第9話「謎めいた一日」
~次の日~
「あれは絶対マルーサの勝ちだ!」
「いーや! 耐えたチェリードの勝ちでしょ」
「でも最後の方はマルーサ君が押してたじゃん!」
「そもそもズルをしたマルーサ君の負けじゃないかな……」
すっかり疲れも取れたチェリードは、いつも通り学校に向かった。そして学校に着き教室へ向かうと、クラスメートが昨日の決闘についてあーだこーだと言い合っていた。
ある人は、「最後に魔法を当てたのはマルーサだからマルーサの勝ちだ」と言い、またある人は、「最後に耐えきったチェリードの勝ちだ」と言う。
そういうわけで、どちらが勝ったかについての論争は、チェリードが来る三十分程前から未だに続いている状態だった。
「なあ! お前はどう思うんだよ」
突然、とある生徒はチェリードに話しかけた。するとクラス中の視線は彼に一気に集まり、その回答を聞くために教室は静まりかえった。
チェリードは自分に集まる視線に戸惑い、思わず目が泳ぐ。どう返答すれば良いかを考えていると、視界にマルーサ達の姿が入った。
「「「………………」」」
三人は窓の方を向きながら黙りこくっていた。こちらには一切目も合わせずに、ただ外の景色を眺めていた。
(――――俺は、どう答えたらみんなが納得するんだろうか)
意外にもチェリードは、二人の勝敗よりも納得のいく回答が気になっていた。
最近、彼は三人の行動に疑問を持っていた。時々気になる言動をしていたのもそうだが、何より嫌々虐めているような気がしてならなかった。
以前の三人はクラスの人気者だったと誰かが言っていた。それが正しいのなら、なぜ一体こんなことを…………
だから、彼は困っていた。もちろん二人の勝敗に対する回答にも困っている。だがそれ以前に彼は、どんな理由で自分を虐めているのかがわからなかった。
(「俺が勝った」って言ったら、どんな反応するんだ? 「マルーサが勝った」って言ったら、俺はどうなるんだ?)
「おーいー! 早くしろよ!!」
彼がどう回答すべきか悩んでいると、クラスメートが急かしてきた。もうこうなったら答えるしかない、そう考えた彼は何とか答えようとした。
「お、俺は…………俺は!――――――」
「はーい! みなさんおはようございまーす!」
しかし、このタイミングで先生が来てしまった。
時計を見ると、既に先生が来る時間だった。先生に指示され、クラスメートは渋々席に座った。
「というわけで! 今日の日程は~…………」
相も変わらず元気を身体中からばらまきながら、いつも通り先生は今日の日程を声に出して読んでいた。
「…………で、マルーサ君とスパラ君、ラハーク君は後で職員室に来なさいね~?」
日程が言い終わると、先生は三人に、この後職員室へ来るように言った。
「「「!!」」」
その時、三人がビクッとしながら俯いていたのが、やけに印象的だった。
~放課後~
そろそろ夜の月が出始める時間になった。チェリードは離れにある別の校舎の、使われていない小さな教室に呼ばれた。クモの巣が張り巡らされたその教室は今は物置と化しており、乱雑に置かれた道具が不気味さに拍車をかけていた。
「――――なあ」
教室に入って早々、マルーサがおもむろに口を開いた。
「ん? なに?」
「俺さ、思ったんだよ」
二人きりの教室で、マルーサは思い詰めたような表情で話し始めた。
「やっぱり、俺って弱いんだなって」
「え? 急に何言って…………」
「結局俺は、自分一人じゃ何もできない、ただの弱虫だったんだなって…………」
風に煽られ、木組みの窓が出すバタンバタンと軋む音が部屋中に響く。
「だから、急に何言って――――」
チェリードはわけもわからず聞き返そうとすると、
「だから俺、決めたんだ」
言葉を遮るようにマルーサは真っ直ぐ目を見つめながら言った。彼は切ない笑顔で彼は、
