結婚式
*またフランソワ視点です。
魔王封印の後、俺達が普通の生活に戻るまでには多少の時間が必要だった。
魔王の森の復元や、何が起こったかの調査報告など、やるべき仕事はいくらでもあった。
オデットは魔王との戦いに参加したスズたちに心的外傷が残ったらどうしようと心配していたが、現在までのところ、そのような懸念は必要ないようだ。
子供達は全員元気に学院に復帰した。
俺は仕事が終わるまで、学院復帰は出来ない。スズの顔を見ることが出来ない生活に苛々ばかりが募る。
今頃教室でスズは俺以外のクラスメートの男に笑いかけているかもしれない、と思うと、心配で堪らなくなる。
スズの笑顔は信じられないくらい可愛い・・・そして、彼女は無防備だ。
俺にだけ無防備でいてくれればいいのに・・・と切ない想いがこみ上げてくる。
そして、早く結婚したい。スズを自分だけのものにしたい、と焦れた想いが募る。
時間が経つのがかたつむりのように遅い、と嘆息した。
調査報告書を国王に届けるため王宮に行くと、オデットが通りかかった。
「あら、フランソワ。どうしたの?」
「ああ、アランに調査報告書を提出しにきた。あと、姉上に相談したいことがあって・・・」
と言いかけて
「オデットでもいいんだが・・・」
と言うと
「何か相談?いいよ。じゃあ、執務室に来て」
と豪華な彼女の執務室に案内された。
「主席魔術師か。出世したな。大したもんだ」
と言うとオデットは赤くなって「揶揄わないで」と言う。
「マーリンは完全に精霊の森に引っ越しちゃってね。まだ大陸の結界は完全に修復出来てないので、必要な時は助けに来ると言ってはくれてるんだけどね」
マーリンは精霊の森での暮らしが余程楽しいらしい。ミリーという恋人もいるし、幸せそうで何よりだ。
・・・スズを取られる心配もなくなるし、と脳内で付け加える。
「それで?相談ってなに?」
と改めて聞かれると恥ずかしい。
「・・・その・・前にも言ったと思うけど、俺達はスズが卒業したらすぐに結婚したいんだ・・・。オデットが準備は全部任せていいって言ってくれたんで、俺はアランから結婚の許可を取るくらいしかしてないんだが・・・」
「うん、そうよ。そろそろ新郎の礼服の手配と採寸をお願いしなくちゃいけないから、それはフランソワの協力が必要だけど、後は私とスズで準備するわ。何かリクエストがあったら聞くよ?」
というオデットの答えを聞いて、益々自分の相談が恥ずかしくなる。
「・・・俺はスズが満足ならそれでいい。彼女の希望を聞いてやってくれ」
「うん。分かった。きっとフランソワはそういうと思ったわ。それで相談って?」
「俺は結婚式の準備では何も出来ないが・・・何かスズが喜ぶことをしてやりたいんだ。プレゼントとかでもいいんだが・・・。でも、情けないことに何をしたら喜んでもらえるかが分からない」
・・・恥ずかしいな、とオデットの顔がまともに見られなかった。
オデットは両手を合わせて感極まったように
「・・・フランソワが恋人のことでそんな風に悩むなんて!!!」
と顔を紅潮させている。妙に嬉しそうだ。なんでだ?
オデットは興奮した様子で
「あのね!私だったら、好きな人から恋文を貰ったらすごく嬉しいわ!スズに恋文を書いたらどう?そして、結婚式の日に彼女に渡すの!最高にロマンチックだわ!」
と熱弁を振るう。
・・・恋文?・・・俺が?ろくに手紙も書いたことのないこの俺が?
