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女子高生とガスマスク

 週に一度。日曜日の昼前。その病室に訪れるのが俺たち霧崎兄妹の約束事だ。

 俺はスライド式の扉を開ける。

 クリーム色を基調きちょうとした温かみのある室内。凛々しい眉が特徴的な目鼻立ちの整った40代の女性が、ちょこんと窓際のベッドに腰掛けて外の景色をぼんやりと眺めている。

 女性の視線の先にあるベランダで色鮮やかな小鳥がチチチと小気味良くさえずる。しかし、女性の表情は微動だにしない。

 よく見れば、彼女の濁ったガラス玉のような瞳にはなにも映ってはいなかった。


「母さん元気にしてた? 担当の高橋さんに迷惑をかけてないだろうな?」


 返事はない。虚無症候群の人間に声は届かない。

 死んではいないが生きてもない抜け殻の状態――それが肉体から魂魄を失った虚無症候群の患者の症状なのだ。


 ああ、わかっていてもやはり辛いものがあるな……。


 少しでいい。俺たちのことを見て欲しい。一瞬でいい。母さんの笑顔が見たい。詮無きことと知りながらもそう思わずにはいられない。

 だが、兄である自分が気弱な顔を見せれば妹が動揺する。


「なあ、聞いてくれよ母さん! 御庭番衆おにわばんしゅうの連中が、ふざけやがってよ――」


 俺はいつものふてぶてしい態度で一週間の出来事を母さんへと報告する。


 しばらくして俺は「あー、そうだ」と白々しく振り返る。

華鈴かりん。俺、ちょっと担当の高橋さんと話してくるわ」

「私も行きます」

「いや、お前は病室に残って母さんにシノビになったことを報告してやれよ」

 複雑そうな表情を浮かべる華鈴の丸い頭に手を置く。

「母さん、きっと喜んでくれるぞ」

「子供扱いしないでください。兄さんに言われるまでもなくそうするつもりでした。腕をへし折りますよ」

 つんけんした言葉とは裏腹に頭上に置かれた手を振り払う気配はない。

「はいはい、母さんのこと頼むぞ」

 俺は苦笑しながらスライド扉を閉じる。


「まったく世話の焼ける妹だ」


 口調こそいつも通りだが、華鈴はここ最近ずっと元気がない。おそらく自分だけシノビになったことで俺に引け目を感じているのだろう。

 俺なりに家ではいつも以上に明るく振る舞っているつもりだ。もっとも、さとい妹には『兄が精一杯、強がっている』としか見えていないのかもしれない。

 だとしたら母さんに任せるしかない。母さん相手に気持ちを吐露とろすれば華鈴の気も晴れるだろう。そして、思い出すだろう。

 シノビになった意味を。己の成すべきことを。果たすべき目的を。

 俺も同じだ。母さんの姿を見て改めて覚悟が固まった。

 どんな手を使ってでも分身世界へ行くという揺るぎない覚悟が――。


     ◆◇◆  

       

 ついに迎えた決行日。

 時刻は夜と朝の境界線。街の稜線りょうせんしらみ始める早朝四時。

 バーガーショップに居酒屋に中華料理にアジア系の怪しいマッサージ店などなど、多国籍なテナントが同居する西新宿のとある雑居ビル。

 貯水タンクのペンキが剥がれ落ちコンクリートのひび割れた屋上で、霧崎友星はじっと待っていた。兎角とかくが現れるのを――。


 兎角曰く『密行するなら、もっともシノビや隠密庁の監視が緩い早朝の四時から五時頃までだよ』とのことだ。


 換気扇のダクトから漂ってくるアロマや香辛料の混在する独特の匂いが鼻孔びこうを刺激する。ガタガタと今にも壊れそうなやかましい室外機も耳障みみざわりだ。

 とても快適な環境とは言い難いが、

「……まあ、俺たちにはおあつらえ向きか」

 密行をくわだてるアンダーグラウンドには相応しい待ち合わせ場所かもしれない。

 兎角とは今日が初対面だ。だが、声色から年齢や容姿は想像がつく。


「二十代の長身の男が入り口から現れたら――それが兎角だろう」


 その時だ。鉄扉が朝焼けの空へと錆びついた金属音を響かせる。

「ようやくお出ましか!」

 開口一番、かます友星だったが、現れた人物を視界に収めて言葉を失う――。


 なんと約束の屋上に現れたのは――二十代でも長身でも男性でもない。

 十代の小柄な少女だった。ツインテールのセーラー服だった。

 しかも、奇妙なことにガスマクスを装着して顔を隠している。


(おいおい、意表をついてこの『ツインテールのガスマクス少女』が兎角だとか言うんじゃないだろうな)

 

 ガスマスク少女がおそるおそる尋ねてくる。

「あ……あのー、あなたが兎角さんですか……?」

 確信した。別人だ。このガスマクス少女は兎角ではない。


(待て。だとしたらこいつは何者だ……?)


