フランソワとの出会い
フランソワはお母さまの義理の弟だそうだ。
私が「フランソワの牧場!」と連呼するので、お母さまが不安そうに私を見る。
「・・・『叔父様』って呼ばせた方がいいわよねぇ?」
とお母さまがお父さまに訊ねると
「あいつは気にしないんじゃないか?叔父様とか逆に堅苦しいだろう?」
という返答だったので、遠慮なくフランソワと呼ばせてもらうことにした。
叱られたら直せばいいや。
フランソワはお祖父さまとお祖母さまの屋敷に住んでいる。
お祖父さまは公爵で宰相だ。とてもエラい立場の人だという。
お祖父さまとお祖母さまはうちにしょっちゅう遊びに来るし、私もしょっちゅう彼らの屋敷に遊びに行くけど、フランソワに会った記憶はない。
曰く、人見知りで人間嫌いなんだそうだ。
フランソワはポーションマスターと言って、薬草を調合するお仕事をしている。
18歳にもならないうちにポーションマスターになったフランソワはすごいのよ、ってお母さまが自慢してた。
フランソワには専用の作業部屋があって、そこでいつもポーションを調合していると言う。
お母さま達の会話から私が勝手に描いていたフランソワの印象は
人間嫌い+社交が苦手+人間社会からの隔絶=仙人みたいな人だと思っていた。
仙人って言ったら、髭が長くて真っ白なお爺さんのイメージじゃない?
ところが!
初めて会ったフランソワはとっても綺麗な男の人だった。
美青年というか美少年と言ってもいいくらいまだ若いし!誰だ!?仙人なんて言ったのは!?
・・・私か。
内心の動揺を隠しつつ「初めまして」とお母さまに特訓されたカーテシーをすると
「赤ちゃんの頃に何度も会ったけどな」
と素気なく言われただけだった。
フランソワは女の人みたいな整った顔をしていて、背が高いせいか体の線も細く見える。
「牧場が見たいんだって?」
と聞かれてコクコクと頷くと、面倒くさそうに
「・・・はぁ。牛と羊くらいしかいないぞ?いいのか?」
と聞く。
「私は動物が好きなので!」
と堂々と言うと、曖昧に頷きながら私の手を引いて、牧場に向かって歩きだした。
ジルベールは無言で私達の後に続く。
フランソワは一言もしゃべらないままだったけど握る手は優しくて、足の短い私の歩く速さに合わせてくれた。
牧場に着いた途端、私は興奮のあまりピョンピョン飛び跳ねながら
「すごい!すごい!」
を連呼した。
イメージ通りの小さな牧場がそこにはあった。
フランソワは黙って牛舎を開けて中を見せてくれる。
ムッと堆肥のような匂いがするけど嫌いじゃない。かすかに干し草の匂いもする。
それほど大きくはない牛舎には三頭の牛がいた。
私は恐る恐る中に入ると近くにいた一頭の牛に近づいた。
牛はむぉ―――と鳴きながら、大きな舌でベロンと私の顔を舐める。
すごい。唾液が臭い。ベタベタする。でも、楽しい!
とその牛の首に抱きついた。
牛は私のことなんか意に介さずに干し草をもぐもぐと食べ続ける。
ぼとぼとぼとっと音がしたと思ったら、その牛の糞だった。
すごい!食べながら出すんだと感動する。
フランソワが無表情でスコップを差し出した。
「牛の世話は糞の掃除もしなきゃいけないんだ」
と冷たく言われて、私はスコップを手に取った。
糞の掃除・・・。確かに大切な仕事だ。考えてもみなかったなと反省する。
「あの、糞はどこに持って行ったらいいですか?」
「堆肥にするからあの山のところにまとめておいて」
と指さしたのは牛舎の外側にあるこんもりした山だった。
私はドレスが汚れるのも構わずにスコップで何往復もして糞を片付けた。
フランソワは驚いたように私を見て、そして無言で立っているジルベールを非難するように見つめる。
ジルベールは素知らぬ顔だ。
手を洗いたいなと思っていたら、フランソワが水場に連れて行ってくれた。石鹸で丁寧に手を洗う。
「・・・オデットは掃除や料理も教えてくれるだろう?」
という質問にコクリと頷く。
「でも、家畜の糞の掃除まではしたことないよな?」
もう一度コクリと頷く。
「嫌だったら、嫌だって言っていいんだぞ?」
というフランソワの言葉に
「でも、糞の掃除は大切なことですよね?誰かが絶対にやらなきゃいけないですよね?」
と真面目に答えると
「やっぱり血は争えねーな」
と呆れた顔で頭を撫でられた。
その時、犬の吠える声とベーベーと鳴く羊の声がした。
ボーダーコリーが颯爽と数頭の羊を纏めて移動させている。
牧羊犬だ!
