【幼児化王妃の危機・3】・・・大雪様著
とりあえず、最初の材料集めは人間界で行われる事となった。
「では私の家に来て下さい!」
是非にと滞在を薦められたのは、雪那の家だった。
滞在メンバーは神組からは蒼麗と蒼花の双子姉妹に果竪、そして萩波と玉英となった。
因みに、チヒロは彼らの世界の順番が来るまでに滞在場所を整えておくとして異世界に戻ったオウランによって強制連行されたので此処にはいない。
が、恵美と理恵の二人はちゃっかり雪那の家にお泊まりする事が決定していた。
丁度人間界は夏休みに入ったばかり。時間は幾らでもあるらしい。
そうなると当然の如く魔王軍と修も滞在する事となり、屋敷は異様な人口密度に悩まされた。
しかも、魔王軍が先に滞在する事を宣言した事により、凪国宰相が迷惑をかけられないとして滞在を諦めたのは公然の秘密となっている。
が、そのせいで明燐と朱詩の機嫌が悪く兄である宰相や茨戯、蓮璋が宥めるのに苦労したのは言うまでもない。
そんな彼らの苦労を知りつつ半ば強引に妻の保護者?として滞在を決めた萩波は、屋敷の敷地に入るや否や感嘆の溜息をもらす。
「ふむ……さすがは七宮家。敷地内に邪気が殆どありませんね」
水も風も木々も土も、全てが強い力を持っている。
神々に気づいた精霊達が姿を現わせば、彼らは中でも最も強く最も美しい『天界の華』に頭を垂れていく。
彼女は自分達の皇たる精霊皇夫妻の縁者。
いわば、もう一人の主と言っても過言ではない。
そんな精霊達を蒼花は冷たく一瞥すれば、次々と悩殺されていく精霊達がバタバタと倒れていく。
「あれ?なんだか風が止った気が」
「花が一斉に閉じたんだけど……」
自然を司る精霊達が気絶したと言うことは、当然彼らが司るものにも影響が出るという事。
同じく自然を司る神々が慌てて精霊達の分を補った事で影響は最小限に抑えられるも、その場にいた者達は蒼花の存在に改めて恐ろしさを感じた。
「あの『天界の華』に護衛がつくのは当然という事か」
「確かに一人でうろちょろされたら困るな」
リアナージャとアマレッティが冷や汗を流しながら呟く。
が、そもそも護衛がついている理由は彼女を花嫁として攫おうとする馬鹿達から守る為であり、他への影響に関してはどうでも良かったりするが、それについては蒼麗は何も言わない事にした。
それよりも今はする事がある。
「にしても……たどり着いて早々のくつろぎっぷりには頭が下がりますよ」
七宮家執事の榊が皮肉げに呟けば、まるで己こそがこの屋敷の主の様な風格と威厳を漂わせたアルファーレンが鼻で笑う。
「ふん……狸が」
自分こそ、執事と言いながら世界の大財閥を支配する影の総帥ではないか。
だが、それを皮肉たっぷりに指摘してやれば、彼は冷笑を浮かべながらそれを受け流す。
人間にしておくにはもったいない人材と言えよう。
「そういえば、蒼麗さんは何処にいったのかしら?」
恵美が首を傾げれば、雪那が微笑みながら答える。
「蒼麗さんならあちらですよ」
そうして雪那が指さした方向には
「この度は突然の団体での滞在を許して頂き、まことにありがとうございます」
そう言って頭を下げつつ、これはお土産を兼ねた御礼ですと、菓子折を七宮家当主に差し出している。
しかもその際の礼儀作法も完璧。
なんて恐ろしい十二歳っ!!
