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一話

 部屋。暗くて狭い、何も無い部屋。その中心にうずくまっていた。

 __ここは、どこだ?

 何度も見渡して、ようやく気が付いた。ここは、昔の俺の部屋だ。どうして早く気が付かなかったのだろう。

 異様に暗い部屋の外で、誰かが言い争いをしている。壁に物がぶつかる音がした。

 止めなきゃ。

 ドアを開け、居間に向かう。母さんと父さんが、お互いを睨み合っていた。俺の存在には気付いていない。

 母さん、父さん。

 二人を呼ぶ。すると、二人は一斉に俺のことを睨み付けた。

 愕然とする。


 __世界がぐるぐると回る。二人の姿は消え失せ、いつの間にか俺は、現在の自分の部屋にいた。

 ああ。__やはり自分は、一人なのだ。

 座り込み、膝を抱える。

 誰も、いない。誰も、傍にいてくれない。寂しくて堪らない。


『お前さえ、いなければ良かったのに』


 暗闇の中から伸びた誰かの手が、喉元に掛かる。そのまま、ぐ、と力が込められた。

 痛い。苦しい。息が、出来ない。

 振り払いたいのに、金縛りにあったように、少しも身動きが取れない。

 誰か。


『お前さえ、』


 誰か。


『お前さえいなければ、』


 誰か。


『__お前さえいなければ良かったんだ!!!』



「____っ!!!」


 目が覚めた。しかし、体が動かなかった。まるで自身の身体でないかのように、鉛の如く、体が重い。そして酷く頭がぼんやりとしていた。上手く何かを考えることが出来ない。何か嫌な夢を見ていた気がしたが、それも思い出せない。布団の中で、ただ虚空を見つめることしか出来なかった。

 どれだけの時間が経過しただろう。意識が混濁としていて、体感している時間が曖昧だった。虚ろに木製の古ぼけた天井の模様を眺めていると、不意に階下から祖母の光子さんの柔らかな声がした。


「悠くん、起きてるかしら」


 返事をしようとしたが、乾いた喉からは掠れた低い可笑しな声が出るだけだった。一向に返事をしない俺を心配したのか、光子さんは階段を昇り部屋にやってきた。


「起きてる? 悠くん」


 部屋のドアを開け、光子さんは顔を覗かせた。俺は起き上がろうとしたが、体が依然重く、仕方なく横になったまま返事をした。


「あら、大丈夫? 喉が枯れてるわ」

「……はい、多分」

「おばあちゃん、ちょっと買い出しに出かけてくるから、お留守番頼むわね。お昼ご飯はダイニングテーブルの上に用意してあるから」


 そう言って光子さんはそそくさと出かけて行った。光子さんがいなくなると、物静かな家が、より一層ひっそりと静まり返るような感じがした。

 気怠い身体を無理矢理奮い立たせ、起き上がり洗面所に向かう。顔を洗っていると、ふと、後ろに何かの気配を感じた。鏡越しに後ろを見るが、そこには何もなく、鏡の中にはただ青白くて生気のない自分の顔が映っていた。

 息を吐く。


「!」


 なんだ__これ。

 喉に、薄い痣がある。まるで、手形だ。首を絞めた後のような、手形の痕だ。そっと痕を指でなぞる。覚えがない。


 この家には、光子さんと俺以外に人はいない。父母は俺が幼い頃に離婚し、俺はしばらく父の元にいたが、父は去年交通事故で死んだ。母は既に新しい家族と暮らしている為、俺は中学卒業を機に父方の実家に居候することになった。祖父は昔病気で亡くなったらしく、この家には祖母と半飼い猫のアリスのみが暮らしている。祖母以外の親戚には、未だ会ったことが無い。その程度の希薄な間柄らしかった。光子さんとも会ったのは父が死んでからだ。家に訪ねて来る人もあまりおらず、この家は常にひっそりと静まり返っている。

 そもそも、この辺りは驚く程田舎で人気が全くといっていい程無い。家の周囲は見渡す限り一面に田畑が広がっていて、古い家屋がその近隣に点々と存在しているのみであった。窓を開けても人の声や車の通る音は当然せず、静まり返ったこの町を、どこまでも延々と連なるような高く青い山々が取り囲んでいる。


 遅い朝食を兼ねた昼食を食べながら、黙考する。

 祖母の手料理は美味しい。田舎の食べ物は、都会のものとはどこか違う。なのに、今日はあまり味を感じなかった。

 ……光子さんがこんなこと、やるわけない。やるとしたらもっと別の人間だ。けれど、つい最近まで部外者であった俺に恨みのあるような人間がこの町にいるだろうか。いたとして、どうやって家に侵入した? どうしてきちんと殺さなかった……?

