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石井事務所の不思議な話

睨むアパート

作者: 佐奈田

 閑静な新興住宅地の一端、物凄く古い蔦だらけのアパート。駅のある中心街から車でおよそ四十分走った所にある、そこが今回依頼のあった敷地に建つ建物だった。


「荒れ放題だな。ヤブ蚊飛んでんじゃねえか、売りに出す土地なら手入れ位しろっつの」

「仕方ないですよ。下手に入って変に怪我とかしたくないですもん」

「だからって他人様に依頼出して来んじゃねえよ、こっちに何かあったらどうしてくれるんだクソハゲが」

「担当者別にハゲてなかったでしょ」

「なら今この瞬間からハゲさらせ、腹も下せ、奥歯全部虫歯になれ」

「もう、特急料金と出張費増し増しでふんだくっといて文句言わないで下さい」

「おい間違えるな、俺はふんだくってない。あれは向こうが勉強させていただきますって頭下げたから勉強させてやったんだよ、向こうの厚意だ」

「あれだけゴネといてよくそんな事言えますね」

「当たり前だろ、普通の土地じゃねえんだ。こっちの命掛かってんだからそん位出しやがれってんだ」


 膝丈を余裕で超える高さの雑草が鬱蒼と生い茂るのを見た途端、ただでさえやる気がない雇い主は更にやる気を無くして盛大に溜息を吐き、グチグチと子供じみた文句を垂れ始める。それに呆れて同じく溜息で返した樹は、彼の言う通り荒れ放題のその敷地をぐるりと見渡して肩を落とした。


 一体どれ程手入れされていなかったのか、伸び放題の枝や蔦が縦横無尽に建物の表面を這い回り、割れた窓ガラスから室内にまで侵入して葉を伸ばしているのが見える。頑丈に絡み付いたそれらは傾いたこの建物に人が住まなくなって相当経つことを物語っており、家屋と共に朽ちた二層式の洗濯機は住人がいた頃の時代を表すようである。

 そこは一応街中だというのに何故かセミの鳴き声が響いていたり、来訪者を警戒してピョンピョン跳ねている虫がいたり、餌の気配を察知して寄ってくる蚊がいたりと人間では無い物が絶えず動き回って忙しない。この辺りだけを見ると小さい頃に訪れた祖父の田舎町を彷彿とさせるが、ここらの一体はそれなりの規模を誇る地方都市であり、その都市の中にこうして切り取られたような廃墟が横たわっているのはとんでもなく不自然に思えた。

 近くには大きな病院があるから、駅から離れていても比較的交通の便はいい。スーパーもコンビニも近くにあるし、国道も近いし、アパートを建て直すなどして多少手入れすればその辺にある物件と遜色なく活用出来るように思えるので、荒れ放題のまま放置だなんてかなり勿体ない事をしていると言えるだろう。


 ……まあ最も、ウチの事務所に依頼があるという時点でどういう土地かはお察しというヤツなのだけれど。


 ただでさえ狭い業界で、普段からあの通り素行の悪い雇い主の所に普通の仕事が回って来る筈がなく、彼の手元にやって来るのは大抵が一筋縄では行かない”訳あり”の案件ばかりである。

 普通の人は裸足で逃げ出すか、安易に取り組んで心身の健康を害する可能性がある”事情”を抱えた案件。

 そういうのが巡り巡って彼の所にやって来て、仕事をしたくない彼がそれなりの報酬を要求して、まずは請けるまでにちょっとした一悶着がある。そこから依頼を完遂させるまでに何かしらのアクシデントが起こり、『この程度の報酬でやってられるか』とぼやいた雇い主が更に追加報酬を吹っ掛けて揉める所までがテンプレートのような流れである。

 素行が悪い上に高い金額を要求されるとあって事務所の評判はまあ最悪なのだが、だからってクライアント思いな他の事務所の人間が大手を振って適正価格で依頼を代わってくれた事は無い。言っちゃ悪いが彼の存在は必要悪で、こんな人でも仕事をしてくれないと困る人間はそれなりの数を占めている。


 そこまで考えてまた溜息を吐いた樹には構わず、雇い主……石井は更に嫌そうに建物を見て「っつーか傾いてんじゃねえか」と吐き捨てるように言った。


「築何十年だ? 今時どんなボロアパートだって玄関前に洗濯機なんか置かねえだろ。その洗濯機も二槽式かよ」

「六十年、還暦ですって。俺の親父より先輩かも」

「立地だけ無駄に良いのがまたムカつくな。とっとと終わらせて戻るぞ。こんな鬱陶しいトコにいつまでもいられるか」

「同感っす」


 顔にかいた汗を拳で拭った石井にそう返し、樹は使用する機器をトランクから出して黙々と組み立てる。こういう雑用は全て樹の仕事だ。樹がそれらを組み立てている間、石井は煙草を吸いながら足元の草を踏み付けて車の周囲を見て歩いていた。


