悪役令嬢の愚痴と嘘④
「怪我は――ないよね?」
「驚いた。あなたよくあんなとっさに嘘つけるわね。鍛冶師やめてペテン師の方がよっぽど儲かるんじゃないの?」
僕の心配を無視して、シェヘラは屈託なくころころと笑った。
歳相応の、あまりに魅力的な笑顔だった。
僕は――というと、笑えなかった。
理由は二つある。
ひとつは、嘘をついたこと。
僕にホモのおじさんはいない。
ふたつめは、彼女が放つオーラ、である。
この、あまりにも彼女には似合わない、強いオーラ。
そのオーラの凄まじさに、僕は笑えなかった。
結局、僕はまた冴えないことを言った。
「君は無防備すぎるんだ。言っとくが、この街は地獄の一丁目だぜ?」
「地獄の一丁目?」
「そうさ」
僕は念押しした。
「君みたいな娘がここを歩くのは危険すぎる――ひとつ、アドバイスをしてやろう。この街は背中を見せたら撃たれる街だぜ、覚えておいたほうがいい。じゃあまた」
僕はその場から立ち去ろうとした。
彼女にあまり深く関わってはいけない。
それはなんとなくわかっていた。
ふふっ、と、彼女は笑った。
「ふぅん、背中を見せたら撃たれる、ね――」
その瞬間、僕の背中にむんと濃さを増した殺気が突き刺さった。
とっさに、僕は近くに立て掛けてあったモップの柄を手に持った。
手に汗がじっとりと滲んだ。
僕らはほぼ同時に動いた。
シェヘラの魔弾の弩が、僕の額をぴたりと捉えた。
僕のモップの柄が、ぴたりと彼女の喉元に添えられた。
なんて素早い動き――。
有り体に言って、僕は大変驚いていた。
これがガチンコだったら、僕もタダでは済まない速度で彼女は動いてみせた。
『豊穣のシェヘラ』――その二つ名は、全く嘘ではなかった。
シェヘラはしばらくして、驚いたように言った。
「凄い……こんな素早い反応、初めてよ」
「おいおい――これは何の冗談だい? 君は討伐師だろう? 人間は相手にしないはずだ」
「怒らないで。やっぱり、あなたがニーベルなのね?」
シェヘラは魔弾の弩を下ろしながら言った。
僕はモップの柄をそこらに放り捨てた。
「こういう心臓に悪い確かめ方はよしてくれ。だいたい、湯守から聞いてないのか? 聞いてたらなんで直接僕の鍛冶屋を訪ねなかった」
「いいえ、あの人は何も言わなかった。ただ一言、そんなタヌキは知らないって。凄く不自然な感じに」
シェヘラは困ったように笑い、僕の煤だらけの顔を見た。
僕は掌にじっとりかいた汗で顔中の煤を拭った。
姉さんのやつ――僕は番台で肘をついてみかんを食べているだろう姉さんに毒づいた。
ダニエラ姉さんは僕の存在を何故かとにかく隠そうとする。
他の街の人間にとってそれは常識的な話なのに。
まるで僕がそういうものであったという事実をこの世から消したいと願っているかのように。
しかし、それも厄介な話だった。
姉さんは嘘を付くと物凄く挙動不審になるのである。
隠すつもりならもう少し上手に隠してほしいものだ。
シェヘラは再び笑った。
「あなた、実は私の正体に気づいてるでしょ?」
「気づいてる、とは?」
「貴方が三年前にしたことについてよ。これだけじゃわからない?」
わからないわけがなかった。
第一、彼女はあいつに似すぎていた。
最初に見た時、鍛冶屋から剣を持ってこなかった事を後悔するぐらいに。
そのオーラも、声も、見た目も。
彼女は何から何まで、魔王の生き写しだった。
だけど、僕の予想はいい意味で外れた。
なにせ、その時の彼女は道に迷っていて、本当に困っていた風だったからだ。
今から仇討ちをしようというような人間が、標的を前にして道に迷うだろうか。
ということは、彼女の目的は仇討ちじゃないかもしれないし、とりあえず彼女には僕に対する敵意はない。
なら声をかけても安全、と、かなり無理やり僕は納得して安心することにしたのだった。
でなきゃ僕も、魔王にそっくりの彼女に声をかけられて答える気にはならなかっただろう。
むう、と、僕は無言を貫いた。
その僕に、彼女は言い方を変えた。
「ならこう言うわ――ねぇ、タヌキさんには仕事のお休みってあるのかしら」
まるでデートのお誘いだった。
僕は「残念だけど」と首を振った。
「この間、色々あって親方に休みを前借りしちゃったんだ。だから今月いっぱいは休みがないんだよ。ちなみにカネもない。アワやヒエ食べて生活してるよ」
「そんなに時間はかけないわ。仕事の後でもいい。とにかく、あなたと話がしたいの」
「随分熱心だなぁ」
彼女は気の毒なぐらい必死な表情だった。
シェヘラと関わったら姉さんは物凄く怒るだろう。
会う約束をした、なんて言ったら、愚痴どころではなくなる。
だが、話をしなかったらしなかったで、鍛冶場に日参されそうな雰囲気だ。
仕方なく、僕は言った。
「明日の仕事終わりなら開いてるよ。仕事終わりにはだいたい『令嬢の湯』に行くからね」
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