18.ひとつ季節が終わった後は
彼女は胸を躍らせていた。
というのも、ようやくこの舞台に上がる事が出来たからだ。
死に物狂いで勉強した努力がここで実った、と思う。
そして、彼女に勉強なんてと眉をひそめながら、合格したとたんに未来は安全と言わんばかりに喜んだ親たちの、身勝手さも思い出す。
「ここで私の、素敵な新しい生活が始まるのよ!」
彼女はぐっと手を握り締めて、頭の中で行動を確認する。
「まずは入学早々に迷子にならなかったら行けないのよね」
彼女は何度も反復し、繰り返し記憶に焼き付けてきた事を再確認する。
「もうすぐ会えるのよ、私の“王子様”に……」
期待に胸を躍らせている彼女は、それから確認する。
「悪役令嬢は簡単よ、あの女なんだから」
そう呟いた彼女の脳裏によぎるのは、美しい黒髪に、特権階級の人間が持つ青い瞳の美少女だった。
「あの女は婚約者をとられれば、居ても立っても居られない。私は何度もやってきた、思い出せるくらいに」
そう言った彼女はもう一度、小さく言う。
「もう、お腹が空いて食べる物もなくて、殺されかけるなんてまっぴらごめんだわ」
そして決然と、決意に満ちた表情をして歩いていく。
ひらり、赤い蝶々が飛んでいった。
青年が瞳を開く。欠伸を手で隠すように動き、そうすると緋色の爪が鮮やかに燃えるように揺らめいた。
そこは青年の場所だ。青年の大事な物しかない場所。
「変なのがいるみたいだな、ほうっておくか」
ひらひらと指に留まった蝶々の、燃える羽の色から何かを感じ取りながらも、青年は積極的に動かない。
「おれらに害がなければ、放っておいても自滅する」
ばかだよなあ、と言った男はそこで起き上がり、半裸に手甲をして行く。燃え上がる緋の爪が隠され、彼の異質な部分は覆い隠された。
それから上着を着た青年は、うへえと顔をしかめた。
「朝飯もう済まされちまったかな、ああ、あいつに一人のご飯喰わせるとかないわ」
そう言いつつばさり、と一枚の布を被った彼は具合を確かめて頷く。
納得したようだった。
「さあて」
彼は呼ぶ、大事な少女の名前を。そうすれば、背中を向けている彼女が振り返るのが分かっていた。
「もう、遅すぎますよ、今日は入学式とやらなんですから、ご飯食べるの間に合いませんよ」
「それって参加して意味があるのか」
「けじめみたいなものですよね」
「出ても出なくても大した事ないだろ」
「教室わりとかがありますよ」
「お前と一緒じゃない事あるのか」
「専門が違いますからね、少しは違うかもしれません」
「……」
彼女の言葉に青年がすねた顔をする。不平不満がある顔だ。
それでも彼女は笑ってしまう。こんな顔本当になれっこなのだ。
「大丈夫ですってば。だって同じ家に帰ってくるんですよ、必ず毎日」
それに、と続ける。
「二人が違う目で違う物を見て、同じ場所に帰ってきて見たものを話したら、楽しくありませんか」
彼の眼が瞬く、紅蓮の緋色の瞬きの、それはそれは鮮やかな色。
「同じ景色と違う景色を、二人で一緒に見ましょうよ」
きっとその方が、何百倍も楽しい。
提案する彼女に、彼は腕を伸ばして閉じ込める。
柔らかな匂いと体温と、それから彼女の真新しい衣類の匂い。
彼の無二のすべてがそこにあるのだった。
「俺たちの目玉は、四つ、全部二人のものってか」
「あなたのたとえ表現は、なんだかいつも不思議ですね……人に言ったらだめですよ、この前陛下の腹筋が崩壊しました」
「あれは陛下の腹筋が柔いのがいけない」
言い合って顔を見合わせ、二人して笑った。
王宮内の、一番さびれている宮、十二宮の一つ、鬼門の方角の雄牛宮。
そこで二人は、おそらく王宮に暮らす誰よりも質素……殺風景な宮で、笑いあっていた。




