第35話「対峙、亜怪」
「…………リド! リド!」
「!!」
リーナに体を揺すられてやっと起きたチェリードがいたのは、師匠の家のソファの上だった。
「! ……チェリード君、大丈夫?」
「チェリード、大丈夫かい?」
彼女と一緒に見守っていたらしかったメロとデセリンは、心配そうな目で彼を看病していた。チェリードはそんな二人に優しく感謝を述べた。
「ああ、全然大丈夫。ありがとな」
(……よかった。先生、ちゃんと運んでくれたんだ)
先生が自分のお願いを聞き入れてくれたことに彼はホッとした。いくら猟奇的な面があろうと、先生はしっかり先生をしていたようだ。
しかし、そこに先生の姿はない。
「あれ? そういや先生は?」
部屋中を見渡しながらリーナに尋ねると、彼女は気まずそうな顔をしながら、彼の右側、ソファの真正面に見える部屋を指差した。
彼はベッドの上で座ったまま、たまたま半開きだったドアの隙間から覗いてみると、ばつが悪そうに正座をしている先生と、仁王立ちで先生を見下す師匠がいた。
「「………………」」
チェリードが目にした二人の沈黙は、既に十分以上も経過していた。両者ともに口を開かず、ただ黙ってお互いの眼を凝視している。
「(なあ、あの二人どうしたんだ?)」
二人に聞こえないように小さい声でリーナに聞くと、リーナはこう答えた。
「あの二人、前に冒険者やってた時に知り合ったんだって」
彼女が言うに、師匠が冒険者をやっていた時に、少しの間だったが先生と共に旅をしていたことがあったそうだ。
最初の方こそ、互いに普段の生活から戦闘まで気が合うようで意気投合していたようだが、共に旅をしていく中で先生の趣味や猟奇的かつ暴力的な一面が見え隠れしたことも相まって、師匠が先生に説教したり喧嘩が多発したことによってある時を境に一緒に冒険をすることが無くなったそうだ。
その後、冒険者を辞め教師を始めた先生と子供達を特訓するための寮を建てた二人はそれぞれの生活を送っていたが、たった今、その二人の邂逅を彼らは目撃してしまった。
「――――ハァ。おい、ライナーズ・クルッテ」
しばらくの沈黙が続いた後、ついに師匠は口を開いた。師匠は先生の態度に大きな溜め息をついていた。
「…………何よ」
「アンタ、教師やり始めてから何人殺した?」
先生が静かに怒りを燃やしているのが部屋の隙間から伝わってきた。その冷静でありながらも怒気を含んだ声に、チェリード達の鳥肌が立ってしまうほどだった。
「…………(五人)」
「あ? 聞こえないねえ」
「……だから五人って言ってるで――――!」
先生が言い終わる前に、師匠は怒りに身を任せ全力で先生の顔をひっぱたいた。その皮の厚い手のひらから繰り出されるビンタによって先生は真横に体を持っていかれた。
「いったあい!! ちょっと! 何すんのよ!」
唐突に叩かれたことに理不尽を感じていた先生は反抗的な態度を見せるが、それでもなお師匠は動じずに軽蔑の眼差しを先生に向けている。
「あんだけ忠告しといて、よくあんな残虐行為を繰り返せるもんだ!」
「はぁ~!? あんたには関係ないでしょうが!」
「何? じゃあチェリードを殺ったのは嘘だと言うのかい!?」
「はぁッ……!!」
激昂する二人の言い合いは更に激しくなっていく。
「でもたかが他人じゃない! 私は私のやりたいようにやってるだけ! それにチェリードは生き返ったじゃない!」
「そこは大事じゃないと何度言ったらわかるんだ! アタシはアンタが殺しを行っていることをやめろって言いたいんだ!」
「は!? そんなの無理に決まってるじゃない!」
弟子たちの存在を忘れ、師匠は先生との喧嘩に夢中だった。
師匠があれほど感情的になっていること、そして、普段明るく元気な先生が暴力的かつ冷酷な様子を見せつけていることに、チェリード含めた弟子四人が開いた口が塞がらないほどに驚愕していた。
「ねえ、あれ先生だよね?」
少し声を震わせながらリーナは聞いた。チェリードはただ、黙って頷いた。
「嘘…………あ、あの先生が……?」
「これはまたなんというか……」
今まで晒されることのなかった先生の本性を知ってしまったメロとデセリンは失望した。
「てか、ライナー先生噂の殺人魔だったのか……信じられない……」
デセリンが独り言の中で呟いた「殺人魔」の単語が気になったチェリードは彼にその言葉について聞いた。
「『殺人魔』ってなんだ?」
「学校の噂だよ。数年前からあるらしいんだけど、誰もその正体について知らなかった」
「ふーん……」
彼は、学校にそのような噂があったことにそうだが、まさか噂の正体を噂を知るより先に知っていたことに驚いた。
それと同時に、数年前から先生の殺人行為が続いていることを考えると、ただただ悲しくて仕方がなかった。
「はぁ……よし」
