密室褒め殺し事件
「この密室誉め殺し事件の犯人が分かったとは本当かね!? 明田探偵!」
小太り体型の三沢警部が尋ねると、栗色のトレンチコートを羽織った明田探偵がこくりと頷いた。それから彼は屋敷のラウンジに集結している関係者をぐるりと見渡す。集まった人々は明田探偵に対し、疑念と期待の入り混じった眼差しを送っていた。
「みなさんお集まりいただきありがとうございます。事件の真相を話す前にまず、今回の事件について改めて整理してみましょう」
そう言いながら明田探偵はコホンと一回だけ咳払いをし、演説めいた口調で説明を始める。
「この屋敷の主人である木戸隆之氏の死体が発見されたのは、一昨日の夜のことでした。死因は褒め殺しによるもの。褒めて褒めて褒めまくることで、そのまま相手を死に至らしめるというよく知られた殺害方法ですね。また部屋の中は誰かに荒らされた形跡があり、それゆえに警察は他殺の可能性が高いと判断しました。しかし、皆さんがご存知の通り、木戸さんの死体が見つかった場所は、木戸さん本人以外、誰も入ることのできない完全な密室でした。鍵は内側からかけられており、マスターキーもない。死体を発見した際、ここにいる男メンバーで扉に体当たりをし、無理やり部屋の扉をこじあけたことは記憶にも新しい」
明田探偵の説明に各々がその時の情景を思い出しながら頷く。
「それでは木戸さんはどうやって、そして誰によって褒め殺されたのか……。周辺に設置された多数の監視カメラの映像を確認してみましたが、外部から誰かが侵入したという形跡もありませんでした。そうなると、疑うべきは事件当時にこの屋敷にいた人間となるわけです。そういうわけで、死亡推定時刻にアリバイのないあなたたち三人に誉め殺しの疑惑がかけられることになりました」
明田探偵が顔をあげ、容疑者である三人へと視線を向ける。木戸隆之の実子である、木戸真由子。同じく実子である、木戸雄大。そして、数年前に木戸隆之と養子縁組を行なった木戸綾香。アリバイがないと疑われている容疑者たちが互いに互いを目で牽制し合う。
「木戸隆之氏がお亡くなりになったであろう時刻。彼を除いた全ての人間がこのラウンジに集まっていました。しかし、その時間帯にて、あなた方は一時的にこの部屋から離れました。それは木戸氏を褒め殺すことができるだけの十分な時間でした。木戸真由子さんはうっかり飲み物をこぼしてしまった服を着替えるため、木戸雄大さんはふと思い出した仕事を片付けるため、そして木戸綾香さんは食事の準備を行うためにね」
そのタイミングで、容疑者の一人である木戸真由子が明田探偵に噛み付く。
「私がお父様を殺すわけないでしょう!? 確かにうざったいところはあったけど……だからといって大事な家族を殺すわけないでしょ!」
「ふーん、俺は正直姉さんを疑ってるね。親父が殺された夜にちょうどここで話してたじゃないか。悪い男に引っかかって、結構な額の借金をしているって。だから、遺産を残して親父がさっさと死んでくれないかってこのラウンジで笑いながら言ってたじゃないか」
「そ、そんなの冗談に決まってるでしょ! それに、その話だってあんたと綾香さんが、お父さんがお金を溜め込んでるって話をしたから、それに引っ張られて出た言葉じゃない! あんたたちの方がずっとお金にがめついわよ。それにお金目当てだっていうのなら、最近になって養子縁組をした綾香さんが一番怪しいんじゃなくって?どうせ遺産目当てで養子縁組したんでしょ?」
「そ、そんなことはありません! 私は隆之さんの長い間お世話になったご縁があって、養子縁組を結ばせてもらったんです。恩人である隆之さんを殺すなんて……考えただけでも恐ろしいですよ!」
「お世話になっただなんてよくもまあ、そんな綺麗事言えるわね。養子縁組だなんて言ってるけど、結局は年の離れた愛人じゃない。盗撮癖のお父さんがあんたの部屋に監視カメラを仕込んで楽しんでるって、みんな噂してるわよ」
そのまま容疑者三人の醜い罵り合いが始まる。探偵の横に立っていた、三沢警部が大声でやめなさいと静止し、そこでようやく三人が口論を止めた。部屋の中がようやく落ち着いた後で、おずおずと隅っこにいた屋敷の家政婦が手をあげる。どうしましたと探偵に聞かれた彼女が申し訳なさそうな口調で自らの疑問を口にする。
「確かに三人にはアリバイがないと思いますが……そもそもあの部屋は密室で中には入れなかったじゃないですか? 誰にも旦那様を殺すことなんてできない気がするんです」
同じく部屋にいた男性、三ヶ月前から住み込みで働いているという料理人が異議を唱える。
「いや、それは問題ないんじゃないのか? だって死因は誉め殺しだろ? 最悪褒め言葉が自分の耳に届いていさえすればいいのだから、ドア越しに褒め言葉を言うだけで殺害は可能じゃないか」