絵本で見たのと同じ光景に益々興奮する。
「あ、あの、犬触りたいです」
とフランソワにお願いすると、難しい顔をされた。
「子供には慣れてないからな・・・危ない」
と言われてしまった。
でも、でも、ボーダーコリーをモフモフしたい!
縋るような目でフランソワを見ると
「だから子供は嫌なんだ」
と呟かれた。
・・・ずーん、と落ち込んだ。
でも、フランソワが「ジル!」と呼びかけると、ボーダーコリーがはっはっと息を吐きながら駆け付けた。
「これはジルだ。急に動くなよ。今座らせる。そしたら頭を撫でさせてやるから」
とフランソワが言い終わらないうちに、私は興奮して不用意にジルに手を伸ばしてしまった。しかも、指がジルの目に入りそうになった。
ジルの目が瞬時に警戒と敵意を帯びて私の手を噛もうとする。
・・・っ!噛まれる!と目を瞑って痛みを覚悟したのに、痛くない。
ゆっくり目を開けると、ジルはフランソワの手に噛みついていた。
フランソワが咄嗟に庇ってくれたんだ。
ジルは慌てて口を離し、噛んだ場所をぺろぺろと舐めているが、噛み痕から血が出ていて、私の意識は遠くなった。
「・・・ご、ごめんなさい!」
と謝るがフランソワは何も言わない。
彼は黙って立ち上がるとジルに命令して、羊をもう一度集めさせる。
あぁ、やっちゃった・・・。絶対に迷惑かけないと約束したのに、怪我までさせてしまった。
もう合わせる顔がないとじっと俯いていたら、フランソワが
「どうした?どこか怪我でもしたか?」
と不意に私を抱き上げた。
体の線が細いなんてとんでもない。
軽々と片手で私を持ち上げる腕の逞しさと、思いがけなく固い胸板の厚さを感じてドキドキしてしまった。
この人はものすごく鍛えてる。
慌てて首を振って
「私は大丈夫です。でも、フランソワが・・・。ごめんなさい。怪我をさせちゃって・・・。助けてくれてありがとう」
と謝る。地面に降りた後にもう一度深く頭を下げた。
「本当にごめんなさい!」
フランソワは「かすり傷だ」と言いながら、傷を水で洗い治癒魔法で手当てをする。
あっという間に傷が治って私が感動していると
「お前の母さんはもっとすごいぞ」
と嬉しそうに言う。
それまで全く感情がこもっていなかった言葉に初めて熱が生まれた気がして、驚いてフランソワの顔を見ると、また無感情に戻ってしまった。
そういえば、フランソワは笑わないな。
この人が感情を表情に出したり、笑ったりすることはあるんだろうか?
