悪役令嬢の愚痴と恋⑥
「婆さん、送ろうか?」
「いいんだよ」
エレノア婆さんは短く僕の申し出を否定した。
だが断るにしても、この婆さんなら、いつもはもっと愛想よく断る。
まだそこまで老けちゃいないよ、とか。
どこの介護老人と間違ってんだい、とか。
あたしがあんたの手を引いて帰るの間違いだろう、とか。
だが、いつまで経っても婆さんの口は開かれなかった。
あまり見たことのないノリの悪さに、僕は居心地悪く番台横の椅子に座り直した。
ハァ、と、一緒に魂まで抜けていきそうな勢いで、婆さんはため息をついた。
ここまで元気がないのも心配になるぐらいの萎れ方だった。
内心、驚いているのはダニエラ姉さんも同じらしい。
ダニエラ姉さんがまごついている雰囲気が伝わってくる。
「それじゃあダニエラ、また来るからね」
「気をつけてね、婆ちゃん」
ダニエラ姉さんの言葉に一言も返すことなく、婆さんは杖をカツカツ鳴らしながら温泉を出ていった。
「なんだか婆ちゃん、元気なかったわよね」
やっぱり、姉さんも婆さんの萎れ方が気がかりなようだ。
気づかれないように視線をそらして、僕はラムネを呷った。
「そうかな?」
「私の気のせいかな」
「どうだろうね」
「煮え切れタヌキ」
「それどういう脅迫?」
僕は苦笑してダニエラ姉さんを見た。
「タヌキに『煮え切れ』って、それはないよ。禁句中の禁句」
「猟師に鉄砲で撃たれたら煮て焼いて喰われろ。タヌキの責務だ」
「ここは千波山じゃない」
「山なんてみんな同じよ」
「元気がないように見えたんだね?」
「だからどう思う、って訊いてんのよ」
「うーん……確かになぁ」
僕はあくまで片足を対岸に付けたままの物言いをした。
まぁ、結論から言うと間違いなくエレノア婆さんは元気がない。
普段なら施術が終わった後は、番台の横に座って一言二言世間話をして帰る。
だが今回はそんなこともなく、暗い顔で逃げるように帰ってしまったのだ。
繰り返しになるのだが、ダニエラ姉さんは婆さんが好きなのだ。
特にその軽妙な掛け合いを見ていると、二人は実の祖母と孫なのではないかと思ってしまうぐらいだ。
だから婆さんに元気がないと、つられて姉さんも調子が狂うのだ。
ダニエラ姉さんは頬杖をつきながらため息をついた。
「なんだかこっちまで元気なくなるわねぇ。あの婆ちゃんはいつもカクシャクとしててニコニコしてて遠慮ないところがいいのに。なんだか火が消えたみたい」
「言えてる。今の婆さんは火が消えてる」
一体、婆さんに何があったんだろう。
僕はしばらく婆さんに起こったことを想像してみた。
あの日の夜、施術が終わった帰り道、婆さんは誰かに会って恋文を渡された。
手紙を渡してきた人物は何も言わずに走っていってしまう。
エレノア婆さんは困惑したに違いない。
そしてたまたま向こうから来たヤエレクのおやっさんにそれを読んでもらった。
そして手紙の内容を知り、何故だかショックを受けた。
そういうことなのだろうか。
いや――それはおかしすぎる。
大体婆さんの目が見えないことはこの街なら常識だった。
受け取った本人が読むことのできない手紙をわざわざ書いて渡すだろうか。
その手紙を朗読するならともかく、他人に読んでもらうことでしか婆さんは手紙の内容を把握できないのに。
たいてい、恋文の内容なんて他人には知られたくないもののはずだ。
そしておかしいのは、あの日婆さんが探していたものだ。
ガラスの破片、とは一体何なんだろう。
婆さんはあの夜、どこかでガラスが割れた音を聞いたのだ。
でなければ僕にそれを探してくれなんて言わないはずだ。
けれど――なんでそんなものを探す必要があったのか。
そしてそれが、ヤエレクのおやっさんが読んだ恋文となんの関係があるんだろう。
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