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15.他人にとっては美談の様な


自分はとても似ていない、とまず初めにジェムは相手を見て思った。

似ていない理由は幾つもあるが、何しろ彼女は見事な黒髪の直毛、とてもジェムのやや茶色が混じるような黒髪の癖毛とはまるで次元が違う。

うらやましい、と素直に思う位に、彼女の髪の毛は見事な緑の黒髪である。

母だと言われて、度肝を抜くような屋敷に連れてこられたジェムが、一番初めに対面したのが彼女である。

自分の顔の事をよく知るジェムからすれば、とても親子だとは言えない位に、彼女は美しかった。

何度も言いたくなる、艶やかな黒髪を長くのばして結い上げ、後れ毛にさえ色気を感じさせる。

そしてそれらが縁取るかんばせもまた、ほれぼれするほど白くてきめが整っているわけだ。

年齢詐称ではないか、と思ってしまいそうなほど、女性は若々しく見えた。

そんな彼女は、どこからどう見ても作りの良い顔立ちの中で、きらきらと涙が反射する青い目を、ジェムに向ける。

そして。

数秒の緊張の後に、彼女が小さくこう言ったのだ。

「わたくしの、娘……かわいいザフィーア!」

淑女にあるまじき興奮で椅子を倒し、彼女が駆け寄ってくる。

そんな物を見せられて、驚きを隠せず動けない少女に、彼女の腕が絡みついた。

「ああ、愛しいむすめ、ずっと探していたの……!! みながわたくしに、二度と会えないというけれど、わたくしは信じなかったわ!」

おそらく力いっぱい、離してなるものかと抱きしめられた少女は、女性に顔を固定されて、また動けない。

「ああ、見れば見るほどそっくりだわ、小さい頃のわたくしに! ねえマジョリカ、そう思わないかしら?」

背後に同意を求める女性。

そこでジェムも背後の女性使用人が、明らかに格の高い使用人だと気付く。

数か月であるが、使用人の階級社会に属していたため、格の高さくらいはわかるのだ。

その女性は、柔らかな笑顔を浮かべて、ええ、奥様、と言う。

「本当に、幼い頃の奥様にそっくりなお顔立ちです。奥様は天使の様、と言われておりましたけれども、本当にその頃によく似ていらっしゃますよ」

十五で幼い頃に似ている、と言われてもこれからの成長はあまりないのだから、これだけの美女と共通している、と言われてもな。

ジェムは内心で何か違うだろう、と思いつつ、動かなかった。

少しばかり、柔らかくて温かく、いい匂いがする女性に抱きしめられて悪い気はしなかったのだ。

「もう、これからは嫁ぐまで、一緒よ? いいえ、わたくしの娘なんだから、何処かの素晴らしい男性を婿養子にしても!」

「こらこら、カイヤ。興奮しすぎては体に障る。それにザフィーアが固まってしまっただろう、お前があまりにも興奮するからだ」

「あなた、でもわたくしの大事な大切な、一人娘が戻ってきてくれたのよ!」

いつまでもジェムを離さないまま、女性カイヤが言う。

「これくらい喜びを表しても、罰は当たらないわ」

その声はとても真剣であり、ジェムが何も言えない位だった。

これで、彼女に自分は娘ではないと否定すれば、倒れてしまうかもしれない。

背中のほくろの形で、娘だという事になったジェムは、否定も肯定も難しい自分に、いい加減気が付いていた。

「とにかく、ザフィーア。晩餐だから、身支度を整えておいで」

「晩餐……ですか」

晩餐。それは来客が呼ばれたりすることも多い、正式な食事会である。

そこのための料理を作った事はあるが、参加した事などない。

どうするか、とジェムは真剣に悩んだ。

とてもではないが、彼等の期待する事ができるようには、思えなかったために。

失望されれば、ここから出ていく事も出来るだろう、だがその後は。

レパードと合流していない以上、あまりふらふら出来るわけがない。

そして。

ここから出て行って、どこか行く当てがあるわけではないのだから。

彼女が黙りこくって、下を向いたために何か異変に気付いたらしい。

公爵が怪訝そうな顔をした後、はっとした表情を取る。

「カイヤ、ザフィーアは質素な暮らしが長く、晩餐会を知らないのだ」

「まあ、それではわたくしが教えられるのね」

カイヤが微笑み、ジェムの腕をとった。

逃げられない柔らかな鎖の様な、そんな物が首にかけられた気分になったジェムであった。




晩餐会の事は、覚えていない。ただ当主である公爵が作法に則り、肉を切り分けて取り分けた物を、その他の身分の人間が見慣れない二股の、フォークという物を使っていた事くらいしか、印象に残らなかった。