「また滞在にあたりまして、必要な光熱費と食費を用意致しましたのでこちらをお納め下さい」
そっと茶封筒を差し出せば、その厚みに彼女が他のメンバー達の分まで計算している事を悟る。
「蒼麗さん……」
「本当に十二歳?」
恵美と理恵がそれぞれに呟けば、蒼花が流石はお姉様と尊敬の眼差しで見つめる。
「さすがは十二王家の常識神ですね~」
「しゅうはくるちいっ!」
幼い果竪を膝抱っこしたのもつかの間。
全力で抱きしめる萩波に果竪がペチペチとその頬を叩く。
勿論、全力と言えども抱き潰さないところが愛のなせる技なのだが、端から見ればウザイと表現して差し支えないほどの構いっぷりに果竪の疲労も色濃い。
しかも、夫の妹からも構われ、既に疲労困憊過労死寸前である。
「オニイさま、だいきん」
「分かってますよ」
蒼麗が立て替えてくれた分はきちんと返す。
「私としては、神としてのお返しを考えていたのですがね」
とりあえず、七宮家が今後しばらくの間水に困らないとか、水害に遭わないとか、そんなところ。
直轄は海だが、その他に河川や雨などの水にも多大な影響力を持っている凪国国王の地位に居る者としては、それ位はわけはない。
一方、七宮家当主と雪那の兄も最初こそ突然の団体に驚いていたが、愛する娘の頼みに加えてこの少女の余りの礼儀正しさに逆に慌てた。
「いや、それは受け取れませんな」
「え?」
「雪那からは貴女方はお客様と紹介されてますからな。お客様はもてなさなければ」
「でもっ!」
お金はいらない、支払うの攻防はその後二時間は続いたが、ようやく戻って来た蒼麗はお金の代りに別の御礼を行うという約束を取り付けていた。
「雪那さんの野菜栽培のお手伝いをする事になりました」
果竪と一緒に
たぶん、果竪は大根ばかりにかかりきりになると思うが
「そなたは野菜作りは出来るのか?」
リアナージャの疑問も最もだった。
蒼麗は現在家出中。学費は奨学金でまかなっているが、生活費はアルバイトで稼ぐ身。とはいえ、実家は天界でも天帝夫妻に次ぐ十二王家の筆頭星家の姫である。
農作業をしていたとは思えないのだが――
「大丈夫です、お米も野菜も全部育てたことありますから」
「ほう?」
「しかもお姉様は海や川で魚も仕留めてるし、山では獣も仕留めていらっしゃるのよっ!」
蒼花の言葉に目をむく魔王軍。
「それに、山で茸や山菜採りもお手の物だし、出来ない事は何もないわっ!」
「いや、それ言い過ぎだし」
「そなた……姫よな?」
「まあ、一応は」
姫が茸取り?
しかしその疑問に蒼麗が頭を?きながら答える。
「まあ……師匠の教育方針でして……」
蒼麗が家出した際に一番最初に逃げ込み縋った相手――師匠。
大戦ではその力を惜しみなく披露するも、大戦終結後はさっさと山奥に隠れ住んでしまった。
勿論生活は自給自足。
その弟子となった蒼麗も当然それを強いられた。
自給自足に必用な知識はもとより、実地で叩き込まれた幾つものサバイバル技術。
時には山に、時には海に、時には無人島に一人で、または他の弟子と共に投げ込まれて生活させられた。
おかげで大抵の事は出来るようになった。
ただし、それが学校の勉強に繋がるかと言えばそうではなく、蒼麗の落ちこぼれはこれっぽっちも変わらなかったのだが。
「それは凄いというのか何というかのか……」
流石の榊も冷や汗を?いている。
「食べるものが不足すれば蛇でも蛙でも虫でも捕って食べてましたからね」
既に少女の食べるものではない。
「死ぬかと思った事も何度もあるし」
毒茸の恐ろしさは身をもって体験させられたからこそ、今では全ての茸を見分けられるようになったし、山菜や薬草も同様に間違う事はなかった。
「海図の見方も山での地図の見方も叩き込まれて……」
しかも何処のトライアスロンだと聞きたくなるような事も……
「一日で山を何往復も上り下りさせられたり、獣道や道無き道も走り回されたり」
おかげで、人間界の山の殆どは制覇させられる始末。
たとえその山がどのような怪異に悩まされていようと関係なかったし、途中で遭難者を見つければ救助までさせられた。
しかしだからこそ――
「今も連れ戻されずにすんでいるんですけどね――家に」
一度でも家を頼れば家に戻される。
けれど、師匠が鍛えてくれたからこそ今まで何度も降りかかった災難やトラブルに対して蒼麗は家を頼らずに解決する事が出来ていた。
家を出た後に培った経験と技術、そして得た仲間達、友人達の助けは借りても……
「苦労したのじゃな……」
「皆さんに比べたらまだまだですよ」
そう言って笑う蒼麗だったが、その横顔は苦労したものだけが得るような老成したものが浮かぶ。
しかし何故蒼麗はそこまでして苦労する道を選ぶのか?
