第34話「亜怪」
「は? 私が、あんたを?」
先生が驚いた様子で聞き返してきたので、チェリードははっきりと、繰り返し言った。
「はい。先生が俺を殺してください」
この言葉を聞いた先生はポカーンと大きく口を開けていた。まさか前に殺した相手から「自分を殺して」なんて言われるとは思わないだろう。
「え? どういうこと?」
先生は彼の言葉が理解できずに混乱している。
「事情があるんです」
それに対してチェリードは言葉を濁すことしかできない。
「事情? 事情ってなによ」
「それは…………言えません」
「言えないってなによ、てか大体『殺して』何になるのよ!」
確かに先生からしてみれば何がなんだかわからないかもしれない。だが、彼にとって、チェリードにとってはとても重要なことなのだ。
彼が死亡すると、天国であの神様が待っている。
そして、神様に知りたいことを伝えればそれを教えてくれる。
どうしようもできなかった状況下で、彼が探し出した、解決のための方法がこれだった。多少無理矢理、強引な方法だということをわかっていながら、彼は昨日先生に頼もうとしていたのだ。
しかし、
(こんなこと言って、信じてくれるのか?)
仮にこれを伝えたところで、信じてもらえるのかわからなかった。
「自分を殺せば神様に会える」? 「神様に会えば解決策がわかる」? そんな戯れ言を誰が信じるのだろうか。
「ねえ、答えて! 私だって何の理由なしに頃宅はないわよ!」
先生が理由を迫ってくる。彼はこれに答えようか答えまいか悩んだ。
今まで校庭に残っていた生徒たちもだんだん帰り始めていた。何人かの生徒はすれ違う時に先生に「さよなら!」と笑顔で手を振っていた。
そして二人以外が校庭からいなくなった。そよ風が鮮明に耳の中に入り込んでくる。
そして、数分悩んだ末、彼は…………
「はぁ……わかりました」
仕方がないと思い答えることにした。
彼自身、先生がどこまで知っているのかなんてまるでわからなかった。遡ること森林実習の日、生き返った彼の姿を見て、先生は物凄く驚いていたのを彼は思い出した。
(どうせ信じてもらえないけど……でも、言うしかない)
不安が心に残ったまま、ついに満を持して彼は理由を先生に伝えた。
「俺を殺してほしいのは、俺が死ぬと天国で神様が待ってて、神様がいろいろ教えてくれ……るから…………」
チェリードは最後まで言い切るが、途中から先生が微動だにしないことに気づいた。
耳を澄ましてもただ無が流れるだけで、先生の声も服の擦れる音さえ聞こえない。そして何より、自分自身も体を動かすことができない。
――――本能が「時が止まった」ことを知らせてくれたようだ。激しい悪寒が背筋を冷たく辿っていく。
そして考える暇も与えず、後ろから気配を感じ取った。
『アナタハ、アナタガ知ッテイルアノ神ヲ、他者ニ話シテハナラナイ』
「!」
天使のような優しい声と悪魔のような低い声が同時に、彼の耳元で無機質に囁いた。
後ろに何かいる。
チェリードは後ろの存在を感知していた。しかし、体の一切を動かせない以上、視線だけでは存在の姿を確認することができない。
チェリードは、ただ得体の知れない恐怖に身を委ねることしかできなかった。
そして、謎の声はさらに続ける。
『アナタハ、アナタガ死後行ク場所モ、他者ニ話シテハナラナイ』
そして、淡々と話していた謎の存在は、言葉を言い終えると気づいたらどこかへと姿を消していた。
「あ…………」
あまりに突然の出来事に頭が追い付かないチェリードは、時が動き出した後も頭から足先まで硬直したままだった。
(なんだ今の……!? 明らかヤバイのが後ろに…………!)
