正しい婚約者の取り扱い方
ウィリアム王子視点です。思った以上に残念な性格になりました。
王子、ウィリアムは毎日に退屈していた。
自分で言うのもなんだが、俺は全てにおいて人の期待を裏切らない王子であると思う。
見た目も悪くない。魔法の才も与えられ、勉学にも優れている。公務をこなすにもあまり苦労したことがない。兄弟もいないから、王位継承の争いもない。
人は情報を判断する時、その8割を視覚に頼るという。それは即ち、王子としての人望を獲得する時、俺の見た目は非常に有利に働くということだ。
であるから、俺の王子としての人生は、あまりにも順風満帆であった。
「殿下、おはようございます。本日の会議の内容ですが・・・」
今日も王国の政務官であるマイクの言葉を聞きながら、書類に判を押していく。どれも緊急を要さないものばかりだ。俺は公務をひと段落させると溜息をついた。
「殿下、どうされましたか?」
「いや・・・なんだか退屈だなと思って」
「殿下・・・国政の仕事を前にして退屈とは」
マイクは外ではおちゃらけた人間を演じているが、その実とても真面目で誠実な人間だ。政務官は国政を担っているから敵を作りやすい。マイクが軽率な人間を装うのは、自分を脅威と思わせないための知恵だ。
「公務が退屈と言ってるんじゃない。俺の人生が退屈と言っているんだ」
「それなら尚のこと。この国のトップともなろうお方の人生が退屈とは、国民が聞けば卒倒するでしょう」
「マイク、俺がそういう事を言ってるんじゃないと分かっているだろう」
マイクは俺の乳母兄弟で昔から俺の事を知っている。俺が幼い頃より人生に飽きていた様を1番近くで知る人物だ。
「殿下、何が不満なのです。その恵まれた容姿に優れた才能。婚約者であるシルビア様もとても美しい。にも関わらず他にも恋人が何人かいる。シルビア様との関係も良好なのでしょう?普通の男なら願ってもいない人生ですよ」
マイクは呆れたようにそう言った。
そう、そこなのだ。俺が退屈しているのは。
シルビアは3歳年下の公爵令嬢だ。幼馴染みで、俺が10歳の時には婚約者として決まった。シルビアが2年後、成人の17歳となる時、結婚することは既に決まっている。
彼女との間に愛はない。それは2人とも高い身分の家柄に生まれ、政略結婚がどういうものか分かっているからだ。だから互いに外で恋人を作っていても関与しない。
恋と結婚はまた違うものだ。シルビアの事は嫌いではないが愛しているわけではない。俺たちは結婚して子を成せばそれで良いのだ。
けれど、その事実は俺の人生を酷く退屈にさせるもののように思う。政略結婚がなんたるかは分かっている。が、俺は一生愛のない家庭を築くのだ。この国の王になるとはいえ、それは人生の1つの意味を失っているように思う。
「とにかく退屈に思うのは後にして、今は公務をこなしてください」
マイクの言葉に俺はやれやれとペンをすすめた。
【正しい婚約者の取り扱い方① 婚約者の変化に気付きましょう】
シルビアの変化に最初気付いたのは、彼女が最近王宮に良く出入りしていると聞いた時だった。
シルビアは夜会や舞踏会のある時や、儀礼的に俺に会わなければならない時にしか王宮にはやって来ない。そのシルビアが最近良く出入りしている。しかも決まって下働きの少女と遊んでいるらしい。
シルビアは貴族の家に生まれた淑女だ。それは即ち選民思想をきちんと植え付けられている、ということだ。現に今までシルビアの仲の良い友はみな、家柄のきちんとした貴族のみであったと思う。下働きの少女と共に遊ぶような女性ではない。
俺は不思議に思って、マイクにシルビアの動向について報告させることにした。もしシルビアが何かを企んでいるのであれば、俺は知る必要がある。まがりなりにもシルビアは将来この国の国母となるのであるから。
けれどマイクのシルビアに対する報告は要領を得ないものだった。シルビアは王宮にやって来ては窓を清掃する下働きの少女、アメリアを物陰から眺めているという。何を企んでいるんだ?
