悪役令嬢の愚痴と恋②
エレノア婆さんが暖簾をくぐって「終わったよ」と言うと、番台に座ったダニエラ姉さんが僕を半目で睨んだ。
「なに、その顔?」
「アンタね、いくらなんでもヨガりすぎ」
ダニエラ姉さんは呆れたように言った。
「アンアンアンアンうるさいんだよお前。それがマッサージされてる人間の出す声か。さっき来た獣人のお母さんが教育上悪そうなものを見るような顔して出てったわよ。もう少し健全に施術されな」
「ひどくない? 僕は労働者だ。働いて稼いだ賃金で疲れを癒やす労働者の姿はこれ以上ない教育資材だろ」
「アンタの生き方そのものが教育上よろしくないのに何言ってんのよ」
「ひどいなぁ。僕は常連だぞ、土間を三尺掘っても出てこないのが常連だろ。僕にそんな言葉を吐いていいのか」
「おっ突然なんだこの野郎。私を脅す気?」
「グレちゃうぞ。この温泉に関する悪い噂を流しちゃうぞ」
「ほほう面白い。乗ったぞグレタヌキ。どんな噂流す?」
かなり強い脅迫だったのに、姉さんは全く動じていない。
それどころか番台から身を乗り出し気味にしてきた。
負けるもんかとばかりに、僕は少し考えて言った。
「そうだな、この温泉の湯守にラムネ1本100Gでぼったくられた、とかかな」
「なかなか面白いフィクションね、タヌキ。アンタ小動物やめて小説家になったらどうだい?」
「考えとくよ」
「よーし、その噂はフィクションにしとくには勿体ない。今晩に限って現実にしてやろう」
「な」
僕は本心から絶句してしまった。
ダニエラ姉さんはしてやったりの表情でニヤケ面を浮かべた。
「なんて湯守だ……鬼だ、鬼がいる」
「さぁどうするタヌキ。ウチでは木の葉を化かした札は使えないぞ。銀行強盗でもして工面するか?」
「はいはいアンタたち。くだらない漫才はやめて私に冷たいの飲ましてちょうだい」
婆さんがそう言うと、ダニエラ姉さんがさっと掌を出して小銭を受け取った。
姉さんは上半身だけを後ろに倒し、番台の奥にある小さな冷蔵庫を開けて、中からラムネの瓶を三本取り出した。
よっ、と、気合を入れ、腹筋の力だけで姉さんは上半身を元通りの位置に戻した。
この番台に座っている限り姉さんは運動不足とは無縁であるらしい。
「タヌキ、栓開けてあげて」
姉さんが小声とともに、瓶を二本差し出した。
僕はラムネの包み紙を取ると、瓶を床に置いてビー玉を押し込んだ。
プシュ、カラン、という音とともに、ビー玉が瓶の中に沈んだ。
「婆さん、どうぞ」
僕は婆さんの手を取り、開いてる方の手で瓶へと誘導した。
ありがとよ、と婆さんは嬉しそうに言い、手探りで瓶を持ち替え、うまそうに一口飲んだ。
ほう、と婆さんはため息を吐いて言った。
「目は見えなくても、舌はまともでよかったよ」
婆さんは実に愉快そうに笑った。
そのツンと尖った耳が、ほんの少しだけピコピコと動いた。
エレノア婆さんは、この街に歳古く住むエルフの按摩さんだ。
エルフの寿命は人間より遥かに長く、だいたい三倍ぐらいは生きる。
そういうわけで、この婆さんの歳は外見の通りならだいたい150歳ぐらいだと思われた。
だけど、結局は誰も婆さんの本当の年齢を知らないし、もちろん、本人も知らない。
そんな婆さんは、おそらく生まれつき目が視えなかったそうだ。
エルフは森と静寂と狩猟をこよなく愛する一方、概して気位が高く、はぐれものに冷たい。
そんなわけで婆さんは生まれてすぐにこの街に捨てられ、そこからはとある人間の夫婦に育てられた。
その夫婦は目の見えないエルフの少女をこよなく愛し、自分たちが居なくなった後も食べていけるよう、按摩の修行をさせた。
