依頼しているのは野兎だとかその他魔物肉。