第11話「邂逅、記憶と共に」
チェリードは死んだ。その死はあまりに残酷で、切ないものだった。彼は自分でその首を絞め、そのあまりに短すぎる人生に幕を閉じた…………はずだった。
「…………う、うーん……ここは…………?」
目覚めるとそこは神秘的な雰囲気を醸し出す大きな雲の上だった。
チェリードは仰向けになっていた体を起こし、辺り一面を見渡した。
見渡す限りの雲が彼の視界を覆っている。ふと、後ろを振り返ると、不自然に浮かび上がった階段と、その上には豪華な純白の扉が存在感を放っていた。まるでこちらに手を振っているかのように、扉に装飾された天使の羽根はヒラヒラと風に揺らいでいる。
(そっか……俺…………)
この風景を見た時から既に、ここが一体どんな場所かは想像がついていた。
(俺…………死んじゃったんだっけ…………)
明らかに天国のような場所で「まだ俺は死んでいない」と言う方がおかしいだろう。チェリードは、改めて自分が先生に殺され死んだことを再確認した。
思えば彼の人生は短くも壮絶な人生だった。転生して早々魔獣に食われ、学校に行くことになったが、そこで虐められ、先生の手のひらの上で転がされ、そして…………
「――――とりあえず、あそこに行こうか」
特段何もすることがなかったチェリードは、天へと続いている階段を上っていった。一段、また一段と上る度、心の底では死への実感が沸いていった。
この階段、見た目以上に段数が多いらしい。おおよそ十分かけて、ようやく扉の前に着いた。
(扉の先には、何があるんだろう)
純金でできた扉の取手を大事そうに両手で持ち、ゆっくりと扉を外側に開いていった。
扉の先で待ち構えていたのは、
「お~~来るのが早かったのう!」
座布団の上で正座をしながらお茶を飲んでいるおじいさんだった。
「え~と…………どちら様ですか?」
目の前に置かれたちゃぶ台、そのちゃぶ台の横に置かれた小さめの古びた本棚、ミスマッチな畳…………情報量が多く、どこから突っ込めばいいのかわからなくなってしまいそうだ。
「え~!? おいおいそんな悲しいこと言わんでおくれよ~」
お爺さんはまるでもう既に会っているかのような口ぶりで話している。そしてチェリードもまた、この光景に既視感を覚えていた。
「え? あの……ホントに誰なんですか?」
彼は本当にこのおじいさんの正体がわからないので、怪訝な表情を浮かべながら名前を聞き出そうとしたが、
「――――まあ、とりあえず座りなさい」
と言われ、ポンッ! と、空中に突如として現れた紺色の座布団を渡された。年季がありそうな座布団からは古臭い匂いをほんのり感じた。
「あ、ありがとうございます」
チェリードは軽く会釈をして、古めかしい座布団に座った。
「――――で~、君はホントに覚えてないんか?」
「はい…………」
チェリードは必死に思いだそうとするが、本当に何も思い出すことができなかった。そもそもそんな記憶があったかすら怪しいほどだった。
「まあそうかもな! なんせあの扉に入ったんじゃし!」
「あの扉…………?」
「あぁ、あれじゃよ」
おじいさんは「あの扉」と言いながら、彼の後ろ姿で見えなかった後ろの扉を指差した。
その扉を見た瞬間、背後から強烈な視線を感じ取った。凍てつくような視線に、チェリードの体は恐怖で怯えることしかできなかった。
「――――な、なんですか……あれ……何か…………とてもおぞましいものを感じるんですが…………」
「う~ん、これを見てもダメか~……」
おじいさんは溜め息をついて、湯飲みを片手で持って豪快に飲み干した。そして、
「じゃあ記憶、戻してあげるとするかの~う」
と言った。
「え!? 戻せるんですか!?」
「まあ『神様』にかかればちょちょいのちょいよ~!」
おじいさんが自分のことを「神様」と呼んだ。やっぱりこの人は神様だったんだなと納得すると同時に、記憶が戻せることへの期待が膨れ上がっていく。
「じゃあいくぞ~。それ!!」
そしてかけ声と共に、神様はどこからともなく取り出した杖を振りかざした。そして、頭の前に振りかざされた杖から黄金の光が溢れ出した。
「あがっ……!!」
視界が揺れる、心が揺れる、脳が揺れる。
かつて存在した記憶の濁流が、無理矢理押し込まれるように脳のシワの隙間に入り込んでいく。いつか忘れていた記憶でさえ、彼に有無も言わさず詰め込まれていく。
そして全部、思い出した。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