そう思った俺は、その日物陰に隠れてアリシアを覗いているシルビアの肩を叩いた。
「ちょ、今取り込み中なんで・・・!」
シルビアは俺を振り向きもせず手を振り払った。そのような事、今までのシルビアではあり得ない。シルビアは俺の婚約者だ。そんな彼女の肩を気軽に叩けるのは、俺か俺の両親、即ちこの国の王と王妃くらいのものだ。シルビアともある聡い女性ならば、瞬時にそれくらい判断し、淑女の礼をとるであろう。それに、今の言葉遣い・・・。
「ふぅん。覗き見することが?」
「え・・・で、殿下!?」
俺に気付いたシルビアは慌てて淑女の礼をとった。
「も、申し訳ございません。殿下、どうしてここに?」
「うん、最近シルビアが良く王宮に来ると聞くから、何をしてるのかなって。そうしたら覗きをしてるシルビアを見つけちゃった」
「の、覗きではございません・・・」
淑女の礼をとり、俺を見るシルビアの顔や身なりはいつもと変わらない様に見える。けれど、その視線は何かを隠すように定まらない。その態度、明らかに今までのシルビアではない。
「で、シルビアは何を見てたの?」
「あぁっ!」
シルビアは大きな声をあげると、慌ててアリシアの方を振り向いた。アリシアと、遠くには公爵家令息のエリックが俺たちに気付いて礼をとっている。そこにはシルビアが隠れて覗きをする程変わった光景はない。
「特に何も無いみたいだけど・・・シルビアは変わってるね」
「・・・・」
シルビアは淑女としての体裁をとりながらも悔しそうな表情を浮かべた。
・・・なんだか面白い。シルビアがこんなに表情の変化に富む女性だったとは。
その日俺の機嫌はずっと良かった。
【正しい婚約者の取り扱い方② 婚約者が男の部屋に行く際はきちんと止めましょう】
シルビアの変化に気付いてから、俺は退屈な毎日を少し楽しめるようになっていた。マイクは俺のそんな変化にいち早く気付いたようだ。
「殿下、なんだか最近機嫌が良いようですね」
「分かるか?少し良いことがあった」
公務もいつもより捗っている気がする。
「そういえばマダム・ソフィアが殿下宛に手紙を送って来ています」
マダム・ソフィアは、社交界を取り仕切る未亡人の女性だ。もとは侯爵家に嫁いでいた。年齢は30歳であるがその美貌は衰えを知らない。彼女は俺の恋人の1人である。
手紙が来たということはまた逢引の誘いであろうか。俺に来る手紙は全て政務官のマイクによって事前に調べられているから、マイクは内容を知っているだろう。
「マイク、内容を教えろ」
「ご自身で読まれなくて宜しいのですか?」
「別にいい」
興味も持てずそう言うとマイクは少し驚いていたようであった。
それも当然だ。俺は今まで恋人からの手紙を検分されるのを好んでいなかったのだから。
「マダム・ソフィアが次の夜会を開催するので、その際は春の女神の祝福を受けたいと」
「・・・」
春の女神とは豊穣と愛を司る女神の事だ。その女神の祝福を受けたいと言うことは、要するにその夜会で逢引をしようということに他ならない。
貴族の社会はこのようにちょっとしたことでも周りくどい言い方をする。それを俺も前までは楽しんでいた。けれど今はどうにも気が乗らない。
「マイク、マダム・ソフィアに返信しておいてくれ。有翼の神に魅入られたので春の女神を見る事は叶わない、と」
有翼の神とは生涯一途な愛を妻に捧げた、という神話を持つ神のことである。
「良いのですか?マダム・ソフィアは殿下の1番古くからの女性でしょう」
「別に関係ない。他の恋人にも同じ趣旨の手紙を送っておいてくれ」
素っ気なく伝えた俺に、マイクは驚きながらも仕事をこなしてくれた。
以前は楽しかった恋人たちとの愛の囁きも、シルビアのあの表情を見てからとてもつまらないものの様に思えた。綺麗な化粧で固められた顔に、作られた隙のない表情。言葉を交わすにも、神話や故事を引用し知性のある会話でなければならない。それは楽しいけれども、時折酷く息が詰まる。シルビアは飾られた言葉がなくとも、その言動を見ているだけで面白かった。
