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お礼のやり方

 暦も七月に入った最初の休日、俺は明日香と約束していた遊園地へと来ていた。

 こうして俺達が遊園地へ来たという事は、明日香が対人恐怖症を克服したという事――と言いたいところだけど、明日香は完全に対人恐怖症を克服できたわけではない。

 しかし誰であろうと他人を相手にする場合、完璧な対応をするなんて無理な話だ。それを考えれば、いわゆる一般的なコミュニケーションが出来る程度になればいい。要するに明日香は、ある程度一般的な人付き合いの仕方を身に着けた――と言う事だ。学校で普通の生活を送るにはこれで十分だろう。

 そしてそんな明日香の対人恐怖症の克服に際し、小雪の存在はとても大きかった。もしも小雪が居なかったら、きっとまだまだ時間がかかっていたと思うから。


「お兄ちゃーん! 早く早くー!」

「にゃーん!」


 明日香が小雪の首輪に繋がったリードを持ち、元気に入場ゲートへ走って行く。犬用のリードを猫に付けて一緒に居る明日香の姿は、周りから見ればとても奇異に映っているだろう。かく言う俺も、未だにその違和感が拭いきれていない。

 ではなぜ小雪に犬用のリードを付けているのかというと、最初は猫にもリードを付けるものだと勘違いしていた明日香が小雪の首輪にリードを付けたのが切っ掛けだった。本当なら猫ってそんなのを嫌がるんだろうけど、なぜか小雪はそれを嫌がらずに受け入れていたからビックリだ。


「あっ、小雪そこで止まって」


 明日香がそう言うと小雪はその場でピタリと足を止めた。

 なんて言うか、小雪を飼い始めてから思った事だけど、小雪は凄く犬っぽい。猫と言えば一匹狼で気まぐれで――みたいなイメージがあるんだけど、小雪はそんな猫のイメージを全く感じさせない。小雪はまるで忠犬を思わせるくらいに従順で、とても賢く人懐っこいからだ。


『小雪って犬っぽいよね』


 どうやらサクラも同じ事を思ったらしく、テレパシーでそう話し掛けてきた。


『そうだな、少なくとも俺の知ってる猫のイメージとは違うよ』

『だよね~』


 そんな事をサクラと話して小さく笑いながら、俺は入場ゲート近くにあるチケット売り場へと向かった。


「――大人一人、子供一人、猫一匹をフリーパスでお願いします」


 チケット売り場へ向かって並んでいる列で待つ事しばらく。俺は販売所でチケット替わりのフリーパス専用バンドを購入し、それを明日香の手首に巻き付けた。ここはペットと一緒に遊べる遊園地として有名だからとても楽しみだ。


「これを乗り物の所に居る係員さんに見せたら何回でも乗れるから、外したりしない様にな?」

「うん! 分かった!」


 元気な明日香の返事を聞いたあとで小雪の前にしゃがみ込み、その右足に猫用のバンドを巻いた。


「これでよし、小雪、これは帰るまで外しちゃダメだぞ?」

「にゃん!」


 ――うんうん、猫語は分からないけどいい返事だった。


『あれれっ? 涼太君、私の分は?』

『そんなのあるわけ無いだろ?』

『ええー!? 何で何でっ!?』

『いいか? この世界で妖精は架空の存在なんだ、だから妖精用のチケットなんて売ってるはず無いだろ?』

『ええっ!? やだやだっ! 私も手首にそれ巻き付けたーい!』


 目の前で両手両足をバタバタと大きく振って暴れるサクラ。さながらその様子は、お菓子を買ってもらえず床に寝転がって駄々《だだ》をこねている子供の様だ。


『我がまま言うなよ、子供じゃないんだからさ』

『やだやだやだーっ!』


 サクラは俺の頭をペシペシと叩きながら駄々をこね続ける。


 ――ああー、鬱陶しいなあ、どこかにハエ叩き売ってないかなあ。


『まったく……あとで何か好きな物を買ってやるから、今は我慢しろ』

『ホントに!? やったー! 約束だからねっ!』


 これでようやく駄々をこねるサクラから解放され、俺達は遊園地の中へ入る事ができた。そして入園すると休日なだけあって見渡す限りの人だかりで、乗り物に乗るにも相当な時間がかかりそうな感じだった。