生前の名前は、桜井 導だった。
桜井導は、至ってどこにでもいる普通の高校生だった。成績はそこそこ、バスケが上手で、皆から好かれている、そんな高校生だった。高校二年生になってからは彼女(神谷 梨菜)もでき、幸せな時間を過ごしていた。
しかし、平穏は突如として壊されていく。
「助けて」
彼女のSOSに気づいた時には、既に手遅れだった。彼女はただ、「気にくわないから」という理由で、クラスのとある女子グループに虐められていた。
「ねえ、助けてよ、導」
虐めは女性特有の陰湿なものだった。徐々にエスカレートしていく虐めの残酷さに伴って、彼女の心の器に闇が蓄積されていく。そしてとうとう、
「ごめんね……もう……無理なんだ」
耐えきれなくなった彼女は、助けを求めることを止め、彼の目の前で死ぬことを選んだ。
「そんな…………」
彼はひどく絶望した。自分の無力が彼女を殺してしまったと信じてやまなかった。彼は怖くて恐れて行動することができなかった。寄り添うことができずに、彼女は今目の前で天へと旅立ってしまった。
「ハハ…………ハハハ…………」
たった一人の彼女を失くし、心を病んでしまった彼は、また彼女と同じようにして、死を選んだ。ただ一人で、孤独にビルの上から、寄り添いたかった一心で彼女の後を追いかけた。
そして死後、彼はここに来た。
「おお~! よく来たの~!!」
「………………だれ?」
彼が目覚めると、目の前には神様を名乗る白髪のおじいさんがあぐらをかいて座っていた。
「まあまあ~とりあえず座りなさい」
気さくに話しかけてくれる神様に言われ、桜井導はわけもわからずその場に座った。
それからというもの、神様は長々と「異世界転生」について説明し始めた。神様曰く、
「人は死ぬと別の異世界に転生するように定められているんじゃ。もちろん、転生する以外にも選択肢はあるんじゃが…………」
正直なところ、彼は今それどころではなかった。彼女はどこなのか、ただそれが知りたいだけだった。
「――――で~? 君は~どうするんじゃ」
「…………じゃあ、転生で」
彼女も自分と同じように異世界転生の説明を受けているかもしれない、と推測した彼は少し黙りこくった後に、ボソッと転生すると言った。
「ほお~! そうかそうか!」
「……また梨菜と会えるかもだし」
「ふ~ん? でも同じ世界に転生するかはわからないぞ~?」
「…………は?」
「だって完全ランダムだし、それに君たちだけ特別ってわけにはいかないしの~う」
「ッ…………」
神様の言葉に彼は絶句した。開いた口が塞がらない。まさか、ここまで来たというのに、わざわざ死んだというのに、もう二度と会えないのかと考えると頭が痛くなる。
「――――なあ、後ろの扉はなんだよ」
神様が座っている後ろを指差すと、地獄にでも通じているのか、禍々しさが飽和する扉があった。
「あ~それか? それは『鬼塵の扉』じゃ。そこに入ると、転生後の人生がかなりハードになるんじゃ。俗に言う、ハードモードってやつじゃな」
「へぇ~…………」
「ホントはどかしたいんじゃが、中々動かすのが大変でな、ここに来る人たちには入らないように言っとるんじゃ」
「………………」
「鬼塵の扉」と呼ばれる扉の前に立った。とは言っても、扉の目の前には段差が低い階段が設置されており、黒い雲が辺りに漂っている。
「――――じゃあ俺、そこがいいや」
自暴自棄になった桜井導は、何を思ったかここに入りたいと言い出した。
「は? おいおい待つんじゃ! そんなとこ行ってもただ苦しいだけじゃぞ!」
「…………せえ」
「え?」
「うるせえよ! どうせ俺は生まれ変わったところでなんも救えないんだ! …………どうせ罪悪感を背負ってこれから生きていくんだ、鬼塵の扉にでも入った方がマシだっ…………」
言葉を吐き捨て、足を引きずりながらゆっくりと段差を上っていく。
「待つんじゃ! ていうかそもそも普通の人はそこに入れ…………ってえええええええええ!!!」
神様はなぜか驚いていたが、そんなことを気にする暇もなく、ただ彼は扉へと歩いていった。
そして扉の目の前に立って、一息深呼吸を入れ、
「ふぅ…………どうせならハードモードで誰かを守れる力を手に入れてやる」
そう呟いて、扉の押し開けて中に入った。
その後の悪夢は、思い出したくない。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「ッ……………………」