シルビアが北棟に向かっていると聞いたのは、その後だった。シルビアは知らないかもしれないが、先日よりシルビアの動向は全て監視され、俺に報告がくるようになっている。
北棟はギルの部屋しかない。その様な場所に供も付けず行くとは許し難い。
「シルビア」
「えっ!?で、殿下・・・?」
俺が声をかけると、シルビアはあからさまに驚いた表情を浮かべた。
「で、殿下。恐れながら私少し急いでおりますの。お話は後で・・・」
シルビアは俺の顔も見ずに北棟へ行こうとする。淑女とは思えない態度だ。その様な無礼な行為もシルビアであれば面白い。
「その先はギルの部屋しかないだろう。もしかしてギルに会いに行くのか?」
「そ、それは・・・」
俺の言葉にシルビアは視線を右往左往させた。
「えーーーっと、そう!ギルに魔法を教えてもらおうかと・・・では失礼」
話は済んだとばかりに俺に背を向けるシルビアの腕を掴む。
俺から逃げようとするなんて、許さない。
「シルビア、君は魔法の才は全く無かったはずだ。昔俺があんなに教えたのに身に付かなかっただろう?」
「う・・・」
「それに君は俺の婚約者だ。他の男の部屋に1人で行くなんて見逃せないな」
シルビアは再び視線を彷徨わせると、まるで今閃いたとばかりに声を上げた。
「あ、あぁ!殿下、実は私のお友達のアリシアがギルのお部屋の掃除を任された様なのです!ギルは人見知りでしょう?それで、顔を知ってる私が共にいた方が良いかと思いまして!」
「アリシア?」
アリシアのことは知ってはいるが、知らないふりをしておく。未だシルビアが何を企んでいるかは分からない。こちらの情報は明かさない方が良い。
「え、えぇ!最近下働きとして王宮に勤め出したエリックの幼馴染みです!とーーーっても可愛らしい子で素直で素敵なんですぅ!」
シルビアは可愛らしい、を強調してそう言った。
何か?アリシアがやはりシルビアの企みに関わっているのか?
「ふぅん。じゃあそんな可愛いシルビアの友達にギルの部屋の掃除などさせられないだろう。あの部屋は見るも耐えられないほど散らかっているからな」
「えぇ!?い、いえ大丈夫です!アリシアなら!」
「あの部屋には魔法薬なんかも散乱している。万が一君の大事なお友達が触れてしまうような事があってはいけない。そうだろう?」
「え、ええ・・・」
「この後すぐに俺がギルの部屋に行き、片付ける様に言っておこう。シルビアはアリシアに掃除はしなくて良いと伝えてくれるね?」
「・・・」
「シシィ?分かってるね?」
「はい・・・」
シシィ、と言うのはシルビアの愛称だ。昔はよくその名で呼んでいたが互いに年頃となってからは呼んでいなかった。
シルビアは気付いてないだろうが、昔からシルビアはこの呼び名で呼ばれると弱い。それは俺が大事な時、即ち俺がシルビアに言う事を聞いて欲しい時にしか呼ばない様にしているからだ。
そしてその通り、シルビアはすごすごと戻っていった。
シルビアは一体何を企んでいるのだ・・・。
【正しい婚約者の取り扱い方③ 一度婚約者を泳がせてみましょう】
シルビアがギルの部屋へ向かうのを止めてから数日後、今度は騎士団寮の下働きに怪しい女がいる、という情報を騎士のカイから得た。しかもアリシアと共にいたという。すぐに捕らえようと躍起になるカイを止めて、特徴を聞くと若い金髪の女で顔を布で隠しているという。
俺はその特徴を聞いてその女がシルビアであると確信した。シルビアは長い艶やかな黒髪を持っている。そんなシルビアが変装をする際に金髪にするとは、なんと単純なことか。以前のシルビアならあり得ないが、最近の隙だらけのシルビアなら容易に金髪に変装する想像がついた。
俺はカイに泳がせておく様指示を出した。