「いえ、……旦那様の死体発見現場に立ち会ったんですが、旦那様の死体は部屋の真ん中にあったんです。もしドア越しに何かの声を聞いたのであれば、死体は部屋の真ん中ではなく、ドア付近にあるはずです」
「だとしたら、犯人は部屋の真ん中でも聞こえるくらいに大きな声でおじさんを褒めたんだ。そしたら、部屋の真ん中で死んでいたとしても不思議じゃない」
「あの日、私たちは全員同じラウンジにいました。それだけ大声を発したら、誰かが聞いてると思います。それに、部屋の中に入らなかったとしたら、部屋の中の荒らされた形跡の説明がつかないじゃないですか?」
家政婦の言葉に探偵が意味ありげに頷く。私も彼女が仰ってる通りだと思いますと探偵が呟く。それから、顎に手をあてながら、部屋の中をコツコツと歩き始める。三沢警部が痺れを切らして声をかけると、明田探偵が警部の方へと振り返り、不敵な笑みを浮かべた。
「警部、密室状態で殺害できない以上、アリバイがないということは重要ではないんですよ。重要ではないと言ったら語弊があるな、そもそもこの事件に関してはアリバイというものが全く意味をなさないんですよ」
「意味をなさない? どういうことだね、それは?」
「その言葉通りの意味ですよ、警部。この事件でアリバイというものを考える必要はない。この事件には犯人が存在しないんです。なぜなら……なぜなら、これは殺人ではなく、自殺なんですから」
自殺。そのキーワードに皆が驚きの声をあげる。三沢警部が眉間に皺を浮かべ、それから明田探偵に異論を加える。
「自殺だなんて、考えられない。現場が荒らされた形跡があることはどう説明したらいいんだ。まさか木戸隆之氏が自分で自分の部屋を荒らしたというのでも?」
「ええ、その通りです。警部。現にあれだけ部屋が荒らされているにも関わらず木戸隆之氏以外の指紋は見つかっていませんからね」
「これが刺殺や毒殺だったらまだ理解できるが……彼の死因は褒め殺しだぞ! 君はひょっとして、木戸隆之氏が自分を自分で褒めに褒めまくって自分を褒め殺したとでもいうつもりなのか!?」
探偵がその言葉にこくりと頷く。自殺。それも自分で自分のことを褒め、死んだということ。その言葉の意味を理解した瞬間、その場にいた人々の表情が青ざめていく。
「自分で自分を褒めまくって死んだなんて……そんなの……あまりにも惨めすぎます!!」
家政婦が思わず両手で顔を覆いながら叫び、全員の気持ちを代弁する。
「裏で部下に調査をさせたところ、木戸隆之氏が自らの会社の粉飾決算に手を染めていたこと、そしてそれがマスコミにリークされ、近日中にそのスキャンダルが記事となることが判明しました。まさに彼はどん詰まり状態で、ずっと前から自殺の機会を伺っていたんでしょう。そして、その最後の決め手となったのがこれだったのです」
探偵がポケットから、小さなポリ袋に入った無線子機のようなものを取り出す。これはこのラウンジに取り付けられていた盗聴器ですと探偵が説明する。
「彼は以前からこのラウンジで話される内容を自分の部屋で盗み聞きしていました。そして、その話の内容を聞き、一昨日の夜に自殺を決行することを決めたのです。それも、わざわざ御三方が席を外したタイミングでね。覚えていますか? 一昨日の夜、みなさんがお話になっていた遺産相続の話。そして、それに続く……あなたたちの木戸隆之氏への陰口。これがおそらく自殺を決行する最終的なきっかけになったのでしょう。誰も自分のことを労ってくれず、そしてその頑張りを褒めてくれる人がいないという絶望は計り知れません」
この場にいる人々の表情に陰が差す。特に容疑者として疑われていた三人の表情には、深い罪悪感が宿っていた。警部が三人へちらりと視線を送った後で、探偵に疑問をぶつける。
「しかし、それが事実だとして、なぜ木戸隆之氏は偽装自殺なんかを?」
「憎むべき彼らに罪を被せようしたからもありますし……見栄もあったんでしょう」
「見栄?」
警部の問いかけに明石探偵が悲しげな表情で答える。
「ええ、みんなから嫌われてる自分にも、自分を褒めて褒めて褒め殺してくれる誰かがいるんだと、最期に訴えようとしていたんじゃないでしょうか?」
その言葉と同時に木戸隆之氏の娘、真由美が膝から崩れ落ち、両手で顔を覆った。息子の雄大と養子の木戸綾香も唇を噛み締め、奥底から湧き上がってくる罪の意識にじっと耐えているようだった。失われた命を取り戻すことはできません。探偵が二人に背をむけ、深いため息をつきながら言葉を続けた。
「もし、お互いに尊重しあい、お互いの努力を褒め合う関係があれば、こんな悲劇は起こらなかったのかもしれませんね……」
真由美の慟哭が部屋の中に響き渡る。その場にいた全員が、同じ心の痛みを感じていた。三沢警部が部下に命じて、自殺の線でもう一度現場を調べ直すようにと指示を出す。明田探偵は天井を見上げ、目を閉じた。そしてそれから、この行き場のない感情を噛み締めるように、小さくその拳を握りしめるのだった。