第6話「決闘 Ⅰ 」
「――――マルーサ」
チェリードは、躊躇いながらも彼の名を呼んだ。
気づけば既にお昼時だった。
今日は気持ちの良い晴天で、外を見れば鬼ごっこをする人、かくれんぼをする人、キャッチボールをする人…………彼がたちまち窓の外を見れば、普段と何も変わらない、学校の景色が広がっていた。
チェリードはそうではなかった。
彼は、覚悟していた。過去の自分と訣別するために、チェリードはあの日、彼の言葉を聞いて決意を固めた。
ただ、ヤラレっぱなしはもう嫌だと、心からそう思った。
今、マルーサの目の前に立ち、真剣な表情で彼の名を呼んだ。
「ん? なんだよ、まさか謝りに来たのか?」
彼はいつも通りあの二人と喋っていた。スパラはチェリードの姿を見て困ったような顔をしながらラハークの袖を引っ張っていた。
マルーサはニヤけながら返事をするが、チェリードの顔は変わらないままだ。
「いや…………違うよ」
マルーサたちが何を言うのかと首を傾げる。
正直なところ、チェリードは緊張していた。まだ二日しか経っていない。彼は自分が取るべき行動を考えた結果、それはあまりに的はずれだったかもしれないとさえ思っている。
「大事なのは、目の前の困難に立ち向かうことだ」
二日前、彼はそう言っていた。しかし、具体的にどうすれば良いかもわからず、ここまで来てしまった。
彼は小さく深呼吸をした。三人にバレないように、こっそりと。
そして、彼は言い放った。
「俺と…………決闘してくれないか!」
その一言で、クラスにいた全員の視線はチェリードに注目した。
「あ? 決闘?」
マルーサがよく不思議そうな顔で聞き返してくる。
「そうだ。俺は君に決闘を申し込みたい!」
昨日、チェリードは考えた。何をすれば「困難に立ち向かう」ことになるか。登校中も、授業中も、下校中も、一日中かけて考えた。
結局最後まで納得のいく答えは出なかった。どれもこれも困難に立ち向かうという目標とは違うような――――――いや、思えばただ自分が納得したいだけだったのかもしれないと、彼は一日前を振り返りながらそう思った。
そして彼が出した答えは「戦うこと」だった。正々堂々戦うことで、「困難に立ち向かう」ことの証明になると彼は考えた。
「もしこれで俺が勝ったら、俺のことを虐めるのはやめてほしい!」
彼は教室中に響き渡る大きい声で言った。
彼の発言を聞いて、クラスメートはボソボソと話し始めた。
「ねえ、あの子ホンキで言ってるの?」
「どうせあいつが負けるだろ……」
「それにマルーサはそもそも相手にしないだろうし」
皆は彼に対して悲観的だった。誰も彼を応援などしなかった。しなくて当然だった。
だが、チェリードは本気だ。
ただマルーサの返事を待つために、俯いている彼の顔を無言のままじっと見ていた。
「ね、ねえ。マルー――――」
この空気感に耐えられなくなったスパラがマルーサに声をかけようとした次の瞬間、
「アーッハッハッハッハッハ!」
彼は突然笑い始めた。
「え? え?」
チェリードも予想外の反応に少し戸惑ってしまう。
「お前が? 俺に? 決闘? 冗談じゃねえ!」
「い、いや、俺は至って真――――」
徐々に威勢が失くなっていくチェリードに、マルーサは畳み掛けるように言った。
「大体、なんで決闘なんだ! なんでわざわざ戦うんだ! 意味がわからねえ!」
「そ、それは……俺はそれが良いって思ったからで…
………」
「それにな! チェリード、お前は俺に勝てない……」
「はぁ? 何を根拠にそんな――――」
お前は勝てないと言われ少しだけ腹が立ったチェリードは体を前のめりにすると、マルーサは人差し指を彼の額に擦り付けながら言い放った。
「自分の強さ、わかってんのか?」
「ッ!」
チェリードは後悔した。後悔するにはあまりも早く、あまりにも遅かった。
彼は自分の能力のことが完全に頭から離れていた。自分には魔法も武器も使えず、それでいて固有能力は大抵攻撃できるようなものでもなく、タイマンを張るのにはあまりに不向きな能力であったのは明らかだったはずだ。それなのに、彼はわざわざ「戦う」選択肢を取ってしまった。
チェリードは後悔した。まだ何も始まったばかりだというのに。そして、もう、引き下がれないところまで来てしまったというのに。