シルビアとアリシアは騎士団寮の掃除を行なっているという。自ら泳がせたとはいえ、他の男の部屋に入るなんて許せない。俺はその時、相当酷い表情をしていたのであろう。指示を受けたカイの手が震えていた。
そうして2人が最後の部屋、カイの部屋に入り掃除を始めたとの報告を聞き、外から2人の会話を聞こうとする。けれど扉は思った以上に分厚く、2人の会話を盗み聞くことは出来なかった。
ガチャッ
「きゃ、きゃあっ!・・・て殿下!?」
扉を開くとそこにはアリシアの姿しかなかった。
「君がアリシアかな?実は今日この騎士団寮の掃除係に不審な人物が紛れ込んだと話を聞いてね。君は何か知ってる?」
「恐れながら殿下、私は何も・・・」
「ふぅん。君が顔に布を巻いた金髪の女と掃除をしてたって話も入って来てるんだけど・・・
俺に嘘をついたらどうなるか分かってるよね?」
「そこにいます!」
アリシアは速攻でシルビアを俺に売った。
彼女は庶民の出ながらも、聡い女性らしい。瞬時にどちらに付くべきかを判断した様だ。
「ありがとう、アリシア。掃除はもう終わっているようだ。素晴らしい出来だ。今日はもう休んで良いよ」
「はい、ありがとうございます」
アリシアを追い払い、物陰に隠れているであろうシルビアの元へ向かう。
「見つけた。シシィだね?」
「な、なんのことでしょう・・・」
顔を布で隠しているために、シルビアの目しか見えないが、その目は何故バレたんだ、と物語っている。
なるほど、シルビアは表情のみならず目線一つで何を考えているか分かってしまうみたいだ。
「ここで君にお仕置きするのは良くないな・・・。おいで、着いてくるんだ」
「はい・・・」
【正しい婚約者の取り扱い方④ 時には婚約者へのお仕置きも必要です】
「シシィ、なんでこんな事をしたんだ?」
執務室に着くと、俺はすぐにシルビアの顔に巻いていた布とウィッグを取った。そして彼女をソファに座らせ、俺もその隣に座る。シルビアはあからさまに嫌そうな顔をした。
そんな表情を見ると、酷く苛立ってしまう。
そして、虐めたくなる。
「で、殿下、あの近いです」
「俺は今シシィに質問しているんだよ?どうしてこんな事をしたんだ」
「あ、あの花嫁修行の一環です!お掃除も少しは出来る様になりませんと、ね!ホホホホホ」
シルビアは作り笑いを浮かべて後ずさった。俺は好都合とばかりに彼女をソファの端へ追い込んだ。
「ふぅん。シシィ、俺が何故怒っているか分かる?」
「婚約者である私があのような下働きの真似を・・・ひぃっ!」
俺はシルビアの手を取り、その指に唇を寄せた。そしてシルビアの繊細な指を1本1本嬲る様に舐める。
シルビアはぎゅうっと目を瞑っている。
シルビアは何も分かっていないようだ。俺は別にシルビアが下働きの様な真似をしたから怒っているわけじゃない。俺に何かを隠して企てをし、あろうことか他の男の部屋に入ったから怒っているのだ。
胸の中にどす黒い感情が渦巻く。それは明確な嫉妬であった。今までどんな恋人に対してもこんな感情を抱いた事はなかった。
「目を開けて」
「・・・」
「シシィ、目を開けるんだ」
強い口調でそう言うと、シルビアは恐る恐る目を開ける。俺はシルビアの指に舌を這わしながら、彼女の瞳を見つめる。
「シシィ、ちゃんと見て。俺が君の指を舐めているところを」
「な、なんで、そんな事・・・」
「でないとお仕置きにならないだろう?」
シルビアは頬を赤らめ、困った様に瞳を涙ぐませた。そのあまりに扇情的な表情に、体中に血が上るような感覚がする。
シルビアをもっとももっと困らせたい。そして俺の事で頭がいっぱいになればいい。
「シシィは俺から逃げようとしている、そうだろう?」
そう問い掛ければシルビアは是、とも否とも言わなかった。
ああ、なんて腹立たしい。口先だけでも否定をしないのか。
俺はシルビアの指先をガブリと噛んだ。
「い、痛い!殿下やめてください!」
