手編みのセーター
それから7年。私は牧場に入り浸った。
公爵邸には私専用の部屋もある。
その7年の間にジェラールとウィリアムという可愛い弟が二人誕生し、私は10歳になった。
お母さまから課せられた毎日のトレーニングと勉強を全て完璧にこなせば牧場に行っていいという約束だったので、私は全部を頑張った。
公爵邸に着くと私はまず服を着替える。
とにかく動きやすい服装が肝要だ。
お母さまが作ってくれた黒の装束を身に付ける。
我が家で「ニンジャ服」と呼ばれているものだ。
牛舎や羊舎の掃除も慣れたものだし、ボーダーコリーのジルともすっかり仲良くなった。
ジルは今では私が顔を出すと、すぐに飛んで来てハグをねだる。
ああ~~、モフモフ~と幸せを感じる。
それに厩舎にも自由に出入り出来るようになった。
貴族の屋敷の常として馬の世話をする厩舎はこの屋敷にもあるが、そこでは専用の厩番が居て、馬の世話を一手に担っている。
私は牧場に隣接した厩舎にも入り浸って、ついでに乗馬も習っていた。
さすがに厩舎は掃除をさせて貰えないが、お気に入りのメイスという馬の世話はさせて貰っている。
メイスに乗って広大な馬場を闊歩するのが楽しくて堪らなかった。
メイスも私が来ると喜んでくれて、鼻息も荒く私に首をすり寄せる。
厩舎には専従の厩番のエリックとセドリックが居る。他にも装蹄師や調教師が厩舎で働いているし、定期的に獣医師も来るので結構賑やかだ。
エリックは中年男性で、セドリックは12歳だと言った。
セドリックは2年ほど前から公爵邸で働いている。若いのにとてもしっかりしていて、エリックも頼りにしているようだ。
エリックによるとセドリックはリシャール王国でも1、2を争う裕福な商家の次男だが馬が好きなので、ここで働かせてもらっているという。
「実家がお金持ちなのに厩舎で働くなんて変わってるね」
と言ったら、
「お前にだけは言われたくね―――!」
と爆笑された。何故だ?
フランソワは小さい頃は牧場に行く時に必ずついて来てくれたが、最近は勝手にしろと放置されることが多い。
でも、この7年間でフランソワは一見口が悪くて無愛想だけど、素っ気ない態度の中に優しさが隠れていることが分かった。不器用な性格なんだよね。
ジルベールは護衛として私に付き添ってくれるだけでなく、牛舎や羊舎の掃除も手伝ってくれようとするので、それは業務範囲外だと断っている。
お母さまに糞掃除の話をしたら、何故か感動されて強く抱きしめられた。
「昔サットン先生からトイレ掃除という修行について教えて貰ったことがあるの。先生のいた世界では、選ばれた生徒だけが経験する辛い苦行だと。私は選ばれなかったから経験したことがなかった。スズ、あなたは素晴らしいわ。きっと良い修行になるからお願いしますと、私もフランソワに伝えておくわね」
ということで、牛舎と羊舎の糞掃除は私にとっては当然の職務になっている。私が行けない時はフランソワが掃除してくれる。
牛や羊たちにも個性があることが分かったし、私は動物に囲まれる生活が大好きだ。
それに・・・公爵邸に居ると、たまにフランソワの仕事場を覗いたりできるんだ。
フランソワは指が長くて手がとても綺麗だ。物陰からコッソリ覗いて悦に浸る。
その長い指がポーションを扱う時に見せる動きがとても複雑で繊細で、私は見ているだけでワクワク・・というかゾクゾクというか・・・不思議な気持ちになる。
フランソワの真剣な表情や立ち姿の美しさに見惚れてぼーっとしていることも多かった。
ジルベールは、私がフランソワをつけ回しても何も言わず、目立たないところで辛抱強く待っていてくれる有難い存在だ。
フランソワは様々な薬草を使ってポーションを調合するので、広大な屋敷の庭をあちこち歩き回って薬草を探す。
私はそんな彼について歩くのも好きだった。
その日も私はフランソワと一緒に薬草を探していた。
世間話のついでに
「あのね、今年はフランソワのセーターを編もうと思ってるんだけど、何色がいい?」
と聞いてみる。
牧場の羊たちは春先に羊毛刈りを行う。
3頭いる羊からは良質の毛糸が取れるので、希望する使用人に下げ渡しているが、フランソワは、毎年セーター一着分の羊毛は私にくれると約束してくれた。
牛舎と羊舎の掃除の報酬だそうだ。へへっ!
