悪役令嬢の愚痴と恋①
「おいニーベル、また刃物研いでたのかい? 身体が早く解してくれってそう言ってるよ」
婆さんは呆れたように言いながら、僕の背中をぐいぐいと揉んだ。
体重を込めて背中を押されるたび、僕の身体は絶妙に喜んだ。
撫でたり、さすったり、押したり、揉んだり、握ったり。
まるで麺を打つように、婆さんの掌はひらひらと僕の背中の上で仕事をする。
その度に、僕の身体からは着実に疲れもコリも押し出されていく。
時に強く、時に弱く、時には悲鳴を上げるほどの剛力で。
婆さんは実に絶妙な力加減とタイミングで僕の身体を解していった。
婆さんの両手はいつでも、どんな魔法よりもずっと魔法らしく人を癒やす。
「お前は身体は抜群にやっこいのに、どうも右に重心を乗せる癖が抜けないねぇ。右と左で凝り方が違う。だからただ疲れるだけじゃなく、包丁の研ぎもうまくいかないんだよ」
それでも僕が気持ちいいまま寝息を立てられないのは、僕のコリを解している婆さんが猛烈な勢いで僕にダメ出しをして来る人で、僕はそれにいちいち答える義務を負っているからである。
施術ベッドの上に寝かされた僕は、半分寝ぼけたような声で言った。
「気をつけてはいるんだけどねぇ。どうにも――うっ、癖が抜けなくてさぁ」
「ふん、癖なんて言葉で片づけんじゃないよ。お前はただ楽だから利き手の方に力入れてるのさ。早く研ごうと横着するからだよ」
「おっ、わかる?」
「わかるともさ、仕事が混んでたんだろう? そうさね――ここ四日ぐらい刃物研ぎしてた、違うかい?」
「凄い、完璧に合ってる。婆さんは予言者なの? それとも占い師?」
「つまんない世辞言うんじゃないよ」
婆さんはそこで僕の背中をぐいっと押した。
途端に、ボキボキッ、と、凝り固まっていた背骨が痛快な音を立てた。
僕は身も蓋もなく身体を捩り、おおぅ、と嬌声を上げた。
「みんなお前の身体から訊いてるんだ。お前は素直じゃないから何訊いたってまともに答えやしないだろう?」
「失礼な、僕は元来とっても素直な人間だぜ。――あっ、そこそこ、そこ強めに」
「どの口が言うんだい。アンタほど素直じゃない人間がそうそういてたまるか。世の中が回らなくなるよ」
「僕の上には常にダニエラ姉さんがいる。アレは本当に素直じゃない。それに……うっ、凄く意地っ張りだ。だから街の人間も僕も安心して偏屈でいられるんだ」
「口の減らないガキだね全く。お前たちはお互い同じくらい素直じゃないから、とうの昔にとっくにわかっていることにごじゃごじゃ理由つけてくっついたり離れたりしてるんじゃないか」
僕はその言葉を全力で無視した。
しばらく、この婆さんには珍しく、無言の施術が続いた。
五分ほど経ってから、婆さんは教え諭すような声で言った。
「――いいかい、この街にはお前が研いだ包丁に生活がかかってる人間もいるんだ。いつかこんなふうに身体に負担をかけないような仕事ができるようになるまで、気を緩めずに精進するこったね」
「まだ修行中だしなぁ――それに、刃物研ぎは一応親方から――うっ、認められてるんだけどなぁ」
「認められたとか、合格したとか、そんな言葉は職人にとって一番の癌さ。その言葉を超えるのに何年もかかるもんだ」
婆さんは噛んで含めるように言い、チョップするように僕の身体の正中線をポコポコと叩いた。
腰の辺りから肩甲骨のあたりまで、両手で刺激を与えるように駆け上がって。
これで終わりだ、というように、婆さんはパンパンと両手で僕の肩を叩いた。
「はい、終わったよ。30Gだ」
「高いよ。施術料は10分8Gでしょ? 30分なら24Gだ」
「釣り銭の6Gでラムネを三本買うんだよ。水分が必要だろ?」
つまり、一本は僕、一本は婆さん、一本はダニエラ姉さん分ということだ。
この心遣いが嬉しくて、僕は言い値の30Gを婆さんに支払った。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
未知海域の第三話スタートです。
第二段は19時にUPします。
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