「チッ、ガチャガチャうるせえ、黙ってろ! おいコラ、てめえも何見てんだ、見世物じゃねえよ、どっか消えやがれ!」


 と。

 樹が一人で汗だくになってこれから使う道具を用意している合間に、少し離れた場所で石井が不機嫌そうにそんな事を吠えている。声の角度から考えて自分に言っている訳ではないのは明らかで、建物に向かって喚く彼の姿を尻目に、樹は『もう始まったのか』と思うだけで特に反応を返すことをしなかった。


 ここに車を停めた時点から何となく違和感に気付いてはいた。いくら暑い時間帯とはいえ、昼間だというのに人通りが全く無いのだ。

 先述の通りここは病院やスーパー、コンビニに程近い新興住宅地の一端である。昼間働いている人の姿が見えないだけなら兎も角、夏休みにはしゃぐ子供や学生を始め、買い物に出掛ける主婦や、通院に向かったり帰って来たりする老人、愛犬の散歩に繰り出す人、郵便や宅配便の業者、介護サービスの事業所の人間、ポスティングのチラシを持った人等々、普通にしていたら行き来するだろう人達が誰一人通り掛かる気配がない。そんな状況だから当然外から入ってくる音などある筈もなく、周囲にはやけに大きなミンミンゼミの声だけが響き渡っていた。

 経験上、こうして人っ子一人現れなくなった場所はホラー的な何かがあると相場が決まっていて、石井の所に依頼が来るような案件はそういうのに鈍い樹でさえも何かを感じたり持ち帰ったりする程度に厄介だ。


「……よし。石井さん、どっから行きますか」

「取り敢えず昔の図面と違うトコが無いかザッと見て歩くか。境界標探すぞ、多分草の下だから見落とすなよ」

「はい」


 指示を聞いて『多分その草を掻き分けるのは自分の仕事なのだろう』と思いながら、歩き出した彼に付いて雑草だらけの場所に足を踏み入れる。すると途端に背筋をゾワリと嫌な気配が駆け上がって来て、もう一歩先に足を進める事が出来なくなった。

 鈍い樹にだって何となく判る。ゾワゾワと総毛立って足が竦むこの感覚。


 ……見られている。


 それもただチラ見するといった生易しい視線ではない。恐らく三角になりそうな程釣り上がった目で、射殺すような念が籠もった視線を向けられている。


 誰に。何処から。何で俺に――。


 背筋を走る悪寒が止まないままでは身動きする事さえ出来ず、突然の事でままならない思考を巡らせて現状をどうしたら良いか考える。


「痛ぇッ」


 するとバチン、と力強く背中の中央を叩かれ、身体に響いた音と痛みでやっと我に返った。想定外の衝撃で思った以上に驚きはしたが、その割に痛みは大した事が無く、フッと身体全体が身軽になった感覚を覚える。

 見ると先を歩いていた筈の石井がすぐ近くに立っており、不機嫌そうに細められた目がスッと樹の足元に落ちた。そして。


「てンめえ、今何しやがった、あ”ぁコラッ!」


 と柄悪く言い放った彼が足元の何かに思い切り蹴りを食らわせた。何も無い筈のそこにはどうやら何かがいたようで、石井の履いた靴が見えない何かにぶつかって鈍い音を立てたのが聞こえる。

 樹に見えないそれの姿を石井の目は捉えているようで、その後もガンガンと容赦なくそれに鋭い蹴りを食らわせ続ける彼の姿は、頼もしさよりも恐ろしさの方を抱かせて止まない。


「てめえみてえなのが! そうやって! 居座ってやがるから! 俺がこんな! 面倒な仕事! 受ける羽目になってんだ! 判ってんのかゴラ、あ”あっ?」

「あの、石井さん……」

「ここはお前の土地じゃねえんだよ! てめえちゃんと登記したか? してねえだろ! してねえなら偉そうに居座って他人様に絡んでんじゃねえ! 税金も納めねえ癖に態度でけえんだよ! 居候の分際で何様のつもりだ!」

