ジャックの事情
モレル大公国の港までは転移魔法と馬車を組み合わせて向かう。
馬車の中でフランソワは私に小さな薬瓶を見せた。
みう?
と首を傾げながら鳴くと、益々甘い顔で
「これは幸運のポーションだ」
と言う。
幸運のポーション!?いつの間に?
「夕べお前が眠った後に、作ったんだ。せっかく神龍がくれた鱗だからな。活用させて貰わないと。ただ、量がとにかく少ない。気休め程度だが、少しの幸運が出来るだけ長続きするように作っておいたから、お前が飲め」
え!?フランソワは?
ときょとんとフランソワを見る。
「いや、お前の方が小さくて可愛いし・・・とにかく可愛いから、これを飲んでくれ」
という支離滅裂なフランソワの言葉を聞きながら
「みう~、みゅ~(いや、フランソワが飲んでよ)」
と訴えるが通じるはずもない。
半ば無理矢理口をこじ開けられ、あっさり薬を飲まされた。
・・・この人、こういうの慣れてるのね。
あまりに手際が良くて抵抗できなかった。
幸運のポーションは甘酸っぱくて、ミントの香りがした。
その後、無事にモレル大公国の港に到着すると、港は厳戒態勢になっていた。
あちこちに兵士が配置されている。結界の崩壊と共に、港と沿岸地域に警戒態勢が敷かれたのだ。
私達が乗る船を探していると、セドリックが私達に向かって大きく手を振る。
今回タム皇国へ私達を連れて行ってくれるのはセドリックだそうだ。
セドリックはタム皇国の皇太子から賜った船の船長になったんだって。
ミレーユのパパ船長は、ミレーユのしでかしたことの責任を取って引退し、家族で遠隔地に引っ越したという。
・・・複雑な心境だ。
セドリックはフランソワと握手を交わし
「スズが呪いにかけられたって・・・?」
と心配そうに眉間に皺を寄せる。
日に焼けた精悍な顔立ちが益々男っぽさを増し、イイ男になったなぁ、なんて考えていたら、
「え!?この子猫が!?スズ?」
とセドリックが大声をあげた。
フランソワの肩に乗る私を見て
「ちょっとだけ・・・抱っこしていい?」
と聞くセドリック。
不承不承頷くフランソワ。
私を抱っこしたセドリックは
「人間の時もありえねーくらい可愛かったけど、子猫になったスズはまた別な堪らない可愛さがある!」
と私に頬ずりをする。
う~ん、髭がじょりじょりするなぁ、とセドリックの頬をペロリと舐めると、セドリックが真っ赤になってぷるぷる震えだした。
フランソワが不機嫌丸出しの顔で私を奪い返す。
「・・・スズ、お前は猫になってもそうなのか!警戒心を忘れるな!」
と理不尽な理由で叱られた。
私が猫のせいか、どことなく緊張感のないままタム皇国へ向けて出航することになった。
セドリック曰く、本船はこの辺りの海域で一番速い船として名を馳せているらしい。
私は船が物珍しくてあちこち歩き回っては、フランソワに連れ戻されていた。
フランソワは船室に行くと、私を枕の上にそっと置く。
私に触れる彼の手はいつもとても優しくて、昔ポーションを作るフランソワの手を見てドキドキしていたことを思い出した。
あぁ、人間のスズにも同じようにしてくれたらなぁ・・・。
彼はベッドにゴロリと横になり
「お前と二人なら、ここでずっとイチャイチャしててもいいんだがな」
と私の頭を撫でる。
また、鼻血ぶー発言が飛び出した!どんだけ猫好きなの!?
さすが皇太子所有だっただけあって、この船は堅固な仕様で、内装もゴージャスだった。
今回は船を軽くするため最低限の船員で回しているらしく、セドリックも常に忙しそうに立ち働いている。
保存食の食事は一緒に取るが、タム皇国についてからの手続きなど事務的な話ばかりしている。
私は大人の話は放っておいて、新鮮な魚にかぶりつく。
・・・んんん。やっぱり魚は美味い!