「そうだ。俺が兎角だ」

 相手の情報を引き出すために友星は話を合わせることにする。

「そうですかぁ、はぁー、よかった」

 ガスマスク少女は安心したように胸をなでおろす。

「想像してたよりずっとお若いですね」

 友星は舌打ちする。なんとなく話が見えてきたのだ。


(ちっ……兎角のヤツ、俺の他にも同行者がいるなんて聞いてないぞ)


「ああ! す、すみません! お気に障りましたか?」

 舌打ちに反応して、ガスマクスのセーラー服女子がツインテールをぴょこぴょこと揺らしてながらあたふたする。実にシュールな光景だ。

「そういうあんたも若いな」

 ぱっと見では中学生くらいだ。

「私、17歳の高校2年生です」

 まさかのタメだった。

「ところで、なぜガスマスクを?」

「電話でもお話したように私の『職業柄』どこで誰に見られているかわかりませんから……それで失礼を承知で……あ、ガスマスク自体は個人的な趣味です! 私、このゴツゴツしたフォルムが好きなんです!」

「有名人なのか?」


「あのー、その、えーっと……私が『アイドル』だってご存知ですよね?」


(いや、答えるのかよ。もう少しは俺を疑えよ)

 異様な風体に反して少女はバカ正直だ。

「アイドルがどうしてまた分身世界に?」

 よくぞ訊いてくれましたとばかりにガスマクス少女は声を弾ませる。

「はい! 私! 小さな頃から分身世界に憧れてたんです! 一度でいいから行ってみたくて! それで必死でお願いして特別に!」

「なるほど、不可解だ」

「え? 何がですか?」

「シノビになればいいだろ? そうすれば好きなだけ分身世界に行けるじゃないか」

 ガスマスク少女の整合性に欠ける言動は違和感しかない。バカな振りをして真の目的を隠しているんじゃないかと疑ってしまう。

 ガスマクス少女がツインテールをぷるぷると震わせ声を荒げる。


「わ、私だってシノビになろうと思って東京に出てきたんです! 隠密塾に通う予定だってあったんです! だけど、いろいろあって……アイドルをすることになっちゃたんです!」


 すねねるようなガスマスク少女の態度に、買い被りだったと友星は考え直す。さしずめ隠密塾の試験にでも落ちたのだろう。

「悪いことは言わない。今すぐ帰るんだ」

「兎角さん! 今さらどうして!?」

「分身世界はあんたが想像するような場所じゃない。がっかりするだけだ」


(ま、俺もシュミレーターで経験しただけで実際には行ったことないけどさ)


 それでも友星には確信がある。分身世界は魑魅魍魎ちみもうりょう跋扈ばっこする殺伐とした世界だ。戦う術を持たないアイドルには荷が重い。

 ところが、ガスマスク少女は「い、嫌です!」と一歩も引き下がらない。


「ただの憧れかもしれません! 観光気分だと鼻で笑われるかもしれません! でも私は本気なんです! この日のために知識や忍術を磨いてきたんです!」


「ん? まさか忍術が使えるのか?」

 友星は目を丸くする。

 いわゆるシノビマニアと言われる知識が豊富な一般人は珍しくない。だが、忍術となると素人がおいそれと使えるものではない。

「はい、一応、初級忍術はひと通り」

 ガスマスク少女はさらりと答える。

「アイドルだからでしょうか? 気配を察知したり、身を隠したりするのは特に得意です。へへへ」

「見え透いた嘘を」

「う、嘘じゃありません!」

「じゃあなぜアイドルを? 塾生でもないのに忍術を使えるような逸材を隠密庁が放置しておくはずがない。もう少しマシな嘘をつけ」

「そ、そのー、事情がいろいろあるんです! 嘘じゃありません!」

「さっきからそればかりだな。マシな言い訳もできんのか」

「あなたこそさっきからなんなんですか! 電話の印象とずいぶんと違いますけど……本当にあなたは兎角さんですか?」


 その時だ。


「はーい、ふたりともそこまで」


 頭上から聞き覚えのある『くぐもった声』がする。

 見上げると、ペンキの剥がれた貯水タンクに、ライダースジャケットとスキニーパンツの長身青年が薄明はくめいの空をバックしてすらりと立っていた。


「せっかくの同行者同士じゃないか。仲良くいこうよ」


 特筆すべきことに青年は『兎のお面』で顔をまるっと覆っていた。


「え? え? え?」

 ガスマスク少女が混乱した様子で友星と兎面の青年を交互に見やる。


「どうも。お待たせ。僕が『本物の』兎角とかくだよ」


「ほ、本物? じゃあ……あなたは?」

「俺か? 俺は霧崎友星。『偽物の』兎角だ」


「えええええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ――――――!!!」


 直後、屋上にガスマスク少女の間の抜けた叫び声が響き渡るのだった。

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