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悪役令嬢の愚痴と恋⑧

一週間後。

寒寒寒寒、と念仏を唱えながら、僕は温泉に程近い物陰である人物を待っていた。




張り込みもこれで一週間。

何食わぬ顔で風呂に浸かり、帰るふりをしてこの植え込みの陰へ。

温泉の火が消えるのは夜九時だから、かれこれ一時間ぐらいの張り込んでいることになる。


もうすっかりと湯冷めしていた。

叶うことならもう一度風呂に入りたかった。


と、ガラガラという音がして、温泉の引き戸が開いた。

ダニエラ姉さんは僕に気づく素振りもなく、暖簾を外して中に入れた。


しばらくあって、姉さんが一抱えのケースを持ってきて、それを入り口の脇に置いた。

明日の朝、業者に返すための、カラになった牛乳瓶のケースだった。


そして姉さんはひとつ伸びをして、今日も満天の星空を見上げた。

まるで仕事終わりの儀式のように、姉さんはそれを繰り返していた。

今日も終わった。言葉以上にそう示す姉さんの顔は晴れやかで、僕が見るいつもの気怠げな表情とは違う。

ほう、と白い息を吐き出して腕を降ろし、姉さんは温泉に引っ込んでいった。


「おやすみ」


僕はそっと姉さんに言った。


火が消えて、十分程が経過した。

今日も空振りかな――。

僕がそう思ったときだった。


タタタッ、と、小さな足音が聞こえて、僕は音がした方向を見た。

金曜の夜に母親に手を引かれて温泉にやってくる、獣人の幼い男の子だった。


男の子は寒さに鼻を啜りながら、温泉の入り口まで走って来た。

そしてそこで立ち止まり、子狸がそうするように、きょろきょろと辺りを伺った。

そして意を決したように、両手に持ったそれを、さっき姉さんが置いたケースの中に押し込んだ。


からん、と音が発し、びくっと身を竦ませた男の子は、もう一度辺りを伺った。


頭から突き出た猫のような耳が、頭以上にぴこぴこと辺りを伺っているのが可笑しかった。

しばらく、男の子はしゃがみこんだままケースを見つめていた。

そして意を決したように立ち上がると、来た道を走って戻っていった。


男の子が去って数分後。

僕は物陰から這い出た。

そしてゆっくりと、温泉の入り口に近づいた。


元勇者の恩恵なのかなんなのか、僕の目は完全なる闇夜でもそこそこ見通しが効く。

だからそこにあったものも簡単に見つけられた。

牛乳瓶の中に小さく丸められて入っている手紙を。


「ごめんな」


僕は男の子に小さく謝ってから、その瓶を手に取り、用心深く物陰に戻った。

そして瓶の蓋を開け、中の物を取り出した。




あの夜、エレノア婆さんが持っていた手紙。

僕の予測が正しければ、それの正体がこれだろう。


婆さんはきっと、あの日の夜、今のようにやってきた男の子とぶつかったのだろう。

男の子が手にした牛乳瓶は地面に落ちて割れて、手紙が外に出た。

婆さんは手探りでガラスの破片の中から手紙を拾い、持ち主に返そうとした。


ぼくんじゃない!


男の子はきっとそういうようなことを言って、慌てて帰ったのだろう。

男の子はその手紙の内容が知られることも、その手紙を持ってきたのが自分であることも、誰にも知られたくなかった。

だから慌ててその場を逃げ出した。

婆さんは目が視えず、その手紙を読むことが出来ないとは知らずに。


手紙の持ち主に逃げられた婆さんは、それがなんであるか確かめようとした。

そこにヤエレクのおやっさんがやってきて、手紙を読んでやった。

婆さんは拾ったそれが恋文であることを知って、悪いことをしたと罪悪感に駆られた。

だが婆さんは目が視えない。

つまり、誰がこの手紙を落としたのかすらわからないのだ。


では何故、婆さんがその手紙を然るべき人に届けなかったのか。

それはきっと、手紙の宛先が書いていなかったからだ。


そう、それはそれを読むべき人の元に届けられていたのだ。

その人に宛てて、その人のすぐ目の前に。

手紙は、その人以外には決して読まれない場所に直接差し出された。

だから最初から誰に宛てたかなど、書いてはいなかったのだ。


いても立ってもいられず、婆さんは夜が明けてからここに来て手がかりを調べた。

だけども、そこには割れた牛乳瓶の破片以外、何も手がかりになるものはなかった。


だから――婆さんは手紙を返すことも届けることもできず、罪悪感からずっと落ち込んでいるのだ。


しばらく、僕はどうしようか迷った。

僕より何倍も勇気ある少年の勇気の結晶である。

これを廃棄したり持ち帰ったりするのは人として最低の行いだろう。


でも――僕の中の天秤が揺れ動いた。

僕の予想通りなら、これは正直、本当に有り難くない内容だろう。

何しろライバルが現れたことになるからだ。

しかも相手は猫耳だ。僕にはない強力なアドバンテージがある。

最終的に姉さんがどちらを選ぶにせよ――競争相手は少ないほうがいい。

僕がここでこの手紙を持って帰るなり廃棄するなりすれば、全てが闇に葬られる。

エレノア婆さんには適当に言って励ましておけばいい。




ぼうっ、と、僕の身体が青白く発光し始めた。

いけない、このままだと、光る身体のせいで手紙の内容が読めてしまう。




いやでもダメだ、やっぱりそれは人として最低の行いだ。

それに、もはや彼は僕の友だった。

同じ女を愛したなら、僕と彼とはこれ以上ない友であるはずだ。

友達のものを盗み見るなんて最低だ。

ましてやそれを破棄してしまうなんて。

最低だ、最低だ、最低だぞ勇者ニーベル。

お前は勇者なんだぞ、元だけど。




結局、僕の中の天秤は友情を取った。




僕はくちゃくちゃにまるまった手紙を、なるべく中身を見ないように広げて丁寧に折りたたみ、細く長くしてから一重結びにして、どうにか手紙らしく折りたたんだ。


あの子の年齢なら、まだこういう風な工夫は思いつかないはずだ。

今まであの手紙が届かなかったのは、姉さんがそれを単なるゴミだと思って捨てていたからだろう。

牛乳瓶の中に包装紙やゴミを丸めて突っ込むようなマナーの悪い大人がいるせいだ。

そのせいで彼の情熱的な思いは今まで届かなかったのだ。

例えば僕のような、マナーのなってない悪い大人のせいで。


明日の朝、これを見たら、バカでもなにかこれが内容のある手紙だとわかるだろう。

彼の友として僕にできることは、姉さんがバカでないことを期待するだけだ。




僕はそっと牛乳瓶の蓋を締め、小走りにケースに駆け寄った――。




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