プロローグ
太陽が昇る前に、男が目を覚ました。
冬の乾燥した空気を吸って、男はベッドから起き上がる。
起き上がり歩くだけで、身体の節々が痛んだ。
ゆっくりとした動作で男は身仕度を整えてゆく。
深夜と早朝の間に挟まれて、静寂のなかに男はいた。
自分が出す生活音だけが、部屋の空気を揺らしていた。
白湯を飲み、歯を磨き、髭を剃り、顔を洗った。
沸騰するお湯やブラシの擦れる音、シェーバーの泡立つ響きと、冷たい水が頬にあたるにつれて、男の頭が覚醒していった。
男が寝間着を脱いで洗濯カゴにそれを落とした。
下着姿で震えながら、久しぶり引っ張り出したスーツに袖を通す。
クリーニングに出したばかりのワイシャツは、ピシッと襟が立っていて清々しい。
整髪料を塗り、髪を櫛で丁寧に撫で付けるころには、太陽が地平線から昇り始めていた。
窓ガラスを通り抜けて、朝日がカーテンを赤く青く照らしていた。
やがて新聞配達のバイクの音や、深夜に出されたゴミ袋の中身を狙って早起きのカラスが鳴き始めていた。
また今日も、一日が始まろうとしてしている。
鏡の前でネクタイを絞めようとした時、しかし、男はふいに意識を失った。
これが男の、地球での最後の記憶となった。