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悪役令嬢の愚痴と嘘⑨

シェヘラが息を呑む気配が伝わった。




「――そんな」


ややあって、シェヘラが呆然と言った。

そう、それは世界でただ二人、俺と魔王しか知らない話。

ダニエラ姉さんにすら言っていない話。

そしてその魔王が消えた今は――俺しか知らない話だった。


「魔王はいずれ復活する――その噂はもちろん知ってるよね?」


俺が訊いても、シェヘラは無言だった。


「なぁ、おかしいと思わないか。前回勇者に倒されてから、魔王は一年も経たずに復活した。でも、僕が魔王を倒してもう三年になるんだぜ。なのに魔王は復活してない。これは妙だと思わないか?」

「――どういうことかはっきり言って」

「厳密に言えば、その話はちょっと違うんだ。魔王はそう何度も復活しやしない。()()()()()()()()()()()()()()。それが真実なんだ」

「意味が――意味がわからないわ」

「正しく言えば、俺は復活した方の魔王を倒した勇者。その前に先代の魔王を倒したのが、俺より前の勇者。そういうことさ」




「魔王は復活したんじゃなくて――二人いた、そういうことなの?」




シェヘラが驚いた声で言った。




「最初の魔王ヴァルヴァトロスは――男だった、それは間違いない。彼は十七年前、一人の勇者によって倒された。その勇者は俺じゃない。魔王は勇者に倒され――砂になって消えたはずだった」


それは俺やシェヘラが生まれる前の話。

俺も、その話は訊いた話しか知らない。

だが、最初のヴァルヴァトロスは先代の勇者と刺し違えて死んだ。

それは間違いのないことだった。


だが――そこからが違った。


「けれど、その遺志を継いだ存在がいた。圧倒的な力とカリスマ性で魔族をまとめ、新たに魔王を名乗った人間がいた。彼女は先代の魔王のものだったヘルムで顔を隠し、奥の院に閉じこもり、本人に成り代わって復活を宣言した。おそらく知っていたのは数人の側近だけ――いや、側近にも知らないやつがいたかもしれない。周りの魔族も、人間たちもそれを信じた。何年間もそれは露見しなかった。それが――俺が倒した二人目のヴァルヴァトロスだ」


俺は目を瞑って――言った。




「俺が倒したのは、君のお父さんじゃない。君の――君のお母さんなんだ」




そう、俺があの魔王城に単身切り込んだ時。

魔王ヴァルヴァトロスはわざわざ兜を脱いで――俺に顔を晒したのだ。


きめ細やかな褐色の肌。

艶のある豪華な黒髪。

不思議な紫色の瞳。

癒えることのない怒りと悲しみを湛えた――ぞっとするほどに美しい顔。


それは何から何まで――シェヘラに瓜二つだった。


滾々と湧き出る湯も。

たなびく硫黄の香りも。

天井から落ちる滴でさえも。

全てが活動をやめ、停止したように感じた。


「じゃあ、私の……病で死んだ母は、一体――?」


シェヘラが呆然と呟いた。

俺はちょっと考えて言った。


「残念だけど、俺には君の育てのお母さんが一体誰で、何故君を育てていたのかはわからない。なにか魔王との間に約束があったのかも知れない。ただ、二人目のヴァルヴァトロスは間違いなく君の産みのお母さんだ。最初に会った時驚いたぐらい――君は魔王にそっくりだったからね」

「どうして――?」


シェヘラの声は、震えていた。

予想だにしなかった事実に違いない。

彼女が纏った瀟洒な雰囲気も。

垢抜けて大人びた振る舞いも。

その時、やっと全てが剥がれ落ちたように感じた。


「どうして母はそんなことをしたの? 何故母は魔王になったの? ねぇ、あなたは知ってるんでしょう? 教えて」


これ以上、彼女に真実を告げていいだろうか。

正直に言って、俺は悩んだ。

ここから先の話は――彼女には酷すぎるかも知れない。


無言でいる俺に、シェヘラが女湯の壁を叩いた。




「お願いよ、ニーベル。答えて」




縋るような声で、彼女は言った。


「貴方しかわからないことなのよ。私は何故父親に捨てられたか知りたい、それだけを願って生きてきた! 母が、私の産みの母が何故そうなったのか。何故、どうして、どうして私を捨てたのか――私は知りたいの!」


俺は大きく息を吸った。


彼女は君を捨てたんじゃない。

君のお母さんは、今の君と同じことをしようとした。

だから――君は連れていけなかったんだ、きっと。


俺は意を決して、言った。




「私は亡き夫・ヴァルヴァトロスの遺志を継ぐ。夫を殺し、我が子から父親を奪った憎き人間たちに必ず復讐し、夫の無念を晴らしてやる――あいつは、俺にそう言った」




シェヘラが再び絶句したのがわかった。

オーラなど感じなくても、僕にはそれがはっきりとわかった。




ああ、彼女は今、両親を一度に亡くした――。




俺は手の中に握られた、ごつい金無垢の指輪を見た。

あのとき、涙さえ流しながら人間たちへの憎しみを剥き出しにした魔王の顔を思い浮かべて、俺は指輪に語りかけた。


なぁ、魔王よ。

これはお前の望んだ結末だったか?

