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されど悪役令嬢はタヌキに愚痴る②

「ううーん……」




全身を包むような、不快に熱い泥を跳ね除けて。

僕は深い眠りから覚めた。


まだ体中に熱病のような嫌な熱さは感じるが、起き上がれないほどではなかった。

目だけで自分の体を見ると、自分は風呂場ではない、どこかの部屋の中に、ほぼ全裸で寝かされていた。


「ひっくり返らないように気をつけろ、っつったでしょ?」


呆れ顔で言ってきたのは彼女。

この湯の湯守りである令嬢――ダニエラだった。


慌てて見回すと、ダニエラ姉さんの聖域である湯守の管理室だった

申し訳程度に股間にタオルをかけられただけの状態で。


「だ、ダニエラ姉さん……」

「あんたも大概だけど、ヤエレクのおっさんもなかなかアホね。たかが2Gのフルーツ牛乳一本のために死ぬ気? おかげで見なくてもいいモノを10本近く見る羽目になったわよ」

「だはは……かたじけない」


もうわかっていることと思うが。

ダニエラ姉さんはめちゃくちゃ口が悪い。

その上、言葉遣いも汚い。

とどめに――言うことに容赦がない。


だが彼女の暴言にはどこか品というものがある。

そしてどこか思いやりというのもある。

とどめに――妙なあたたかさもあった。


元々、彼女はさる有力な貴族の令嬢だったという

だが、何かがあって、王都にいられなくなった。

姉さんは王都を追放されたらしい――。

まことしやかにそう囁くゴブリンやスライムもいた。

他はオークだのハーフエルフだのゴブリンだの傷痍軍人だの。

この村は王都や人の住む街にいられなくなった奴ばかりだ。


あの娘が街にやってきたときのことはよく覚えているぜ――。

ヤエレクのおやっさんはよく顔をしかめてそう言う。


豪華なドレスを土埃に塗れさせて。

艶のある肌をガリガリにこけさせて。

この街に来た彼女は死人同然だったそうだ。


その彼女を拾ったのが、先代の湯守の親爺さんだった。

人間だった親爺さんは、彼女を孫娘同然に可愛がった。

湯守の親爺さんも、大昔は宰相クラスの政治家だったそうだ。

政争に敗れ、政治家としてのアキレス腱を切られてからここに流れ着いた。

貴族令嬢であった彼女の中に、自分と同じ孤独を見ていたのかも知れない。


そしてその親爺さんが2年前に亡くなると、彼女が湯守として跡を継いだ。

名もなき野湯だったこの温泉に、爺さんの遺言に従い、彼女は気に入ってない『令嬢の湯』という名前がつけられたのはその時だ。

フルーツ牛乳だの、サウナだの、露天風呂だの。

彼女が湯守になってからというもの、この場所は大きく変わっていった。


口は悪いけど、優しくて面倒見のいい彼女。

そして――いつもどこか寂しげな彼女。

みんなが彼女を慕った。

そして、その孤独さに魅せられた。

そんなわけで、この『令嬢の湯』は、今や東方の辺境イチの人気スポットに成長したのだった。


「――姉さんはどうして王都を追放されたの?」


番台で本を読む姉さんに背を向けて、服を着ながら。

僕は何の気なしに訊ねてしまっていた。


姉さんは分厚い本のページを捲る手を止めた。

そして、面倒くさそうにため息をついた。

とうとう来たか、そんな反応だった。


「乙女の過去を探るからには覚悟はできてんでしょうね」

「覚悟って?」

「男ならわかんでしょうが」

「どんな種類の覚悟?」

「わかんない?」

「タヌキだからわかんないな」

「よしわかった、タヌキ語に翻訳してやろう――どんな覚悟なら売る?」

「そうだな――よしわかった」


僕は人差し指を立て、冴えた声で言った。


「僕は姉さんの過去を聞きたい。その代わり、僕が将来大病患って危険な手術をしなきゃいけなくなったときは、泣き言ひとつ言わないで手術を受けると約束するよ。たとえ成功確率が二割しかなくて、失敗したら一生逆立ちして街一周できなくなったとしても」

「回収まで何年かかる条件よ、クソタヌキ」


ダニエラ姉さんは頬杖をつきながら答えた。


「私はさる公爵家の一人娘なの。ここに流れ着く前はリストランテ魔法学園にいたわ」

「リストランテ魔法学園? そりゃ凄い。王国の才媛が集まる学校だね」

「そう。そんで私は、十歳の頃から婚約者がいたのよ」

「情報が渋滞するなぁ。姉さん、婚約してたんだ」


僕は驚いたふりで言った。

そこらまでは、風の噂で聞いていたことだった。


「その婚約者って?」

「ディートリッヒ王太子」

「――嘘だ」

「嘘じゃないわ」


姉さんは僕の茶化した声を鋭く否定した。


「私、本当にディートリッヒ王子の婚約者だったのよ」


とても嘘ではなさそうな声音だ。


姉さんは窓の外に浮かんだ下弦の月を遠い目で眺めた。


「あいつのことならケツの穴の皺の本数まで知ってるわ。高慢で、ナヨナヨしてて、そのくせ顔だけはいい。だけど悲しいぐらいに脳みそと人としての器の容量が足りないチンカス男よ」

