25.デウスエクスマキナか
二人がにこりと笑いあったそんな時だった。
その場の空気が動き出し、にわかに騒ぎだしたのは。
「捕まえろ! 相手はたかだか一人だ!」
誰かが言う。
「そうだ、一人ならば複数の水の門士で押さえ込めるはずだ!!」
「理論上はそうなっている、十人単位でかかれば抑え込める、何としてでもこの怪物を抑え込むぞ!」
とっくにレパードは落ち着いているというのに、その物言いである。
この現状が見えないのか、とジェムが少しあきれながら、自分の頭上にある顔に問いかける。
「どうしましょうね」
「お前はどれが一番、騒ぎにならねえと思う、どっちにしても騒ぎだろ?」
とんでもなく楽しそうな声のレパードに、ジェムは溜息をこぼした。
「あなたが騒ぎを起こしたんでしょうに」
「起こされるだけの馬鹿をした奴らにそれを言ってやれよ」
「そうですねえ、ではちょっとあなたを利用させていただきますよ?」
「それでおれに傷一つつかないだろ」
「よくご存じで」
「おれの大事なジェムストーンがそう言う事をしないって知ってるだけさ」
「これまた男前な事を言わないでください」
言ったジェムは、すっと息を吸い込んだ。
「静まりなさい! 私はここで、そこなる生徒たちの告発を行います!」
その声は朗々と響き、さらに周りを黙らせるだけの圧力を持っていた。
それは普通の少女が出せる圧力ではなかった。
その何か、に気おされた人々が黙る。
「そこなる生徒たちは、己の実力不足を振り返りもせず、ただ新しく入ってきたというだけの相手に嫉妬し、数々の暴行を加えていました! それも一歩間違えれば殺人に至るほどの暴行です!」
「何を根拠にでたらめだ!」
あの、レパードをいたぶる主犯格だった生徒が叫ぶ。
しかしそれで黙るジェムではなかった。
「この人の体には、その暴行によって与えられた傷を止血するために、焼かれた痕がすべて残っています! 正当な医者であればそれが、止血のための火傷であるとわかるほどの物です!」
彼女の大声はまだまだ続く。
それによって生徒たちが青ざめていくのもわかるが、あいにくそれに躊躇するジェムではなかった。
自分たちの行ってきた悪事を、それがどれだけ重いものだったかを、ここで思い知れと思っていたのだ。
「見なさい、これを!」
ジェムは言いながらレパードの上着をめくった。
そのとたんに誰しもが、息をのむ。
それだけの、致命傷でないことがおかしい位の火傷の数々。
肌を飾るもののようにちりばめられた火傷、それらに騎士たちが言葉を失っていた。
彼等もわかったのだ。
その火傷が、普通の状態で受ける火傷ではない事を。
さらには、肌の真新しく出来上がった薄皮の色から、その火傷が最近できたものたちだ、という事も。
「濡れ衣だ!」
生徒が喚くがそれが通用する彼女では、ない。
「では彼は一体どこでこの傷を負う事になったのか、あなた説明できますか? この学園の中で、傷を負う事になる条件は少ないでしょう。そしてこれだけの傷をおう事故であれば、学園内全てに通達が回る! それがないならば授業中に“訓練”と称された中で受けたという事に他ならない!」
ジェムからすれば適当に付けた条件であり、さらに反論される事も確実だと思う言葉たちだった。
だが脛に瑕持つ彼等からすれば、彼女がそれを見てきた事のように感じ、そしてそれを知っていてここまで来てようやく彼女が、それを白日の下にさらす決意をした、というように見えていた。
事実過ぎて、とっさに言い訳も反論も彼等は出来なかったのだ。
そしてその数秒の沈黙が、彼等にとって大きなものに変貌するのも早かった。
次第に騎士たちの視線が、生徒たちに突き刺さり始めたのだ。
「おい、聞いたか」
「編入生いじめもきわめつけだな」
「殺しになったら殺人だろ」
「やり返されても言い返せないっていう位だろ、あの火傷」
「よくまあまだ生きていられたものだな」
「この学園の門士も地に落ちたな。こんな人格に問題のあるやつらのために、騎士は王に忠誠は誓えない」
「学園長はまだ来ないのか、これはここだけの問題じゃないだろう」
「編入生いじめははじめてじゃないみたいだしな」
「この前学園に来て早々に、軍の方に移動願を出して死んだ彼奴、あいつももしや……?」
人々の声が次々に上がる。