本来であれば何不自由ない姫としての生活が送れたというのに――
だが、リアナージャがその疑問を口にすることは最後までなかった。
神木の朝露、呪華花、晶石の破片――
人間界にあるとされる、若返り薬の対となる薬の原材料だ。
「どれもこれも今では中々手に入らないものばかりですわね、お姉様」
「手にハイラナイ?」
蒼花の言葉に玉英が首を傾げる。
「そうよ。神木の朝露が取れる樹自体が減ってるし、呪華花のあった場所は怪奇現象が起きてるし、晶石の破片は穢れてて本来の力を失っている」
「ふ~ん」
興味なさげに呟くと、すぐに義姉である果竪を抱きしめる。
完全に玉英のお気に入りの御人形になっている。
「だが、逆に言えばその原因をどうにかすればいいという事だろう」
アルファーレンが口を挟むが、その腕の中には恵美の姿がある。
しかも息も絶え絶えというとても悩ましい姿で。
因みに何故愛する少女のそんな姿を晒しているかと言うと、途中でさっさと部屋を退出しようとするも蒼花に止められたからだ。
『私のお姉様が悩んでいるのに一人だけ休もうって言うの?』
お前のせいだろうお前の
原因は姉の邪魔をした蒼花なのに、その原因にガンをつけられたアルファーレンは当然の如く怒りを覚えるが、下手に逆らえば自分が負けるのは目に見えていた。
見た目は嫋やかで儚げな美少女だが、中身は何処までも獰猛な猛獣である蒼花に好きこのんで逆らう者はこの場には居ない。
蒼麗を除いては
「とりあえず、最初は神木の朝露から始めますか」
「長期戦になるな」
アルファーレンが溜息をつくと、蒼麗が苦笑する。
「そうですね……でも、神木の朝露さえ手に入れば晶石の破片はすぐに手に入りますから」
「どういう事だ?」
「晶石の破片自体は榊さんの家にあるんですよ。それを分けてもらうだけなので」
ただし、榊の家がそれを手に入れた時点では既に穢れてしまっており、ただ分けてもらっただけでは材料としては使えない。
「日の光や月の光を浴びせてもいいんですけど、それだと五十年は軽くかかるんです。でも、神木の朝露を使用すれば、三日ぐらいで浄化出来るんですよ」
「そうか……」
「それに一番厄介なのは人間界なんで、他のところはそう時間がかからないと思います」
「どうして人間界が厄介なの?」
雪那がキョトンとした様子で首を傾げる。
「簡単な事ですよ」
萩波が玉英が果竪を奪い返しながら答える。
「人間界では、神々である私達の行動は制限されてしまうんです」
「え?」
「人間達は自分達と違う存在を忌避しますからね」
畏怖か忌避か
人間達の多くは自分達と違う存在を受け入れない
「中世では魔女狩りもありましたからね」
「あ……」
「それに加えて、私達神の力はこの未熟な世界では強すぎるんですよ」
人間界にも多くの神々がいる。
しかし、その神々とて多くの制約の中で行動している。
それは全て、この世界の均衡を崩さないため。
強すぎる力は世界の安定を崩し、時には崩壊に導くからだ。
「だから、神々である私達が人間界に赴く際には制御装置をつけます」
能力に応じて制御装置の種類と数は変わるが、大抵は制御装置をつける事でその力を封じ込めるのだ。
といっても、封じ込めてもなお、その能力は強い霊能力者を凌駕するのだが。
「まあ、そこら辺は魔界の方々も似たようなものだと思いますが」
そうしてアルファーレン達を見れば、彼等にも身につけた制御装置の姿が見え隠れしていた。
「そうなんですか……神様も魔王様達も大変ですね」
「いえ、もう慣れてますからね」
「でも、ここの結界は強化しておかないとね」
「蒼花公主?」
面白くなさそうな様子だが、はっきりと言い切る蒼花に萩波だけではなく他の者達も視線を向ける。
「いくら力を押さえつけていても、それぞれの世界の実力者達がこれだけ揃ってるのよ?しかも、魔界は上層部の中でも上の上が大半来ている」
「それが?」
首を傾げるアマレッティに蒼花はハンっと馬鹿にした様に笑う。
「良くないものに目をつけられやすいって事よ。人間界は天界や他の世界に比べて一番不安定な世界。それだけ良くないものが漂っている。そういう者達は狡猾に狙ってるわ。力を、そして無垢な魂を、自分達の糧となるものを。まあ、だからといって此処にその馬鹿達に取り込まれるような愚か者はいないと思うけれど」
「ならば問題はないんじゃないの?」
レミレアの言葉に蒼花は溜息をつく。
「あんた、それでも魔界の上層部?」
「なっ?!」
「蒼花」
「お姉様、だって」
姉に窘められた蒼花がすねたように頬を膨らませるが、それ以上の反論はしなかった。
「私達は大丈夫です――っていうか、力無しの私はそうでもないんですけど」
