表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

21/26

21.そのためならば、なんだって

「レパードさん、どうしていきなりあんな風に」

ジェムは学校の前で立って待っていた男に、問いかける。

だが男はその追及を逃れるように手をつなぎ、そのまま歩きだした。

「帰ってから話そうぜ」

いうからには、帰ってからならば話すのだろう。

それ位の理解はできる相手であるので、ジェムはここでの追及を止めた。

道を行けば、いつの間にかあの薄い色の華は終わっている。

今はもう、萌黄色の葉が今を盛りと萌えている。

その色から、あの入学式からずいぶんと過ぎた事にジェムは気付いた。

そして、レパードとちゃんとご飯を食べて、会話して、と言った事をしていない日数の事も。

もしかして。

ジェムは隣の男の顔を見た。いつも通りの色男、そして目を見張るほどの造形美。

しかしそれについている、ちょっとした違いにジェムは気付いた。

「レパードさん、怒っているの?」

「何で怒るんだよ、お前怒ることしたわけ」

レパードの返答は平素と何も変わらない。

怒ってはいないらしい、ではどうしてこんなにも、空気が違う気がするのか。

よく分からないながらも、ジェムは雄牛宮まで歩いて行った。

途中道行く人に、挨拶をしつつ。

道行く人々は、二人を仲のいい兄妹だと思っているようだった。

視線が、そんな色を含んでいるのだから。

そこに、真昼間からいちゃつく夫婦に対する、生温かさがどこにもなかった。

延々と続くような道は終わり、そしてこの城で一番質素である鬼門の雄牛宮につく。

そこの周りでは、何処かのお使いが馬や牛に草を食べさせていた。

いつもの光景だ、とてものどかなそこ。

どこかからやってきて、いつの間にか繁殖している鶏などもこけこけと鳴いている。

普段ならばそれらに目を細める、そんなレパードがそれらに目を向ける事無く、宮の扉を開く。

ギシギシと軋む、それだけ手入れがされてない、古い引き戸が開き、ジェムはそこに入る。

家と呼べるだけ日数が過ぎているそこは、見知った物以外の何物でもないのに、ジェムはなんだか怖かった。

最近、こんな昼間に帰ってきていなかったからかもしれない。

片手一杯に抱えた裁縫の宿題、それも組の令嬢たちから押し付けられた大量のそれらを、汚れないように椅子に置いたその時だった。

「いや、もう、自分じゃ直せない所まで行っちまってさあ」

へらりと笑ったレパードが、悪びれもせずに上着を脱いだのだ。

そしてぐいと、ジェムに突き出してくる。

「だから、直してくれよ、ジェム」

変わらない笑顔、そして無邪気さ、ジェムが行う事を信じている表情。

それら全てが、どうやってもどうあがいても、孤児院の時と大差ない。

「しょうがないですね」

レパードも多少は裁縫ができるのだ。それは一人生きてきた年数や、少女を抱えて二人で生きてきた年数の分経験がある。

それでも直せないのだから、確かに誰かもっとうまい人間の手が、必要なのだ。

そう思ったジェムは、上着を広げ、絶句した。

確かに、そこには、穴があった。

穴だ、大穴だ、縫物になれていない人間ではとてもきれいには、直す事なんて出来なさそうな穴。

しかしそれだけではなかったのだ。

穴の周りは、何度も洗い直しても落としきれない、茶色のシミがあったのだ。

それの正体に気付けないジェムではなかった。

だてに子供たちの世話をしてきたわけではないし、レパードと一緒にいたわけでもない。

絶句したのちに息をのみ、自分の見ているものが信じられずに二度見して、それでもそのシミは消えない。

それもそのシミは、大きく広がっているし、何度もついたのだろう。しみ込み方が段違いなのだ。

「ジェム、どうした?」

そんな彼女とは反対に、それがどうしたと言わんばかりの顔をして、レパードが首をかしげる。

何か問題が起きたのか、と問いかけてきそうなそんな、表情。

そこでジェムは何とか、声を発した。

「どうして、こんな、血の跡が、レパードさん、誰かに怪我をさせたんですか!?」

最初に思ったのはそれだった。

レパードがいつも通りの態度をとって、どこかの貴族の青年を怒らせて、撃退したのでは、と。

そしてその時に、相手の血が付いたのでは、と思ったのだ。

「誰にも怪我はさせてねえよ」

蒼褪めた顔の少女への返しは否定、だった。

怪我はさせていない。

ならば。

「誰かを殺したんですか……?」

「何でそうなるんだよ、安心しろよ、誰も殺してないぜ」

少女の余計に悪い想像を、男が蹴飛ばす。

そして男は嘘をつかない性分なので、それは信じてもいい言葉だった。

「じゃあどうして、こんなに、血がついて、服が破れて」

言いたい事を言っていくうちに、彼女はある可能性に気付く。

それは少女にとって、ありえない可能性だったのだが。

彼女は恐る恐る、服の穴とシミから目をそらし、男の姿を見たのだ。

最後の可能性、それは。

男が怪我をした、という事だった。

ずいぶんと久しぶりに見た、男の裸の上半身は。

いつも通りに見事な体で、そして。

酷い火傷の痕が、いくつもあった。

大きなものから小さなものまで、男の肌にありったけ。

彼女の手から服がおちる。

「おいおい、どうしたんだよ、じぇー」

「何なんですか、どうしたんですか!? どうしてこんな火傷を、いつ!?」

悲鳴だった。

彼女は悲鳴をあげながら、男の肌を見て手を伸ばす。治療しなければ、と思ったのだ。

「いったいいつ、どこで、なんで!?」

「落ち着けっての」

人間は、ありえないものをみると混乱に陥る。彼女はまさに混乱して、心の中で思っていたことがすべて口から出ていた。

「どこでどうやって、それもこんなに、どうして、早く手当てしないと、痛いのに、水、そうだ、水!」

火傷は水で冷やすのが一番、と女学校で習っていた彼女が、身をひるがえして水を汲みに行こうとすれば。

「そんなもの、いらねえよ、ジェム」

彼女の腕を、男がつかんだ。かなりの力で掴まれて、変な方向に力がかかった。

一瞬だけ鋭い痛みが足首に走るものの、ジェムは相手を見る。

いつも通りの顔でしかない。

火傷なんてどこにもない、そんな顔。

「痛くねえし、血も流れてないだろ」

薄皮一枚、できてるんだっての。

落ち着かせるような声に、ジェムはもう一度傷を見る。

確かに薄皮一枚、出来ている。

だがそんな問題ではない、普通だったら布で覆って保護しなければならない物だ。

どうして自分は今まで、これだけの事に気付けなかったのか!

押し付けられた宿題の多さで、ちゃんとレパードを見ていなかった自分を、心底彼女は後悔した。

一番にするべきものは、もっとちゃんとあったのに。

「だから服直してくれればいいんだって」

顔を覗き込む男は、言い聞かせるような調子になる。彼はそれだけでいいのだと、本気で思っているのだ。

「直します、でも」

ジェムは言った。

「その火傷の経緯を教えてください」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