呆然としながら考える。当然だが、これまで一度も恋文なんてものは書いたことがない。
何を書けばいいのかも分からない。俺は絶望した。
「絶対に喜ぶわ。スズを喜ばせたいなら絶対に恋文よ。だって、あの子ドレスだって宝石だってそんなに喜ばないもの!」
と強調されると、確かにその通りなので反論しにくい。だから、誰かに相談したかったのに・・・。
・・・恋文か・・・と思いながら、オデットに御礼を言って帰路についた。
ようやく魔王復活についての後処理が片付き、俺はすぐに学院に戻った。
・・・スズに・・・早くスズに会いたい、と教室に急ぐ。
ドアを開けた瞬間スズの姿が目に入り、ほっと息を吐いた。輝くように可愛い・・・と顔が緩む。
・・・いかん、ここでは俺は一教師だ、と慌てて無表情の仮面を被った。
生徒たちから
「先生、おはようございます!」
と挨拶されてそれに答えながら、気持ちを立て直す。
スズへの感情を出しちゃいけない。
冷静に生徒たちに対応し、出来るだけスズを見ないように心掛ける。
でないと色んな我慢が出来なくなりそうだからな。
その時、クラリスが手を挙げて
「先生、質問があるんですが、放課後に質問しに行ってもいいでしょうか?」
と尋ねた。
「勿論、構わない。放課後準備室に来なさい」
と答えながら、密かに胸が高鳴った。
期待していた通り、放課後クラリスはスズと二人で準備室に現れ、
「じゃあ、私はこれで失礼します」
と去って行った。
彼女なりに気を利かせてくれたんだろう。
俺とスズは久しぶりに二人きりになり、少し気まずい。
気まずさを振り払うように
「お茶でも飲むか?」
と聞くと「うん!ありがとう」とスズが頷く。
・・・可愛い。つい、にやけそうになる顔を引き締める。
二人で向かい合ってお茶を飲みながら、俺は必死に気の利いた話題をひねり出そうとしていた。
どうした!?俺!?
久しぶりに会うスズがまた大人っぽくなって緊張してしまうなんて、お前はガキか!?と突っ込みたくなる。
「・・・あの、お母さまから・・・その、結婚の準備の話があって」
とスズが訥々と話し始めて、俺はほっとした。
「うん?」
「今度・・・フランソワの礼服の採寸に来て欲しいって」
「ああ、分かった。都合を合わせて行くようにするよ」
と俺が微笑むと、スズは不安そうな顔をする。
「・・・どうした?何か問題が?」
スズが不安そうだと俺も不安になる。
「あの、お母さまからね、結婚したら私もお祖父さまのところに一緒に住むのかって聞かれたの。・・・なんて答えたらいいかな?」
・・・ああ、俺は結婚することばかりに夢中になって、その後の大事な話を何一つしていなかった、と反省する。
俺はスズの返答次第で大きな決断をするつもりだった。
「スズは・・・どうしたい?俺にとってはスズの幸せが一番だ。お前の希望を叶えたい。お前は冒険者になって旅をしたいって言っていただろう?」
スズがポカンを俺の顔を見た。
「え・・・?でも、冒険者なんて・・・無理じゃない?」
「どうして?」
「だって・・・フランソワはモロー公爵家の後継ぎだし・・・」
「スズ。俺はお前の夢を叶えたい。お前はどうしたいんだ?正直な気持ちを聞かせてくれないか?」
「・・・大人になっても冒険者とか・・・夢物語を語るなんて、それでフランソワに迷惑かけるなんて、最低じゃない?」
「スズ」
俺は精一杯甘い声で囁く。
「俺はお前が幸せになることが一番大切なんだ。お前が冒険者になりたいなら、俺も喜んで一緒に旅に出るよ。ただ、その場合は公爵の後継ぎの座は捨てないといけないから、スズが将来公爵夫人になりたいんだったら、ちょっと問題だけど」
スズの目がまん丸に見開かれた。・・・やっぱり可愛いな。
「でも、そうしたらお祖父さまの家を継ぐ人が・・・。それにフランソワだって公爵になれなくなっちゃうよ」
「・・・俺ははっきり言って貴族の身分に執着はないんだ。むしろ、平民に戻れるなら戻った方が気楽だな、と思ってる。俺はポーションマスターだ。それは貴族も平民も関係ない。どこでも仕事があるし、各地のギルドに登録しながら旅をすれば、生活は成り立つだろう」
実を言うと、俺がポーションマスターとして働いた分の報酬は自分のものにしろと公爵から厳しく言われているので、俺には相当な額の貯えがある。
公爵邸では衣食住が保証されていたし、これまでは欲しいものも無かった。公爵に世話になっている御礼を渡そうとしても決して受け取って貰えなかったから、必然的に貯金だけがどんどん伸びていったんだ。
「勿論、スズが平民になるのに抵抗があるんだったら・・・」