 恐ろしい事件に遭遇したかもしれない現実があるのに、頭はいやに冷静だった。どこか他人事のような気もした。

 食事を摂り終わり、適当に片付けをして、重い身体を引きずりながら一応家中の戸締りを確認したが、どこもきちんと鍵が掛かっていた。押入れなども開けてみたが、当然人の影などどこにもない。

 確認を終え、俺は再び二階の自室に引きこもった。閉め切っていたカーテンを開け、眩しさに目を細める。外は雲一つない快晴だった。春の暖かな陽気が一面に降り注いでいる。

 やはり、外には人っ子一人見当たらない。この首の痕は、寝ぼけてどこかにぶつけてしまっただけだろうか。それにしては奇妙だ。

 その内面倒になり、考えることを止めた。万年床の上に倒れこむようにして横になる。身体が限界だった。

 そういえば、体調が悪くなったのはこの土地に引っ越してきてからかもしれない、と思った。環境の変化のせいなのか、もっと別の何かなのか……。

 感覚を失いたい、と思った。暗闇の中で、ふわりと宙に浮かれて。ぼんやりと、何一つ考えなくていい。そんな世界にいきたい。何もない、無の世界。それはどれほど幸せな世界なのだろう。

 畳の上に転がっているカミソリを拾い上げて目の前に掲げ、ぼんやりと眺める。胸の内に巣食う衝動がズグリと疼いた。




 枕元で、目覚まし時計が鳴っている。いつからだろう。

 早く、止めないと。やっとの思いで目覚ましに手を伸ばすが、届かない。その内に意識が途切れた。


「悠くん」


 瞼を開ければ、光子さんが心配そうな顔で俺の顔を覗き込んでいた。


「悠くん、時間は大丈夫なの? 今日は、学校の入学式でしょう」


 祖母の言葉を聞き、ハッとして時計を見る。もうあまり時間がない。

 慌てて起き上がる。次の瞬間、肩と顔面に激痛が走った。急に立ち上がったせいか、立ち眩みを起こして倒れ、壁にぶつかってしまったらしい。光子さんが小さく悲鳴を上げた。


「だ、大丈夫なの、悠くん」

「へ、いき、です。あの、着替えるので」


 光子さんを部屋の外に出して制服に着替え、慌ただしく家を飛び出した。


 自転車のペダルをひたすら漕ぎ、風を切る。前髪が風で盛大に煽られるが、今は気にしている場合ではない。

 田んぼのあぜ道を三十分程走ると、ようやく最寄りの駅が見えてきた。駅前の空きスペースに自転車を止めてホームへ走ると、既に電車は到着していた。ぎりぎり滑り込むことに成功し、ホッと息を吐く。呼吸を整えつつ手の甲で額の汗を拭い、急いで前髪を元に戻した。

 精神的に落ち着いてきたところで、ふと周囲に目がいった。一両のみの電車の車両内には、自分以外に人は一人しか乗っていなかった。

 その人は丁度、自分の目の前の座席に座っていた。同じ学校の制服を着ているが、よく見るとネクタイの色が違っていた。先輩のようだ。

 何気なく視線を上に向け、一瞬、息が出来なくなった。

 __なんて端整な顔立ちなのだろう。

 長い睫毛に形の良い涼しげな眼。通った鼻筋に、薄い唇。白くて綺麗な肌。手足が長く、背も高めのようだった。まるで一枚の美しい絵画を目の当たりにしているような錯覚を覚えた。

 その人は、熱心に文庫本を読んでいた。

 何を読んでいるのだろう__。

 じっと見つめていると、不意に彼は眼差しを上げた。目が合う。

 しまった、と思った。途端に我に返り、慌てて目を逸らす。いつの間にか、見とれてしまっていた。こんなことは初めてだった。

 俺は後悔した。……自分が嫌なことを、自分が人にしてしまった。彼は俺に不躾に見られて、嫌な思いをしただろう。

 過去の苦い思い出が脳裏に蘇る。

 視線。視線、視線、視線。

 教室中の視線が、俺に注がれている。

 視線。視線、視線、視線。__湧き上がる、嘲笑。

 駄目だ、考えるな。そう思っても、一度思い出すと歯止めが利かなかった。

 気分が悪くなる。電車酔いだろうか。それとも、あの時の事を思い出したからだろうか。

 ふと、また視線を感じた。まだ、目の前にいる彼が俺のことを見ていた。

 目の前が、ぐらぐらと揺れる。眩暈。耳鳴り。視界が暗くなっていく。何も、見えない。何も聞こえない。吐き気がする。苦しい。頭が痛い。

 一刻も早く、この電車から降りたい。今すぐにでも飛び降りたい。そんな意思もすぐに消え去り、何も考えることが出来なくなった。

 突然、世界が暗転した。 

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