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断ち切り苦無

「え!? クナイで……さ、刺すんですか……自分の『心臓』を……?」

 山田千夜子が声を震わせる。平然としているが、友星も内心かなり驚いている。


「どうしたの二人とも? 分身世界に行きたいんじゃないの?」


 唯一、兎角だけが余裕の態度だ。食えない男である。

「待ってください兎角さん! こんな尖ったもので心臓を刺したらものすごく痛いですよ!?」

 痛いどころの騒ぎではない。確実に死ぬだろう。


(……いや、待て。兎角のヤツ『死のうか』とはっきり言ったぞ……)


「兎角! これが分身世界へ行くための正しい方法なのか?」

「隠密塾で分身世界がこの世とあの世の狭間はざまにある『幽玄ゆうげんの世界』だともちろん習ったよね?」

「ああ」

「なら、生身の肉体では行けないことも知ってるね」

「そのために死ねということか……?」

「そうだよ」

 兎角は事もなげに頷く。


「ふたりに渡した銀色のクナイは『断ち切り苦無』と呼ばれる忍具で、生身から魂魄を強制的に剥離はくりさせるシノビ御用達ごようたしのアイテムさ」


 疑心暗鬼になっているのだろうか。友星には眼前のライダース青年がアメコミ映画に出てくるイカれた悪役のように見えてくる。 

「分かりやすく言うと、このクナイは『分身世界への扉を開くための鍵』さ」

「で? 鍵穴が心臓ってわけか? 悪趣味だな」

「おやおや、友星くん、もしかして怖いのかい?」

「こ……怖いです……」

 即答したのは千夜子である。本当にバカ正直なヤツだ。

「あくまで死ぬと言っても実際には擬似的な『仮死状態』になるだけだよ」

 だが、今の友星には千夜子を笑えない。


 ひび割れたコンクリートに血を流して倒れる友星たちを兎面の青年が、

『あははは! 本当に心臓を刺したよ! 君たちはなんて愚かなんだ! こんな方法で分身世界に行けるわけがないだろ! あははははは!』

 高らかに哄笑こうしょうする映像を頭に思い浮かべているのだから。


「ふふ、クナイは『苦が無い』と書くくらいだからね。少しチクリとするだけさ」

「うー、私、実は注射も苦手なんです……」

「なあ、魂魄が切り離された肉体はどうなるんだ? まさか分身世界にいる間中、この屋上に生身が放置されるんじゃないだろうな?」

「うん、そうだよ」

「は?」

「安心して。この『断ち切り苦無』には結界機能が備わっているからね。肉体を周囲から見えないように消した上であらゆる衝撃から守ってくれる」


(……兎角の説明はもっともらしいが……どうする……信じていいのか? これで死んだらダサすぎだろ……)


 その時だ。


『こら、友星。男の子だろ。しゃんとしなさい』


 気弱になる友星の脳裏に呆れるような母の声が響く。

 友星は両手でぴしゃを自らの頬を叩く。驚いた千夜子が「ひゃ!」とツインテールをびよーんと跳ねさせる。


(怖気づくな。リスクを避けて目的を果たせるはずがないだろ)

 

 いつもの憎らしいくらいに強気な表情を取り戻した友星は、

「邪魔だ。びびりアイドルはさがってろ」

「へ? びびりアイドルって私のことですか!?」

 

「他に誰がいる? 俺からやる。びびりは大人しくそこで見てろ」


 両手で『断ち切りクナイ』とぎゅっと握り締め薄明はくめいの空へと掲げる。

 ガスマスク少女の心配そうな視線を頬に感じながら、ひとつ小さく息を吐くと、一気に自らの心臓へとクナイを突き立てる――。

 銀色にきらめく切っ先が胸元にズブリと飲み込まれてゆく。

 ところが、あるのは微かな痛みだけ。ピアスの穴でも開けているのかというくらい手応えはない。

 音もなく溶けるように銀色のクナイがまるごと友星の胸中に飲み込まれる。

 ――次の瞬間だ。

 高熱にうなされるみたいにぐにゃりと視界が歪む。そして、ぐるぐると捻れる。やがて、ぷつんとじ切れる――。


     ◆◇◆     


 しばしの暗転。まるでゲームのロードを待っているような感覚。

 徐々に視界のもやが晴れてくる。

 目の前には、ついさっきまでのさびれた屋上の光景がそのまま広がっている。

(一体、なにが変わったというのか……いや、違う)

 友星は異変に気づく。生活音が、独特の匂いが、街の温度が、いささかも感じられないのだ。


 まるで時が止まったかのような静けさだ――。


 途端、ぶるっと友星の身体が震える。

 確認のために両手で閉じたり開いたりを繰り返す。目にも留まらぬ速度で開閉される指先に友星は確信を抱く。

 居ても立ってもいられない。気づくと屋上のふちへと疾走していた。


(月に初めて降り立った宇宙飛行士もこんな心躍る気分だったんだろうか)


 軽い。羽毛のように身体が軽い。動く。想像以上に手足が動く。シミュレーターなんて比べ物にならない。

 運動能力が爆発的に向上しているという確かな実感――。


 友星はひと息で三メートル近い金網を駆け上がると、数センチ幅のフェンスの頂上にすくと立ち、数十メートル先の眼下に広がる静寂の街に目を凝らす。

 まるでスナイパーライフルのスコープでも覗いているかのように、アスファルトに転がる空き缶の銘柄まではっきりと視認することができる。

 視覚、聴覚、嗅覚などの五感が信じられないほど研ぎ澄まされている。


(ああ、これが本物の魂魄体か。ああ、これが本物のシノビか)


 ここは『うつし世』の東京23区をコピーした『うつし世』の『裏東京23区』の一角。『裏新宿』の名もなき雑居ビルの屋上。

 眼下には朝陽に照らされ黄金色こがねいろに輝く無人の大都市が広がっている――。


「ついに来たぜ――母さん」


 母の魂魄が奪われてからの五年間、訪れる日を願ってやまなかった分身世界に霧崎友星は立っていた。


 ふいに背後に気配を感じて振り返る。遅れること数分。兎面の青年とガスマスクの女子高生がひび割れたコンクリートの上に姿を現す。

 兎面の青年がおもむろに足を踏み出す――気づくと兎角は友星の隣に立っていた。兎角は友星の顔を見ながら軽妙に告げる。


「ようこそ分身世界へ」


 今の友星には青年の兎面が笑っているように見えた。

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