第15話「森林実習 Ⅲ 」
一瞬の油断が、スパラの死を招いてしまった。
彼らは、その絶望を突きつけられ恐怖した。
「おい! スパラ! スパラッ!!」
マルーサが声をかけたときには既にスパラの瞳の光は消えていた。もう、息もしていない。
スパラの言っていた通り、ギガリスの体臭は大型の魔獣を誘い寄せてしまった。それにもし気づいていたら、犠牲はなかったというのに。
彼らは自分の無知を後悔した。
(クソ! スパラが言ってたことは本当だったのか……!)
スパラを殺した当の魔獣は、まるで三人を挑発するかのように爪研ぎを見せつけている。
「おい! あの魔獣はなんだ!?」
魔獣の名前を知らないチェリードはまたマルーサに尋ねた。が、マルーサはそれに対して呆れるも馬鹿にするもせず、ただ目の前の魔獣を見て恐れるだけであった。
「知らねえ…………」
「は? 授業でやんなかったのか――――」
「知るわけねえだろッッ! あんなバカデカイの!!」
マルーサの反応を見る限り、目の前の魔獣がただの魔獣でないことはすぐに分かった。
しかし、あの熊のような見た目の魔獣の存在が知られていないのかチェリードは疑問だった。
「…………もしかしてこいつ、『森の番人』じゃねえか?」
すると、ラハークが震えた指で魔獣を差しながらポツリと呟いた。
「『森の番人』? なんだそれ?」
チェリードが聞き返すと、ラハークはこう説明してくれた。
「昔……絵本で見たことがある。この森の奥には『森の番人』がいるから気を付けろ、みたいな…………まさかとは思っていたがな」
説明を聞いたマルーサが何か思い出したような顔で魔獣を見た。
「じゃあ、その『森の番人』って……!」
「あぁ、多分その『森の番人』ってのが…………」
『ウガアアァ!!』
「あいつのことなんだろうなぁ…………!!」
そして、痺れを切らした森の番人は爪研ぎを止め、弾丸のような速さで三人向かって突進してきた。
「うわっはっや――――はぁ!?」
彼らは魔獣に近づかれて初めて気づいた。
大きい。想像より遥かに大きい。
森の番人は予想より大きかった。見た目が熊みたいだからと体長を一メートルほどと勝手に決めつけていたが、実際は違う。三メートル程の巨体があの速さで来るのだ。
魔獣の大きさに一瞬体が固まり動きが鈍ったチェリードに、森の番人の鉄拳が降りかかる。
『ヴヴゥ!』
「やべえ!」
攻撃にいち早く気付いたチェリードは、急いで「防御壁」を展開し二人を攻撃を守った。
「チェリード! 大丈夫か!!」
マルーサは反撃のために両手に火炎弾を生み出し、力を溜めていた。が、しかし、彼らを守っていた「防御壁」に徐々にヒビが入り始めて、やがて硝子のようにバラバラと崩れ去ってしまう。
「まじかよ……!」
森の番人の脅威は速さだけではなかった。むしろあの巨体で非力なわけがなかったと言うべきだろうか。
異常に発達した腕と脚からは、金属をも粉々に砕いてしまうほどの力が溢れている。
『ウガァ!』
「うわっ! こいつ……!!」
森の番人はなんと、パンチを派生させそのままチェリードの胴体を棒を掴むように軽々と握りしめてしまった。
チェリードは必死に抜け出そうと手足で魔獣を叩くが、びくともしない。それどころか、叩かれたことに怒ってさらに強く彼を握りしめた。
「クッソオオ……!」
しかし、それでもチェリードは暴れるのを止めなかったためか、
『ウガアアァッ!!』
森の番人は怒りに身を任せ、森の奥地に狙いを定め、彼の体をボールのように投げてしまった。
「グワアアァァァァァ!!」
「チェリードォォォ………!!」
だんだんと遠ざかっていくマルーサの声を最後に、チェリードの意識もまた遠ざかっていった……
――――――――――――――――――――――――
投げられてから少しの間気絶していたチェリードは、打ち付けられた衝撃に痛め付けながらやっと起き上がった。
「う……ここは…………?」
場所を把握するために辺りを見回したが、どこを見ても木、木、木。東西南北なんてわかるばすもく、しばらく散策しているとどこかで戦っている音が聞こえてきた。
マルーサとラハークが戦っているに違いない。
「こっちか……急がなきゃ!」
おそらく太陽の位置から見て北西の辺りだろうか。チェリードは音の方向に向かって走り始めようとした。
しかし、ある一つの疑念が彼の足を止めた。
(俺が今、仮に行ったところでちゃんと役に立つのか?)
そう思ってしまった瞬間、彼は一歩前に踏み出すことを諦めてしまった。
(さっきの攻撃、全然防げなかったのに。俺はまたあそこに行ったら役に立つのか?)
彼の言う通り、さっきの魔獣の攻撃を防ぎきることができなかった。付け加えるなら、いとも容易く「防御壁」は破られてしまった。
あの時、彼の作り出した障壁は、唯一の取り柄であった防御力と共に砕け散ってしまった。
(いやいや! そんなこと考えてる場合じゃない! 早く二人のところへ戻らないと!)