シルビアは逃れようと俺の胸を押す。そのあまりの非力さに、俺は笑いそうになった。
シルビアは俺から逃げたがっている。けれどどうやったって俺から逃げる事は出来ない。現に今、彼女が俺の手を振り解けないように・・・。
俺は噛んだシルビアの指を癒すように舐めた。
「シシィに痛い思いをさせられるのも、それを癒せるのも俺だけだ。それはシシィが例えどんなに遠くに逃げようとしても・・・。シシィ、それだけは覚えておいて」
【正しい婚約者の取り扱い方⑤ 婚約者の友人を味方につけましょう】
シルビアはその後、数日間寝込んだという。その間に俺はシルビアの友人、アリシアを味方につけることとした。
アリシアであれば、シルビアが何を企んでいるのか知っているに違いない。
それに俺はシルビアがアリシアばかりを構うのにも我慢がならなかった。シルビアを独り占めする為にも彼女とシルビアには少し離れてもらう必要がある。
俺はマイクにアリシアを呼び出すように命じた。
「アリシアですか?アリシアは王宮の下働きでしょう。殿下がその様な者を何故」
「シルビアの件についてアリシアに聞く必要がある」
「そうですか・・・」
そう呟くマイクはいつもと少し違うように思う。他の人間であれば気付かない程の変化であろうが、毎日の様に顔を合わしている俺はすぐに違和感を感じ取った。
「マイク、どうしたんだ?何かあったのか?」
「いえ・・・特には」
「ふぅん」
マイクの様子は気になるが、アリシアを呼び出せば自ずと分かるだろう。俺はそう判断した。
「殿下、アリシアを連れて来ました」
「恐れながら殿下、王宮の下女をしております、アリシアと申します」
アリシアを呼び出したのはそのすぐ後であった。アリシアは急な俺の呼び出しに少し震えている様であった。
俺はそのまま退室しようとするマイクをその場に留めた。
マイクは、アリシアの名前を出した時にいつもと違う様子となった。原因はアリシアにあるのだろう。それであればこの場にアリシアと共に残しておいた方がいい。
「アリシア、今日君を呼び立てたのは他ならぬシルビアについてだ。君はシルビアと仲が良いんだよね?」
「は、はい。シルビア様には常日頃よりとても良くして頂いております」
「シルビアは変装して君と一緒に騎士団寮の掃除をしていたね?」
「はい。その節ではシルビア様に下働きの真似事をさせてしまい、大変申し訳ございませんでした」
アリシアは俺がそれについて怒っていると勘違いしたのか、深く深く頭をさげた。アリシアの肩が震えている。
マイクはそのアリシアの姿を痛ましい目で見つめていた。
「殿下、アリシアもこう言って反省しています。寛大なご処置を」
マイクはアリシアの前に立つとその様に言った。
珍しい。マイクであれば俺の表情を見て、俺が怒っていない事に瞬時に気付けるだろう。けれど、今奴はそんな事にも気付かないほどアリシアを庇う事に必死になっている。
そして庇われたアリシアの頬もほんのり赤い様に、見える。
なるほど、マイクの違和感はそういう事であったか。
別に騎士団寮の件についてアリシアには怒っていないが、ここは彼らの勘違いを逆手に取らせてもらう。
「アリシア、もし俺に寛大な処置を求めるのであればシルビアについて知っている事を洗いざらい話せ。彼女は何か企んでいるのだろう?」
その言葉にアリシアは観念した様だった。
「あの日、シルビア様が仰ったのです。騎士団寮の掃除をゆっくりしていれば、風呂上がりの騎士達を見れるのではないかと」
「?一体何故そんな事を?」
「それは・・・その、殿方の逞しい身体を・・・」
「分かった。もういい」
言い淀むアリシアの言葉を手で制した。後に続く言葉は容易に想像できたからだ。
ではなんだ?シルビアは騎士団員達の身体を見たくてあんな事をしたのか?理解出来ん。
それならアリシアの窓拭きの様子を覗いたり、ギルの部屋に1人で行こうとしたのは何だったんだ?
