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4.理不尽は紙一重の場所に存在する

若干胸の悪くなる表現があります。

馬上で暴れる事ほど、背骨を折る危険性がある事はない。

そんな事をどこかで聞いた覚えがあったジェムは、何とか相手への嫌悪感や恐怖、それから絶望感を押し殺して、大人しくしていた。

とはいえ、大人しくせざるを得なかったのだが。

何故ならば、彼女は手ひどく殴られており、頬は痣が浮き上がるほど腫れ上がり、唇は血を流し、口を開くのも億劫な程だったのだ。

そして両腕は手枷をつけられており、一体どこの罪びとだろうと思わせる姿だ。

とてもではないが、丁重な扱いというのはおかしいだろう。

しかし、騎士が農民やその程度の人間に対する態度はそんな物である。

市民権を持った町の人間ならば、自分たちに影響があるかもしれない。

だが、孤児院という場所出身の、彼等が恐れる背後のない人間に対する扱いなどという物は、あまり褒められたものではないのが現状なのだ。

そしてジェムは後ろに、怒らせてはいけない貴族など。いないただの少女だ。

親すらいないのだ。保護者となる人間がいない娘に対する扱いなど、きりが知れているものでもあったのだ。

抵抗を繰り返した少女に対する暴力も、また当たり前のように行われているものだった。

気絶からすぐに回復した、ある意味頑丈な彼女が暴れた途端にこれである。

それも気絶した間に手枷が付けられていた事も考えれば、彼等はジェムを捕まえておけば火の門をひらく門士を引き寄せられる、と思い込んでいるのだ。

大変な事になった、とジェムは血の気が引いていた。

自分が殴られたりするのはあまりにも理不尽、だが最近の騎士何て言うのは騎士道など夢のまた夢の野蛮人が多い、と町の噂で聞いていたジェムは、この扱いも納得がいく。

納得がいくのと受け入れがたいのは、別の問題なのだ。

そして、これだけの理不尽をレパードに知られたならば。

レパードが彼らの上の人間、領主のいう事を大人しく聞く、というのも土台無理な話に違いないとわかる程度には、あの兄貴分を彼女は理解していた。

そうなれば短気な領主は烈火のごとく怒るだろうし、その結果が一体どういう風になるのかはまた、考えたくない物だった。

どうしたらいいだろう。

ジェムは心の中で再三繰り返したのだが、いい考えはどうやっても出てこなかった。

そうしている間に、領主の館が見えてくる。

町からやや離れた場所にある、彼女が知っている中では一番立派な建物は宴になると、町の人間を招いてご馳走をふるまうのだとか。

しかし、孤児院の子供たちにそんなものの誘いが来た事は一度もなく、尼僧様もそんな乱痴気騒ぎに加わる人間ではなかったため、別段気にした事もなかった。

立派な建物だ、とジェムはまた思う。

背後に山をとり、他の面を川で囲った籠城向きの城だ。

それだけで立派な館だと言い切れる。普通こう言った館を攻めるのはとても難しいのだ。

出入口がすぐに落とせる橋というのも、ここが以前は国境の重要地点だった事を示すようだった。

特に隣国である青の国とワヘイジョウヤクという物を結ぶまでは、しょっちゅう戦渦に巻き込まれていたことも、長生きの尼僧様から聞いていたジェムだ。

そこが普通の方法では落されないだろう事も、容易に想像がついた。

そこの門が開かれる。そこでは待ち構えていたように、体格のいい立派な服の男が立っていた。

「門士を連れてきたのか!」

「殿様。門士を連れてきてはおりませんが、この娘は門士の大事な人間の様です。門士と同じ孤児院の娘であります。門士に人の心があるならば、この娘を案じて必ずや、ここに来るでしょう!」

胸を張った騎士に、男……殿様というのだから領主なのだろう……が満足げにうなずいた。

「よし、他の領主に先を越されなかったようだな。その娘がいれば必ずや、火の門をひらく門士が現れるのだな!」

「ええ、必ず!」

その保証はどこにある、とジェムは心の中で思ってしまったが、レパードが必ず来るだろうと彼女は知っていた。

彼はそういう人間なのだから。

「さて、娘はどこに置くか」

領主は一度考えたように口ひげをひねったのちに、こう言った。

「客人というわけでもない。となれば……」

「お父様! そいつをお客様のように扱わないでくださいまし!」

彼の背後から現れたのは、彼の娘だった。見間違いようのないうるさい金の髪。ジュエリーだ。

彼女は名前に恥じない金の髪を揺らし、こう言う。

「その娘は孤児院に来る前の素性もわからない、浮浪民だったのですわ! どこの生まれかもわからない不気味な娘なんていうものを、お客様のように扱わないでくださいまし!」