両親の期待に答えるため、婆さんは実に1世紀をゆうに超える間、一心に技術の向上に励んだ。
そんなわけで、現在のエレノア婆さんはこの国中では知らぬ者のいない、伝説的な按摩だった。
『馬で来た人間が、婆さんの施術を受けた後には王都まで歩いて帰った』という伝説は、王都の肥え太った医者たちも真剣に信じているぐらいだ。
そんな神業を、この辺境の温泉ではたったの30Gで拝めることには本当に感謝というほかない。
からからと笑う婆さんは、それからわずか三口ぐらいでラムネを飲み干してしまった。
老婆とは思えない飲みっぷりだった。
「さぁ、今晩はお前が最後だったね。ダニエラ、新しい予約は入ってないだろ?」
「今晩はもうないわね。一週間後はもうギチギチだけど。婆ちゃん、一週間後に来てくれないと恨むよ」
「全くこの街の人間は人使いが荒いねぇ。こんなしわくちゃの梅干しになっても休ませちゃくれないんだから。これじゃ明日の朝にもポックリ逝っちまいそうだよ」
「エレノア婆さんは死神だって殺せない。安心してもいい」
僕がラムネを飲みながら言うと、婆さんはそう言った僕の方を見た。
否、僕の方に耳を向けた、という方が正しいだろう。
「何言ってんだい。あたしだってもうこの歳だよ。いつお迎えが来たっておかしくはないんだ」
「この歳、って言ってるけど、自分何歳なのかわからないんでしょう?」
ダニエラ姉さんがラムネの栓を開けながら言った。
この人には珍しく、ちょっと焦ったような口調だった。
婆さんは「そんなこたないさ」と胸を張った。
「逆算すりゃちゃんといくつなのかぐらいはわかる。あたしが十五歳の時に王様が死んだんだ。国中喪に服すとか言ってどこもかしこもまっくろけだったって聞いてるよ」
「死んだのはなんて王様よ」
「そんなの知ったこっちゃないよ」
「ほらね」
ダニエラ姉さんは安心したように笑った。
「何歳かなんてわかんない。もしかして婆ちゃんは150歳かも知れないけど、逆に100歳かもしれないしまだ50代かも知れない。まだまだ死なないわ」
きっと、ダニエラ姉さんはこの老婆が好きなのだろう。
屈託なく悪態をつくところも。
皮肉屋なところも。
そしておそらく――全く素直じゃないところも。
ダニエラ姉さんが婆さんになったらエレノア婆さんになる。
姉さんは老いた自分の姿を婆さんに重ねているのかも知れない。
だからそう簡単に死なせたくないのだ、話の上であっても。
そんな姉さんの必死のフォローを受け取り、婆さんは「ありがとよ」と二、三本欠けた前歯を覗かせて笑った。
「ささ、もう飲むもの飲んだし、行くとするかね」
あだだ、と腰を庇いながら婆さんは立ち上がった。
「近くまで送ろうか?」
僕は本気ではない口調で言った。
婆さんは「なぁにを言ってんだよ」と呆れたように言った。
「あたしはこの道歩いて何十年だよ。たとえ杖がなくたって帰れる。まだまだアンタにおんぶされて帰るような歳じゃないさ」
そう言って婆さんは傍らにあった杖を取り上げた。
そのまま、棒の先端でカツカツと前後を探り、番台に座るダニエラ姉さんの方を見た。
「それじゃ帰るとするわ。また一週間後によろしくね、ダニエラ」
「はいはい。気をつけてね」
姉さんがひらひらと手を振ると、婆さんはカツカツと棒で地面を叩きながら温泉を出ていった。
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第三話、書き終わっております。
今日から更新してゆきます。
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