第33話「現象の解明 Ⅲ 」
気が付いた時には、また「一昨々日」が始まっていた。
「ハッ!」
チェリードは飛び上がって部屋中をくまなく見回した。
椅子が戻っている。倉庫から持ち出した縄ももうそこには無い。当たり前だが、昨日自殺のために使った道具は全て元の場所に戻っていた。
(やっぱ……ダメか)
薄々気づいてはいたが、どんな行動を起こしたところで、結局現象が止まることはないことが改めてわかった彼は、解決の手段が限られてしまった事実に頭を悩ませていた。
もうこうなってしまったらあの人に頼るしかない…………そう思っていた彼だったが、ベッドから降りようとした時、胸に激痛が走った。
「…………!!」
心臓を鷲掴みにされたような感覚が心臓を痛め付ける。言葉にならない痛みに悶えながらチェリードは床に倒れ込んだ。
「がっ……! く、苦しいぃいぃ!!」
痛むのは心臓だけではなかった。体に酸素を取り込む肺でさえも現象の病に侵されてしまっていた。まるで、現象を引き起こしている者が「次はない」と忠告しているかのように。
だんだん呼吸が危うくなっていくことに恐怖を感じながらも、彼は助けを呼ぼうと部屋の扉を開けようと床を這いずりながら扉の方へ向かっていった。
しかし、届かない。
あと一歩、あと一歩のところでチェリードは力尽きてしまった。だんだん体から力が逃げていく。だんだん息も浅くなっていく。だんだん、痛みは増していく。
ついに意識が途絶えようとしたその時、彼の脳に一つの記憶が蘇ってきた。
カーテンの隙間から光が差し込む薄暗い部屋、足元に木製の椅子、そして天井の鉄の欠片に引っ掛かった縄…………
(これは確か昨日の記憶…………)
思い出したのは、昨日の夜の出来事だった。もう既に覚えているのだから、わざわざ思い出すのはおかしい……はず。
(――――いや、待て。俺はあの後何をした?)
今まで疑問に思わなかったが、チェリードは自殺しかけたその後の事を忘れていた。自分がどうやってベッドに行ったのか、記憶の欠片すらも残っていない。
そして彼は気づいた。光が当たらない部屋の隅、そこに黒い
何 か が い る。
「………………!!?」
得体の知れない物に対する恐怖でただ唖然とするしかなかった。この世のものとは思えない黒いそれは遠くを見つめながら棒立ちしていた。
痛みを忘れるほどに、記憶の中のそれに釘付けになっていた。
(何だ……あれ……)
あの黒い存在が何なのか、彼は気になって気になって仕方がなかった。だが、それを知る術はもうあれしか残っていない。
彼がふと我に返ると、胸の痛みはほんのり和らいでいた。心臓も肺も正常に脈打っている。
どうやら、今日の分は終わったらしい。
いつの間にか汗にまみれた体を布で拭き取り、何事も無かったかのように部屋を出ると、今にも走り込みをしようとするリーナと目が合った。
「あ、リド! 一緒に行こ!」
「ああ」
彼は駆け足で階段を下り、いつも通り二人で走り込みに行った。
――――――――――――――――――――――――
あの黒い存在が何なのか……そんなことを考えてるうちに、刻々と時間は進んでいく。
「もうこんな時間か」
もうそろそろ先生が教室に来る時間帯になっていた。自分の集中力に少し驚きながら、先生が来る時を待ちわびた。
そして、先生が教室の扉を開けたと同時に、クラス中がざわついた。
「おはよーござー…………」
教室に入るなりフラフラになりながら気を失ってバタンと倒れてしまった。
「先生!?」
「どうしよ!? 先生倒れちゃった!」
「他の先生呼ばないと!」
普段元気な先生が倒れたのだから、クラス中の皆が慌てふためいていた。先生の体を揺すって声をかける者、別の教室にいる先生に助けを求める者、余りに突然すぎて泣き出す者…………教室はパニックで騒がしくなっていた。
「あいつ何があったんだろーな」
先生を様子を遠くから見ていたチェリードに、突然マルーサが話しかけてきた。話すのは森林実習以来だろうか。彼の後ろには勿論あの二人もいた。
「あー……疲れがたまってたんじゃないか?」
「そうか? ま、あいつがどうなろうと知ったこっちゃねえがな! ガハハ!」
先生を嫌っているマルーサは、先生の情けない倒れ姿を見て爆笑している。チェリードもそれに釣られて薄ら笑いを浮かべる。
「ホントに大丈夫なのかな……」
「あぁ? スパラあいつのこと心配してんのかよ」
「だ、だって顔色おかしいじゃん、あれ……!」
心配そうに見ていたスパラが指を差した先には、紫がかった顔色になった先生が苦しそうな表情をしていた。
「うわっ! きもちわりーなおい」
ラハークは蔑みと憐れみの混じった眼で先生を見ていた。本当に気持ち悪い色をしていた。