「なるほど、浮浪民の」

その自分を連れてきたレパードも、それを言ったら浮浪民だが。

それを言うのも、口元を腫らしたジェムにはできない事だった。何しろとても痛いのだ。

「では、牢獄程度でいいだろう。他国の貴族も、騎士も、牢獄ですませるのだからな」

殿様が手を振り、彼女の処遇を決める。馬から降ろされた彼女は、そのまま髪を掴まれて引きずられていった。

本当に罪びとのような扱いだが、有力な保護者のいない娘がこの程度の扱いで済むのはある意味、ましだったかもしれない。

若い娘というだけで、血迷う男は大多数いるのだから。




落された空間は思わずせき込むほどの悪臭で満ちていた。

おそらく何十年単位で掃除された事のない、汚物の堆積した臭いだ。

それらとともに腐る水の匂いが漂い、あたりは一面の暗闇なのだ。

何も見えない状態のここは、ベルクフリートの中である。

館の中の塔の、一階部分だ。しかしここは入口が二階に存在しており、そして窓もない。

網で入れられる時に使用された天窓以外に光のさす場所はなく、まさに暗黒だ。

「土牢がひどいとはきいていた、けど」

ジェムは小さく呟いた。そしてまたせき込み、出来る限り呼吸を減らそうと決めた。

病が襲い掛かるような悪臭なのだ。

とても耐えきれる臭いではない。

そして、誰か人間の気配もない。誰もここには入れられていないのだろう、現在は。

ジェムは自分の体を抱き寄せ、膝を抱えて座り込んだ。

一体どんな毒虫がいるのか。毒蛇や蛙がいるのか。

考えるだけでも恐ろしいのだが、動かなければ気付かれないかもしれない。

悪臭が目を刺激し、涙がこぼれてくるものの、ジェムは自分に大丈夫だと言い聞かせた。




土牢に入れられてからの時間の感覚は、ない。だがおそらく数日は経過しただろう、とジェムは落とされてきた、こんな状況でなければ食べないだろうパンを口にして思った。

水は小さなコップに一杯程度。パンはおそらく、この館の住人が食べないだろう石のようなパンであり、おそらく黴だって生えていた。

それでも食べなければ生きられないし、空腹は辛いし、これを残したらそれを食べにくる鼠などにかじられてしまう。

ジェムはせき込み涙を流して、それで何とか一日に一度の食事を済ませた。

レパードはまだ来ない、と思う事もある。

だが。

来なくていい、と思ったりもする部分があった。

こんな場所に入れられた自分を、見られたくないのだ。

一体どれだけ臭いにおいを放ち、汚れ、見られない人間になっているか考えたくもない。

などと、思ったその矢先だったのだ。

建物がすさまじい音を立てて揺れたのは。

一体何、とジェムは音のした方を見やった。

その音は立て続けに響き渡り、そして彼女の目の前で、堅牢な石造りの塔の、その隙間に炎の赤色と光がにじんだのだ。

え。

その光はとてもささやかだったが、暗闇に目の慣れた彼女にはまばゆいほどだった。

その後だった。

彼女がとっさに身を低くしたその瞬間に、彼女の脇を塔の材料だった石が吹っ飛んでいったのは。

そして一気に外の明かりが入って来る。そうすると、ここで命を落とした数多の骸骨が視界に飛び込み、暗闇に潜む蟲が光から逃げ出し這いまわっていく。

床は堆積した汚物でおおわれており、汚れた水も見えた。

そこでジェムは、座り込んだままだったが。

「ジェム、無事か?」

その、外から開けられた穴から顔を出した男の呼びかけに、色々な物が決壊した。

そのままぼろぼろと、安堵のあまり泣き出した彼女を見て、男が駆け寄ってくる。

そしてその動きの通りに抱き寄せ、かき抱いたのだ。

「ああ、ジェム、お前が無事でよかった」

「ふええええええっ」

鼻水をすすり、涙をこぼし、閉じる事の出来ない口で泣いているジェムを安心させるように、そして自分が縋りつくように抱きしめてきた男からは、煙の臭いがこびりついていた。

散々泣いた後、やっと開いた瞳に見えたのは、囂々と燃え盛る炎で、難攻不落の豪華な館が焼け落ちていくさまだった。



<4. 理不尽は紙一重の場所に存在する>

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[良い点] 焼け落ちる描写は館じゃなくて領主たちの人体だったら良いなあ(猛毒
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