「恐れながら殿下、シルビア様は私が様々な男性と仲良くなるのをそばで見ていたいと仰っていました」
「えっ!?」
アリシアのその言葉に反応したのはマイクだった。
「マ、マイク様、けれど私決して殿方とその様な関係にはありません。シルビア様がそう希望していた、というだけでございます」
「そ、そうなんだ・・・良かった・・・」
なんだこの2人は。付き合ってるのか?
目の前でくだらないやり取りを見せられて少々うんざりする。
「で、アリシア。シルビアがそんな事を言ってたんだね?」
「はい、なのでシルビア様は特に害のある様な事を企んでいらっしゃる訳ではございません」
「分かった。では今回の事は不問に処す。引き続きシルビアから重要な情報を得たら俺に報告しろ」
「はい」
「それとシルビアの周囲に少しでも男の影を見た時も、俺に報告するんだ。分かったね?」
「はい・・・」
そうしてアリシアは退室した。
執務室にはマイクと俺だけとなった。
「マイク、お前アリシアを好きだろう?」
「えっ!?」
「2人の間に何があったんだ、話せ」
マイクが俺に逆らえるはずがない。
マイクの話ではこうだ。マイクは先日、遅くまで仕事をしていたが、それをアリシアに見られたという。口止めはしたが、次の日には自分が真面目に政務をこなしている、と周囲の噂になっているだろうとマイクは考えていた。
けれどそうはならなかった。アリシアはきちんと約束を守ってくれた。
さらにはアリシアが夜遅くまで政務をこなすなら夜食を作ると申し出てくれたらしい。昨日はその夜食を食べて大いに仕事が捗った。
マイクはそんな話を顔を赤らめながら話してくれた。
・・・ガタイのいい成人男性が顔を赤らめているのを見ると酷く不快な気持ちになる。
「マイク、お前・・・ちょろい男だな」
「なっ!で、殿下こそちょろいでしょう!シルビア様の様子が変わられて、掌を返した様に恋に盲目となっているじゃないですか!」
マイクは顔を真っ赤にしてそう叫んだ。
確かにシルビアが変わってから、俺はすぐ恋に落ちた。俺はちょろい男だ。認めよう。
「マイク、お前色恋沙汰ですぐ感情を露わにするな。
・・・童貞がバレるぞ」
「なっ・・・!」
マイクは唖然として声が出ない様だった。
俺はマイクから目を離し公務にとりかかった。
「殿下、私は童貞じゃありません!!」
そういうところが童貞なんだ。
【正しい婚約者の取り扱い方 ⑥ 婚約者への嫉妬はほどほどにしましょう】
今日は俺とシルビアの結婚式だ。
とうとうこの日が来た。あれから2年間、ずっと自身の理性との戦いだった。正直俺は絶対に結婚するのだから、結婚前にもシルビアとイロイロな事をしたかったが、シルビアは最後まで許さなかった。そこだけはどんなに俺が「シシィ」と呼んでも許す事はなかった。そういう身持の固いところもまた良い。
シルビアは前世を持っているらしい。
そんな話をアリシアから聞いたのは、アリシアを味方につけてすぐの事であった。
シルビアは前世を持っていて、その時に好きだった小説の主人公がアリシアであるというのだ。そしてシルビアはアリシアと俺が結婚する際の、本の挿絵が好きでそのモデルとなる場面を直接見たかったらしい。
最初聞いた時、良く意味がわからなかったが、アリシアが言うにはシルビアは嘘を言っている様には見えなかったとのことだ。
そしてそれが本当だとすると、今までのシルビアの行動にも納得がいく。