だんだん二人の因縁の争いを見てられなくなったチェリードは、二人が争っていた部屋の中へと入ろうとした。
そこに行くのは危ない! と感じた三人が止めに入ろうと手で遮ろうとするが、危険を冒してでも止めないと収拾がつかなくなるのを察した彼は手を退けた。
「二人ともやめてくださいよ!」
チェリードが部屋に入り声を荒げると、先生と師匠は部外者を見るような目で睨み付けた。
「「うるさいよ!」」
二人がそう言うと、なんとチェリードの腹に鋭いパンチを食らわせてしまったのだ。さらに同時、息のあった絶妙なタイミングだった。
「グハァッッ!!」
あまりに攻撃力のある一撃は彼を一直線に後ろに追いやった。先程まで彼のベッドだったソファは、途端に彼のクッションとなり体を受け止めた。
これを見た三人はさすがに危機感を覚え、全員で二人の喧嘩を止めにかかった。そして十分後、やっと二人の因縁はひとまずの終わりを迎えたのだった…………
――――――――――――――――――――――――
その後、師匠と先生が落ち着きを取り戻したので、チェリードが二人にこうなった事情を改めて説明した。
今起きている現象が「亜怪」という生物によるものだということ、それを知るために彼が死ぬ必要があったこと、彼が死ぬために先生の協力が必要だったこと…………
全てを説明し終わると、師匠は納得したような表情を見せていた。
「そういうことだったのかい。大体わかったよ」
「ホントですか!? いやぁ~良かったぁ~、誤解が解けて」
「まあこいつを許さないのには変わりないがね」
そう言って先生を指差すと、先生は負けじと睨み返した。
「ふん!私も許してないわよ」
「あぁそうかい」
一方、チェリードの説明を端で聞いていた三人は、彼の説明より先生の方が気になっていたようだ。
「先生……?」
リーナが恐る恐る先生の名前を言うと、未だに不機嫌な様子の先生は彼女を反射で睨んでしまった。それに怯える様子を見た先生は、やっと自分がやっていることを理解したようで、急いで笑顔を取り繕うとした。
しかし、もう遅い。遅すぎるのである。
「先生……今までの明るくて元気な先生は演技だったんですね……?」
デセリンがそう聞くと、先生は開き直った様子でこう言った。
「だ、だってしょうがないじゃない。私の本性隠すには……あれが一番簡単だったのよ!」
それを聞いたデセリンは悲しそうに「そうですか……」と言って俯いてしまった。
「てかこんなこと話してる場合じゃないよ、お前たち」
話が脱線したのを気にかけた師匠は仕切り直すように手を叩いた。
「とりあえずその『亜怪』を倒さないことにはアタシらは一生この日に囚われたままだ。チェリード、どうやって倒すんだい?」
チェリードは師匠に質問されると、神様に貰った十字架の形をした金色のお守りを皆に見せつけた。
「日付が変わる時、亜怪に向かってこれを見せつけると退治できるらしいんです」
その金色の美しさにその場の全員が釘付けになった。
「綺麗~!」
「キラキラしてる……」
「真ん中の宝石はエメラルドか?」
お守りを見せつけながらチェリードは更に説明を続けた。
「もしこれでも倒せなかったら、先生、師匠、その時は頼みます」
(あの神様、どこか信用できないとこあるしな)
「わかったよ」
「しょうがないわね」
そうして、チェリード達を苦しませてきた亜怪を倒すため様々な準備をした後、先生も泊まり込みで亜怪が出るのを待った。
今日の夜空は、まるで彼らを応援するかのように一面の星空がきらびやかに輝いていた。
チェリードは部屋の窓から星々を眺めている頃には、日付が変わる十分前程になっていた。
本当であればリーナやデセリンも応戦するはずだったが、「これは俺たちの問題だから」という彼の言葉を聞いた彼女らは、不満そうな顔を浮かべながらも励ましを言葉を送り、明日に向け今は眠っている。
なお、その「俺たち」の中に入っている先生は爆睡していた。
「全く、あの女と来たら……」
扉の前で座っている師匠が腹立たしそうに呟くと、チェリードは「まあまあ」といった具合で慰めた。
「先生って結構忙しいらしいし、まあ俺たちでどうにかなりますよ」
「だといいがね」
そんなやり取りを続ける内に、とうとう日付の変わる一分前となった。
案外彼に恐怖心は無いようで、余裕そうな顔を浮かべながらイメージトレーニングを脳内でしていた。
「チェリード、くれぐれも死なんようにな」
とうとう鼻歌まで歌い出した彼に、師匠は真剣な口調で彼に言った。その真剣さは扉越しでも伝わるほどだった。
「はいはいわかってますよ」
しかし、彼は気にもとめていないようだ。
チク、チク、チク、ゴーン
一階に設置された時計の鐘の音と共に、ついに日付が変わった。
そして、同時に元凶の亜怪が部屋の隅に現れた。
「いたッ! 食らえええ!!」
チェリードは手に持っていたお守りを咄嗟に見せつけた。