3.引き換えになる物の重さを知らなければ
それから数日は何事もなく過ぎた、と言っていいだろう。
とにかく、数日間の聖休日の間ずっと、孤児院で過ごしていれば平和だ。
それも森の中という、一般的な人間たちが嫌う異空間の一種ともなれば。
ジェムは聖休日の最終日、ちくちくと針を動かしていた。
というのも子供たちがもともと、とても活発だという事そして、布地の耐久性がそこまで良いものではないという事が合体し、子供たちが使う寝具に大穴が開いたのだ。
子供の寝相を甘く見る事なかれ、とんでもない方向にいる事など普通だ。
そんな子供が何人も身を寄せ合って眠る寝具が、擦り切れるのは早い。
そのためその大穴は、開くべくして開いたものだろう。
ジェムはそこで怒ったりはしないし、孤児院にいる時は出来るだけこう言ったものを直す事を自分の役割だと思っていたので、ちくちくちくちく……ととにかく手を動かしていた。
それに不満など何もないのだ。
女学校を出るという事は、そういう物にも一段と秀でいていなければならないという事、でもあった。
そしてジェムは、学校で一番裁縫が上手なまでに成長したのだから、こう言った事が彼女に回ってこないわけがなかった。
時間があれば、レパードの服も縫わなければ、とジェムは頭の中で段取りを決めていた。
もう身長は伸びないレパードの年齢ならば、衣類はこの前測った時と大体同じで大丈夫、そして彼は太っていないようだから、自分の勘も狂わない。
彼は孤児院のあらゆる雑用をこなし、子供の面倒を見て、森に入っていろいろな物を探し求め、家畜の世話を子供たちに教え、と大忙しなのだ。
そんな彼だから余計に、ジェムは心を尽くした衣類位は用意したかったのだ。
彼はきっと、衣類に穴が開いていても気にしないだろう。
でも。ジェムはそれが嫌だった。
だって自分が用意できる間位は、彼にまっとうな衣類を作りたかった。
彼女の一番幼い頃の記憶が、きっとその思いの理由だった。
小さい頃、まだ孤児院に入る前の記憶の様な物の中で、彼はとても簡単な衣類を身にまとっていた。
擦り切れて裾がかなり上の所まで行っている下履きは膝の上までしかなく、そして上は一枚の布に穴を開けて頭からかぶるだけ。
そんな異民族の様な衣類をきた彼が、彼女の名前を呼んで抱き寄せて、ほおずりをして子供の柔らかな声で彼女に怖くない、と寝かしつけるのだ。
その時のレパードの優しさと同時に、まともな服だって用意できない子供だという年齢を感じさせる何か。
あの時自分は、レパードが本来ならば衣類で隠れているから、する必要のなかった怪我もしている事に気付けなかった。
きっとあの時の、血だらけの手足は。
と思うと、ジェムは彼にきちんとした衣類を用意したくなるのだ。
彼に守られてきた自分だから、せめてこれ位のささやかな守りを用意したくなる。
幸いなことに彼女の作った物を、レパードは嬉しそうに着てくれるのだから。
ふふ、とジェムは彼に似合う衣類を思い浮かべて、それから色は何にしよう、聖印の刺繍は何色がいいだろう、と考える。
その間も手を動かし、寝具は直っていく。
日向で子供たちが、家畜を負いながらはしゃいでいるのを聞きつつそれを行っていたちょうどその時、だっただろう。
不意に馬のいななきが聞こえた。
馬だという事でももう、異常な森の中だ。馬はこの森にいないのだから。
野生馬というものがどこかの森に入ると聞くけれども、ジェムは一度もこの森の、それもこんなにも人間がいる場所に近付く馬を知らなかった。
そのため、その馬は誰か人を乗せているに違いない、とすぐに分かったのだ。
嫌な予感がする。
ジェムは立ち上がった。そして声をあげる。
「皆、尼僧様の所に、皆でお客様かもしれないって言って、お湯の用意をしてもらってきて」
「皆で?」
「そうそう。もしかしたら尼僧様たち、お祈りの時間だから何も用意できないかもしれないでしょう? レパードさんが熾火の用意はしておいてくれたはずだから、お湯だけなら用意できるでしょう?」
「はーい」
子供たちは不穏な空気を感じ取らなかったようだ。
そのため我先に駆け出していく。
ジェムは立ち上がり、何とか町の常識も分かっている自分が初めに対応しなければならないと決めた。
レパードは現在、子供の数人を連れて森の中、薪ときのこを探しに行っているのだ。
ジェムはぐっと手を握り締め、そして歩き始めた。
馬のいななきは近付いてきて、そして大きないかにも高級な馬に見える毛艶のいいのが、本当に物々しい男たちを乗せて現れたので足がすくみそうになった。
しかし。
彼女は自分を奮い立たせて、彼等を見上げた。
「ここは名もなき尼僧と孤児たちが暮らす孤児院です、一体何の御用事があっていらしたのですか?」
相手は貴族階級位はありそうだ、となんとなくわかった彼女だった。