もうここまで着て、生徒がおとがめなしになる事は、まずまずあり得ない。
彼女が自分の発言で場の空気が変わった事、を確認して手を離すと、何やらレパードが彼女の腰を抱き寄せた。
「さすがおれのジェム、惚れなおすぜ」
「あなたの傷を他人にさらすのは、少しためらいがありましたが。効果があってよかったです」
抱き寄せられて宙に足が浮いたジェムであるが、そこで悲鳴一つ上げないのはこのパータンに慣れていたからでもある。
「あなた自分とわたしの身長差考えてくださいよ。いつもあなたがちょうどよく抱えるとわたし、宙ぶらりんになるんですけど」
「なつかしーなー、この感じ、いつもお前を抱えて地面歩いたのほんのちょっと前なんだぜ」
「何年前の話ですか!」
二人の声が音の違ったけらけらとした笑いを取り戻す。
それは間違いなく、ジェムが自分の調子を取り戻した瞬間でもあったのだ。
彼女はここで、目立たないように、そして遠慮して生きてきた。身分などをいろいろ考えて動けないままだったのだ。
だが。
レパードとの距離感がこれほどならば、彼女は自分の空気を取り戻す。
「ほらおろして、十秒数える間に!」
「だーあめだろ。うーわ、ジェムの髪の匂い変わったな。石鹸同じ奴だろ」
「石鹸の後に少し手入れの物をもらったんですよ」
「おれあのもしゃもしゃの髪もすきだったけどな」
言いながらも動かない彼女、その彼女の頭に鼻を突っ込み会話する彼。
彼等の空気とは違い、騎士たちなどは自分たちの行動を決められないでいた。
暴行容疑がおそらく間違いない、そんな生徒たちを確保するか、あの二人を確保するか。
迷いに迷って当然の状態の中。
「か、怪物と怪物の女の言う事を信じるのか! 僕は侯爵家の人間だぞ! あいつがいきなり襲い掛かってきたんだ!」
突如わめき始めたのは、主犯格の生徒である。
ここにきて口が回るようになったらしい。
「殺せ、殺せ、殺せ! あんな怪物、軍で使いつぶすかここで殺すかしなければこの国に、大きな災いをもたらす!」
唾を飛ばして叫び続ける生徒。彼は血走った目で取り巻きたちを見る。
「お前たちも、あいつが襲って来ただろう!」
取り巻きたちはうつむいて、何も言わなかった。
それが雄弁な答えになり、一人主犯格だけが喚き続ける状態のなか。
「見苦しい!」
鋭い声が騎士の人垣を割って現れ、闊歩して現れた。
その人物は男物の衣装に身を包み、しかし髪を長くのばし結い上げた女性である。
「事の詳細は大体聞いた! わらわの孫だというのになんと見苦しい! これが家の抱える門士かと思うと怖気が走るわ!」
女性は確かにそこそこの年齢の様だ。
彼女はちらりと生徒を睨み、その持っていた扇子で生徒を一度ぶちのめし、レパードたちに近付いてきた。
「そこなる炎の使い手よ」
「おー。見事に美人のばあちゃんだな」
「女性にそれはないです! すみません言葉が子供過ぎる人でして……」
「よいよい。事実ばあちゃんじゃ。さてそこなる炎の使い手よ、そなたに選択肢を与えたくてのう。噂から少し聞いておったのだが」
彼女はにこにこと笑い、レパードのみを指さして言った。
「そなた、わらわの養子にならぬか?」
「は?」
「なぜ?」
「有能な門士が欲しいのじゃ。先ほどの技の数々、感服するものがある。そして陛下にもこの件は了承を取り付けておるのだから、お主が陛下に気負う事など何もない」
これはつまりレパードさんの、実力を買って持ち掛けられている事なのだろうか。
事の方向性に付いて行けず、慌てる彼女だがレパードは平気な調子だ。
「ん、おれの保護者ってやつがばあちゃん、あんたに変わるだけ?」
「そなたがそこなる女性を迎え入れるにも、有益な話だと思うぞ? 何しろこの名はただの文字の羅列ではなく、長年の誉れに飾られておるのじゃから」
「考えとこーぜ、ジェム」
難しい単語が分からなくなったのだろう。
それがありありとわかるレパードの反応だった。
「あの、すみません、この場では詳しい事はお話できないでしょうから、またお話の機会をくれませんか?」
レパードの発言を丁寧に言うとこれである。
全然違う風に聞こえるのだが、通訳するとこうなのだから仕方がない。
そんな二人を見て、老女が快活に笑って言う。
「無論! まずはそこの馬鹿の処理が先じゃの!」