「石井さん? もうそろそろ……」

「死人に法律なんか関係ねえと思ってんだろ。ならこのまま蹴り殺されても文句ねえな。死人殺しても刑法関係ねえもんな。どうなんだオラ、死人でも痛えとかあんのか、骨は折れそうか、吐きそうかオラ、内臓どうなってんだよ何とか言ってみやがれ!」


 石井は仕舞には足元の何かをガツンガツンと蹴るだけでは飽き足らず、しゃがみ込んで掌で掴んだ上にグリグリと地面に擦り付け、終始高圧的に暴言を吐いている。傍から見たら石井の方が完全にやばい人だが、彼が今痛め付けているその何かが、さっき樹にしたみたいにこの土地へ立ち入った人に対して良からぬ事をしていたのだとしたら、同情の余地は無いのかも知れない。


『……ご……べ………な”さい………』


 足元から聞こえた音に一瞬耳を疑った。およそ人間が発するとは思えない低音の、ひどく淀んだそれは人の言葉のように聞こえた気がする。

 呆然とする樹を余所に、「判りゃ良いんだよ」と言ってアッサリ手を離した石井は立ち上がり、「さっさと終わらせるぞ」と古い図面のコピーを広げ直す。その数秒の間に足元にいた何かは何処かへ消えて居なくなり、それと同時に周囲に人の気配が戻って来た。


 ここは恐らく今の何かが関係した事件や事故みたいな物が起きていて、あまり人が立ち入るのを良しとされない場所なのだ。だからかどうかは知らないが、荒れ放題の敷地に入った男二人の姿を見た近所の人達が、眉を潜めて何かこそこそ言い合っているのが見えた。


 ……こっちからは今の今まで外の音はまったく聞こえなかったけど、今の発言ってもしかして聞かれてたのかな。


 ヒソヒソと囁かれている言葉を掻い摘んで聞けば、その答えは自ずと見えてくる。それを受けて居た堪れない気持ちになるのを抑えつつ、樹は石井の指示に合わせて黙々と目の前の作業に当たった。






 それから順調に境界標を発見して無事に測量も終え、後は帰って涼むだけとなった時だ。不意に服の裾を引っ張られたような気がして振り返った所で、ちょうど後ろにいた石井から「何だ」と怪訝そうな目を向けられた。


「……石井さん今、俺の服引っ張りました?」

「あ”あ?」

「……すみません、んな訳ないですよね。多分気の所為です」


 あからさまに不機嫌な声を返され、この人がそんな事する訳が無いと思い直して商売道具を担ぎ直す。そうして車に向かって足を進めて行くと、またクイ、と服の裾を掴まれた感覚があった。

 今度はさっきみたいに一瞬の事ではなく、背中の辺りの服を掴まれた状態のまま離して貰える様子がない。気の所為だと自身に言い聞かせて足を前に出してもその感覚は弱まらず、首の後ろから背中に繋がる辺りにまたチクチクと弱く刺すような視線が注がれている気がして動けなくなった。


 いつからそうだったのか、煩い程鳴いていたセミの声もご近所の人達の話し声もやけに遠くに感じられる。耳はまるで水中にいる時のようにぼんやりとした音しか拾えず、手も足も口も重怠くて思うように動かす事が出来ない。そのくせ後ろから伝わる何かの息遣いだけははっきりと聞き取る事が出来、衣類越しに触れたそれの感覚をひどく恐ろしく思えた。


 今触れているのは手だ。温かくも冷たくもない小さい手。


 人間が触れているなら温かい筈だし、得体の知れない何かは大抵冷たいというのが一般的な意見である。それなのに背中に当たっている柔らかなその手からは一切の温度を感じられず、自分の知っている感覚からあまりにもかけ離れたその事実が脳内で痛烈な違和感を巻き起こして寒気がした。


「!」


 不意にポン、と熱い手で肩を捕まれ、その感覚が樹の意識をどうにか現実に引き摺り戻してくれる。ビクリとしてその手や腕を目で辿って行くと何時も通り平然とした様子の石井と目が合い、彼を目にした途端背中に感じていた感覚は消え去る。遠ざかっていた周囲の音も緩やかに戻って来て、噎せ返るような暑さの空気が胸の中を行き来した。


「そんなのいちいち意識すんな。無視しろ」

「ああ、はい……」


 そう言ってさっさと車に向かった彼の後に付いて行き、背負った荷物は適当にトランクに戻して急いで運転席のドアを開ける。車に乗り込もうとした時も同じく服の裾が引っ張られた気がしたが、今度は石井に言われた通り全力で『気の所為、気の所為!』と言い聞かせてシートベルトを締め、何事も無かったようにその場を後にした。