もしあるなら見てみたいと思った。
その後公爵邸に戻ると、お祖父さまとお祖母さまは私の姿に呆気に取られた。
泥だらけでしかも臭い。
フランソワは
「彼女は二度と牧場に来ない方がいいですよ」
と告げるとそのままどこかに行ってしまった。
使用人たちが慌てて私に湯浴みさせて着替えさせる。
テーブルに豪華な昼食が用意されていて、私はお腹がぐぅ――っと鳴るのを堪えられなかった。
お祖父さまとお祖母さま、そして着替えて降りてきたフランソワと一緒にランチを食べる。
牛肉の赤ワイン煮が大好物なので、お代わりしながらモリモリ食べていたら、お祖母さまがクスクス笑う。
「フランソワと一緒ね。この子も牛肉の赤ワイン煮が大好きなのよ。ねっ?」
と声を掛けると、フランソワは無愛想に頷いた。
お祖母さまは彼の無愛想に慣れているんだろう。気にする風もなくお祖父さまと会話を始めている。
私がじっとフランソワを見つめると
「なんだ?」
としかめっ面で言うので
「なんでもない」
と首を振った。
フランソワに嫌われちゃったかな、と思うと悲しくて途端に食欲がなくなってしまった。
お祖母さまに
「スズ、どうしたの?」
と聞かれて
「あの・・・もう牧場には行っちゃダメ・・・ですか?」
と訊ねると、フランソワは大きなわざとらしい溜息をついた。
「・・・今日で懲りたんじゃないのか?牛の糞の掃除なんてもう嫌だろう?」
「牛の糞!?」
とお祖母さまが大きな声をあげる。
「・・・牛の糞の掃除も大事な仕事です。誰かがやらないといけないんですよね?私もお手伝いしたいです」
と私が言うとフランソワが怖い顔をした。
「だから!お前が来ると邪魔で作業が出来ないから迷惑だって言ってるんだ」
というとお祖父さまが
「フランソワ、その、幼い子供にそんな言い方は・・・。それに何度も言っているがお前が牛舎の掃除から何から全てやる必要はないんだ。専用の使用人を新しく雇うから・・・」
と口を出した。
フランソワは苛立ったように
「お心遣いは有難いのですが、牧場は俺の趣味でやっていることなんで。それに厩番のエリックが手伝ってくれているので大丈夫です」
と言う。
お祖父さまは諦めたように肩をすくめたが、気を悪くした雰囲気ではない。
きっとフランソワはいつもこんな態度なんだろうな、と思ったらイラっとしてしまった。
お祖父さまはどう見ても好意で言ってくれているのに。
「あの、好意で言ってくれていることに対して、そんな言い方はひどくないですか?」
と直球で言ってしまった。
三歳児に遠回しな言い方は出来ない。
「お祖父さまにもお祖母さまにも失礼な態度を取っていて私はがっかりしました。お母さまにもそう報告します」
と言った途端にフランソワが慌てだした。
「・・いや、そんな失礼な態度は・・・多少は・・・確かに・・・恩義ある公爵に・・・甘えていたかもしれない」
と独り言ちるとフランソワはお祖父さまとお祖母さまに頭を下げた。
「お気を悪くさせるような態度を取ってしまいました。申し訳ありません」
と潔く謝罪すると、お祖父さまもお祖母さまも気を悪くなんてしていない、気にするなと口々に言う。
「そんな甘やかしたらダメです!礼儀をちゃんと教えてあげるのが愛情だってお母さまは言ってました!」
と私は立ち上がって大声で言い募った。
お祖父さまとお祖母さまとフランソワは三人で顔を見合わせると笑いだした。
「さすがオデットの娘だ!」
とお祖父さまが私の頭をグリグリ撫でる。
でも、私はフランソワの笑い顔から目が離せなかった。
笑うと少年みたいな顔になるんだ。
冷たいように思えた蒼い瞳にふわっと温かみが生まれて、とても優しい色になる。
お祖母さまはクスクス笑いながら
「ちょっと不愛想だけど、フランソワは私達にとても優しいのよ」
と私に言う。
「ああ、照れ屋さんなんですね!」
と言うとお祖父さまとお祖母さまがまた笑った。
フランソワはむっとしたようにそっぽを向いている。子供みたいな仕草に訳もなく嬉しくなった。
その後、フランソワは少しだけ優しくなって、私にまた牧場に来てもいいと言ってくれた。