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17/26

17.見せつける”あい”は人を動かした。

数拍、間違いなく数拍の間があった。

そしてそれらは辺り一面を膠着させて、余りあるものだったのだ。

それほどに、そこの二人を囲む世界は異質だった。

門の向こう側、そこでしか生きていけない、門を開き刹那、その門を開いた門士に力を貸すと言われている、“向こう側の住人”が当たり前のように飛び回る。

はらりはらりら、はらりらり。

そんな音が聞こえてきそうなほど、何匹もの炎の翼をまとう蝶々が飛び回る。

「……なぜ、蝶が“消滅”しない」

あちら側の生き物は、普通、力を貸して一瞬で立ち去る。

それが当たり前だというのに、明らかに“向こう側の住人”であるはずの紅蓮の蝶は、全く帰る気配がない。

それどころか、まるであの青年の周りほど居心地がいい所はない、と言いたげに飛び回っているのだ。

周囲はそのくせ、焼け焦げ一つ見つからない。

普通、“向こう側の住人”を目視できるほど呼び寄せれば、その力が周りに影響を与えるというのに。

炎の蝶は、何も焦がしていなかった。


「つくりますから、つくりますよ。だってあなたの衣類を、ほかの誰が作るんですか? 尼僧様たちはあなたの身支度は、ほとんどわたしに丸投げだったんですからね」

「だってそりゃあ、ジェムが孤児院で一番、裁縫が上手だったからに決まってんだろ? 尼僧様たちは、確かに身の回りの事は何でもできたけど、でかい男の衣装なんて作らないんだからな」

「まあ、女性ばかりで暮らすような場所でしたけどね……」

「子供は大体適当に作っても、そこそこ着られるけど。おれみたいに上背があって無駄に手足が長いと、勘が狂うんだって尼僧様言ってたぜ」

「あなたはとてもきれいな体つきをしていますよ、無駄なんかじゃありませんって。だってそのおかげで色々、便利でしょう?」

「まーな、ジェムを片手で抱えて突っ走る時だって、ジェムの足を引きずらなくていい」

にやっと子供のような笑顔で笑う相手に、ジェムも思わずくすりと笑った。

彼女はこの場所がどこなのかを、忘れていたわけではなかったのだ。

しかし、目の前にいる男にばかり気をとられてしまっていて、そこしか目が向かなくなっていたのだ。

「そうですね。確かに、今まで一回も、レパードさんがわたしを引きずった事、ないです」

「だろー? んじゃ、ジェム、さっさとここから出て行こうぜ、どっかの寺院なら、たしかえーっと、これで多少は都合してくれるはずだ」

言いながらレパードが、喉をこつこつと叩いた。

そして当たり前のように吐き出したのは。

「なんでそんな物がそこから出て来るんですか」

「いやあ、取り上げられちまったら、尼僧様に合わせる顔がないだろ」

細工としては不格好な物だが、間違いなく略されていない、祈りの文言が書かれた聖印だった。

「おれが出ていくって言ったら、尼僧様がくれたんだよ、これがあれば寺院のどっかは受け入れてくれるからって」

「そうですか。寺院には独特の規律とかいろいろな調布がありますからね」

レパードの胃袋から吐き出されたのだろう、聖印は唾液などにまみれていたものの、腐食などはしていなかった。

そこでジェムは、取りあえず服の裾でそれをぬぐった。

貴族の衣類の裾がひらひらとしているのは、こういう時にぬぐうためなのである。

物をしまい、ハンカチ替わりになり、とひらひらの袖は大変に便利である。余談だが。

「行こうぜ、ジェム。ここにいたって氷の国と何も変わりゃしねえし。どっか行こうぜ、二人で暮らせる場所」

レパードは、ジェムがそれに同意しないわけがない、そんな顔で言う。

ジェムとしても、それは同意しかありえない提案なのだ。

だが色々な、常識的な部分や世間的な部分が、一瞬彼女の答えを止めた。

ここからどうやって逃げ出すのかとか、逃げたした後追手がかからないわけがないとかだ。

黙った彼女の顔に、自分の顔をずいと近付けて、レパードが問いかけた。

「……ほんとの家族は、そんなに、いいのかよ」

すねたような声だった。ジェムが思ってもみなかった方向のすね方に、彼女は目を瞬かせた。口が軽く開く。

言い返さない事で、それを肯定だととらえたのだろうか。

男の両手がジェムの頬にあてがわれ、至近距離以外の何でもない距離、鼻先が触れ合うような距離まで近付く。

「だとしたって」

ジェムは口を開く。その後の言葉が簡単に分かるのだ。

「「おまえはおれのものなんだ」」

レパードの声に被せるような形になった。

男は深紅の瞳をぱちくりとさせて、浅黒い肌の中でとくに美しい白目の奥、炎と血の境の様な赤色を光らせる。

「いやですね、レパードさん」

わらったジェムに、また気分を害した顔をするレパード。彼が言い募る。

「おれはお前の、ほんとの家族じゃねえって言われまくるからな。それくらいはわかってんだ。でもだめだ、どこの誰もおれからお前を離す理由にならねえ。だって十年前からおれの物っておれが決めたんだから」