しかし、とやかく言っている場合ではない。事態は一刻を争っているのだ。今行かなければ、彼らはいずれ、スパラと同じように死んでしまう。
そうは思っていても、自分の無力さがどうしても頭から離れなかった。
「クソ、ダメだ…………早く行かなきゃ……! 早く行かなきゃあいつらが!」
思いは強まれど、足は動かない。こんな葛藤をしているうちにも、二人は戦っている。
「いや、なんで動かないんだよ! おい!」
自分の足を何度も叩いて動かそうとするが、セメントで固められたように足は一向に動こうとしない。
「ハッ!」
しかし、彼の中にあったとある感情が足を固めていたことに気づいた。それは至って当たり前で、誰しもが抱く感情…………
「そうか……俺、怖かったんだ」
恐怖である。
彼は怖かったのだ。ただ恐怖で体が動かないだけだった。それに気付いた瞬間、彼の目には涙が浮かび上がってきた。
(俺は怖かったんだ。何もできない俺が、何の力にもなれない俺が……怖かったんだ……)
彼の気持ちも知らず、太陽は何一つ変わらずゆっくりと天を仰いで行く。木々とただ風に任せ揺れているだけで、恐怖なんて感情を知ることはないだろう。
チェリードは膝から崩れ落ち、地に手を付け、泣いた。
自分の非力に、自分の弱さに改めて気づき、項垂れるように首を縦に落とした。涙もだんだん止まらなくなってきた。
無力さだけが、心に刺さるばかりだった。
(俺に力があれば……こんなことでくじけることなんて無かったのに……!!)
チェリードは呪った。自分の弱さを、自分の情けなさを。
(守るだけじゃダメなんだ……守るだけじゃダメなんだ…………二人を助けるには『力』が必要なのに…………)
魔法は使えない。武器も使えない。唯一使える能力は、ただ「守る」だけ。
呪われた彼が、力を求めるは必然であった。
「クソ…………」
自分の境遇を考えると、それはだんだん怒りへと変わっていく……
「クッソオオオオオオ!!!!」
怒りに任せ地面に殴った、その時だった。
「!?」
鼓膜が破れそうな程の強い爆音と共に、地面に衝撃波が発生した。
翡翠色の瞳が熱く燃えているのを感じながら、涙に埋もれた眼を開けると、彼が殴った地面から衝撃が伝わっているのが確認できた。
「これって…………」
(俺が……俺がやったのか……?)
確かに、殴ったその一瞬、間違いなくその拳の衝撃が伝わっていた。
「どういうことだ…………?」
しかし、わからなかった。なぜ自分にあんな力が秘められていたのか、彼は理解できなかった。彼は別に怪力でも、特別な力を持っているわけでもないのに。
「なんでさっきはあんな力が…………」
彼は長考した後、以前にも同じような体験をしたことを思い出した。
(そういえば、決闘の時にも目が熱くなったような感覚が……)
それはかつて、チェリードとマルーサが決闘にて戦った時にも起きた現象だった。あの時のことを振り替えると、防御するための「防御壁」で相手を凪ぎ払っていたのを思い出した。
「防御壁」は左手から展開できる、正方形の形をした緑色の障壁。しかし、今回地面を殴ったのは右手だった。ということは……
「『反射壁』……いつの間に発動してたのか?」
そこで、チェリードは一つの仮説を立て、「反射壁」を展開しながら、そこら中に生えている木のうちの一本に向かって、障壁をぶつけるようにしながら勢い良く手を前に突き出した。
「!!」
結果、「反射壁」と木がぶつかり合った瞬間、先程の同じような衝撃波が小規模ながら起こり、彼の仮説通り木は衝突した箇所から折れて後ろに倒れてしまった。
「そうか……『反射壁』と物がぶつかる時に発生する衝撃を反射したってことか……」
チェリードは自分の能力の可能性に気づくと、そこに希望を見い出した。
「これなら二人を助けられるかもしれない!」
自分に可能性がある。それだけで、チェリードは救われた気分になれた。
今なら、怖くない。そう思えた彼は、急いで二人の元へ向かった。
「待ってろ、二人とも! 助けに行くからな!」
が、しかしその時、彼の奥底で眠る魂が語りかけてきた。
『戦え』
頭がかち割れそうな程の耳鳴りと共に、激しい頭痛がチェリードを襲う。
『戦え、血に飢えた若人よ』
「くっ! なんだこいつ……! 頭の中に言葉が…………!!」
『戦わぬなら……』
「ぐあああぁぁ!!!」
身体中に切り傷のようなものができると同時に、たくさんの血が底から吹き出した。そして抵抗する間もなく、彼は貧血で倒れてしまった。
「くっそおおぉ…………何を、する気……だ……」
血にまみれた視界の奥に見えた人影を睨みながら、チェリードは気を失ってしまった…………
***
「ヨシ、どうやら上手くいったようだな」
突如として彼の身体を奪った■■は、闘争を求めていた。今まで晴らすに晴らせなかった無念や、戦うことのできなかった数十年間の鬱憤が詰まっている■■の魂に、今、何が見えているのか。
「さて、大暴れするか……」
血に飢えた指先は争いを求め疼いている。その疼きを鎮めるため、地面を蹴飛ばしながら二人の元へと向かった。
瞳は自然と、擦れた紅色に染まり出した。
・ギガリスについて
体長1.8メートル、体重200キログラムの巨大なリスの魔獣。
鋭く尖った前歯と腕と同様短い爪が特徴で、接近した者をそれらを振り回して攻撃する。また蛇のような尻尾も持ち合わせており、怒るとぶんぶんと無造作に振り回す。たまに自分に当たる。