「ねえちょっと? 早く続き言ってよ!」
「あっはい! え、えっと」
焦らされてイライラが溜まっている先生が急かしてきた。が、本当のことが言えなくなってしまったチェリードは、別の理由を探さなくてはいけなくなってしまった。
少し考えてから、彼は
「えっと……あっ、俺の能力で『死ぬと解決策がわかる』? みたいなのがあるんですよ!」
咄嗟に思い付いた嘘でここを乗り切ろうと考えた。
「……ふーん、そういうことね。わかったわ」
意外なことに、先生は少し怪しそうにこちらを見ただけで、特に疑うこともせずに彼の理由を受け入れてくれた。
「ホ、ホントですか!?」
「ええ、さっさとやりましょ」
先生はそう言うと彼の手をそっと掴んで校内へと連れていった。そして薄暗い校内にこっそり入り、いつも二人が話しているあの教室に入った。
「あ、そうだ。先生、言い忘れていたことが」
チェリードが教室に入った後に、伝え忘れたことがあったのを思い出した彼は先生に声をかけた。
「先生って俺の住んでる場所ってわかりますよね?」
「確かあれよね? ジェイル君とかリーナちゃんと一緒に暮らしてるんだったかしら?」
「そうです。俺が死んだ後、そこに復活魔法が使える子がいるのでそこまで行って俺を復活させてください。絶対ですよ?」
チェリードが念を押すと、先生は不服そうな顔で頷いた。
そして、ついに実行の時が来た。
と行きたいところだが、その前に先生からも質問があるようだ。
「じゃあ私も質問していい?」
「はい? まあいいですけど」
すると先生は少し俯いて、声のトーンを低くして彼に質問した。
「…………別に、殺せればなんでもいいのよね? その過程がどうであろうと」
「え、まあ…………え?」
――――ああ、どうして今まで全く気にしていなかったのだろうか。
嫌な予感がした時にはもう、遅かった。
「じゃあ…………じゃんじゃんいたぶってもいいわけねぇぇぇぇ!?」
――――彼女、ライナーズ・クルッテはまごう事なき殺人鬼である。
「あ……あああああ!!! ちょま」
その後、散々に切りつけられ、何回も刺され、
血飛沫が舞い上がるのを嬉々としている先生を見ながら、無事に死ぬことができたチェリードであった…………
――――――――――――――――――――――――
「お、それは『亜怪』の仕業かもしれないの~」
今回で天国に行くのが四回目になるチェリード。いつも通りちゃぶ台の前で胡座をかいている神様に軽く挨拶をし、最近起きたことを話題に雑談をほんの少しした後、本題に入ったのだが……
普段とは違い真剣に話を聞いていた神様は、彼が話し終わるのを待ってから、普段使っている万能本棚から取り出さず、服の内側に潜ませていた本を取り出した。
本の表紙は妖しい紫色が怪しい雰囲気を醸し出しており、よっぽど使い込まれているのか本の端はボロボロに破れていた。
「同じ日を繰り返す、だんだん体に異変が起きる、複数人がこの現象に遭う……うん、間違いないな!」
本のページを眺めながらうん、うん、と頷く神様は、さっきとは打って変わってニヤニヤと口角を上げながらチェリードの方を向いて言った。
「君が今大変な目に遭っている原因は亜怪というバケモンに絡まれていることじゃ」
「あかい……?」
「まあ簡単に言うなら妖怪じゃな」
さっきまで読んでいた古びた本を胸に仕舞いながら神様はこう説明してくれた。
「元は別の世界の化け物だったんじゃが、それがひょんなことからこっちの異世界に来てしもうてな。確か元いた世界だと『亞種界怪之害』と言うらしいが……って、これは関係ない話じゃったな」
「えぇ…………まじかよ」
かつては謎に包まれた存在に恐怖してばかりだったが、この時ばかりは沸き上がる憤怒がそれを軽々と追い越していた。
怒りでわなわなと震える彼は今すぐにでも誰かを殴りにかかりそうな表情をしていた。
それもそのはず、彼は動けなくなるほど倦怠感に襲われ、とある先生からは「気持ち悪い」と言われ、担任に惨殺され…………このような状況で仏のような心で許せる人がこの世にいるだろうか。
ところが、神様はそんな彼を宥めることも落ち着かせようともしなかった。それどころか突然立ち上がり、両手で手のひらの中に空洞を作り出した。
チェリードがそれに気づいて、座布団の上で立ち上がって覗き込もうとすると、空洞の中から突然きらびやかな光が漏れだした。
数秒後、神様の手の中を見てみると、そこには翡翠色の宝石が入った金色の十字架があった。
「はいこれ」
と言って渡してきた十字架は、その小さい見た目以上の重量だった。
「うわ思ったより重!」
禍々しい装飾の入った十字架の重さに驚いていると、神様はそれを見て微笑んでいた。
「これは亜怪に対抗するためのお守りじゃ。真ん中に埋め込まれた宝石が君を守ってくれるじゃろう」
チェリードはその金色のお守りをまじまじと見つめながら、お守り全体の形を触って確かめていた。
(滅茶苦茶綺麗だな……)
「これってもらっていいの?」
お守りを見つめながら神様に尋ねると、神様は苦笑いしながらこう答えた。
「いいんじゃよ。それ使い捨てのお守りじゃから」
「え!? こんな綺麗なのに!? 勿体ねえ」
チェリードが思った通りのことを口に出すと、神様も「ワシもそう思う」と共感していた。
「さて、チェリード」
チェリードがお守りを見るのが飽きた頃合いを見計らって神様が座った。
「あっちに戻る前に、あいつに一発カマす方法を教えよう」
「お、待ってました~」
チェリードはパチパチと小さく拍手をした。
「まず、あっちで目覚めたら夜の十二時、日付の変わる時まで待て」
「いやいきなり待つのかよ」
チェリードは思わずコケそうになるが、神様はそれを無視して話を続けた。
「そして日付が変わる寸前、例のバケモンが現れるからそいつにそのお守りを向けるんじゃ」
「…………え、それだけ?」
意外にも解決法があっさりしていることに驚いたが、神様はこの方法で同じ日を繰り返す現象は止まると説明してくれた。
「まあ予想外のことは起きるかもしれんが、まあ頑張るんじゃぞ! チェリード!」
異世界へと繋がる扉の前に立ったチェリードに向けて、神様はエールを送った。
「ありがと、神様! 俺頑張ってみるよ!」
神様にお礼を伝え、準備もできた彼は、扉を開き、後ろに手を振りながらゆっくり前へ進んだ。