「・・・ルドルフ第二皇子は皇帝の不興を買って、今は冷遇されているそうだ」
というセドリックの言葉にふと興味を引かれて、耳をぴくぴく動かす。
「まぁ、結局玉璽も奪還できず、賠償金まで払う羽目になったからな。皇帝は怒り心頭だったろう」
とフランソワが冷静に返す。
「ああ、その一件で皇太子側につく貴族も増えたしな。ただ・・・結界が崩れたとなると、話は別だ。主戦派が再び盛り返すだろう。友好条約があるから、多少遅らせることは出来るかもしれないが、いずれ侵略の兵を出すのは時間の問題だ」
「そうだな・・・。例の二人は?」
「まだ俺のところには情報が入ってきていない。ジャックが最新の情報を持っているから、彼に聞いてくれ」
「ところで、ジャックとは何者なんだ?海賊の親玉だったり、皇太子の代理人だったり・・・得体が知れない」
「・・・そうだな。皇宮に行くなら説明しておいた方がいいだろうな。ジャックというのは本名じゃないんだ。本名はアントン・タムという」
「アントン・タム?タムっていうことは?」
「ああ、皇族だ。ただ。彼の場合は事情があって、皇帝の実子ではない。・・・皇帝は女癖が悪くて、視界に入る女には全て手を出すという噂があるくらいだ。その中で特に気に入った女を後宮に入れるんだ」
うげ・・・。最低。
「ユーリ皇太子とナターリヤ皇女は正室の皇妃の子供達だ。ルドルフ第二皇子は側室の息子で、他にも多くの皇子皇女がいるが、長男と長女であり正妃の嫡子であるユーリ様とナターリヤ様には誰も文句がつけられない。血筋でも能力的にもな。二人とも優秀で多くの有力貴族が支援しているし、何より人民から慕われている」
「なるほど・・・」
「皇帝は年を取るにつれ見境がなくなってな。町で見かけて気に入った女なら平民だろうが、既婚者だろうが構わず手を出すようになった。アントンの母親は未亡人で、既に子供もいたが、彼女は子連れで後宮に入った。その子供がアントンだ」
うわ、珍しいね。血筋を何より気にする皇族が。
「皇帝はアントンの母親を余程気に入っていたらしいが、連れ子のアントンのことは全く無関心だったらしい。むしろ、邪魔者くらいに思っていた。彼は後宮で虐待とも言えるような酷い扱いを受けていた。後宮の他の皇族や使用人ですら、アントンを馬鹿にして嘲笑した。そんな中、彼を唯一庇っていたのが、正妃とユーリ様とナターリヤ様だった」
「・・・味方がいて良かったな」
フランソワが小さい声で呟く。
「ああ。ユーリ様とナターリヤ様とは年が近かったこともあり、本物の兄弟のように育ったらしい。ところが、アントンの母親が病死して・・。毒殺という噂もあるくらい突然だった」
「後宮は伏魔殿だからな・・。鬼が出るか蛇が出るか」
「アントンは怒りもあったんだろう。後宮を飛び出して、海賊・・・というより義賊に近いものになった。弱い者には絶対に手を出さない。悪者から金を奪って貧しい者に配るということをしていたんだ。元々頭も良く剣術も魔法も強かったから、あっという間にあの海域の海賊の頭になった」
「・・・確かに腕は立ちそうだった」
「ユーリ様とナターリヤ様は、リシャール王国とモレル大公国が、海賊の大親分に経済援助をする代わりに情報収集や治安維持をさせるというやり方に感心していて、アントンにも協力的だった。アントンも最初は俺達に身分を明かさなかったが、友好条約を進めたいという皇太子側とこちら側で利害が一致して、接触することが多くなったために、こういった事情を知るようになったんだ」
ほぇ~。そんな事情があったんだ。
確かにジャックはナターリヤ様と親しそうだったし、ユーリ様の代理人を任されるくらい信用されているんだろう。
「なるほど。表舞台には出て来ないが、皇太子の勅命を受けて影で動いているんだな」
「そうだ。ただ、表向きは皇太子付きの侍従として皇宮で働いている。アントンが大海賊ジャックだということを皇帝は知らない。血のつながりはないとは言え、アントンは皇族として扱われていた時期もある。ユーリ様がアントンを侍従にしたいと言った時、皇帝は渋い顔をしながらも許可したらしい」
セドリックの言葉に、フランソワは思案気に考え込んだ。




