悪役令嬢の愚痴と嘘⑦
「あれ、ヤエレクのおやっさん?」
僕が言うと、湯船に浮いていた緑色の禿頭がびくっと揺れ、慌てたように振り返った。
「おっ、おう、ニーベルじゃねぇか! 今日は早ぇな!」
「おやっさんこそ。山奥に行って半月は帰ってこないんじゃなかったのかい?」
その指摘に、ヤエレクのおやっさんは顔じゅうの皺を伸ばして笑った。
「んなっ、んなもんはおめぇ、この剛力よ! オークの手にかかりゃ、あんなヒョロ木、切り倒すのに一週間もかかるか!」
「ほーん。凄いね」
つまらない嘘を看破するように、僕はあえて塩対応をした。
なんだか、今日は妙に男湯が混んでいた。
僕が入ってくるなり、みんなぎょっと僕を見て、それからそそくさと洗い場に行ったり、物凄く熱い湯に頭から浸かったりしだしたのである。
「おやっさん、疲れた身体に長風呂はよくないよ」
ドワーフほどでないにせよ、オークも嘘やごまかしが下手である。
僕が橋渡しをしてやると、おやっさんは「おっ、おうそうだな!」と目線をそらした。
「おい、みんな! 疲れた後の長風呂はよかねぇやな! 今日は自主的に早仕舞いにするか!」
野太い声でそう言うと、ゴブリンだの半獣人だのが、救われたように顔を上げた。
おっそうだな、とか、そうだそうだ、と白々しい声が上がった。
そのまま、体を拭くのもそこそこに、全員が湯船から上がっていった。
物凄く広い風呂場に、僕だけが残された。
おそらく、湯守の計らいにより、女湯の方にも入念に人払いがなされていると思われた。
ふう、とため息をついて僕は湯船に身体を沈めた。
そのまま、温泉の端の方に身体を移動させた。
男湯と女湯とを分ける仕切りの所まで来た。
意識を集中しなくても、彼女のオーラが壁越しにも伝わってきた。
この刺すようなオーラの種類。
時々不穏に高まったり、減ったりする律動。
やはり間違いない。
彼女、シェヘラは――すぐそこにいる。
僕は湯船の縁の岩のひとつに手を掛け、思い切り引っ張った。
ボコッ、と音がして、拳大の岩が外れ、女湯に通ずる小さな小さな穴が生まれた。
のぞき穴――。
それはダニエラ姉さんも知らない、先代の湯守の時代から男たちに脈々と受け継がれた秘宝だった。
一応、僕はのぞき穴に背を向けるようにして背中を壁に預け、ちょっと大きな声で言った。
「シェヘラ」
ちゃぽっ、と音がして、オーラの濃度が急に高まった。
シェヘラの、驚いたような、咎めるような声が穴から聞こえた。
「たっ、タヌキさん……!? どこから話しかけてるのよ! 何よこの穴!?」
「タヌキは本能的に穴を見つけたらほっとけないもんなんだぜ」
「何言ってるの!?」
「まぁ冗談はともかくとして、事情が事情なんだよ。ここの湯守に『湯船以外は貸せない』って断られちゃったんだ。それにここならお互いに丸裸だ。落ち着いて話ができる。色々と昔話もね」
俺が言うと、シェヘラも意図を汲んだらしい。
「それで覗き穴越しにお話、ってわけ? 用心がいいのね」
「あぁ。君にあんな大砲担がれたままじゃ、俺だってまともにお話できそうにない――何しろ、三年ぶりにあの大砲で狙われたからな」
ふぅ、と彼女が浅く息を漏らした。
兎にも角にも納得してもらえたらしい。
まずそちらからどうぞ、の無言を貫くと、シェヘラが言った。
「ねぇ――ヴァルヴァトロスって、どんな人だった?」
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