「まあ、いっか。そんなこと。俺はチェリードを倒せればそれでいい。ただ、それだけで良いんだ」
マルーサは余裕そうな表情を見せていた。しかし同時に、その瞳はどこか悲しげだった。
「――――わかった。時間は夕暮れ時、校庭に集合。それでいいね?」
チェリードは時間と場所を彼に伝えた。時間を夕暮れ時に指定したのは、彼に勝つための作戦を立てておきたかったからだ。
「あぁ、わかったよ」
マルーサが了承したのを確認して、チェリードは自分の席へと戻った。気づいたら廊下の方にギャラリーが集まっていることに少し驚きつつも、彼は席に座って黙々と母親が作ってくれた弁当を食べた。
「ねえ、どっちが勝つと思う!?」
「どうせマルーサじゃねえの!?」
「もしかしたら桃色の髪の子が勝つかもよ!」
「後で皆で見に行こうぜ!」
(――――さて、どうやってあいつに勝とうか)
廊下に集まったギャラリーの話し声がうるさいと思いつつも、彼は昼食を食べながらマルーサに勝つための作戦を考えることにした。
「おいマルーサどうすんだ。なんか作戦でも立てたのかよ、なあ」
ラハークが鋭い目付きでマルーサに聞いた。どうやらチェリードのことでイラついているようだ。
「まあまあ落ち着けって。それより、俺は名案を思い付いたぞ。あいつを確実に殺す方法がな」
「え! 確実に!?」
「安心しろ、スパラ。これが成功すれば、もう俺らはあいつのことを考えなくてよくなるんだ」
「で、でも、それって…………」
「いいからいいから! とりあえず俺の考えなんだが…………」
チェリードが自分の席に座った後、彼らもまた、作戦を立てていた。スパラは終始浮かない顔をしていたが、マルーサは名案を思い付いてからというものの、その名案についてを嬉々として語っていた。
この決闘、果たしてどちらが勝つか。二人の決闘は、もう既に始まっていたのかもしれない。
――――――――――――――――――――――――
~その日の夕方~
そして、ついに時は満ちた。
夕焼けが静かにこの校庭を照らしていた。昨日は雨が降っていたので、地面の砂が少し湿っているのが足から伝わってくる。
彼は玄関の靴を持ち出して、校庭へと通ずる入り口まで歩いた。そして靴を履き、校庭の真ん中へと向かった。その時に吹いていたそよ風が、校庭をすり抜けていくのを肌で感じた。
チェリードは集合時間より少し遅れてしまっていた。放課後、ずっと教室に残り、マルーサに勝つための手段を考えていたら、いつの間に夕日が沈み始めていることに気づいて、急いで教室を飛び出したのだ。
彼が校庭に着いたころには、ギャラリーがズラリと並んで、今日の決闘の勝敗について喋っていた。
「どっちが勝つかな~?」
「そりゃあマルーサだろ、あいつ強いし!」
「でも転校生も強いかもー」
話を聞いているあたり、マルーサの方が優勢だと考える人が多いようだ。
チェリードはまだ彼の強さを知らない。ましてや、彼の固有能力すら知らない。もしかして固有能力は人にあまり教えるべきではない代物だったのかもしれないと今さら考えたりもした。
だが、もう遅い。時は満ちてしまった。
「よぉ。遅かったな」
マルーサは腕を組みながら仁王立ちで待っていた。
昼見た時はなかった白線の円が描かれていることに気づいた。白線の外、マルーサが立っている後ろ側には、スパラとラハークが彼を見守るような形でただ突っ立って見ている。
白線の中へと入り、辺りを見回すチェリードを見てマルーサは「ヘッ」と笑った。
「早速勝負したいところだが…………折角だ、ルールをつけよう」
「…………ルール?」
意外だった。てっきり、「先手必勝!」などと言って早急にぶん殴ってくるものだと彼は思っていた。ましてや、「ルールをつけよう」と言うとは思わず、彼は予想と違う結果に少し驚いていた。
「あぁ。そういうのがあった方が盛り上がるだろ?」
「ま、まあ確かに…………でも君がそんなことを言うとは思ってもみなかったよ」
「だろ?」
「まあでも、『決闘』なんだもんな。これは」
「そうだ、『決闘』だ」
彼との会話を通して一つ、チェリードは気づいた。
(もしかして、何かズルしようとしてるんじゃないか?)