今の彼女は、きっとあの時のお前と同じ顔をしてるだろう。

お前は娘にそんな顔をさせたくないから、彼女を置いていったんじゃないのか。

それなのに――。


これで満足だったか、魔王。

満足なわけがないよな。

誰よりも自分の家族を愛していた。

それを失った時に何もかも壊れてしまった、お前なら――。


「シェヘラ、もうひとつ言いたいことがある。それは君のことだ。君は――別に魔王の最期を知りたかったわけじゃないだろう?」


俺が言っても、シェヘラは無言だった。

俺は続けた。


「君はさっき、討伐師になった理由は、父親に捨てられた理由が知りたかったからだと言ったね。でもそれは違う。君は俺にそう言う度に嘘をついてたからね。君が討伐師になった本当の理由は、()()()()()()()()()()()()()()()()()。自分と母親を捨てた父親に。だから勇者を探していた、違うかい?」


シェヘラは何も言わなかった。

けれど、壁越しに伝わる魔王のオーラだけが、彼女の激しい動揺を伝えた。


そう、前回、ヴァルヴァトロスは一年と経たずに復活した。

だからまた復活すると思われている。

それが一般的な常識なのだ。


次に魔王が復活するその時。

僕はその時はもう、現役で戦えるわけがなかっただろうけれども。

それでも――居ても立ってもいられなかったのだろう。

若いのに、きっと必死だったのだろう。

自分が一体何者であるのか。

何者になりさえすれば父に会えるのか。

それはあまりにも悲壮で無謀な決意だったはずだ。


「だけど――それは無理だ。君のお父さんは最初から復活なんかしていないし、君は最初から捨てられてなどいなかったんだから。少なくとも、もう二度と魔王ヴァルヴァトロスはこの世界に現れない。その二人の血を継いだ君がそうならない限りね」


俺は静かに告げた。


「何もかも、三年前にもう終わってるんだ。だから君は――君の両親が願った通り、そういうのから離れて生きるべきだ。俺はそう思う」


俺は覗き穴から金無垢の指輪を放った。

ぽちゃん、と音がして、指輪が女湯に落ちた。


「お父さんと、お母さんの形見だ。君に渡すつもりで持ってきた」


そう言った途端。

すっ、と、俺の肩が軽くなった気がした。


俺の勇者はやっと終わった。

これを手渡すことが出来たんだから。


俺は湯で顔をごしごしと洗った。


「あいつ、何も言わなかったんだぜ? 俺が魔王を倒した時だ。この指輪をくれてやる、ってさ。なんだよこれ、って訊いたら、私の指輪を持っていけ、ってさ」


俺はひとつひとつ、あの時を思い出しながら言った。


「つまんない嘘なんだよ。それはきっと君のお父さんのさ。そんなゴッツい指輪、あいつの細い指に嵌るわけがないからな。だから魔王もそれに紐を通して首から提げていた。それに、これを渡して消える時、あいつ、ふふって笑ったんだ。君も嘘ついてるとき、そういう風に笑う癖があるんだぜ、知ってたかい?」


シェヘラは無言だった。

それでも、俺は努めて明るい声で言った。


「その時は意味がわからなかったけどね。君を探してこれを渡してくれ、って意味だったんだよ、きっと。だけど言えなかった。だから嘘をついた。でも、嘘をついた君を見て――俺にはやっとそのことがわかった」


そう、そうでなきゃ、わざわざ宿敵相手に顔を晒したりしない。

彼女はきっと気づいてほしがっていた。

この顔と同じ人間を探してくれ。

この世の誰よりも家族思いだった魔王は――あのとき、きっとそう言っていたはずだった。


俺は大声で言った。




「何から何まで、あいつ、似てたよ。君とさ――」




「えぇ、そうなのね――私とは母は……似ていたのね」


皮膚を突き通すような魔王のオーラが、不意に穏やかになった。


シェヘラはそれから長く沈黙した。

そのまま、彼女が彼女として過ごした十何年分が溶け出してゆくかのように。

彼女は隠さず泣いていた。

辛かったんだろう。

苦しかったんだろう。

母親とあまりに違いすぎる自分を恨んで。

捨てられたことを孤独に思って。

その憎しみと怒りの矛先を父親に求めて。

とにかく――彼女はいろんなことを我慢してきたのだろう。

そう思わせるほどに――彼女の嗚咽は長く続いた。


僕は湯船の壁からそっと離れた。

去り際に、嗚咽の中から、たった一言だけが聞こえた。




「よかった」




ここまでお読みいただきありがとうございます。


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