思考回路一時停止
資料室から直行、オレは『第一研究課』の課長室へ駆け込んだ。
「何処行ってたんですか。武藤教授〜」
第一研究課のボス。嶋田 綾子はオレを見るなり慌てて駆け寄ってきた。
彼女は、オレと榊がまだ基の頃。この研究所へオレ達の助手として大学院時代に引き抜かれてきた才女だ。あれから30年。若かった彼女も、もう直ぐ定年で…オレ達の唯一の上司(まあ、今では母親代わりみたいなもの)として、ここに勤務している。
「その教授てのはやめてくれ。何だ?また、始末書か?」
「それもありますが。あ。そういえば、先月の始末書、まだ提出して頂いてませんが。榊教授には、先程、全部提出して頂きましたよ」と、あっさり嫌味交じりにそう言われた。
「〜〜今週中に纏めて提出するよ」
はあ〜、ため息が出る。
クローンに不具合が出る度、俺と榊には大量の始末書類が回ってくる。目を通すだけで、一日が潰されるくらいの…。
だから、始末書と聞くだけで俺は憂鬱になる。
大体、この間まで出回っていた3号機は、おれ達の基が作ったものだ。オレ達(5号)に責任は無いだろうと思うのだが…。
実際、3号機は酷かった。よく13年も持ったものだと思う。
武藤3号は、生まれて3年程経過した時に、脳に違和感を覚えた。それは、朝から晩まで一日中、大きなミミズが脳内を這い回って刺激するかのような不快な感触で、激しい痛みを伴った。
最初は抑えられていた鎮痛剤も徐々に効かなくなり、最後の3年はモルヒネに頼った。が、それも効かなくなった武藤3号は苦痛の余り、ある日、何気に自分の頭を銃で打ち抜いていた。
その場に居合わせた榊3号は、その砕けた脳の記憶装置を修理し武藤3号の細胞で武藤4号を再生した。
まあ、榊3号も榊4号が誕生したと同時に自己崩壊(自殺)したが――。
しかし、よく50年そこらでこれだけ技術的に進歩出来たと感心する。
1号は、カプセルから出た途端、ヒトの容にもならず見るも無残に跡形も無く崩れ去った。
2号は、武藤が5年半。榊が6年。辛うじてヒトの容を保った。
3号は2体とも13年持った。だが、脳と身体の連結が巧く行かず上記の理由で自己崩壊(自殺)した。
4号は、今世間に数体出回っている。が、これも3号と同様。脳と身体のバランスが取れず、自己崩壊している。
(因みに、3号までは基が作り4号は3号が。5号は4号が作った)
「それより教授。お客様ですよ」
「え?オレに?」
ボスに釣られて顔を部屋の隅のソファーに向けると、50歳位の紳士顔した男が腰掛けていた。
男はゆっくり立ち上がり、礼儀正しくオレにお辞儀をして
「警視庁特別捜査班班長の島津 一です」そう言った。
「警視庁…」聞いて瞬間、全身にどっと冷や汗が流れる。
まさか、心配していた事が事実となったか?
「教授は、時任 嵐くんをご存知ですね?」鋭い目をオレに向ける。
やはり!!
特別捜査班ってことは、特別の捜査班だろうから、オレの周辺から国家機密の何かが漏れたんだ。そうか。そしてオレは、このまま、廃棄処分されるのか…。
「…ご存知というか…それ程、ご存知でもないですが」
情けないことに緊張と恐怖のあまり声が、上擦ってしまった。
島津の警官特有の鋭い目は、オレの一挙一動を観察するかのように射続けている。
オレの心臓は、口から飛び出しそうな勢いでバクバクいってる。
ボスはそんなオレの様子を敏感に感じ取って、オレを庇うように島津の前に立ち塞がった。
「武藤教授は警察のご厄介になるような生活をしておりませんが。武藤教授に何か不備がございましたら然るべき手続きを取って、再度出直して頂きたいのですが」
ボスの言葉に島津は、事務的にあっさり答えた。
「ああ。人を観察するのは、どうもクセらしくて。ですが、教授に疚しい所がなければ見る位はいいじゃないですか」
ボスは、その言葉が癇に障ったらしく
「そうですか。まあ、武藤教授は端整な顔立ちのうえに体躯もいい、洗練された美男ですからね。「失礼」の言葉も無く、島津さんが嘗め回すように教授に見惚れるのもよ〜く解りますよ」
ボス。あんたそれ警官相手にケンカ売ってるよ。
「あっ!いや、恐縮です。失礼しました」
言われた島津は赤面して頭を掻き、慌てて何度も頭をさげた。
その様子から、オレの心配は無用だったのだと理解できた。ボスも島津の「失礼しました」を聞いて機嫌を治したらしい。
「教授。取りあえず、座ったら…。あ、島津さんも。今、お茶をお持ちしますから」
「いや、お構いなく。出来れば、教授と二人で話したいことがあるのですが」島津は、にこりとボスに微笑んで、ソファーに腰掛けた。
ボスは、まだ半分放心状態のオレを島津の前席に座らせて、「では、私は隣室にいますので、御用がおありでしたらお呼びください」そう言って部屋を出て行った。
それを待ち受けていたかのように島津は口を開いた。
「時任くんは、あなたが協力してくれるならとそう言うもので」
『時任…。ああ、あの少年か…』ぼんやり考える。まだ、緊張が解けず巧く頭が回転してないらしい。
「はあ…。協力って…何を?」島津は、間の抜けた返事をしたオレに構いもせず
「武藤教授は、『夜桜連続行方不明事件』をご存知でしょうか?TVのニュースでも各局連日特集を組んで報道していますが」
「ああ。それなら…」研究一筋のオレでも知っている。
何年か前から、夜桜見物に出かけた男が次々と行方不明になっているという怪事件だ。
一緒にそこに居た人物が、目を離した数秒の間に忽然と消えていたという。
UFO説とか異次元説とか、実しやかに噂され今世間で最も話題になっている事件なのだ。
「先週も、某番組の若手人気キャスターがこの事件を取材中に行方不明になりました」眉間に皺を寄せて一大事とばかり島津は言う。が、
「はあ…」解らない。何で、オレにそんな話しをするのか。
そもそも、それがどう時任少年と関係があるのか。
続けて島津は、意外な人物を口にした。
「教授は、笹山 志保師を憶えてらっしゃいますか」
「ああ、俺の基が――。師は、一流の超常能力者で、脳の実験研究に何度か協力して貰いました」
もう、40年前の話になるな。
その頃、作った2号機に超常能力の傾向が強く出たため武藤(基)は脳に興味を持ったのだ。師を紹介してくれたのは、政府だった。
その時、師の家系は、代々その能力を超心理学界で高く評価され当時警察が、解決不可能とされた事件などを次々解決していると聞かされた。政府お墨付きの超常能力者だとも。
「時任 嵐くんは、師の実妹のお孫さんにあたります。彼にも師と同じ能力があるとのことで、日本警察は政府の許可を得て、先日彼に特別捜査官として事件解決への協力を求めたのですが」
ああ、そう。孫か。なら、時任少年がオレを知っていたとしても不思議ではない。師は歳は食ってたけれど可愛い女だった。感度も良かったしな…。
オレがお盛んな昔を思い出している間にも島津は、話を続ける。
「時任くんが…。武藤教授が――あなたが一緒なら、協力するとそう言ってまして。だから。
だから、あなたも捜査に協力してください。お願いします!!」
島津に思い切り両手を握り締められた。
「はあ?」
あまりの展開にオレの脳は一時停止し、身体は両手を握られたまま暫し硬直していた。