しかし、チェリードにはそういう気持ちは沸かなかった。
(そうか、やっぱ先生は強がってただけなんだ)
きっと自分達と同じように苦しんでいるのだと考えると、彼は先生を馬鹿にすることができなかった。
その後、幸い他の先生の助けもあってライナー先生は復活し、「一昨々日」と何も変わらない学校生活を過ごしたチェリードであった。
~放課後~
特に何も起こらないまま、午後の練習も終わってしまった。このまま本当に何も起こらないままなのかと考えていた彼の元に、ライナー先生がぎこちない顔で近づいてきた。
「あー……チェリード君?」
「ん? なんですか?」
チェリードが問うと、先生はばつが悪そうな顔で、こんなことを言い出した。
「やっぱり……一緒に協力しない?」
彼は心底驚いた。まさか先生の方から協力をお願いするとは夢にも思わなかった。
「私もあんな風になっちゃったから……ね? いいでしょ?」
先生の協力的な様子を見るに、嘘をついているわけではないようだ。
これでやりたかったことができると確信したチェリードは心の中でガッツポーズをした。
とここで、彼に一つ悪戯心が芽生えてしまった。
「え、嫌に決まってますよ~」
真顔でノーと答えるチェリード。それを聞いて先生は不満気な顔をした。
「はぁ!? なんで!? 協力しようって言ってるのに!」
「だって、『自分で解決しなさい』って言ったのはそっちじゃないですか~」
―――――相手の言ったことをそのまま返すというのはかなり気分の良いものである。
「ッ! でも今はそういうわけにもいかないでしょ! あんただって苦しんでることだし!」
またしても彼にからかわれた先生は顔を感情が高ぶっているのか顔を赤くしている。
「でもな~、俺『先生がどうなっても知らない』って言いましたよね? まさかそのことを忘れたわけじゃ…………」
「でも考えが変わったの! ねえお願い! もうあんな目には遭いたくないの!」
よっぽど症状がひどかったのだろうか、先生は藁にも縋る思いで彼に懇願した。
「うわっ……」
昨日までの態度の変わり具合に彼は思わず引いてしまったが、何があったのか知りたかった彼は一応聞くことにした。
「……はぁ、何があったんですか?」
「それが…………」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
真夜中、学校での仕事が終わったライナー先生は、違和感に気づきながらも自分の家へと向かった。
(はぁ……何なの? 同じ日を繰り返すこの状態は…………気味が悪いわ…………)
先生自身もこの現象に気づいていたものの、ただ気味悪がるだけで、この状況を重く見ていなかったようだ。
しかし帰り道、自分の家が見えてきたところで、突然先生の目の前が霞み始め、全身に電流が流れたような感覚があった後、体が動かなくなってしまい後方に倒れてしまった。
『か、体が……動かない……!?』
まるでセメントのように固まってしまった体を力いっぱい動かそうとしても無駄だった。
今日は月が雲に隠れて辺り一帯が暗闇に包まれている。こんな所で倒れていたら魔物に襲われると感じた先生は必死に手足を動かそうとするが、体は一向に動く気配がない。
『くっ……! このままじゃまずいわ……!』
とそこに、一つの気配が近づいてきた。
頭の上の方から足音が聞こえてくるので目をそちらに向けると、
『グヒャヒャヒャヒャ!!』
ゴブリンの魔物が高笑いをしながらのそのそとやって来たのだ。
『キャアアアアア!!』
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「――――で、その後成す術なくやられて、もうめちゃくちゃだったのよ……」
「うわぁ……」
さっきまでからかっていたチェリードだったが、魔物に襲われる恐怖を知っている彼は同情せざるを得なかった。
「たまたま通りかかった医学のケン先生が助けてくれたから良かったけど、あの後を想像しただけで……あぁ考えたくない」
(ケン先生ってあの暑苦しい人か……)
「そうだったんですか……なんか、御愁傷様です」
すっかり気が変わってしまった彼は、自然と先生に慰めの言葉をかけていた。
「ね!? わかったでしょ!? だからお願い! 協力させて!」
先生はもう一度彼に懇願した。
彼の回答は……
「わかりましたよ。一緒にやりましょう」
先生の態度が気に入らないながらも、断るわけにもいかないので先生の願いを承諾した。
「!! よかった~……」
先生は今までに無い安堵を感じていた。一体ゴブリンに何をされたのだろうか……
「で、何をすればいいわけ?」
先生が軽い調子で聞くと、彼は少し間を置いてから言った。
「俺を、殺してください」