「どういう事?」
「問題は恵美さんと理恵さん、そして雪那さんです」
三人の名前が出た瞬間、彼女達に近しい者達の纏う空気が冷える。
「なるほど……」
アルファーレンが納得したと言うように頷いた。
「その良くないものは、先ほども言ったとおり、穢れない無垢の魂を好みます。しかも、その上見目麗しく巫女としての資格も有する事が出来るばかりか、魔王様や神に近い榊さん、原始の天使さんまでを魅了する事が出来る存在となれば、その良くないものにとっては最高の餌となります」
勿論、異世界の王を魅了したチヒロもだが、彼女は今此処に居ないのが幸い。
「しかもその存在は一人ではなく、三人も揃っている。よりいっそう目をつけられるのは間違いありません」
それどころか既に来ている。
「まあ、結界は張り巡らせてありますから大丈夫とは思いますが」
萩波の水の結界が更に強さを増せば、隙間なく結界に張付いていた良くないもの達が消滅していく。
その断末魔は本来であれば結界で阻まれているにも関わらず、恵美達の耳元に届きその身を竦ませた。
アルファーレンが恵美を抱きしめ、榊が雪那を抱き寄せる。
「恵美に手出しはさせないわ」
理恵が強い口調で言うが、指の震えは止らない。
何故だろう?
蒼麗の話を聞いた途端、また聞こえてきた断末魔が耳に入った瞬間、ゾクリと背筋を走った悪寒。
まるでこの先悪い事が待っている様な――酷く嫌な予感がしてならない。
ギュッと拳を握りしめた理恵だったが、その手に温かいものが触れる。
「レミレア?」
「大丈夫だよ……俺、いや、俺達が守るから」
震える理恵の手を握りしめる。
すると、理恵が驚いたように自分を見詰めるが、すぐに顔を紅くして俯いてしまった。
その顔があまりに可愛くて思わず手を伸ばしてハッとする。
ってかちょっと待て!
抱きしめるのは不味いだろう
緊急時でもないし
というか、年頃の少女にベタベタと過剰なスキンシップを取るのは駄目だと、レイ・テッドから厳しく説教されている。
そうだ
抱きしめたりとかは恋人同士でするものだ
そんな事を考えるのは夜の貴公子であり、今は彼を残せばもはや誰も居ない夜の眷属の最後の生き残り。
因みに夜の眷族とは、吸血族、夢魔族、淫魔族の総称だ。
つまり、相手をその美貌で魅了し交わり精気を根こそぎ奪い取る事が本業。
十八禁どころかそれ以上の事までお手の物にも関わらず、レミレアは理恵に対して清く正しく接するという何処までもその血に相反する行動を取っていた。
リアナージャが色々指導しても押倒すどころかキスさえもまだ。
停滞どころか周囲からは後退を心配される始末。
しかし、時が流れ季節が変わるように
そしてその流れを誰にも止められないように
レミレアの中でもまた、それは着実に移ろい変わりゆき歩を進めていく――
ってか、御願いだからそんな目でみないで欲しいなぁ……
俯いたままかと思えば、恐る恐る自分を見上げてくる理恵の様子にレミレアは内心慌てていた。
その赤く染まった頬が、うるんだ瞳が、何かを言おうとするも言葉にならない紅い唇全てが自分を誘っているようで――
いや誘うって何だよ
別に理恵は誘ってなんかいない
にも関わらず、自分の体が反応する
こんな事今まで一度もなかったのに
その眼差しが、仕草が、自分から理性を奪い取り純粋なる獣へと変えようとしているかのようだった
その内なる獣をレミレアは必死で押さえ込む
こんな事を思っては駄目だ
『煩悩を抱いたら?お経とか唱えたらどうかな?』
と、蓮璋の助言に従いお経を唱える(←どこで習った?!)が、一向に下半身に集まる熱は散っていかない。
集まる熱により活性化した細胞が、流れゆく血流がレミレアの男を形作っていく。
「レミレア……」
濡れた紅唇が艶めかしく動き自分の名を呼んだ瞬間、獣が檻を破る。
ウバイタイ
オレノモノニシタイ
「レミレア?!」
ソウ
オレノモノニ
スベテヲウバイツクシタイ
「レミ……レア?」
ウバイタイ
ウバイタイ
オレノモノニシタイ
空気がざわつくのも気にせず、見据えるのはただ一人の少女。
その眩しすぎる輝きを持ったかけがえのない愛しい――
「正気に戻れ」
ボカリと蒼花に頭を殴られた弾みで、レミレアは我に返る。
が、我に返らなければ良かったと思った。
「………………」
「………………」
腕の中に閉じ込めるように抱きしめた理恵と見つめ合う形となっている今の自分の状況を理解した瞬間、レミレアはパニックに陥った。
「うわっ!」
思わず理恵から距離を取る。
が、その瞬間腕からなくなった温かな感触に言いようもない喪失感を覚えた。
まるで、自分の半身がもぎ取られたかのような痛みが襲う。
なんだこれは
この痛みはなんだろう?
