悪役令嬢の愚痴と嘘・終
僕は脱衣所を出た。
まずはじめに、番台にいたダニエラ姉さんと目が合った。
姉さんは法被の袖を捲し上げ、どこから調達したものか、両刃の剣を持っていた。
僕がそれを見ると、姉さんは慌てたように剣を後ろ手に隠した。
「何考えてたの」
僕が尋ねると、姉さんは努めてなんでもないような口調で言った。
「脱衣所にゴキブリが出たのよ」
「ウソつけ」
僕は次に、ヤエレクのおやっさんに視線を移動させた。
おやっさんの手には物凄くデカい斧が握られている。
きっと山からこれだけ持ってここに駆けつけたに違いなかった。
コボルトだの、獣人だの、ゴブリンだの、エルフだの。
この温泉の顔馴染みたちは何かしら手に手に武器を持って僕を見ていた。
僕が呆れて順々に顔をにらみつけると、おやっさんたちは何故か照れたように笑って、武器を後ろ手に隠した。
「ゴキブリが出たんだよ――なぁ?」
「そうさ。物凄くデカイやつだ」
「見たことないぐらいな」
全く――どいつもこいつも大馬鹿だった。
とそのとき。女湯のドアが開き、中からシェヘラが現れた。
みんなが一斉にシェヘラを見た。
シェヘラは居並んだ面々を見て、すべてを察したらしかった。
あはは、と、シェヘラは本当に可笑しそうに笑った。
「あなたたち――本当にタヌキさんが好きなのね」
その笑顔に、はぅ、と誰かが声を上げた。
さっきまでかなり本気で彼女を狙っていたというのに。
あまりに可愛らしいシェヘラの表情と声に、その場にいた全員が一瞬にして魅了されてしまったようだった。
シェヘラはひとしきり笑うと、次にダニエラ姉さんを見た。
「ねぇ、湯守さん」
「あ――あによ?」
「私、この温泉が気に入りました。また来ていいかしら?」
そのあまりに屈託のない声に、ダニエラ姉さんも戸惑ったらしい。
お、おぅ、と、よくわからない声を枕詞に、姉さんは言った。
「いつでも来いや、相手してやる」
姉さん、それケンカ売るときの台詞だよ――。
僕が呆れている間に、シェヘラはにっこりと笑うと、次に僕を見た。
彼女の首には、さっきの指輪が紐を通して提げられていた。
褐色の肌、黒い鎧、黒い髪、紫色の瞳、そして――首元の指輪。
何から何まで――それは魔王そのものだった。
ありがとう。
魔王はにっこりと笑った。
僕も釣られて笑った。
僕たちは三年越しで、やっと笑い合える関係になれたのだ。
シェヘラは何も言わず、そのまま涼やかな足取りで温泉を出ていった。
しばらく、その場にいた全員が視線を錯綜させていた。
アレが本当にその、アレなのか?
全員の顔がそう言っていた。
姉さんは一体こいつらに何を吹き込んだのか――。
僕は今更ながらにバカバカしくなって、番台の横の椅子に座り込んだ。
「あ――あの娘、大砲忘れてった」
ややあった後、姉さんが思い出したように言った。
彼女の得物であった魔弾の弩は番台の横に立てかけられたままだった。
僕は「いい、また来るって言っただろ?」と、番台から腰を浮かした姉さんを止めた。
姉さんは不審そうに僕を見た。
「今度取りに来たら、コーヒー牛乳奢ってやればいいさ」
「でも、あの大砲無けりゃあの娘――」
「必要なくなったんだよ」
僕が言うと、ダニエラ姉さんは不審そうに僕を見た。
「結局、何しに来たのよ、あの娘」
さぁね、と僕も首を傾げた。
「世界を変えてみたくなったんだろ。親父みたいに」
僕はそう言いつつ、夜に消えてゆくシェヘラの背中を目で追っていた。
せめて今日だけは、彼女が迷わず帰る場所に帰れるように。
僕は少しだけ祈ることにした。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
第二話、これにて完結です。
第三話開始まではちょっと間が開くかもしれません。
ご了承ください。
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