「明日香、まずはどれに乗ってみたい?」

「えーっとねえ、どれがいいかなあ……」


 明日香は俺が差し出したパンフレットを手に取ると、あちこちに視線を泳がせながらどれにしようかと悩んでいる様子だった。


「うーん……それじゃあこれっ!」

「うっ、あ、明日香、これは後回しにしないか?」

「えっ? ダメなの?」

「にゃーん?」


 明日香と小雪がなぜか一緒になって瞳を潤ませながら俺を見つめてきた。


 ――ぐっ、そんな目で見られると何も言えなくなるじゃないか。てか小雪、お前まで俺をそんな目で見るなよ。


『あっれー? 涼太く~ん、もしかして怖いの~?』

「ばっ、馬鹿っ! そんなんじゃねーよ! ――はっ!?」


 サクラの挑発に思わず普通に大声を出してしまい、俺は慌てて口を手で覆った。しかし時既に遅しで、突然大声を出した俺に対し、周囲に居る人達から向けられている視線が痛い。


「ふふっ」


 そんな周りの痛い視線に耐えていると、それを見た明日香が小さく笑った。


 ――むっ! 笑ったな明日香? よーし、こうなったら仕方がない、共に恐怖を味わってやろうじゃないか!


 正直言って俺は絶叫系の乗り物が大の苦手なんだが、ここは兄の威信にかけて乗り切ってやろうと思う。

 俺は覚悟を決めて気合を入れ、明日香が指定した乗り物へと歩き始めた。


「――ド、ドキドキするね、お兄ちゃん……」

「あ、ああ、そうだな……」


 明日香がご指名した乗り物は大した人数も並んでおらず、並んでからほんの十分くらいで乗る事ができた。


『涼太君、大丈夫? 顔が真っ青だけど』

『お、お腹が空いてるからだよ』

『朝ご飯三杯も食べたのに?』

『う、うるさいぞサクラ!』


 俺の右肩に座ってそう言うサクラに対し、俺はまともな反論をする事すらできない状態だった。なにせ俺は絶叫系の中でもこの海賊船と言われるたぐいの物が最も苦手で、世の中から消えて無くなればいいのにと思っているくらいに嫌いだからだ。

 そんな苦手な乗り物に乗っていつ動き出すのかとビビリまくっている内にアナウンスが流れ始め、しばらくすると乗り物がゆっくりと動き始めた。


「ギャ――――ッ!!」

「きゃーっ!」

『うわわっ!』

「にゃーん!」


 勢い良く回転する乗り物の上で絶叫を上げながら、俺はただひたすらに一つの事を思っていた。もう二度とこの乗り物には乗らない――と。


「――お兄ちゃん、大丈夫?」


 乗り物から降りて数分後、俺はアトラクションの近くにあるベンチでへたり込んでいた。そして今、ベンチに座ってこうべを垂れる俺の頭を明日香が優しく撫でてくれている。


「ありがとう明日香、もう大丈夫だよ」


 力無く下げていた頭をゆっくりと上げ、明日香に微笑みかける。


 ――はあっ……初っぱなから明日香に情けないところを見せちゃったな。


『怖いなら無理しなければいいのに♪』

『妹に絶叫系の乗り物が怖いなんて言えるかよ、カッコ悪い』


 これは俺の妹に対するプライドだ。少なくとも明日香には、兄として無様な姿を見せたくはない。だけどこうして無様な事になっている以上、そんな俺の思いは霧散したと言ってもいいだろう。


「よしっ! 明日香、次はどれに乗りたい?」


 明日香にこれ以上の心配をかけない様にと、俺は平然を装ってスッと立ち上がった。


「もう大丈夫なの?」

「ああ、大丈夫だよ、だから次に乗りたい物の所へ行こう」

「うん! それじゃ次はこれに乗ってみたい!」

「よし、それじゃあ行くか!」


 こうして気合を入れ直した俺は、明日香がご指名のアトラクションへ向かって歩き始めた。それからしばらくは明日香が行きたいアトラクションへ行っていたんだけど、不思議な事に明日香が行きたがるアトラクションは人の並びが少なく、待ち時間もほとんど無いままスムーズに遊ぶ事ができた。

 こうして遊園地での楽しい午前中はあっという間に過ぎ去り、お昼を迎えた頃、俺達は園内にあるペット同伴可能なレストランへと来ていた。


「最近のペットの餌って、人間よりも贅沢なんだな……」


 そんな事を呟いた俺の右隣では、小雪が美味そうに餌を食べている。

 なんでも小雪が今食べている餌は、日本近海で獲れたマグロをふんだんに使った高級な物らしく、俺が頼んだランチセットの二倍以上の値段だった。


「小雪、美味しい?」

「にゃん♪」


 明日香が左隣に居る小雪に向かってそう聞くと、小雪は頭を上げてからそれに答える様に鳴いた。まあ高い金額を払ってるんだから、美味しくなかったら洒落にならない。

 そして小雪を挟んだ右側の席に座っている明日香は、待望だったらしいお子様ランチに舌鼓を打っている。俺としてはもっと別の良さそうな物を頼んでくれても良かったんだけど、以前テレビでお子様ランチを見てからずっと食べてみたかったらしく、本人はご満悦の様子だ。