でも、選り分けた毛を洗浄し草木染で染色し、糸車を使って毛を紡ぎ毛糸を作る作業は決して楽ではない。
初めて作ったのはお父さまのセーターだった。
クリスマスプレゼントとして渡したら、目を潤ませて喜んでいた。
出来上がりは正直酷いものだったが、これだけ喜んでもらえるなら頑張った甲斐があったと思った。
今でも冬になると必ず着てくれるけど、拙さが目について今となっては恥ずかしい・・・。
翌年はお祖父さまのセーターを作った。お祖父さまも喜んでくれて良かったが、お父さまがやきもちを焼いて大変だったと後でお母さまに言われた。
その次はお父さまのお父さま。ヤンお祖父さまのためのセーターを作った。
一緒に住もうとお父さまは何度も誘ったらしいんだけど、ヤンお祖父さまは療養所の生活に慣れているから動きたくないと今でも療養所で生活している。
なので、療養所に住んでいるお祖父さまにセーターをプレゼントしたら、みんなの前で号泣されて、私の方が焦ってしまった。
そして去年はジルベールのセーターを作った。
慣れてきたので、模様を入れたりして凝った作りに挑戦した。
そして、今年だ。満を持してフランソワのセーターを作りたい!
でも、フランソワは気乗りしない様子で
「・・・別に俺はいらないから」
と言う。
私は心の底からがっかりした。
・・・分かってる。フランソワは私に全く関心がないことを。
幼い頃からずっと見てきた。フランソワの心が誰のものなのかは彼の態度を見るだけですぐに分かる。
多分気づいてないのはお母さま本人だけだと思う。にぶちんっ!
お母さまは三人の子供を産んだ後も体形や美しさが全く変わらない。
お父さまが今でもお母さまに夢中なのも良く理解できるし、きっと職場でも知らず知らずのうちにモテてるんだろうな、と思う。
フランソワのお母さまへの気持ちは・・・何と言うか・・・ものすごく深い。
お母さまが関わる時だけフランソワの感情が動くのが分かる。
お母さまが近くに居るとフランソワの雰囲気がガラッと変わる。見ているこちらが恥ずかしくなるくらいにあからさまに空気が優しくなる。
フランソワのお母さまへの想いの強さを思い知らされる度に私は落ち込んでしまう。
セーターをいらないと言われて私はとてもがっかりしたけど、それを表に出さないように気をつけた。
「そっか。じゃあいいや。気にしないで」
と言って走り去った。ちょっと泣きそうだったから。
男の前で泣いて何とかしようとするのは小狡い女がすることだ、とお母さまから言われている。
・・・あ~あ。今年は羊毛の出来が良くて今までで一番良質の毛糸が取れそうだったのにな・・・
今年は誰に作ったらいいんだろう・・・と落ち込みながら歩いているとセドリックとぶつかりそうになった。
半べそをかいているのに気づいたのだろう。
「何があった?」
と心配そうに聞いてくれる。
「ううん。何でもない」
と言いかけて、良い考えが浮かんだ。
「ねえ、セドリック。手編みのセーターって欲しくない?」
「て、手編みのセーター?・・・なんで?」
セドリックは何故か顔を赤らめながら聞く。
「あのね。今年の羊毛は質がいいのよ。だから、セドリックの好きな色に染めて毛糸を作ったら、それでセーターを編んであげる!」
と言うとセドリックは
「マジか!?」
と手で顔を覆ってしゃがみこんだ。
「・・・嫌だった?」
と不安になると
「違う!・・・嬉しくて・・・」
と言われたので、私の気分も高揚した。
「良かった!何色がいい?」
「そうだな・・・。赤とかどうだ?」
セドリックは鮮やかな赤毛をしている。きっと似合うだろう。
「分かった!任せといて!」
と胸を叩くと
「・・・それって毎年クリスマスプレゼントって編んでる奴だろ?俺もさ・・・お前に何かプレゼントを贈りたいんだけど。何がいい?」
と真面目な顔で聞かれる。
「えぇ!?いいよ。所詮手作りのものだし、気にしないで!」
「いや。俺の実家は結構大きな商家だから、大体何でも手に入るんだ。だから、ちゃんと言って欲しいんだけど・・・じゃないとセーターも受け取れないよ」
そうか。逆に気を遣わせちゃうのかな。
「うん。分かった。考えておくね」
と伝えるとセドリックは嬉しそうに笑った。
その日の夜。
セドリックに手編みのセーターを約束したことを報告し、お返しに何のプレゼントをお願いしたらいいかな?と相談したら、お母さまの顔色が変わった。
何故か嬉しそうに目をキラキラさせている。
どうしたんだろう?とポカンとお母さまを見つめると、お母さまは真面目な顔で驚くべき話を始めたのだった。




