表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
新大陸はきっとバウと鳴く  作者: テチコ
4/5

水が旨い。





 「ほら、大丈夫か?」

 ニメートルを越える大男が優しく背中を(さす)ってくれている。

 ボクは四つん這いになって、胃液とヨダレを垂れ流していた。

 前髪から滴り落ちる液体は赤い。きっと、ボクの全身がこの色に染まっているのだろう。


 死体の山の中心で嘔吐(えず)いているのだ。血の海が広がって、ボクの手や膝や、嘔吐物を飲み込んだ。

 周囲には原形をとどめない死体の山が転がっていて、遠くからは平和そうな小鳥の鳴く声が聞こえていた。

 まったく持って、現実感の無い世界だった。


 震えながら嘔吐(えず)く事しか出来ないボクにむかって、男が一方的に話し掛けてくる。



 そう言えば初めましてだな。

 オレの名前はディアンだ。姓はとっくに捨てた。

 職業はたぶん学者だ。

 残念ながら医者じゃねぇ。

 医者じゃねぇが安心しろ。今、お前が吐いてるのは病気の所為じゃない。

 神経的なもんだな。死にはしねぇよ。

 全部、吐いちまえ。そしたらスッキリだ。その後は薔薇色の人生が待ってるぞ。たぶんな。

 身体的にはむしろ健康そのものだ。マナに満ち溢れてる。

 なかなかのモンだぞ?

 全部、吐いてスッキリしたら、旨いもん食おうぜ?

 その前に服を着なきゃだな。

 てか、なんでお前ネクタイとかしてんの? どういう趣味だ?

 お、これ、神具じゃねぇか。

 神具持ちの転生者かよ。やるじゃん、お前。

 我慢するなよ? 吐けるだけ、吐いておけ。

 いっそ、盛大に行こうぜ?

 いくらでも待っててやるから、遠慮するなよ?



 いくらでも待っててくれるはずの男が、すぐに飽きてしまったらしい。



 優しく背中を擦ってくれながら、まだか~? と、ぼやき始めた。


 あー、どうせ触るなら男の背中なんかじゃなくて、女の背中が良かったなぁー。

 背中じゃねぇーなー。

 おっぱいだなー。

 おっぱいがいいなぁー。

 デカい方がいいなー。

 お前もそう思うだろ?

 おっぱいはデカい方がいいよなぁ?


 命の恩人なんだと思う…。


 でも、こちらはそれどころでは無い…。


 黙っててよと思った…。



 ───



 しばらくして落ち着きを取り戻したボクに、男、ディアンが確認をとる。


「吐き切ったか?」


 喉が張り付いて、うまく言葉が出せないと感じて、ボクは頷くだけにした。


「よし。じゃあ今からオレの家に帰るぞ。すげぇー遠いから転移するしか方法が無ぇ。悪いが、それでいいよな?」


 質問の意図が掴めなかったが、早くこの場から離れたくて、なにも考えずに頷いた。


 よし、じゃあこんな所ともおさらばだ、と。ディアンが血で汚れるのも気にせずにボクを肩に担ぎ上げる。

 軽々と持ち上げられて、視界がくるんと反転した。

 自分の胃液と共にあったはず地面が、赤く遠くに見えていた。


「転移ぃー」


 ディアンが投げやりな声で唱えると、途轍(とてつ)もない浮遊感に襲われた。

 それはたぶん、一瞬の事だ。

 それはだけど、言葉では上手く言い表せない、一瞬の事だった。





 気が付くと地べたに()いつくばっていた。

 這いつくばって、のたうち回っていた。

 這いつくばって、のたうち回って、悲鳴を上げていた。



 あ、頭が痛い。


 の、脳みそが痛い。


 め、目眩(めまい)がする。


 め、目が回る。


 せ、世界が回る。


 い、色が消える。


 お、音が五月蝿いくらい。


 は、吐き気がする。


 でも、もう吐くものがない。



 脳ミソを直接、スープみたいに掻き回されていると思った。


 生きたまま脳ミソを掻き回されたら、どんな世界が見えると思う?


 きっと鮮明な地獄なんじゃないかな?