『んんっ!? これ美味しいよっ! 涼太君!』


 そしてこの中で最もせないのはこの妖精だ。なにせこの妖精は誰よりも高いランチセットを頼んで食べてやがるからだ。


『そりゃあ良かったな、しっかりと味わってくれ』


 ガツガツとランチをむさぼるサクラを冷ややかに見つつ、俺も自分が注文した品へと箸を伸ばす。ちなみにサクラが料理を食べている姿は、俺達以外には認識できない様になっているらしい。

 そして予想外の出費を生み出した昼食後、俺達は再びアトラクション巡りを再開し、ある程度のアトラクションを回ったあとで遊園地内にあるゲームコーナーへとやって来た。


「くそっ! また取れなかった」


 建物の中にあるゲームコーナーの一角、俺はそこにある100円で三回プレイができるお菓子取りのクレーンゲームをやっていた。

 ドーム状のクレーンゲーム機内でぐるぐると時計回りをしているのは、小さな小さな沢山の駄菓子達。はっきり言って今までに投入した金額があれば、相当な数量の駄菓子を買えただろう。


「ああっ! またダメだった」


 三十六回目のチャレンジに失敗後、俺は十三回目になる100円玉の投入をし、近くで繰り広げられている白熱した勝負へと視線を向けた。


「よく飽きないな」


 駄菓子取りのクレーンゲームで遊んでいる俺の近くでは、明日香と小雪が激しい戦いを繰り広げている。


「えいっ! えいっ!」

「にゃっ! にゃにゃっ!」


 このゲームコーナーの一部には、ペットと遊べるゲームってのがあるんだけど、明日香と小雪は現在それに夢中になっている。


「ああー、また負けちゃった……小雪、もう一回やろうよ!」

「にゃにゃっ!」


 ――これで小雪の八戦七勝一引き分けか、すげえなアイツ、本当に猫か?


「あっ!」


 よそ見をしながらクレーンゲームをしていたせいで、俺は三十七回目のチャレンジに失敗した。


 ――くそっ、俺も集中しないと……モグラ叩きゲームに夢中になってる明日香達に目を奪われている場合じゃないぞ。


「次は負けないんだからね!」

「うにゃっ!」


 そろそろ一人と一匹のモグラ叩き第九戦目の火蓋が切って落とされるみたいだ。


『明日香ー! 頑張れーっ!』


 サクラはこういった勝負事が好きらしく、さっきから明日香と小雪の間で両手を振り上げて応援をしている。


「あっ……」


 そして俺は三十八回目のチャレンジにも失敗し、残り一回のチャンスとなってしまっていた。


 ――集中しろ、次が最後の一回なんだぞ……。


 さすがにこれ以上の金額を駄菓子の為に投入するのは厳しいので、これがラストの100円投入と決めていた。俺はそんなラストのプレッシャーの中で気合を入れつつ、慎重にボタンを押してクレーンを動かし始めた。


