悪役令嬢の愚痴と恋④
鍛冶屋というのは、よほど腕がよくてもそう忙しいものではない。
もともと、近くに鉱山や製材所でもない限り一度に大量の道具の注文が舞い込むことは稀だし、包丁は毎日研いだりしない。
となると、日常の大体の仕事は農具の先がけ、ということになる。
クワやスキというのは不思議な道具で、地面を耕す部分の先端の鋼部分をまた付け直せば、新品同様になるのだ。
だから親方の弟子である僕は、一週間に一日だけ街を回って、そのテのすり減った農具がないか注文をとって街を歩く。
まぁでも、鍛冶屋のお得意先は決まっているし、農業には農閑期もある。
だからそろそろ秋めいてきて、農業も一段落を迎えるこの時期の営業は暇なのだ。
それが実質的なサボりのための期間であると固く信じている僕は、そんな訳で素早く得意先を回った後、昼に帰るまでの時間潰しでぶらぶらと街をほっつき歩いていた。
屋台を冷やかしていると、《令嬢の湯》の近くまで来た。
おっと、これはマズい。いつもの癖で温泉に足が向いてしまった。
なにしろダニエラ姉さんは僕が仕事をサボっていると怒るのだ。
真面目に仕事しなさいよ、と、愚痴ではなく小言を言われることになる。
まぁ確かに、彼女は朝から晩まで湯船の掃除なんかをしているのだから、サボっている姿を見られるのは僕としても後ろめたいことでもある。
どうしよう、このままUターンしてあっちの方を彷徨こうか。
屋台で買った今川焼きを齧りながら考えていると、ふとある人を見つけた僕は足を止めた。
「エレノア婆さん」
僕が声をかけると、婆さんがはっと顔を上げた。
そして僕の方に耳を向け、助かったというように言った。
「あぁ、ニーベルだね? 今日は仕事は休みかい?」
「いいや、ちょっとした――まぁ用足しだよ。それより婆さんこそどうしたの?」
「神の手」と称されるこの婆さんはいまだに引く手数多だ。
金曜の夜に《令嬢の湯》に来る以外は国中を飛び回っている。
だから土曜日の今日、婆さんがここにいることは珍しいことだった。
「ちょうどよかった、ちょっと探しものをしておくれ」
「なんだい? なにか落としたの?」
「昨日の晩だよ。ここいらだと思うんだ」
「何を落としたの? 何を探してるか言ってもらわないと」
「落としたんじゃないよ。ここの近くにガラスの破片か何か落ちてないかい?」
破片?
僕が鸚鵡返しに尋ねると、婆さんは焦ったように頷いた。
「私の代わりに探しとくれ。目開きのアンタにしか頼めないんだよ」
なんだか、妙な話だった。
言われた僕がきょろきょろと辺りを見回すと、道の端っこに、砕けたガラス片があった。
近づいて見てみる。
なにかガラス瓶が砕けた破片で、それが一塊分ある。
「あぁ、なんだかガラス片があるけど、これが何?」
「他にはなにもないかい?」
「どういう感じのもの?」
婆さんは言った。
「なんだかこういう、丸く丸めた紙みたいなものさ」
紙? 僕は眉根を寄せて周りを見てみた。
が、それらしいものはどこにも落ちていない。
「あぁ――なにもないな。やっぱり落とし物?」
僕がそう言った瞬間の婆さんの顔。
婆さんは一瞬、皺だらけの顔を更に皺だらけにして、ぎゅっと目を瞑った。
言うなればそれは、後悔の念のようなもの。
悪いことをしてしまった――と、己の行為を悔いるような表情だった。
「ねぇ婆さん、一体どうしたんだよ? 何があったんだい?」
ちょっと心配になって僕が尋ねると、婆さんが僕の袖を掴んだ。
その力の強さに驚いていると、必死さを滲ませた声で婆さんは言った。
「ねぇニーベル、このことはお願いだから誰にも喋らないでおくれ」
「え?」
「絶対だよ、いいね?」
「はぁ――」
僕が答えると、頼んだからね? というように婆さんはもう一度袖を引いた。
そして婆さんはくるりと踵を返し、トコトコと歩いて行ってしまった。
なんだったんだろう。
僕は小さくなってゆく婆さんの背中を呆然と見ていた。
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