ヒトゲノム再生研究所
益々、エセSFになってます。
「憶えてる? 私のこと――。ねぇ、将平さん」
彼女は、出逢った頃からよく俺にそう訊ねてきた。
「憶えてるよ。美紗子。ずっと一緒にいるって約束した」
彼女が期待するであろう言葉を俺が口にする度
何時も、彼女は淋しく微笑んだ。
「いいのよ。もう、無理しなくても。あなたは、彼じゃないんだから」
息を引き取る前に彼女は、俺に言った。
「あなたは、私の将平さんじゃないの。だから――」
最期の言葉は、俺の耳まで届かなかった。
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昨夜は、時任少年のことで頭をフル回転させていた。
彼の唇の動きに会わせて彼の声が頭の中を過ぎっていく。
記憶には自信がある。そのおかげで俺はこうして今生きている。
なのに、彼の記憶は頭の何処にも見当たらない。
一目会えば忘れるはずが無いであろう特徴のある瞳。
ふっくらした桜色の可愛い唇。
彼の残像を脳裏に思い浮かべながら俺はいつの間にか眠っていたようだ。
そのせいか。
久しぶりに、彼女の夢を見た。彼女が死んでもう5年になる。
その間、夢という夢は見なかったのに…。
その日、俺はヒトゲノム再生研究所の資料室にいた。この研究所は、日本政府唯一公認のヒトクローン研究所だ。
日本の人口は、近年激しく減少している。これは、日本に限った事ではなく世界的に男女間の生殖能力が著しく低下し始めた為だ。地球が抱える異常気象問題と関係しているのかもしれない。
このままでは、日本に未来は無い。いや、地球全体に…。
そのため、危機を感じた政府は、今から50年ほど前にそれまで禁止していたヒトのクローン再生に着手した。そのわずか10年後、クローン再生を許可する。見切り発車もいいところだ(この小説のように)
ヒトクローンは、ヒトの細胞から培養カプセルの中でヒトの容に形成され、記憶を埋め込まれ十月十日で成人となって誕生する。クローンというより、人造人間だな。
だが、政府のしでかす事は、何時の時代も間が抜けている。
クローン一体を作るのに、人間一生分の費用が掛かるのだ。この不景気なご時世にそれだけの金を費やす者なんて、いない。
おまけに、認可が下りるまで、あらゆる項目をパスしなければならない。無事パスしたとしても、クローンの所有権は、政府に在る。
そんな理由で、今現在日本に生息するヒトクローンは、数えるほどしかいない。そのどれもが不良品で。何やってんだ。日本政府!? まあその内、このクローン計画も白紙になるだろうな。
俺はその研究所の資料室で過去50年、自分に拘った総てのデータをPCで検索する。
やはり、少年に関係するであろうデータは出てこない。
「やっぱりな・・・」ため息混じりに呟いた。その瞬間、部屋にコーヒーの匂いが漂った。
「おごりだ。飲めよ。随分とご熱心だな」
何時の間にか、榊が俺の後ろでPC画面を覗き込んでいた。
俺は、ビックリすると同時に苦笑する。
人の気配にも気付かない程、熱中してたのだ。
榊が敵なら俺は今頃、死体だな。
「死体……」そういえば、時任少年もそんなこと言ってたな。
『ほら、よく櫻の下には死体が埋まってるって言うだろ?
あれ、ホントに埋まってると思う?』
俺の思考回路は、時任少年に飛んでいく。
…どうも、気が付けば、俺は昨夜から彼のことを考えているようだ。この俺がだ。
「どうした? 武藤。おまえ今日は、隙ありすぎだぞ」
そんな俺を珍しいものでも見るかのように榊 真哉は言った。
「何を探しているのか知らないが、PCで検索するよりおまえの頭の中で検索した方が早いだろう」
「まあな」
榊は朝から、研究室を出たきりの俺が気になって覗きにきたのだろう。
「で? 探し物は見つかったのか?」
「いや…。多分、俺の勘違いだ」椅子の背もたれに背を預けて俺は素っ気無くそう言った。
「勘違い? おまえが、か」口の端に薄い笑いを浮かべて榊は俺を見た。
俺はゆっくりPC画面を閉じて
「そんな事もあるさ」と、席を立つ。
榊は、その俺の腕を捕まえ「言えよ。何を探してた」
有無を言わせない鋭い目が光ってる。
「……榊。おまえがもし見知らぬ、その日初めて出会った相手にフルネームで名前を呼ばれたらどうする」
「…ビックリするな。それは、…事実か」
「昨日の出来事だ。それも、高校生くらいのガキにだ」
一拍置いて榊は、言う。
「――おまえのファンじゃないのか? 一目会ったその時からってヤツで。こっそり、おまえの事を調べたんだ」
「馬鹿か。どうやって?」
「ふん…」榊は、眉を顰めた。
それは、有り得ない。
オレと榊は、クローンだ。成人として生まれてまだ9年。だが、頭の中には、50年分の知識が詰まっている。
そう、オレ達の基は、50年前この研究所の研究員だった。
オレ達の基、武藤 将平と榊 真哉は、自分の細胞を実験台にしたのだ。何度も失敗を重ね二人が死んで20年後、完成したのが、今ここに居る自分達だ。
だから、オレ達に名は無い。戸籍も無い。「武藤5号」と「榊5号」。それが、オレ達の本当の名前。
オレ達は、二人に代わって(過去50年分の頭の中のPCよりも高性能の記録とともに)今この研究所に養われている。
なのにどうしてあの少年は、俺の本名(基の名前)を知りうることができたのか…。
研究は、国家機密でなければならない。
もし、これが原因で俺の周辺から何かが少しでも外に漏れでもしたら。
俺は、即、国外追放となるだろう。
「…それも生きて追放されるかどうか…」
榊は、それを聞いて笑った。
「おまえは、殺しても死なない。オレがまた再生してやる。だから大丈夫だ」
「そのガキは美人か?」
榊の問いにふと首を傾げながら
「美人…男にも美人て言葉を使うのなら美人かな」
榊は、へぇ〜。と笑って
「男か。おまえ男OKだったっけ?」
「興味ない」俺は即答する。その答えに、榊が即答した。
「興味ないのは、男も女もだろ」
「そうだな」反論はしない。俺は総ての事に興味が無い。
榊の言葉を軽く受け流す。
「でも、その美人のボーヤには興味あるんだろ」
榊は、コーヒーを一口飲んで笑ってこう言った。
「おまえも俺と同じ人間だったんだなと、安心したよ」
「クローンの出来損ないだけどな」そう言った俺の顔は
多分、今酷く歪んで笑ってるだろう。
「クローンだって、立派な人間さ。――おまえも俺も」
榊は、その顔を見て見ぬ振りして、苦い顔をしてコーヒーを飲み干した。
「…ふん。下らん話しは、お終いだ。
ああ、そうだ。武藤――ボスがおまえを探してたぞ」
「それを早く言え!」
俺は資料室を飛び出した。
一人残された榊は、
「慌しいヤツだ。俺のおごりのコーヒーに手もつけないで…」
相変わらず、苦い顔でそう呟いた。
ブログ掲載小説です。