「だから……ごめん、許してくれ」
と細い声で呟いた後、手の前に突き出した。
「〈初級炎魔法〉!」
吐き捨てるように唱えたその魔法は、チェリードの腹部に至近距離で直撃した。
「うぐっ!!」
あまりに急な出来事で状況が理解できない彼は無惨にも吹き飛ばされ、無造作に置かれた物の山に体を埋めた。
「うぐぅ……なんでこんなこと――――」
埋まった体を力ずくで掘り起こした彼が見た先には、もう既にマルーサはいなかった。
「え? 嘘……どこに行った…………?」
「チェリード」
ふと、ドアの向こう側からマルーサの声がした。チェリードは急いでドアの真ん前まで駆けつけた。
しかし、ドアが開かない。さっきまでドアは開いていたというのに、いつの間にか鍵が掛けられていた
「チェリード……」
「ねえ! なんで出してくれないの!! ねえ!」
チェリードは乱暴にドアを叩きながら、扉の取っ手をガチャガチャと動かしている。
「しょうがなかったんだ…………」
「何がしょうがないんだよ!! 早くここから出して――――」
「こうするしかっ!! お前を助けられる方法がなかったんだよ!!!」
(マルーサ…………お前…………)
「なんで、泣いてるんだよ……」
マルーサは、号泣していた。鼻をすする音がドアを通して聞こえるほど、彼は声をあげながら泣いていた。
「…………イツから」
「?」
「アイツから!逃れるためにはっ、こうするしか……なかったんだっ!!!」
「マルー……サ…………」
マルーサ今まで聞いたことのない荒らげた声を出していた。チェリードはただ、ドア越しでしか彼の感情を読み取ることしかできなかった。
「――――クソッ!!」
拳をドアに叩きつけ、マルーサはドアの前から走り去ってしまった。チェリードは一刻も早くここから出たいと必死にドアをこじ開けようとした。
「ちょっとっ!! 待ってよっ!!」
密室に閉じ込められた恐怖と、悲痛な叫びをあげていたマルーサに対する同情で、彼もまた泣きそうになりながらドアをバンバン叩いた。
「(あ、ちょっとマルーサ!)」
微かに、今、微かにスパラの声が教室に届いた。チェリードは急いで彼に助けを求めた。
「あ、ねえスパラ!! 助けてよっ!! ねぇっ!」
しかし、返事はなかった。
もうそこに、チェリード以外誰もいなかった。窓もない灯りもないこの物置の部屋で、取り残されてしまった。床の軋む音だけが教室に鳴っていた。
「ねえ! 誰かっ!! ここを開けてよ!!」
必死な様子でチェリードは泣き腫らしたような声で呼びかけた。精一杯の声を出し続けた。
「………………」
やはり、そこには誰もいなかった。
(そんな…………もしかして、ここにずっと、独りぼっち……?)
考えるだけでもおぞましかった。もう誰も来ないと悟った彼は、閉ざされた教室でただ一人泣きわめいた。
窓の外では、季節外れの土砂降りが叩きつけるように降っていた。
~一時間経過~
日もすっかり落ち、真っ暗になってしまった教室の隅で、チェリードはただただ助けが来ることを待っていた。
真っ暗闇で何も見えず、ただ体育座りになって、寒さと恐怖で身をガタガタと震わせていた。
雨粒が屋根に落ちた音を聞きながら、彼は涙で頬を濡らしながら律儀に助けを待っていた。
~二時間経過~
ここに来て彼は、
(もうここで寝ちゃった方がいいか…………)
ということに気づいた。
もちろん彼は閉じ込められている状況下で怖がっていないわけではなかった。しかし、このまま起きたままだと気が狂ってしまうと悟った彼は、暗闇の中手探りで布団になりそうな物を探し、それを見つけて自分の体にかけて寝ようとした。
しかし、いくら目を瞑っても眠れなかった。
おかしいと思った彼は体を起こすと、あることに気がついた。
(なんでこんなに目がスースーするんだ……?)