 そう。

 それは自分の身体の内側がめくれあがる感覚だった。


 何かがボクの口を無理やりに伸ばして、広げた。

 千切れてもおかしくないほど広がった唇が、ボクの身体を包み込んだ。

 ボクの口がボクの身体を食べようとしているのだから、ボクの身体は裏返った。

 手に張り付いたゴム手袋を引き剥がすように、ボクの身体は裏と表が逆になった。

 自分の身体が裏返って、別のモノになった。

 皮膚が身体の内側で食い千切られていた。

 内臓が身体の外側で全部はみ出していた。

 ヌメった内臓が土にまみれて汚れながら、それでも脈を打っていた。


 五感が過敏になり過ぎて、頭が処理仕切れないでいた。


 ボクは生きた粗びき肉で、あるいは引き裂かれた腸詰め肉だった。



 死ぬのかな、と思った。


 死ぬな。と思った。


 殺してくれ。と思った。



 殺してくれと思うくらいに苦しんだ。



 ───



「いわゆる、転移酔いだな」

 ディアンが説明する。

 彼は木の棒みたいなものを口に(くわ)えていた。棒の先端からは煙が上がっている。この世界のタバコみたいなものなのだろう。


「転移酔いはどんな奴でも、一回は襲われる」

 数をこなせば慣れるけどな、と煙を吐いた。


「だかその一回で、死ぬ奴が多い。単純に身体が耐えきれない場合も多いが、自分の吐いたゲロで窒息(ちっそく)するパターンもよくある」

 笑えるだろと、ディアンは言った。


「お前の胃は空っぽだったし、転移に耐えられないほど(やわ)な存在でもない。見れば分かる。俺にはな」

 ボクが凄いんじゃなくて、ボクが凄いことが分かってしまえる俺か凄いんだぜと、彼の顔が語っていた。



 気が付くと森の中に居た。

 今度は林ではなくて、森だった。

 樹齢の読めない、太い樹木が乱立している。

 目の前の、見上げるほどの大きな男が、小さく見えるほどの高い木々だ。

 天に向かって大きく手を伸ばした枝葉のあいだから、神々しく木漏れ日が輝いていた。


 その大自然の隙間を縫うようにして、一軒のコテージが建てられていた。

 入り口にはテラスがあり、木製のテーブルとベンチが備え付けてあった。

 ボクはその長椅子にぐったりと横たわって、ディアンの言い訳みたいな話を聞いていた。


「悪いとは思ったけどよ。他に方法が無かったんだよ」

 口から煙を吐きながら、一応、お前にも確認は取ったろ? 説明は省いたけどな。と、ディアンは悪びれることもなく笑った。


 他に方法が無かったかどうかは分からないが、むしろボクがこの姿になってから、一度もなにも分からない状況が続いているが、自分が今、とても喉が(かわ)いている事は分かった。


 自分でも情けないほどのかすれた声で、水が飲みたいと要望した。


「おう、待ってろ。そうだよな。お前、丸一日のたうち回ってたもんな」

 そりゃ、喉も(かわ)くよなー。と、遠ざかるディアンの後ろ姿を眺めながら、日付をまたいで苦しんだことを知った。



 差し出されたのは木をくりぬいて作られた、原始的なコップだった。

 中には瑞々(みずみず)しい水が、なみなみと注がれていた。

 ゆっくり飲めよ。胃がビックリするからな。

 ディアンに言われて、コップを両手で受け取った。

 いつまでも眺めていたくなるような、()んだ美しい水だった。

 少し震えた手でコップに口をつける。


 水を口に(ふく)んだ瞬間、ボクの頭の中に文字が浮かび上がった。


 -嗚呼(あぁ)、これは、命の水だ、と。


 衝撃が走った。

 様々な想いが駆け巡った。

 色々な記憶が蘇った。



 なぜか突然、知らない世界にやって来た自分。

 その姿は明らかに子供で、裸で、ネクタイで…。

 林の中をさ迷った。

 見たこともない化け物に襲われた。

 たぶん、人生ではじめて死を覚悟した。

 でも死なずにすんだ。

 でも助けられた相手から、あの時に死ねば良かったと思う目に遭わされた。


 でも、生きてる……。


 ボクは…。


 生きているッ!!



 言われた通り、与えられた水を、命の水を、一気に飲み干したい衝動を押さえて、ゆっくりと、ゆっくりと嚥下(えんげ)した。

 その味は甘く、甘くて、甘かった。


 とても素晴らしい体験だった。


 甘くて…、おいしいなぁ……。

 これが生きてるって事なんだなぁ……。


 生を実感した。


 涙が溢れた。


 万感の想いが去来(きょらい)した。


 世界が輝いて見えた。


 生きているって、それだけで素晴らしいと思った。


「生きているって、それだけで素晴らしいね」とも言ってみた。


「お、おおぅ……。そうだな」


 薄汚れた裸にネクタイな子供野郎に、涙して生きる喜びを訴えられたのだ。


 ディアンもちょっと引いていた。


 それから取り(つくろ)うようにして、剣と魔法の世界へようこそと、言われた。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