チェリードが「君がそんなことを言うとは思ってもみなかった」と言うと、マルーサは「だろ?」と返していた。つまり、このルールを付けるというのはマルーサ本人が考えたわけじゃないと彼は推察した。
更に、チェリードはあるものを見ていた。
午後の戦闘訓練が終わり、皆が家に帰り出している時、マルーサ達が先生と何やら話していたのを彼は見た。先生は彼らに対して何か指示を出しているかのようにも見えた。
(もしかして、裏で先生が指示してる!?)
という考えがよぎったが、あんなに明るくて元気な先生がこんなお遊びに付き合うとは到底思えなかった。
「それに、今日は決闘は特別だ、なんてったってたくさんの観客がいるんだからな! みんな!盛り上がっていこうぜ!」
ウワアアアアアアアア!!!
マルーサの呼びかけに、ギャラリーの生徒は皆楽しそうに声をあげていた。
(勝負が始まる前から流れを取る作戦か……)
チェリードは少し悔しそうな顔をしながら舌打ちをした。マルーサが人気者だというのは前々から知ってはいたものの、まさかここまで人を集めるとは思ってもみなかったようだ。
「じゃあ説明するぞ」
そして、この決闘のルールの説明が始まった。
「まず勝利条件は、相手を気絶、それか戦闘不能にすることだ。殴ったり蹴ったり、魔法も使ったり、このフィールド内だったら、なんでもありってことだ。あと、これは俺とお前のタイマンだ。ギャラリーは手出ししねえよ」
要するに、これは二人の一騎討ちで、フィールド内でなら、相手を戦闘不能にできれば何をしても良いということだ。
チェリードはまともそうに見えるルールの設定を聞いて感心しつつも、どこかに粗が無いかと先程言っていた言葉を思い出していた。
「あと、今回は『告白』はなしだ」
マルーサが突然よくわからない単語を出してきた。
「ん? 『かみんぐあうと』ってなに?」
チェリードが質問すると、マルーサは呆れながら、
「あぁ? お前知らないのか。固有能力を相手にバラすことだよ」
と説明してくれた。
「ん? てことは…………俺不利じゃん!!」
「なんだ? ルールが気に入らないなら、この決闘は俺の勝ちでいいんだぞ」
「くっ!」
しまった! と彼は思わず口から出そうになってしまった。マルーサがなぜルールを提示したのか、それが今わかった。
「ちくしょう…………わかった」
勝負が始まる前からここまで不利になると思っていなかった彼は、心の内ではまずいと思っていた。が、彼はそれをしぶしぶ了承することしかできなかった。
「よぉし……!!」
マルーサが指を鳴らしながら準備運動をしている。決闘が始まる時はもうすぐそこまで来ていた。
チェリードは焦る気持ちを抑えるために深呼吸をした。ゆっくり息を吸って、吐いて、吸って、吐いて。
「――――よしっ!」
チェリードは覚悟を決めた。いや、既に決まっていたが、もう一度、覚悟を決めた。
俺はこいつには負けない。
マルーサが戦闘体勢をとったのを見て、チェリードも身構えた。周辺にも警戒しつつ、一番見るべきは、目の前の敵だ。
「じゃあ、始めるとするか!!」
橙色に染まり行く空の下、たった今、戦いの火蓋は切られた。