部屋の空気がやけにスッキリとしていた。いや、それ以上に目に違和感を感じた。瞼の裏に冷たい風が入り込んだかのような状態になっていたのだ。常に目元に氷が置かれているかのような気分だった。
さらに、普通の空気とは違う、独特な臭いを感じた。それは薬品のような臭いで、こちらも同様、嗅ぐと喉が乾燥する程になる、冷たくスッキリとした風が鼻に入ってきた。
この謎の空気のせいで、チェリードは全く寝ることができず、ただギンギンになった眼を動かすことしかできなかった。
~三時間経過~
そしてとうとう、チェリードの気が狂い始めた。
それがただ単にチェリードの気の弱さによるものか、はたまたこの気持ち悪い程に透き通った空気によるものかはわからなかったが、彼は度々、笑い始めては、暴れ、更には自傷行為にまで走った。
この時には、外の土砂降りに加え強風までもが押し寄せていた。窓が強風に叩かれ、バタン! バタン! と音を発し続けていた。
「あああああああああああ!!!!」
そしてチェリードはその音を聞く度に、怯えながら叫んだり、近くにある物を投げ飛ばしていた。
~四時間経過~
今度は寂しそうな声で、
「ママ…………パパ…………」
と呟き始めた。
この時のチェリードはホームシックの状態にあった。情緒が不安定になり、早く家に帰りたいとばかり思うようになっていった。
先程とは打って変わって、しばらくはおとなしくなっていた。
そして、
~五時間経過~
キィィ、キィィ、キィィ
床の軋む音が遠くから聞こえた。そしてそれはゆっくりとこちらに向かっている。
「!!!!!」
チェリードはその音にすぐ気づき、ドアの真ん前まで四つん這いになりながら駆け寄った。
「ハァ………………ハァ………………」
チェリードはついに迎えが来たと思い、胸の鼓動が早まった。この時を待ちわびていたと言わんばかりに涙が溢れだした。
そして、ドアが開いた。
ガラガラ…………
「ッ!!!! ママ――――」
そこにいたのは、ママなんかじゃない、ただの人形の魔物だった。
「グガガガガガ………………!!!」
「ヒィィィ!!」
その魔物は大人ぐらいの大きさの紺のフードを被った魔物だった。掠れながらも校舎に響くほどの大きい雄叫びにチェリードは腰を抜かしてしまう。
「………………」
「うわあああああああ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ離せ離せ離せ離せ離せ離せえええええええ!!!」
駄々をこねる幼児のように涙を流しながらチェリードは暴れた。しかし抵抗も虚しく、軽々と体を持ち上げられてしまった。
そして、チェリードが必死にもがいているところに、魔物は顔面に殴りを入れた。
「うぐぉ…………」
殴った時の衝撃で歯が何本か折れてしまった。口の中は血で一杯になり、思わず吐いてしまう。そして吐いたと同時に、フードの魔物が右手にナイフを持っていることに気づいた。
「グガガ…………」
そして、魔物はナイフをゆっくりと天に向かって持ち上げ、振り下ろそうとした。
「ヒィィィィィィ!!!」
もうダメかと思った次の瞬間。
「〈初級光魔法〉!!」
光輝く一本の矢がフードの魔物を貫いた。
「グギギギィ…………」
撃ち抜かれた魔物は灰となって消えていった。
「あ…………あ………………」
光の矢が飛んできた方向を向くと、そこには、
「チェリード君」
ライナー先生が立っていた。
「先……生…………?」
「あなたの母親が家に帰って来ないからって連絡もらったから、探しに来ました」
暗闇の中、その微笑みだけが彼には輝いて見えた。
「先生!!!!」
チェリードは転びそうになりながらがむしゃらに先生の元へと向かった。
「チェリード君、大丈夫だよ」
「先生っ……! 俺……!! 俺っっ…………!!」
「大丈夫、もう何も怖くないわ」
言葉にならない声を出しながら、チェリードは子どものように先生に抱きついた。そして先生は、抱きついてきた彼の頭を、まるで母のようにそっと撫でるのだった。