 樹がその”手”の正体を知ったのはそれからおよそひと月後の事だ。

 石井の事務所兼自宅で、彼が読み終えてその辺に放り出した新聞を片付ける為に近寄った際、ふと目に飛び込んできた見出しがあった。


『解体現場で白骨死体』


 パッと目についたその記事の内容は見出しの通り、あのアパートの解体現場で白骨死体が発見されたという内容で、見つかった骨は十歳前後の子供の骨と推定されたようだ。しかしあのアパートに子供が住んでいた記録はなく、警察は死体遺棄事件として捜査に当たっているらしい。

 十歳前後の子供という単語から、あの時背中に触れた手の感触をありありと思い出す。それから石井の奇行と、あの時の記憶から思い付いた結論で鳥肌が立った両腕をさすって新聞を閉じ、廃棄用のカゴに勢い良く放り込んだ。


「石井さん」

「んあ?」

「まさかとは思いますけど、あの時って子供蹴ってたんですか」

「はあ? バカも休み休み言え。いくら俺だってガキなんか蹴るか」


 さっきから部屋の中央のソファでだらしなく煙草を吹かしている石井は、樹の問いにそんな言葉を返す。それにホッとして『だよな。いくら何でもそんな外道じゃないよな』と思い直した所へ「俺が蹴ったのは別なヤツだ。ありゃ蹴った感じ女だったな」という言葉が聞こえて来て、何を言われているのかを理解するまでに時間が掛かった。


「見た目真っ黒だったから若いんだか年寄りなんだか判断つかなかったが、ああやって入って来た人間を土地に取り込んで来たんだろ。あいつらの他にも何人かいた。ガキの方は女の被害者かも知れないけど、お前に手ぇ掛けようとした時点でそいつと同じだ」


 聞けば、あの土地にいたのはどうやら一人ではなかったらしい。最初に樹を睨んで来たのは女の何かだそうで、あの土地があんな風に寂れた原因を作ったのがそいつだったという話だ。帰り際になって樹を引き止めたのは痛め付けられて消沈した女ではなく子供の方。あれは恐らく今回見付かった子で、石井が言うにはあの時外に出ようとした樹の元へ静かに寄って来ていたらしい。


 最初の時とは違い、帰る時のあれは確かに控えめな引っ張り方だった。女の方の気配は悪意に満ちていたと思えるが、あの小さい手が自分に危害を加えようとしたかと言われれば、それは甚だ疑問である。


「……もしかしてあの子、手ぇ掛けようとしたんじゃなくて、誰かに助けて欲しかったんじゃないでしょうか」

「はあ?」

「だから、あの子はどうにかしてあの場所から連れ出して貰いたかったんじゃないかって思って。理由は知らないけどあんな所で囚われてずっと一人だったから、外へ出て家族に会いたかったのかな、とか。ほら、あの時出て来られていたら今ちょうどお盆だし、地獄の釜が開くからご先祖さん達にも会えたかも知れないし」

「……フン、そんな事俺が知るか。言いたい事があるならちゃんと日本語で喋れっつの」

「石井さんがおっかなくて喋れなかったんじゃないですか。あそこに入ってすぐ凄い勢いで女の人蹴ってたし」

「あれは俺に蹴られるような真似した女が悪い。俺に蹴られたくなかったらさっさと成仏して次に行きゃ良かったんだよ」


 どう突っ込んでも返って来るあんまりな言い分に『そんな無茶苦茶な……』と呆れはしたが、石井のこの気性のお陰で救われた部分が無い訳ではない。彼は頭にきたら女にだって手を上げるような外道ではあっても、今回はそれで元凶を弱体化させたから他の業者が入る事が出来た訳だし、あの子も無事見付けて貰えて、結果としては上々であったと言える。

他にも色々と無茶を言ったりしたりする人だけれど、向こう側へ引っ張られてしまいそうだった樹をきちんと連れ戻してくれたり、外道なりに守ろうとしてくれたり、子供相手の時は確かに『無視しろ』と言って何もしなかったりして、彼なりに芯を一本通した所は確かにあったのだ。


 ……悪い人じゃないんだけど、だからって手放しで称賛出来ないんだよねこの人の場合。


 ともあれこれでまた一つ、”訳あり”の案件が一つ片付いた訳だ。

 何時も通り自然と溢れ出る溜息を抑える事なく、樹は今日も依頼が来ていないかどうかのメールチェックを始めるのだった。


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