「理想的な男じゃないか。誇り高くて優男で、おまけにいい男で、とどめに賢くないから扱いやすいなんて」

「男は馬鹿な方が扱いやすいというよりは、世の男はおしなべてみんな馬鹿よ」

「でも物事には限度というもんがある」

「その通り」

「そして、馬鹿ではあるけど、姉さんを傷つける可能性がない、毒気のない馬鹿もここにはいる」

「そうかもね」


本当にそう思ってるか不明な声で、ダニエラ姉さんは続けた。


「卒業パーティの日に言われたのよ。大勢の目の前で。『ダニエラ、貴様との婚約は破棄する!』ってね」

「酷いな」

「酷いのはこっからよ」


ダニエラ姉さんの目が鋭くなった。

姉さんはまるでその憎い元婚約者が目の前にいるというかのように。

番台の前の、お土産品がうず高く積んである辺りを睨みながら。

姉さんは忌々しげに言った。


「あいつ、浮気してたのよ。しかも相手は平民の小娘。なんだか魔法の才能があるから特例で学園に入学してきたっていう、みそっかすの田舎娘よ」

「平民?」

「えぇ、平民。あの脳みそチンカス男には新鮮だったんでしょう。あの子、あの男が何言っても顔真っ赤にしてたし。女を完全に手玉に取ってると思い込みたいアホ男と、都会の男に憧れるアホな田舎娘。需要と供給がガッチリ合ったのよ」

「ゲロが出そうな話だね」

「ゲロが出んのはこれからよ。――あのチンカス野郎、婚約破棄した後、私に言ったのよ。『貴様は王都から追放だ』ってね」


話の急な展開についていけそうにない。

あまつさえ婚約破棄なんていう失礼極まりない非礼を犯しておきながら。

ディートリッヒ王子はどれだけ面の皮が厚いやつなんだろう。


「なんで」

「いくらなんでも公爵令嬢の娘に婚約破棄するんだし、私がなにかとんでもない悪事に手を染めてたから婚約破棄して追放する、そういう話にしたかったんでしょ。あの田舎娘を階段から突き落としただの、黒魔術で呪っただの、やった覚えもないことまくしたてられて、私は言い訳も抗議も泣き言も許されずに、たったひとりでここに追放されたってわけ」

「そんな馬鹿なことが――」


流石に僕が憤ったときだった。

ダニエラ姉さんがふっと、僕に向かって悲しげに微笑んだ。




「そんな馬鹿な、って思ってくれてありがとうね。でも本当なの。王都では王子が白って言えばカラスも白になんのよ。私は『カラスは黒い』って反論したけど――逆に王子様のお怒りを受けてこのざまよ」




――姉さんが笑う時は。

それは大抵、本気で悲しんでいるときだった。


話が終わったようだった。

考えるうちに胸がむかついてきた。


もし――この世に。

ダニエラ姉さんぐらい綺麗で、温かくて、それでもどこか孤独な人間を。

嘘までついて追放できる人間がいるなら。

そんな事のできる人間がいるなら。

そんなのって一体どんな人間なのだろう。


僕だったらそんな愚かなことはしない。

この孤独な麗人のことを一生かけて知りたいと思うだろうに。

どうしてその王子はそう思わなかったのだろうか――。


「おい、光ってるぞ」


はっ、と僕は我に返って、腹筋のあたりを見た。

僕の全身がなんだかホタルイカみたいに弱々しく発光していた。


あはは、と僕は取り繕う笑い声を上げ、全身を叩いた。

光は徐々に弱まっていった。


「ごめんごめん、変なもの見せちゃって」

「変なものならもう見たわ。アンタの茶色い奴をね」

「やけにリアルな指摘しないでよ」

「そうしてほしいならもっと毒気のないもんぶら下げて来いや――もう湯冷めしたんでしょう? 帰りな」

「はいはい。それと姉さん、このタオル返すよ」

「変な汁が落ちるまで綺麗に洗って返せ。それが社会人としての礼儀だろ」

「あはは、敵わんな。じゃあ、また来るからね」

「はいはい」


僕は急いで服を着て、姉さんに手を振った。


ダニエラ姉さんはもう本から顔を上げずに、代わりに、すい、と右手を挙げた。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

本日中に何話か投稿予定です。


【VS】

こちらの作品も強力によろしく↓


『悪役令嬢・オブ・ザ・デッド』

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