20.それは例えるならば、牽制にも似た
「ねえ聞いたかしら、見たかしら、門士の組の焔の君」
「見ましたわ、信じられない位にすばらしい見た目をしていらっしゃいますものね」
うふふうふふ、と令嬢たちが言う中、ジェムはチクチクと針を動かしていた。
課題としての裁縫は終わっているのだが。
令嬢たちが、手際よく彼女が終わったとみるや否や、彼女に無理難題を言って押し付けたのだ。
彼女とて、自分でやらなければ身にならないとは思うわけだが、この教室でうかつな事を言って敵に回られたら、後が怖いわけだ。
流石にここでは、彼女の素性が明確にはわかられていない。
情報世界ではないのだ。陛下が保護している平民がいる事、は知っていても、やはりその人間の名前やその他もろもろ、詳しい情報は彼女らの所には、入ってきていない模様である。
ジェムも初めは、自分の素性は城の全域で知られているのだろう、と思っていたが、令嬢たちがあまりにも無反応なので少し詳しく調べてみた。
その結果、雄牛宮周辺でのみ、ジェムやレパードの事は理解されていたのだ。
つまりジェムの素性は、城のあたり……城の、それも彼女の暮らす雄牛宮の周辺では知られているという事だったのだろう。
話は伝わっていても、実物との一致ができないのかもしれないし、令嬢たちの想像の中の引き取られた平民は、もっと美女かもしれない。
そうでなければ、さすがに宿題を山の様に押し付けてこないだろう。
陛下の保護下にある相手に、色々押し付ければどうなるかわかった物でないのだ。
面子を潰された陛下が、どう動くかも分からないのだから。
普通の平民と同じように、命じればいいわけではない。
だが、事を荒立てたくないジェムは陛下に言うわけもないし、嫌がらせだとも思っていないので、円滑な人間関係のためと、レパードにもこの事は話していなかった。
だいたい告げ口する意味もない事である。
そんな彼女の近辺は、平和そのものだった。令嬢たちの噂話を耳にしながら、手を動かす。
授業を聞く。毎度最後に理解力を試す試験が行われ、合格すれば帰宅、不合格ならば十分間の自習ののちに再試験。
今のところ、ジェムはその試験で不合格になった事はないので、速やかに帰宅している。
大量の裁縫の宿題が無ければ、だが。
流石に二十人近い物の、図案を考えてやらなければならないのはきつい、しかも全員性格が違うのだから、多少縫い目にも個性を出さなければならないのだ。
おかげで家まで宿題を持ち帰らなければならない。
授業中の実習で、先生たちが見回る時は真面目にやる令嬢たちも、宿題は面倒くさがる。
そして、花嫁修業の一環だとも分かっているため、自宅の使用人たちには任せないし、第一使用人たちに貴族の裁縫が分かる事は滅多にないのだ。
特権階級の裁縫は、下々のそれとは違うのである。
ジェムはお針子を目指し、あらゆる裁縫の仕方を知っていたために、こうして利用されているのだが。
チクチク、と針を動かしていれば、変なやっかみも目も向けられない。
これは絶好の目くらましだった。
「焔の君の衣装は、どうして制服ではないのかしら」
「制服を買うお金がなかったという風に、私の知り合いが聞いているわ」
「送って差し上げようかしら」
「でも……あの一枚布から覗く体つきって、素晴らしいと思いませんこと?」
「ちらりと見える物も、なかなかすばらしいものですものね」
「焔の君は、この前地の第八位を下したそうですよ」
「まだそんな初級なのかしら。それとも、目覚めるのが遅かったのかしら」
「遅かったのではないかしら、自分が門士と呼ばれる事にも、違和感があると弟が教えてくれましたわ」
おほほうふふ、はいいのだが。
ジェムは彼女たちに、あれが自分の夫だと陛下に認知されていると知られたら、只では済まないな、と真剣に思った。
焔の君こと、レパードはあちこちを歩き回っているそうだ。
教室で提出期限に間に合うように、縫物をしなければならない彼女とは大違いで、休み時間も満喫しているという。
お前の所に遊びに行ってもいいか、と聞かれたが、やめてほしいときっぱり言っているので、彼が出現するのはありえない。
そしてレパードは、彼女がやってほしくないと真剣に思っている事は、しないのだ。
彼の直感は並外れているのだから、当然かもしれなかった。
しかしそれでも、通じ合っているようで通じ合わない部分は、人間だから存在するのだ。
そう、今日のように。
「おーい、ジェーム」
ひょい、と。
どうやってここにやってきたのだ、と誰もが思うような登場の仕方で、何とレパードが姿を現した。
ジェムを指名してである。
令嬢たちは、いましがた話題に上っていた男の、見惚れるような姿に目を奪われ、言葉が出ない。
ジェムは宿題を脇に置き、知らないふりも出来ず視線を合わせる。
まあ、組の中での立ち位置を説明しなかった自分がいけない、と後悔しつつ。
「ジェーム、破れちまった、縫ってくれよ」
言いながらばさりと、妙齢の令嬢たちの前で上着を脱ぎだすレパード。
そこでジェムははっとして動いた。
つまり、上着が脱がれて肌があらわになる前に、脱衣を阻止したのだ。
「人前、環境、周りを見て、状況読んでください!」
ジェムが悲鳴に近い声をあげれば、レパードが上着をかぶり直して首を傾けた。
「ダメなのか?」
「考えてくださいってば! 女子だけの場所で何服脱ぐんですか、変態なんですか、天然なんですか、ちょっとやめてくださいよ、問題ごとが起きると大変なんですよ!」
「いや、大穴開いちまってさあ。空いたままうろうろするのも、どうかと思って来たんだけど」
「どうやってここまで来たんですか、そこからして問題ですよ!」
門士の組の教室と、令嬢たちの組の教室は、相当離れているし、外に出る事も多い門士の組は一階部分、令嬢たちは三階部分に教室があるのだ。
窓から来る場所では、断じてない。
「上る場所ならいくらでもあるだろ、これくらい」
あどけない位の邪気のなさに、ジェムは深く溜息をついてこう言った。
「これ位は普通のぼらないです」
「ちょくちょく竜にまたがって、家柄自慢で飛び回る連中よりは迷惑じゃねえのに」
「次元が違います!」
ジェムはぺしん、とレパードの頭を叩いてから、耳打ちした。
「家でちゃんと縫ってあげますから、駆け足で家に帰ってください」
レパードはそれを聞き、おー、と分かっているのかわかっていないのか、不思議な声で返答してひらり、とそこから飛び降りた。
着地までしなやかな動きで、何事も起きていないようにレパードは歩き去る。
ジェムはそこでそおろり、と背後を見た。
令嬢たちの絶句する姿に、頭を下げる。
「すみません、兄貴分が無作法すぎて……」
取りあえずの疑問はこれで解決させ、ジェムは山のような押し付けられた宿題を袋に入れて教室を出た。