「あーっ!?」


 近くに居た明日香が急に大きな声を上げた事に驚いて視線を向けてしまい、その時に思わず手元にあるボタンを押してしまった。


「ああっ! 待ってくれっ!」


 進んで行くクレーンに向かってそう言うが、時既に遅し、クレーンは止まってはくれない。しかもよりにもよって、駄菓子がほとんど無い部分へと行ってしまった。


 ――終わった……俺のラストチャンスが……。


 無情にも進んで行くクレーンを見て絶望し俯いたあと、クレーンが戻って来てしばらくしたところで景品取り出し口に何かが落ちる音がした。


「ははっ、あれだけやってラムネ菓子一個か……」


 ラムネ菓子一個に1300円とは、どうやら俺はこの手のゲームには向いてないらしい。


「もうっ、小雪強すぎだよぉ」


 どうやら向こうも決着がついたらしく、明日香がああ言ってるって事は、また小雪が勝ったんだろう。

 そして結構な時間をゲームセンターで過ごしたあとで外に出ると、空にある太陽が赤く染まり始めていた。


「あっ、もうこんな時間か」


 携帯を取り出して時間を見ると、時刻は十八時二十分を過ぎていた。夏に近付き日が長くなってきたはいえ、あまり遅くまで明日香を連れて遊ぶわけにはいかない。


「明日香、そろそろ帰ろうか」

「えっ? もう帰るの?」

「時間が時間だしな」

「そっか……」


 その言葉に残念そうな表情を見せる明日香、よっぽど遊園地で遊んだのが楽しかったんだろう。


「また一緒に来ればいいじゃないか」

「また連れて来てくれるの?」

「もちろん」

「ありがとう。でもねお兄ちゃん、最後に一つだけ乗りたい物があるの、ダメかな?」

「一つくらいならいいよ、何に乗りたいんだ?」

「あれっ!」


 俺はてっきり絶叫系アトラクションに乗りたいとか言い出すと思ってたんだけど、明日香が指差したのは意外な事に観覧車だった。


「分かった、それじゃあ行こっか」

「うん!」


 俺の右手を握ってから観覧車へ歩き始める明日香。その手から伝わる柔らかさと温もりに、明日香が幽霊だという事を忘れてしまいそうになる。


「――綺麗だなあ……」


 観覧車の外に見える夕陽を見ながら、明日香が感慨深そうに呟く。

 夕暮れ時の観覧車はやはり人気があるらしく、乗るまでには少々時間がかかってしまった。しかし待ち時間は結構疲れたけど、いざ乗ってしまうとその綺麗な景色に目を奪われ、疲れていた事もすっかり忘れてしまっていた。

 ゆっくりと回転し、上へ上へと向かって行く観覧車。人や建物が少しずつ小さくなり、遠かった空が近くなる。それを見ていると、空に手を伸ばせば雲を掴めそうに感じてしまう。


「本当に綺麗だね」


 周りに他の人が居ないからか、サクラも明日香と同じ方を眺めて普通に喋っていた。


「そうだな」


 そんなサクラの言葉に答え、遠く彼方に見える夕陽を見つめる。

 そして俺達が乗るボックスが一番上に差し掛かった頃、明日香が何かを思い出したかの様にしてこちらを向いた。


「ねえお兄ちゃん、ちょっとそこに立ってくれるかな?」

「えっ? 何で?」

「お願いだから早く」

「分かったよ」


 何を慌てているのか分からないけど、俺は言われるがままにその場で立ち上がった。


「あっ、少しだけしゃがんでお兄ちゃん」

「こうか?」

「うん♪」


 明日香の目線に合わせて姿勢を低くすると、明日香はにっこりと笑顔を浮かべた。


「お兄ちゃん、今日はありがとう」


 明日香の顔が俺に迫り、その唇が左頬に触れた。


「ななな何やってんだ明日香っ!?」

「今日のお礼だよ」

「お、お礼って、どこでそんな事を覚えたんだ?」

「あのね、サクラが教えてくれたの、こうやると涼太君は喜ぶよ――って」


 ――ほほう、なるほど、こんな事を明日香に教えた犯人はサクラか。


「サ~ク~ラ~?」

「ち、違うよ涼太君!?」

「とりあえず言い訳くらいは聞いてやろうじゃないか」


 その言葉に慌てふためきながら言い訳を始めるサクラ。そんなサクラが言うには、以前俺が夜中にやっていたゲームのイベントCGを見た明日香が、『あれは何だったの?』とサクラに質問した時に、『あれは大好きな人にする行為なんだよ』と教えたんだそうだ。

 そして明日香にも話を聞くと、サクラの言葉をどう解釈したのか、キスという行為がお礼――という解釈に至ったらしい。


「あのな明日香、キスってのは大好きな相手にするもんだから、お兄ちゃんにはしなくていいんだぞ?」

「えっ? でも明日香、お兄ちゃん大好きだよ?」

「うっ……」

「あーっ! 涼太君てば照れてるー! かーわーいーいー!」

「……サクラ、好きな物を買ってやるって話、あれやっぱり無しな」

「ええーっ! 何で何で!?」

「明日香に変な事を教えた罰だ」

「そんなあー!!」


 沈む夕陽の光に包まれるボックス内にサクラの情けない声が響き、俺と明日香はそんなサクラを見て笑い声を上げていた。

 こうして俺達の楽しい遊園地遊びはあっと言う間に終わり、帰りもわいわい楽しく話をしながら帰路についた。

 いよいよ明日から明日香は小学校へ初登校になるけど、遊園地で見せていた様な笑顔が学校でも続く様に、楽しく過ごせればいいなと思う。

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