失った重みを
失った温かさを求めて腕が彷徨う
体がそれを求めて取り戻そうとする
奪って
抱きしめて
その唇に口づけて
そして――
馬鹿な
やめろ
そんな事をするなっ!!
自分の体なのに、まるで別の生き物のように動こうとする
「くそっ!」
小さく舌打ちをし自分を律するように大きく呼吸をする。
こんな事では嫌われてしまう
そもそも抱きしめたりキスしたりするのは恋人や夫婦がするものだ
自分と理恵みたいな関係で出来る筈がない
そう、抱きしめるのもキスするのも理恵に愛されたものが
「っ!」
ズキンと胸が痛む。
なんだこれは?
しかも気づけば胸にはもやもやとしたものが溢れている。
それは、この前感じたものと同じ……いや、それ以上に強い。
もやもや
よく分からない
けれど酷く不快だった
なんだか腹が立ってくる
何に?
(別に腹を立てる事なんてないじゃないか……)
寧ろ腹が立つのは、理恵に対してヘンなことをしようとした自分にだ
(そうだよ……抱きしめたりキスしたりするのは恋人がしなきゃならないんだ)
理恵にそういう事が出来るのは、いつか彼女の恋人になる男だけ
そう……恋人になる別の男だけが
もやもやとしたものが更に強くなる
胸の痛みが増す
はっきりレミレアは思った。
面白くない
もやもやとしたものの中の一つが分かった。
そう――面白くないのだ
理恵に恋人が出来る
恋人となれば常に理恵の側に居るだろう
別の男が、常に
そう考えると酷く面白くなかった
自分の居場所を取られたような気がしてならない
って、なんだこれ
理恵は自分のものではないというのに
けれど、まるで自分の居場所を取られたような気がする事にレミレアは混乱した。
(い、一体俺はどうしたんだっ!!)
そうしてあたふたと慌てふためくレミレアに「青いのぅ」と呟くリアナージャは、可愛い未来の義理の弟の為に媚薬を注文しようかと考えるも、それを調合する能力の持つ蒼麗はそれどころではなさそうだった。
「えっと、今のところ近場で一番神木の朝露が取れそうな樹が残っていると思われる場所は――と、あ、ここですね」
地図に赤ペンで丸をつける。
「ここは……常葉地区ですか」
それは、雪那達の住まう場所から車で五時間はかかる場所。
風光明媚な田舎だが、神社仏閣が多く観光地として名を馳せている。
「確かここには七宮家の別荘がありましたね……お嬢様?」
共に地図を見ていた雪那だったが、その視線が全く動かない事に榊が心配そうに声をかける。しかし、雪那から返事はない。
「お嬢様、お嬢様っ」
「ふぇ?!」
ハッと我に返った雪那が榊を見る。
「ど、どうしたの?」
「どうしたのではありません。お嬢様こそ一体どうなされたのですか?」
「え?いや、別に何でもありません」
「お嬢様?」
この榊に隠し事をするのか?
しかし、雪那を見てすぐにその荒ぶる思いは消えた。
困ったような、何処か哀しそうなその表情は酷く困惑している様子だったからだ。
「ごめんなさい、榊……」
「お嬢様」
「ちょっと昔の事を思い出していたの」
「昔の?」
「ええ。昔、此処にはよく遊びに行っていたから」
そう、まだ小学校に上がる前からよく遊びに行っていた。
毎年のように
けれど、何時の頃からか行かなくなった場所
どうして行かなくなったのだろうか?
それどころか、常葉という名前すら思い出すことはなかった……つい先ほどまで。
なのにその名を聞いた瞬間、少しずつ思い出す。
毎年のように遊びに行ったその場所を
ああ……どうして思い出せなかったのだろう?
そこは母も父と良く遊びに行っていた場所で、七宮家自体にとても縁の深い場所でもあった。
そう……なのにどうして……
私は忘れてしまっていたのだろう?
――続く