シルビアの性格が急に変わったのも、その時に前世の記憶を取り戻したからだ。アリシアを覗いていたのも、ギルの部屋に行こうとしていたのも、それは本の挿絵のモデルを見たかったから。
シルビアが俺から逃げようとしていたのも、婚約を無かったことにしてアリシアと俺に結婚して欲しかったから。
シルビアはその後、アリシアと俺の結婚を諦めた様だった。それもそうだろう。俺はシルビアを愛しているし、アリシアとマイクは時間の問題だ。
今更この2人がどうこうなるわけない。
それに俺は昔から金髪の女性より黒髪の女性の方が好きなんだ。アリシアの金髪とブルーアイは自分と似すぎて、妙な気持ちになる。
「シシィ、準備はできた?」
扉を開けるとそこには鏡に写る自分を眺めるシルビアの姿があった。その表情はどことなく暗い、様に思う。
控えていた侍女は慌てて部屋を出て行く。これは俺とシルビアが部屋で2人きりになれるよう、侍女達に命じている事だ。
「殿下・・・」
「シシィ、今日の君はいつにも増して美しい。月の女神も君の美しさに嫉妬するだろう。
・・・暗い顔をしてどうかした?」
「いえ・・・とうとう今日がやってきたんだなって・・」
「俺は嬉しい。とうとう君を自分のものにできる。・・・心も身体も」
最後にそう呟くとシルビアは聞こえなかったフリをした。
「殿下もとても素敵です」
「ウィル、と。もう君は俺の妃になるのだから」
「けれど・・・」
「呼ばないなら呼ぶまでどんな事をしようか・・・?」
「ウィ、ウィル!やめて・・・」
慌ててシルビアが俺の名前を呼ぶがもう遅い。
俺はすぐにシルビアの可愛い舌を探りあて、深く深く口付ける。こんなに口付けを交わしているのにシルビアは未だ深いキスに慣れない。すぐに息をあげてしまう。
この時だけはシルビアは俺のことしか考える事ができなくなる。
「は、はぁ・・・。殿下・・・」
俺はシルビアの乱れた口紅を拭った。
苦しさからシルビアの瞳は潤んでいる。こんな顔をして本人は誘ってないとばかりに、いつも俺を非難するのだからタチが悪い。
「シシィ、さっき言っただろう?もう1度だ」
「で、殿下・・・あ!」
こうやって隙だらけなのも、我慢ならない。
「っ・・。ウィル、ごめんなさい・・・。でもせっかくのメイクが落ちてしまいます。もうやめてください」
「君は美しい。この姿を誰にも見せたくない・・・」
「けれど、今日は国を挙げて皆さんが祝福してくださるのですよ」
俺がこんなにもどす黒く汚い感情に苛まれているというのに、シルビアは全く意に介さないのだ。
あぁ、君も俺と同じくらい嫉妬に狂ってくれたらいいのに。
「俺がこんなにも君を想っていても、君はその想いのかけらにも満たないほどしか、俺のことを考えてはくれないね」
「そんなことありません」
「そうかな・・・。ねぇシシィ、それはすごく不公平だと思わないか?」
「・・・」
「だから印をつけさせて、君が俺のものだと」
「ウィルッやめてっ!」
俺はシルビアの胸元に唇を寄せると、赤い印をつけた。ドレスで、ギリギリ隠れる位置に。見えるところには流石に付けない。俺にもそれくらいの節度は、ある。
「また後で、シシィ。そんな可愛い顔で外に出ちゃダメだよ。俺が侍女達を呼んでこよう」
シルビアは惚けた様に固まっていた。
シルビアの俺に対する気持ちは、俺のシルビアに対する気持ちのかけらにも満たない。
けどそれでもいい。シルビアは俺のことを嫌っているわけではない。少なくとも俺から逃げようとはしていない。
それならば俺が全力で愛すればいいのだ。
そんな事をマイクに話すと「重いっ!」と怒られた。