全てを思い出した桜井導、もといチェリード・ドブライはただ項垂れることしかできなかった。せめて夢であって欲しかったとさえ思っていた。しかし、これが現実、受け入れなければいけない。
「あ、え~と……大丈夫か?」
神様は彼の様子を見て、ただ立ち尽くしていた。
「………………」
折角記憶が戻ってきたというのに、その記憶がただの悪夢にすぎなかったら逃げ出したくなってしまうものだろう。
「なんで…………こんな…………」
「その…………気持ちはわかるが――――」
「こんな……辛いことが続いてさぁっ…………ずっと辛いことばっかりでさぁっ…………それでも結局イイコトは一個も起きなくて…………泣きたくもなるよなぁ…………」
あまりに非情な現実を突きつけられ、チェリードはいつの間にか涙を流していた。ボロボロと零れ落ちる水滴は雲の上に染み込み、消えていく。
「結局、人は報われないまま死ぬのがオチなんだ…………何も成さずに死ぬのが凡人なんだ…………俺知ってるぜ…………」
何もかもを思い出した今、彼が悲観的にならないわけがなかった。
「もう俺……生きるのやめよっかな…………」
「……………………」
心の底から吐き出た本音を聞いて、神様は言葉をかけることを躊躇ってしまった。
「――――そうやって、君はまた逃げるのか?」
神様が最初にかけた言葉は、意外にも彼にとっては傷口を切り開くような刺さるものだった。
「…………逃げるもなにも、俺は――――」
「そうやって逃げたから、彼女が死んだんじゃないのか?」
「!!」
チェリードは、神様の言葉を聞いて少しの苛立ちと後悔を覚えた。思わず握り拳に力が入る。
「そうやって、嫌なこと、辛いことから逃げた結果、彼女が死んだ。そうじゃろ?」
「…………確かにそうかもしれない、でも!――――」
「『でも』、なんじゃ? 何かしたのか?」
「そりゃあ、だって……!」
「仮に行動したところで、根本的な解決に
なったのか?」
「………………」
言葉に詰まって何も言い出すことができなかった。
「――――儂はな、別に君を責めたいわけじゃないんじゃ」
「…………え?」
「ただ、君には頑張ってほしいだけなんじゃ」
神様は「ヨイショ」と言って座布団に座って、お茶を飲んで一息ついた。
「君は、自分では思ってないかもしれんが、特別な力があるんじゃ」
「特別な……力…………?」
「そうじゃ。きっと誰も持っていない、そんな力があると確信しているんじゃ」
「……ハハッ、確かに持ってるよ、魔法も武器も使えないのに防御だけはいっちょまえな力が」
彼がつまらない自虐を言っているのをスルーして、神様は話を続けた。
「儂は今まで、数々の死に様を見てきた。全員が途中で生きるのやめた屍の山を散々見てきた。儂はそれを見るのが嫌なんじゃ……!」
神様は神妙な顔をしながら拳を机に叩きつけた。
「だから君にはせめて……せめて最後まで生き抜いてほしい…………だからそのためにも、もう辛いことから逃げるのはやめてくれ…………」
「ッ…………」
泣きそうな顔をしながら懇願する神様の姿が、かつて生きていた彼の祖父の死ぬ間際の顔にそっくりだったのを思い出した。
彼は自然と神様と祖父を重ねて見ていたのかもしれない。
「――――わかった」
僅かな静寂を挟んで、チェリードは覚悟を決めた顔で言い放った。
「わかった。これからはもう逃げない。死んでも逃げない。耐えて耐えて耐えて、最後まで生き残ってやる……!」
「!! おおぉ~!!」
彼の決意の眼差しは、ただ一直線に神様の目を向いていた。
「だから、俺、復活するよ」
「うおおおお!! よくぞ言ってくれた!!」
神様は感動で頬を濡らしながら彼の元へ飛び付いてきた。
「おいおいやめてくれよ………ハハッ」
そのあまりに情けない様子に笑いを隠すことができなかった彼は、さっきまで泣き腫らしていた反動で、しばらく笑い続けていた。神様もそれに釣られて笑い始めた。
「――――ハァ……で、どうすれば俺は復活できるんだ?」
ひとしきり笑い続けたチェリードは落ち着きを取り戻した後、気になっていたことを質問した。
「簡単じゃ。儂に二つ質問してくれ」
「え? それでいいのか? 何かこう……俺の寿命を貰うとか、そういうのじゃないのか?」
「ああ。ホントは何もしなくても転生できるんびゃが、どんな質問するのか気になってな」
「へぇーわかった。じゃあ質問しよう」
そういうわけで、チェリードは二つ尋ねることにした。