あまりにも緊張していたせいだろう。

だが粗相はしていないらしく、ありがたい事に怒られる事も失望される事もなかった。

そしてそこそこ食べたらしく、腹は膨れている。

適当な時間に、カイヤが退室する時間に合わせて退室し、与えられた部屋でジェムはなんとも言えない顔をする。

「レパードさんは夕飯を食べているだろうか……」

相手を警戒して、水の一滴も口にしない時もある、野生の獣のような性質も持った、彼女の大事な兄貴分の事が、ジェムは心配でしょうがなかった。

「明日になれば、会える」

寝台の上で目を閉じれば、ふっと煙の臭いがした。

それは嗅ぎ慣れている匂いを燃やしたもの。

れぱーどさんのかみのけがもえるにおいだ。

その匂いで、酷く安心したジェムの意識は沈んでいった。




「レパードさんはどうなるんですか」

朝食の席、そこでジェムは問いかけた。

数日をここで過ごしたが、レパードが来る気配が欠片もないのだ。

そうなると、これは聞かなければならないと、彼女からすれば感じてしまう案件になる。

「あの人は?」

彼女の立場からすれば、当たり前の問いかけだったのだが、それは公爵にとって些事だったようだ。

意外な顔をされる。

「あの男のこれからが気になるのか」

「あの人の事を、どうしてわたしが気にならないんですか」

そちらの方がよほどありえない、と思うジェムの問いかけに、公爵が言う。

「安心しなさい、門士見習いとしての身分が保証されるだろう。聞けばどこの国の登録印も刻んでいない危うい青年だというではないか。大丈夫、見習いとして段階が上がっていけば、それだけでもう出世は見えている」

そう言う事が聞きたいんじゃない、あの人の所には行けないのか、と聞いているのに。

唇が引きつったジェムはしかし、相手をまっすぐに見る。

「あの人はここにこないんですか」

「ザフィーア、家族ではない人間が、ここに来るわけがないだろう」

「では」

ジェムは立ち上がった。朝食の途中で立ち上がるのは、大変な無作法だ。

しかし彼女は立ち上がったのだ。

その事で、誰かが息をのむのがわかる。

だがジェムは、迷えないのだ。

迷っていれば、迷っているほど色々な物が外側で取り決められてしまって、身動きが取れなくなる。

そうなれば、自分一人で動く事すら困難になる。

「わたしもここで……」

「ザフィーア、何か嫌いな物があったのかしら」

立ち上がり、ここから出ていく事を告げようとしたジェムは、被せられたおろおろとした声に、動けなくなった。

夫人が困った顔で、彼女を見つめている。

「退室したいほど、嫌いな物があるのかしら。わたくしも好き嫌いが激しい子供だったけれど」

違うのだ、そうじゃないのだ。

ジェムは彼女が今にも泣きだしそうなせいで、座り直す事になった。

……女性には優しくあるべき、という修道院で教えられた態度や習慣がこんなにも、影響するとは。

長年の積み重ねは恐ろしい、とジェムは座って食事を再開しながら思った。

それでも、砂を噛むように食事はまずいものになっていた。

しかし。

もし、あの人がここに忍び込んだ時に、何も手渡すものがないのはよくない、と何かがその日は訴えかけてきた。

そのためジェムは、裾の長い袖を利用し、その中の袋に数切れのパンと乾いたチーズを隠す事にした。




「さて、そろそろ陛下に貴女を紹介しなければ。この季節はいい季節なんだ」

着替えて来るように、そう言われたジェムが着替えてくれば、公爵は笑顔でそう言った。

「年頃の子供が陛下に挨拶するのが、この時期なんだ。ザフィーアは初めて陛下に挨拶ができる」

それは公爵側からすればとても、いい事なのだろう。

おそらく娘を公の場に連れていける、またとない機会なのだ。

それ位はわかるのだが、ジェムにしてみればそれ以上に気になる事がある。

彼女は屋敷の窓のむこう、そこに見慣れた人がいないか探しつつ、問いかける。

「初めてですが、今日なんですか」

「そうだとも、殿下にも陛下にも矢のように催促されてしまっていてね」

つまり公爵家のやっと見つけられた娘を、早く見たいと言われているのだろう。

この数日の間、みっちりと作法を叩き込まれていると、そういう事も察してしまう。

「今から王城に向かえば、昼前には陛下の御前に行くことができる。カイヤが飛び切りの衣装を用意してくれただろう」

だからこの衣装は、とにかく青い衣装なのか。

この国は青の国と呼ばれているだけあって、青色が格の高い色なのだ。

それをふんだんに使えば使うほど、大貴族だと一目でわかる仕様になっているのだろう。

分かりやすくて結構だ。

「行くぞ」

ジェムが嫌がっても連れて行くだろう。

そんな押しの強さも見せながら、公爵は先ぶれの使用人を、まず向かわせていった。



王城から公爵の屋敷までは、実に短い距離しかない。歩いても問題なく、そして公爵も歩くつもりの様だ。

娘と連れ立って歩く事で、娘を間接的にお披露目する算段なのだろう。

大股で歩く男に、何とか小走りで付いて行きながら、ジェムは煙の臭いがしない物だろうかと感覚を研ぎ澄ませていた。

だが、気にしている相手の髪が燃える、不思議な程独特の匂いはしなかった。


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