「そんなことない!私はフランソワと一緒にいられるならどっちでもいいよ」
と言うスズ。・・・ああ、可愛い。抱きしめたくて堪らない。
「もし、お前に冒険者として働く覚悟があって、平民になることに抵抗が無ければ、俺はお前と一緒に行く。俺はお前だけがいればいいから、失うものは何もない。ウィリアムを公爵の養子にしたらどうかって提案するつもりなんだ」
「弟の?ウィリアムを・・・?」
「公爵の血筋を実際に引いているウィリアムの方が公爵家を継ぐのに相応しいとずっと思っていたんだ。ジェラールはリュカの後を継ぐだろうから、ウィリアムに公爵家を継いでもらうことも可能じゃないかって。・・・勿論、まだ子供だし本人の希望が一番重要だから、勝手には決められないけどな」
「そんなこと、考えたこともなかった」
「なにより、公爵はまだまだ若いし元気に宰相として腕を振るっている。すぐに後継ぎを心配する必要はないと思うぞ」
「そっか・・・。でも、本当に・・・いいの?」
「ああ、お前の正直な気持ちを聞かせてくれ」
「・・・私はやっぱり冒険者になって旅に出てみたい。勿論、私は世間知らずの甘ったれた箱入りだから、それがどんなに大変なことか分かっていないんだと思う。それでも、やってみたいという気持ちを止めることが出来ないの」
やっと言ったか!と俺は嬉しくなった。彼女の頭を撫でながら
「大丈夫だ。俺に任せておけ」
と微笑んだ。
その後、俺は教師の仕事をしながら、スズとの結婚後の生活について公爵夫妻、リュカやオデットと話し合いを行った。
みんな「そんな予感がしていた」と快く俺達の希望を受け入れてくれた。
但しリュカからは
「旅の途中でスズを少しでも傷つけるようなことがあったら許さない」
と相変わらず脅しをかけられたが(苦笑)。
そんな風に忙しい日々が続き、スズの卒業パーティ(勿論ダンスのパートナーは俺だ)や卒業式などのイベントも終わった。
そして、気がついたら俺達の結婚式の日だった。
あれほど待ち望んでいたのに、俺は朝からガチガチに緊張していた。これが現実のこととは思えない。
何かに化かされているんではなかろうか?
俺は真っ白なタキシードに青鈍色のベスト、濃い目の蒼いクラバットを着用しながら、やっぱり狐か狸に化かされているのではないかと疑っていた。
結婚式はスズの希望で公爵邸の庭園で行うことにした。
カジュアルなガーデンパーティのようにして、みんなにリラックスして楽しんで貰いたいとスズが望んだから。
それに俺とスズが長く一緒に過ごしてきたのはこの屋敷だからな。
流石に牧場での式は無理なので、美しい花が咲き誇る庭園でのガーデンウェディングになった。
料理はスズとオデットと料理長たちが協力して作った最強メニューだ。
マーリンやミリーを始め、精霊王や精霊たちも多く招待されているので、ベジタリアンメニューも充実させた食事が用意されている。
招待客は、様々なアペタイザーが盛られた料理をつまみながら式が始まるのを待っている。
俺はワインを飲んで緊張を解こうとしたが、ダメだった。どうしても指が震える。
長年の付き合いのあるアランや姉上も式に来てくれて
「いやー、正直お前は一生独身だと信じてたんだけどな」
と散々揶揄われた。
「フランソワ。本当におめでとう。ずっとずっと心配していたの。一つ肩の荷が下りたわ。スズちゃんと幸せにね」
と姉上は目に涙を浮かべながら祝福してくれた。
パトリック、クラリス、ジェレミー、ジゼルといういつものメンバー。マーリンとミリー。精霊王三兄弟と側近たち。クリスチャン・ベルナール公爵とニコル夫人。セドリックとその家族。ジルベールと娘のヴァレリー。公爵邸の使用人の面々。
多くの人たちが俺達を祝福してくれる。
俺は人間嫌いで人と関わらないように生きてきた。それなのに、気がついたらこんなに沢山大切に思う人たちが増えていたんだ。
スズのおかげだな・・・。
モロー公爵とカロル夫人が登場するとパッとその場が華やいだ。
「フランソワ、おめでとう」
とカロルに抱きしめられて、俺は胸が一杯になった。彼女はずっと俺達を温かく見守ってくれていた。
そして、満面の笑みを浮かべるモロー公爵と固く握手を交わす。
公爵の後ろに隠れるように立っていたのはリュカだった。
不機嫌そうな顔をしていて、カロル夫人に窘められている。
「俺の大事な娘を攫って行くんだ。スズを幸せにしなかったら、俺は地獄の底までお前を追い詰めて、死んだ方がましだという思いをさせてやる!」
とリュカは結婚式にあるまじき暴言を吐いた。