貴族の中でもとりわけ下の方だと、こんないい馬には乗れない。
商人はこう言う馬には乗らない。だってこう言う馬は商品という見方をされるから。
物々しく武装して、孤児院に押しかけてくるのはまあ、彼女の知る常識の中では商人ではないのだ。
「ここに火の門をひらく門士がいるはずだ、領主さまのお召しだ、早急に出て来い」
いかにもその言葉は、領主の言葉をかさに着たものだった。
レパードがいたら、物を頼む態度じゃないと歯牙にもかけなかっただろう。
会わなくてよかった、と相手のために安心したジェムは、それに応えた。
「あいにくそのような方に覚えはありません」
門士は、都で称号を得て初めて門士と言われると聞く。
そのためレパードは能力は門士でも、門士と断言される人間ではない。
彼女が考えた屁理屈であり、時間稼ぎだった。
一度帰ってくれれば、尼僧様たちに相談して対策が立てられる。
レパードが来れば、彼が自分の事を決める。
そうしなければいけないのだ。だってこれは彼の問題であり、彼女たちが勝手に、彼を領主さまの所にやると言い切ってはいけないのだ。
「何を言うか、ジュエリー様が言うには、お前のような頭の女を連れて歩く男だと言ったぞ」
「兄のようなものはおりますが、本当にそのような方かはわかりませんし、彼は留守にしております」
彼等は視線を交し合った。とても嫌な方向に。
「なるほど。だが聞くところその男はお前をとても大事にしているらしい」
「……兄のようなものですから」
ゆっくりと後ろに下がろうとしたジェムだったが、それは阻まれてしまった。
彼女の勘が逃げるべきだと言ったのに、その勘のままに走る前に、後ろも前も囲まれたのだ。
「お前がいるとなれば、その男は来るのだろう! お前が来い!」
「いやです、離して!」
男の一人が乱雑な動きで、彼女の腕を馬上から引き、強引に上げる。
悲鳴を上げて暴れたジェムでも、男の力にただの女の力がかなうわけはない。
それも物々しい鍛えられた男となれば、勝敗は目に見えていた。
「離して、助けて!」
「こちとらその男に来てもらわなければ困るのだ。確実に領主さまの所に来させなければならない」
「いや、お願い、離してください!」
領主さまの所に行って、何事もなくレパードを待てるとは思えなかったジェムだった。
まして人質のように連れて行かれてしまっては、とんでもない。
その後の事が恐ろしく、ジェムは身をよじって暴れようとしたのだが、男の一人が彼女の暴れ方を見て言う。
「あたりだな」
「そうだな」
男たちは、ジェムの抵抗を見た結果、彼女は火の門をひらく門士につながる有力な存在だと認識したらしい。
余りにも暴れる彼女をうっとうしがったのか、男の一人が彼女のみぞおちに拳を入れる。
その時点で彼女の意識は真っ暗に染まった。
手から零れ落ちた、彼女の聖印が地面に落ちるが、それは拾われる事なく男の一人がジェムを連れて出て行き、ほかの男が孤児院の方に入って行った。
「領主さまの命令で、火の門をひらく門士を連れてくるように、差し出すようにとのことだ、従っていただこう」
年配の尼僧には多少、礼儀を知っていたらしい男が、しかし無遠慮に祈りの空間に入り、用件を問うた尼僧に告げる。
「外が騒がしかったがそちらは何事じゃ」
「一人、ここから火の門をひらく門士が確実に来るように先に連れて行かせてもらった」
尼僧が目を細める。
「……随分と乱暴じゃな」
「最初は丁寧にご同行を願ったのだが。物の分かってない娘で暴れすぎるが故、騒ぐように聞こえたのだろう」
「当たり前じゃ。いきなり男たちに、ついて来いと言われて素直についていくようにおしえるほど、お気楽な教育はしておらぬ」
人さらいに付いて行くような馬鹿になっては困る、と言い切った尼僧に、男が言う。
「しかし。その男が素直に来ないと困るのはこちらだろうから、こちらも気遣っているのですよ」
「ほう、来なければ焼き討ちにでもするつもりか? 人質一人で、あれは動かぬぞ」
「でも、尼僧様、ジェム姉ちゃんが外にいたんだよ!」
尼僧の言葉に反応した事もが、叫ぶ。尼僧の顔色も変わった。
「なんと……っ! おぬしら、悪いことは言わぬ、ジェムをここに戻すのじゃ、領主さまの所に行くようには、こちらから何とか説得してみよう」
「無理だ、領主さまは聖休日の間我々どころか、ほかの大多数の騎士たちもその門士探しに駆り出している。何の成果もなければ、一体何人の首が跳ねられる事やら」
「悪い事は言わぬ、本当じゃ、ジェムをここに戻せ、おぬしらのした事があやつに知られたならば、わたしたちは庇いようがない」
尼僧が縋るように言うのだが、男たち……彼らの言動から騎士だとわかったが……は首を振った。
「彼女と引き換えに、その者が領主の城に来る事、それがいいだろう」
<3.引き換えになる物の重さを知らなければ>