「……」

ジェムは苦笑いをした。

そして、そのまま両手を伸ばし、男のかんばせを引き寄せる。

元々非常識な程近かった顔だ。触れるのを誰も止められない。

一瞬にしては長い時間、唇をあわせたジェムは口を開く。

この言葉を言えば二人とも、後に引き返せないと知っている、二人にとっての当たり前の言葉を口にしてしまう。

すねた顔のレパードの中の、酷く痛そうな表情を塗り替えたかったのだ。

「そのかわり、あなたはわたしのもの、なんでしょう、あなたにとって」

ばかですねぇ、とからかう調子で笑ってしまった。

色々なしがらみは息苦しいほどで、こんな短期間でこうなのだから、これから一生これらのしがらみに縛られたら、窒息して死んでしまう気がした。

貴族社会に、何も知らないのに一人立つ事を強制される己が、どうしたって苦しいのだ。

「ばかすぎて、本当に」

彼女がある言葉を言おうとしたその時、レパードは思い切りジェムを抱きしめた。

何度も焼き印を上書きしたせいで、服はほとんど焼け落ちたらしい彼の、裸の肩に自分の頬が当たる。

「……もう、いうんじゃねえよ、聞きたくねえ」

「はいはい」

ジェムはここで言う事でもない、とレパードのお願いを聞く事にした。

その時だ。

「……ザフィーア嬢」

やたらに険しいような、笑いをこらえているかのような声が、彼女に向けられた。

「大変に問いかけに困るものなのだが……しらなかったぞ、まさか既婚者だったとは」

「あの?」

「公爵が先ほどから石のように固まってしまっている。新婚夫婦ののろけを見せられて、私もなかなか珍しい物を見せられて面白い」

「えーっと」

「なんだ、氷の国では文言が違うのか? 挙式の際の言葉を砕けたものにすると、俺はお前の物でお前は俺の物、という意味合いなのだが……」

国王が言葉を続ける。

「その文言と全く同じやり取りを、こうも人前で堂々と言うのだから、夫婦なのだろう?」

いっそすさまじい勘違いである。

しかし国王は真面目な顔である。若干笑いそうに唇が緩んでいたが。

「いや、相当に珍しい物を見せてもらって大変に、気分がよい。昨今の結婚は、相手にたいしてそこまでの感情を向けないものばかりでな。一度でいいから、神に何の迷いもなくそれを言い合える、真の夫婦を見て見たかったのだ」

うんうんと頷く国王がさらに続けた。

「そして、なるほど、炎の男が簡単に従属を選ばない理由が分かる。もうすでに、嫁の物である己が揺らがないのならば、確かに焼き印程度は上書きされるだろうな」

そして何を勝手に納得したのか、国王が言い放った。

「良し! 公爵、私はジェム嬢と炎の男をどちらも引き取るぞ!」

「へいか!?」

「その方が誰にとっても平和だ。私はこれほど当たり前にお互いを思う二人を、引きはがすほど非情にはなれない。そして十年も前からお互いに、誓いを守り続けているのならば二人は、たとえ正式な書面がなくとも遥か昔から夫婦である! そうだろう、大僧正殿」

「……ですねぇ……まさか今年の夫婦祭りの際の夫婦神に、最もふさわしい夫婦が現れてくれるとは思いませんでしたよ」

にやにやと笑っている、禿頭の女性が頷いた。いつからそこにいたのだ、と思う部分がある物の、彼女もそう言えば最初からこの場所にいた気がしたジェムであった。

色々な事が進み、思考が追い付かないジェムだが。

レパードがジェムにだけ注いでいた視線をふっと持ち上げ、国王を見やった。

「んだよ、あんた。おれらが離れずに側にいられるようにしてくれるのか」

「私としてはそうしたいところだな! 二人を見るのはなかなか面白そ……いや、私の監視下にいた方が二人とも、何かと安全だろう。どうだ、二人そろってならばお前も、多少は私に手を貸す気にならないか?」

「本音が駄々もれだな」

レパードが喉の奥で笑った後に続けた。

「でも、悪くないぜ。なあジェム、どうする、あの野郎の所にふたりで、転がりこまねえか?」

「お嫌でしたら、大寺院の方なんていかがです?」

レパードの提案に上乗せさせられたのは、大僧正の提案である。

どちらも、レパードとジェムを別れさせないつもりらしい。

ジェムはここ一番という時に、言う言葉をレパードに向けた。

「あなたと同じ事を思っていたりしませんか、わたし」

「んじゃ」

レパードは、国王を見やって、軽く頭を下げた。

「世話になるぜ、でも印はつけねえよ。おれはジェムの物以外の何物にもなるつもりはねえからな」

そこで、数人の人間が倒れる音が響いた。

倒れたのは、事の成り行きがあまりにも、己の思う方向と違った公爵と。

いつの間にここに来たのか、リチャードだった。



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