ジェラールとウィリアムは単純に姉の結婚に興奮しているようだった。
二人とも素直ないい子たちだ。ちょっとやんちゃだけどな。
色んな人達から祝福される中、突然
「キャー―――」
という歓声が上がった。
そちらに視線を向けると、スズが真っ白なウェディングドレスを着て、オデットに付き添われて登場した。
参列客が口々に「綺麗だ!」と声を掛けている。
スズは元々の顔の造形が整っているし肌も綺麗なので、化粧はほとんどしていないような気がする。
真っ白な肌は陶器のようにしっとり滑らかで、睫毛は陰が出来るくらい長い。
猫の目のような蒼い瞳は、喜びを映してキラキラと輝いている。
頬はピンク色に紅潮していて、最高に可愛らしい。
俺は真剣に思った。
これが現実であるはずがない。天使が俺の嫁になるなんて・・・。
「フランソワ!」
と言いながらスズが俺に駆け寄った。
ダメだ!可愛すぎて直視出来ない!と思わず目を背けてしまった。
スズの表情が曇って
「似合わない・・・?」
と聞く。
「フランソワ。スズを不安にさせないで」
というオデットのこめかみには怒りの青筋が立っていて、俺は大慌てで弁解した。
「ち、ちがっ・・・お前があまりに可愛すぎて・・・まともに視界に入れると目が潰れるんじゃないかと思って・・・」
俺の慌てふためく様子を見て、スズが安心したようにクスクス笑い出した。
・・・笑顔、マジ天使。スズの顔にうっとりと見惚れているとリュカから
「そのしまりのない顔を何とかしろ!」
と頭をはたかれた。
そんなやり取りも可笑しいと、多くの人たちが大笑いする。
雲一つない青い空の下で、俺達は大切な人たちに祝福されて永遠の愛を誓った。
その日の夜、スズは公爵邸の俺の部屋にいた。
窮屈な礼服から部屋着に着替えた俺達は、食後のお茶を二人で楽しんでいた。
ようやく結婚できた俺のスズをもう放したくない。
今すぐスズを抱きしめたい、と思いながらも、俺は葛藤の中にいた。
オデットに言われた通り、俺は手紙を書いた。
・・・生まれて初めて書いた恋文だ。
何度も書き直したが、今でも失敗だと感じてしまう。手紙なんて姉上くらいにしか書いたことがないんだ。
俺はこの手紙を本当に彼女に渡すかどうか悶えるくらい悩んでいた。あまりに下手な文章に、逆にがっかりさせてしまうかもしれない。
「どうしたの?」
きょとんと俺を見上げるスズはあり得ないくらい可愛い。ああ、抱きしめたい。
・・・ふぅ、と俺は深呼吸をした。
「・・・実はお前に手紙を書いてきたんだ。でも、その・・あまり上手く書けなくて・・・」
「手紙!?」
とスズの顔が嬉しそうにほころんだ。
「嬉しい。フランソワが手紙を書いてくれたなんて・・・。何より嬉しいよ」
顔を赤くして喜んでいるスズを見て、確かにオデットは正しかったと納得した。
俺は清水の舞台から飛び降りる気持ちでスズに手紙を渡した。
・・・恥ずかしい。もし、これで嫌われたらどうしよう、と不安だけが募る。
スズは嬉しそうに俺の手紙を読み始めた。長い髪を耳にかけて手紙の文字を目で追う。
そんな仕草も可愛いな・・・と見惚れていると、彼女の両目からボロボロと涙が溢れだした。
「・・・今まで生きてきて・・・一番嬉しい手紙だよ。ありがとう。フランソワ」
と濡れた瞳で俺を見つめるスズに、俺はもう我慢できなかった。
スズを力一杯抱きしめて「愛してる」と囁きながら深く口付けた。
『親愛なるスズへ
スズと結婚するにあたり、伝えておきたいことがある。
俺はスズに心から感謝している。スズは俺の人生を変えてくれた。勿論、良い方向に。
スズが現れる前、俺の生活はモノクロで変化のないつまらないものだった。
人と関わるのも大嫌いだった。
スズに出会う前の俺は、無感情、無表情、無気力を絵に描いたような状態だったと思う。
しかし、スズが現れて以来、俺の感情は揺さぶられてばかりだ。
スズのことを考えると愛おしくて胸が震えるし、スズが悲しそうだと心配で堪らなくなる。
スズと一緒に笑っているときは至福の時間だと感動するし、スズと離れている時は寂しくて辛い。
そして、大切に思う人たちもどんどん増えていった。全部スズのおかげなんだ。
スズが俺の人生に感情と彩りをくれた。人に恋する気持ち、嫉妬する心、愛おしいと慈しむ気持ち、様々な感情を教えてくれた。
俺を受け入れてくれてありがとう。
俺と一緒の人生を選んでくれてありがとう。
俺を愛してくれてありがとう。
君と出会えたことが俺の人生で最善の出来事だと思う。
フランソワ・アンリ・モローは君だけを生涯愛し続けることを誓う』




